岡山市で、中学二年の男女生徒が乗った自動車が自損事故を起こし、一名が死亡、他の四名が負傷したという。当然無免許運転で、不良中学生グループによる愚かな行為の結果である。日曜日の早朝ということで、通行人や他の自動車に累が及ばなかったことは、不幸中の幸いというべきであろう。
こういう事故の報道では、定型ともいえる取材がある。
ネット配信されたニュースの一部は、以下のようである。
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岡山市の菅野和良教育長は「亡くなった生徒のご冥福をお祈りします。あってはならない大きな事故であり重く受け止めております。子どもたちの更なる規範意識の向上に取り組んでまいりたい」とのコメントを出した。市教委は「情報収集するとともに、生徒たちの学校から聞き取りを行い、対応を検討したい」と話した。
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この悪童どもの行為の責任は教育委員会や学校にあるのか。教育委員会や学校は、お決まりの謝罪をして、報道機関も、それで一件落着となるのが無難な方法のように見えるが、果たしてそうか。
生徒は、一日中学校にいて、生活のすべてにわたる指導を受けている訳ではない。また、教員のいうことを素直に聞くとも思えない。しつけのつもりでしたことが「暴力」だと訴えられるご時世であってみれば、何でもかんでも尻を持ち込まれ、責任を問われてはたまったものではない。教育委員会も学校も、安易に全責任を引き受けて謝罪してはならない。 事故を起こした車は、乗車していた生徒のうちの一人の家族所有のものであったという。まず、車の保管の問題が、家族に問われなくてはならない。中学生が運転できないという常識を教えるのは学校ではなく、まずは、保護者である。つまり、親や家庭の責任である。広くは社会のルールにかかわる教育であるから、メディアや地域社会、関係機関等、つまり社会全体の責任ではあるが、「社会の責任」などというものは、空虚な、言葉だけの建前である。実効性のある方法として、まずは、身近な家庭、保護者の責任が問われなくてはならない。
ネットニュースへの読者のコメントの中には、以下のようなものがある。
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岡山で13歳の少女が車を運転し、事故を起こして死亡。
同乗していた中学生も怪我。
この少女は、こんな人生でよかったのか?
車の所有者は、同乗していた中学生の親の車らしいが、
これは所有者の責任も問われるし、
親は何をやってんだ?
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子供を失い、保険も降りず、同乗者の子達の治療費も払い、車も大破。
親は子の責任を取る必要があるが、親が真っ当に育てなかったツケでもあるな。
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メディアによる報道姿勢とは異なる意見・コメントであり、まっとうである。