(ハイウエイから秋の山の景色を)
今月号の月刊誌『文藝春秋』を買った。毎号楽しみにしている。今月号は、妙に分厚い。何事かと思ったら、創刊95周年記念号だという。
中途半端な95周年はともかく、記念号とは、誰のための企画であろうか。どう考えても自画自賛である。大型企画のために、通常よりは100ページ近くを増加したと巻末の「編集だより」にある。企画の内容は、「文藝春秋を彩った95人」が中心で、しかも、その増ページのせいで、通常よりも価格が高く設定されている。この企画を喜んでいる固定読者はどれほどいるのだろうか。少なくとも購読歴の長い私は望んでいない。
95年も続いたのは読者の皆さんのおかげですという気持ちがあって当然であろうし、そうであるのなら、今月号は、特別に定価を下げ、分厚い雑誌をお届けしますというのが筋であろう。少なくとも、同一価格であって欲しい、
購読といえば、新聞(朝刊)も同様である。新聞社主催の催し物についての広告記事の多いこと、また、その記事の占める紙面の面積に呆れる。高校野球、書道展などなど、自社広告のための広報誌さながらである。
今日は、同社の元社長の死亡記事が、第一面に堂々と掲載されていた。いったいどういう読者を想定した上での紙面構成でろうか。良識ではなく、常識を疑う。
近年は、ネットでもニュースを読むことができる。便利といえば便利であるが、実は、数ページ読むと、肝心の内容を読むためには会員登録をしなくてはならない。さもしい姿勢である。いっそのことこういうサービス(実はサービスなんかではないのだが)は止めてもらいたい。あのいらいらするテレビの広告の方がまだましという思いがするのが情けない。