バスから眺める風景を観察していて気付いたことは、国全体が石ころ、岩盤で出来ている
のではないか思うほど石が露出しており、人が暮らしていない場所は顕著に現れる。
日本の山は荒廃して手が付けられないほど緑で溢れている。しかし長野県の山合に行くと
岩山で木々は極端に少なく背丈も低いものが多い。この様子の延長線上にある風景がク
ロアチアにも連なっている。山の尾根に『我はここにあり』と根を張り立ち尽くす大きな木を、
ここでは1本すら見かけることはない。どのような地盤になっているのか知らないが、岩との
関係は海岸線にも見られる。極端に言えば山の裾野が海になっているような地盤ではな
いだろうか。
長い年月をかけて岩が風化し風に吹かれ吹き溜まりになった場所に土がある。山も同じで
少しずつ土が溜まり木の芽が出て、土が溜まり易くなりそうした環境が徐々に広がりつつあ
り、それは今も長い将来にも続いていき、いつしかの世に緑溢れる山になることだろう。
そんな気の長い時の積み重ねの先にあるものを想像させる土地柄である。
石の多い風景はトルコ横断の旅でも経験した。山岳地帯はクロアチアよりもう少し風化が進
んだような状態で、石の大きさは小さかったように思うし、何より土に近い石ころが多かった。
遠目に見ると石の山が白く見え、時として雪と見違うこともある。夕暮れ時、山道に入り走っ
ていた。窓の外を見ていると白い石がゴロゴロしていて雪のように見えるが、どうも石のよう
だった。段々と高い所に登っていくとどうも雪に間違いなさそうに見えるが、石と言われれば
石に見える。そんなはずはない。全体が白いから雪だった。
下って行き里に出た。同じような光景で雪かと思って見ていたら雪ではなく石だった。
昼間でもバスの中からだと見誤るほど石がゴロゴロしている。
畑地を開拓するにはどうしたらいいのだろうかと、要らぬ心配をする。任意の場所を掘り返
せば必ず石が出てくるに違いない。石を取り除いてしまったら土が少ないだろうから客土を
しないと畑地には成りえないだろう。元々、土が少ないだろうから畑地を作るのにも大変な
苦労があったに違いない。そうした過程で掘り出された石が並べられたり、積まれている畑
地を見かける。しかし、人家の周辺ではそうした石の特徴を見ることはない。ごく普通の土
の上に家が建ち、中には石垣で造成された土地を見るくらいだ。