たった今、テレビで報道したニュースの内容を、できるだけ正確に再現してみよう。 「マンションで、女性が倒れているのが発見された。発見者は、この家に住む眼科医の女性の弟である。現在、その女性と連絡が取れないので、死亡したのは、マンション所有者である女性医師ではないかとみて捜査を続けている。」
ニュースの原稿を書いたのは、警察発表を聴いた人間と推定されるが、姉が殺された現場に居て、被害者が姉かどうか分からないということがあろうか。時に被害者の認定のために親族を呼ぶことがあるようだが、今回は、その親族が発見したのである。警察発表に際して「なぜ、死亡したのが住人の女性医師であると断定できないのか?」と質問することがなかったのか。
ワイドショーで、年の差婚をした女性タレントが、若い夫から、自分の子どもが欲しいといわれて「離婚」に同意したということを取り上げている。いろいろな経緯はあろうが、女性タレントは納得しているようだ。 テレビは、この種の個人的な内容の出来事が大好きである。テレビが好んで取り上げると言うことは、視聴者が好んでいるということを反映している。
この離婚問題は、当事者が口にした場合でも、純然たる個人情報であり、プライバシーの侵害でもある。テレビでは、多くのコメンテーターが、それぞれに言いたい放題であり、あろうことか、街頭インタビューまでして、無関係な人間の意見を採取し、報道している。 一言で言えば、大きなお世話、余計な口出しである。
新聞では、女性のアナウンサーやタレントの妊娠情報が、ごく当然のように記事にされている。未婚や独身のタレント同士のデートまで、密会、旅行などとして報道されることもある。同じテレビや新聞が、時には、プライバシー保護を主張したり、プライバシー侵害事件を報道したり、告発したりすることをどう考えればよいのであろう。
「テレビで言っていた」「新聞に書いてあった」などと決して口にしてはならないことがよく分かる。テレビや新聞は、何でも言うのである。