それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

体力低減への対応

2019-12-27 22:33:04 | 教育

 先日国際学力調査PISAで、わが国の15歳生徒の読解力が、前回の4位から15位に転落したことは、本ブログに書いた。

 今度は、文科省の調査で、小中学生の体力が低下していることが明らかになった。つまり、文武両面で力が落ちていることになる。

 能力の低下の原因は、何か一つに絞り込むことはできない。子どもの置かれた生活環境の変化、その中での生活様式の変化が全体として影響しているに違いない。能力の低下、青少年の不祥事というと、すぐに学校教育に責任を押しつける風潮があるが、それは責任転嫁というものであり、学校、教員を不当に苦しめるだけである。政治、経済、メディア、保護者などすべてが、我がこととして責任を痛感し、対応策を講じなくてはならない。

 私の住む県の教育委員会は、体力向上のために、陸上競技の専門家を呼んで、速く走るための特訓をするという。教育関係の機関として、放置できない問題はへの苦肉の策であろうが、こういう対症療法で問題は解決しない。問題の本質的な解決のためには、もっと広い視野によって、教育の専門家、専門機関として、問題の所在と解決法を探り、外部(国、自治体、経済界、保護者等)に提言し、共同で取り組む努力をすべきであろう。


「勇気と感動を与える」という傲慢

2019-12-27 15:49:32 | 教育

 「与える」という日本語は、上から下へという相手意識を含んでいる。手元の大型辞書で確認してみると、以下のように、いわゆる「上から目線」の動詞であることが判る。

【与える】 ①自分の物を目下の相手にやる。 ②影響・効果などを、相手にこうむらせる。 ③特別の配慮を、相手にほどこす。 ④仕事・課題などを、課する。あてがう。

 新聞(毎日)地方欄に、地元の高校ラグビー・チームが全国大会に出場する記事があった。生徒である主将は、「……ひたむきに、謙虚に戦う。」との意思表明をしていてほほえましいが、監督は、「全力を尽くし、元気、勇気、感動を与えたい。」とあいさつしたそうである。

 高校野球の全国および地方大会での選手宣誓は、多くの国民の聞くところであり、「……感動を与える」という表現が通り相場になってしまっていた。気になって仕方がなかったが、このところ少しばかり改善があって、「……感動を届ける」という表現も、たまに見られるようになった。

  野球で活躍しているとはいえ、年端もいかない高校生に、「勇気を与えられる」筋合いなどないのであり、一生懸命プレーに専念してくれていれば、それ以上の期待はしないという人達も多いのではなかろうか。

  問題は、宣誓の当事者が何の悪意も傲慢さもないのに、「与える」という言葉を使用していることである。宣誓の言葉は、多くの大人のチェックを経て完成するのが普通であろう。チェックを経た結果が「与える」の表現であるとするなら、あまりに言語感覚が低劣な世界だといわざるを得ない。

 一方で、テレビの料理番組などで、講師が、食材について、「……塩水に漬けてあげる」、「皮をむいてあげる」などと言うのである。

  母なる言葉「日本語」にもっと敏感になろう。