食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『ブレッド湖観光Ⅲ』

2013年12月21日 17時48分50秒 | 旅行

1時間ほどの自由行動は直ぐに終わり、次の観光地はヨーロッパ最大のポストイナ鍾乳

洞まで100kmほどの移動となる。洞窟見学の前に昼食を摂ってからということになる。

今朝いたブレッド湖周辺も、これから移動するポストイナも共に山の方になり、魚料理と

なれば淡水魚の鱒が定番になる。トルコでも内陸部、スイスの湖畔でも鱒が予定されて

いた。私は鱒料理を食べることは殆どない。あるとすれば渓流にある流しそうめんの近

辺で養殖されている鱒釣りをした時、仕方なく釣った鱒の塩焼きくらいだ。大きさは15cm

~20cmくらいの細めのものが多い。

この地での昼食は鱒料理だった。30cm弱の大きな鱒をオリーブオイルかなんかでソテー

したものだが味が非常に淡泊で、塩を振りかけて食べた。淡水魚の臭いはなく適度の脂

が乘っており美味しく感じた。ヨーロッパのレストランはどこでも、事前に飲み物の注文に

やってくる。ミネラルウォーター、コーラ、スプライト、ワイン、ビールは大体同じ値段で100

円一寸くらいだから、どうせ同じ値段ならと白ワインを頼む。

白ワインを飲みながらパンを齧り、ジャガイモをつつき、鱒の塩焼きを食べる。この食事に

限らず大体、こんなパターンだから飯を食ったという実感は非常に薄い。そんな食事でも

腹ごしらえを終えると、落ち着くから妙なものだ。

 

        スロベニアの岩塩、聖マリア教会のベル

               塩チョコレート

 

 スーパーで買ったポルチーニ茸      異様に長い松ぼっくり(種はなし)


『LCC スカイマーク就航』

2013年12月21日 17時47分21秒 | 日記

冬将軍と共に空の便利さがやって来た。米子から成田、神戸、茨木への航路が開かれ

一気に新しい道が開けた。どんなものか調べてみると値段は手頃になるし、動くのに格

段に便利だ。

例えば、先日の関空からの旅行に行く時、バスだと梅田まで5,000円、関空まで1,800円

かかる。スカイマークで格安予約だと4,800円、神戸空港から船で30分の距離を1,800円

と若干安いし、バスだと5時間40分かかるのに対し飛行機は35分、船は30分と断トツに早

い。飛行機だから荷物の受け取りに時間がかかるから実際にはもっとかかると思うが、そ

れにしてもこれを利用しない手はない。

また帰り、関空から19時前までに着けば関空で一泊しなくても済むことになる。これは成田

についても同様のことが考えられる。成田の場合、60日以前の予約席があれば4,800円で

行くこともできるので、旅行に行くパターンが飛躍的に拡大する。

海外旅行の場合、関空発、成田発は様々な国へのツアーがありながら、国内移動、宿など

のことを考えると中々、参加できない。ケースバイケースになろうが、そう考えただけでワクワ

クしてくる。

4月から札幌、那覇便が就航する予定だ。札幌は以前にも就航していたことはあるが、正規

料金だと、かなりな金額になっていたと思う。スカイマークの今後はしらないが、以前よりは

安であろう。両方とも行ったことのないところだから、話のタネに乗ってみたいものだ。


『ブレッド湖観光Ⅱ』

2013年12月20日 17時13分48秒 | 旅行

教会は島の高い所に建てられているから湖を見下ろすことが出来るのと同時に、遠くに白

いアルプスの峰々が抜けるような青空をバックに聳(そび)えている。添乗員は教会の歴史

や見どころを説明してくれているが私には、寒さを我慢しながら綺麗な風景をビデオに納

るのに忙しかった。教会の中に小さな土産物屋があった。ヨーロッパでは何処の国に行

ても小さな陶器の人形や飾り物があり、その種類は多いから先は可愛らしさと共に小さな

華やかさを振りまき、通りかかるとついつい足止めを食らう。ここでも同様に窓際に並べら

た小物たちが目を引いた。

外から眺めると綺麗な教会でも礼拝堂を除く場所は、ただの古い建物にしか見えず、よほ

興味を持っている人以外には面白くないから、こうした売店は引き止めるのに効果があり

そうだ。帰りには少しだけ温度が上がったのか湖上の移動は、行きの時より寒さが和らいだ

ように感じた。陸に上がりその足で近くにある、名物の岩塩やそれを使った製品の専門店

に立ち寄った。私は必ずのように塩を買って帰るので渡りに船で、岩塩とそれを砕く木造り

の杵と臼のようなもののセットを購入した。妻は珍しいと塩チョコレートを買っていた。

時間の余裕が少しあるという事で近くのスーパーに立ち寄り、チョコレート、クッキーなどを

物色する。小さなスーパーは現地の客の姿は殆ど見られないのに、遠く日本からやって来

た36人の観光客で急に賑やかになった。お土産に十分使えるチョコレートは高いもので60

0円くらい、ッキーなどは300円出せばバラマキ土産に使える。

生活用品や食料品などの値段をチェックしてみると総じて安く、目に入った乾燥ポルチーニ

400円程度格安だったから自分用の土産に購入する。茸は水に戻し、戻し汁にコンソメ

スープで味付け軽く煮立てパスタのソースにして頂く。私はこれがお気に入りで時々、ネット

で買い求めている。そうした価格に比べれば比較はできないほど安いことを言うまでもない。

他のメンバーも安さにつられて大量に買い込んで、今時はこんな片田舎のスーパーマーケッ

トでも支払いはクレジットカードで可能だった。

ある人は旅先での支払いは出来る限りクレジットカードなので、現地通貨は必要最低限しか

換金しないと言っていた。換金手数料、国によっては日本で再両替出来ないこともあり確か

に煩わしいがカードではそんなことから解放される。

その代り日本に帰り口座から引き落とされる時『こんなに使っていたのか』と後悔することもあ

るとも言っていた。便利だと思うが私たちは損得、便利不便ではなく現地通貨を使うことは非

日常的で旅行を楽しむ一つの要素だと思うから、現地通貨を持ち歩くことにしている。

  

 

                            聖マリア教会の土産売り場

              ブレッド湖上からの眺 

 

bled lake

 

 

 

 

 

 

 

 


『動き出した原発再稼働』

2013年12月20日 17時11分08秒 | 日記

島根県、松江市ともの中国電力島根原発の再稼働に向けた安全審査申請を承認する運

びになった。どこで誰がどんな経過で、これならば再稼働に舵を切っても安全だと判断で

きた理由は何なのか、私たちには一切明らかにされず、承認の言葉が出てきたのは唐突

な感じがする。其処には、再稼働は既成路線として決めていたが、ほとぼりが冷めるのを

待っていた、他の自治体と横並びの道を選択した、こうした理由以外にはあり得ない。

住民説明はやって来たし今後も丁寧にやっていくと主張するに違いないが、やったとして

もほんのごく一部の住民だったり、何の権限を持たない組織だったりと、住民のコンセンサ

スを得られての決定とは到底言えないものだ。

東電福島原発と島根原発は同じ型式、沸騰水型(BWR)。だから福島のシビア事故の原因

を取り除くことは島根原発で同じことを起こさない確かな方法である。その原因が判らないの

に対策を実施しているとか、数年の内に完了するとか、自治体はまやかしの対策を鵜呑みに

しているのか、まやかしと知っていながら知らない振りをしているのか、いずれにしてもいい加

減な姿勢は否めない。

原発再稼働で島根県、松江市の危険度合が大きく変わるのではない、稼働していない今と同

じだ。稼働中に外的要因で異常を起こした場合、瞬時に原発が破壊された場合を除き緊急停

止で直ぐに停止できる。停止してしまえば停止中の今と同じ、停止していれば安全とは言えな

いのが原発の怖いところだ。稼働中、停止中に関わらず核燃料を冷却し続けなければ福島の

二の前になる。福島県は原発被害に遭い第一発電所に留まらず、正常とされる第二発電所の

廃炉も要求している。原発と別れをする自治体、なお危険と背中合わせながら『自分

の県だけは原発被害に遭わない』と盲信し依存し続ける自治体。

私は自分の定めを自治体に白紙委任した覚えはないのに・・・・・

『賢者は歴史に学び、愚か者は体験に学ぶ』

『愚か者は体験に学び、学ぶことも出来ない愚か者もいる』


『ブレッド湖観光Ⅰ』

2013年12月19日 17時21分00秒 | 旅行

目覚時計に叩き起こされることなく目を覚ます。静けさと夜明け前の薄明かりは窓の内側

から見ていても、冷え切りピーンと張りつめた空気を感じさせた。少しだけ窓を開けて外気

に触れると、冷と言うより凍に近いものが暖かい顔を撫ぜる。早朝だから快適とはいかない

ものの然したる疲れはなく、これから出かける観光のためにしっかりと腹を据えておかねば

ならぬと、朝食会場に向かうとメンバーの出足は良いようだ。ホテルの朝食は数種類のパ

ンが準備されており、何れのホテルのものも当たり外れなく美味しかった。特にクロワッサン

は外がパリパリ中はモチっとした感じに加え香りが良かった。ヨーロッパの食事から逃げる

との出来ない食材と言えばジャガイモがある。こいつは朝から晩まで手を変え、品を変え変

幻自在に出てくる。山のホテルでも灘端のホテルでも分け隔てなく。

少しなら私も食べるが、こうも連続攻撃を掛けられては、特に男性陣からは諦めともため息

ともとれるような声混じりになっていった。定番の朝食はパン、様々な種類のハム、ソーセー

ジとパン、卵料理、果物、サラダに飲み物類であったが、いずれも美味しい方だと思った。

ホテルから外に出てみると水たまりや階段などの濡れていた場所は氷が張り、ツルツルにな

っており足を取られ転んだ人もいた。この寒い中、湖に浮かぶ小島を目指して手漕ぎボート

に乗るためバスに乗り船着き場に向けて10分ほど移動する。

日差しはさしており無風だから見た目には寒さを感じるようではないが、体感は途轍もなく冷

たく耳がちぎれそうだ。この日のために準備してきた防寒具を総動員して頭から指先まで覆

い尽くしボートに乗り込む。湖面にブレッド城や聖マリア教会が映り込まれ、その様はアルプ

スの瞳と呼ばれているそうだ。湖の水は青く澄んで美しい、こうした環境を守るためにエンジ

ンボートを使わないで20人くらい乗れるボートを手漕ぎしている。遠くに見えるアルプスの山

々は白く、空、湖の青とマッチして感嘆の声が上がる。漕ぎ手は一人だが思ったより早く進み

教会のある島まで10分足らずで到着した。船着き場の目前には上に行くのを阻むかのように

長い99段の階段が待ち構えている。この教会で結婚式を執り行う新郎は大変な難行苦行を

遂げなければならない。花嫁を抱きかかえ階段を登り教会まで行くのだそうだ。私などにはと

ても叶うことではなさそうだと、要らぬ心配をしながら階段を登り始めた。カメラと小さなバッグ

だけ持っているだけなのに、途中で休憩しなければならないから、いくら花嫁だからと言われ

ても・・・・・

 

                          ホテルロビーから湖を望む

                対岸の教会

            朝陽を受けるブレッド城

             アルプスの山々

 

 

        15世紀、小島に建てられた聖マリア教会、塔は52mの高さ

 

スロベニア、ブレッド湖


『門松つくり』

2013年12月19日 17時19分33秒 | 日記

昨年、炭焼きの会が飲み会でいつもの利用させて貰っている会館にお礼として門松を

贈ろうと提案があり、初めて門松作りをした。好評だったこともあり今年も同様に作ること

になり、3本の竹を斜めに切り束ねること、竹や飾り物を生ける樽(容器)作りを仰せつか

った。竹はメンバーの人が綺麗な真竹を持ってきてくれたので、それを使用することに

する。

昨年作ったが大きさや竹を斜めにカットする時、節をどの位置に持ってくると見栄えがい

いのかなど、明確に覚えていないため、ネットで再調査から始める。束ねる方法、節の位

置、節の有無などこれが定番というものはないらしく、様々な形のものが紹介されている。

竹の先端を鋭くしないで切り落としておく、これは竹槍として使用しないという主への忠誠

心を表すものだとか、調べるとそうした事にも様々な由来がありそう。

竹を切る時、鋸の刃は目が細い方が良く、また切るのは下から上に向かうとささくれが出

来にくいとか、扱いについても細かく紹介されている。3本の竹を束ねるのは簡単そうだが、

縛ろうとすると竹がゴロゴロと移動しカットした位置を正面に固定させるのも難しい。

透明テープで仮に貼って固定してからしゅろ縄で固定するのが一番いい方法のようだが、

テープを取り外してしまうと竹同士だから滑り易く、直ぐに位置が変わってしまう。

生ける容器は漬物用のポリバケツの表面をムシロが飾ることが多い。私の場合は丸い底板

を作り周辺に竹を打ち付けた本格的なものを作るつもり。

全長は1.5mのものにする予定だが、現地で組み立ててみた具合で決めることにし余裕のあ

る長さで作っている。メンバーが持ち寄った男松、女松、南天、葉牡丹、裏白、笹などを飾り

付けると、素人細工には見えない門松になる。


『スロベニアへ』

2013年12月18日 17時31分42秒 | 旅行

皆がKnに交換を終えてバスに乗り込み、約190Km離れたスロベニアのブレッド湖畔に向

かってひた走る。大半が高速道路を走るから長旅であっても案外と楽に感じる。到着した

のはクロアチア、行き先はスロベニアだが何とか条約で出入国の手続きは省略されるはず

なのに、ここの国境は気分次第でどのような対応になるか判らないと添乗員から説明があっ

た。案の定、バスの運転手が下車して出入国の手続きを終えたら、私たちもそれが必要だ

と知らされ、全員でゾロゾロと国境事務所に入る。最初の机はクロアチアの出国係がスタン

プを押す、左側の机に移動しスロベニアの入国スタンプを押して貰い出入国手続き完了と

なる。押されたスタンプを見て初めて気づいたこと。EU加盟国のスタンプは国が違っても形

式は同じと知っていたが今回は陸路、スタンプをよく見ると自動車のマークがあった。

以前のものは空路だから飛行機のマーク付きだった。

添乗員がいい加減だと言ったのは本当のことで翌日、戻る時にはスロベニアは何もなし、ク

ロアチアは係員がバスに乗り込み、ろくにチェックもせず無造作に各人のパスポートにスタン

プを押していた。

国境を越え1時間ほどでブレッド湖畔の宿に到着した時は、すっかりと陽が暮れて辺りは真っ

暗でバスを降りると、底冷えのする山岳地帯の気候を思わせた。チェックインすると各人が部

屋で風呂の湯は出るか、不具合はないか調べて添乗員に報告することになっていた。部屋は

綺麗で設備は整っているし風呂の湯の出方もよろしい。

スロベニアを皮切りにクロアチオアへとホテルを変わっていったが、これ以降のホテルとも綺麗、

湯の出方は満足だった。大きいバスタブに湯を入れてもぬるくなることもないし、湯切れの心配

もなかった。ヨーロッパのホテルでは湯切れやぬるさに閉口させられるが、今回は満足のいく結

果だった。

私たちのグループは通称2号車と呼んでいたが同一ツアーの別のグループ1号車は、私たちと

別のホテルに宿泊した。人数の関係だろうが同一ツアーでありながら行程は一緒だが、食事をと

るレストランもホテルも別々のことが多かった。

2号車のホテルは良好だったのに対し1号車は湯が出ない、ベッドが揃っていなかったなど不具

合が目立った。結果はたまたまの出来事であろうが同一ツアーとしては珍しい事があった。暖か

い風呂に入り寝不足の中、長い移動で疲れた体を癒すには十分な宿であった。

飛行機で入国した場合のスタンプ

24.03.13の日付はドイツのフランクフルトにて

30.11.13の日付はクロアチアのザグレブのもの

自動車で入出国の場合、車のマーク

 


『畑地の変貌』

2013年12月18日 17時29分43秒 | 日記

八雲町の畑地は宅地、倉庫、資材置き場などが点在してきた。こうした現象は特に町の

入口から始まり徐々に奥の方に進みつつある。耕作放棄地として雑草や枯れ草が伸び

放題で晒(さら)されているのがいいのか、こうして別の利用がいいのか、選択すれば後者

というのは負の選択に他ならない。別の利用を承認するにしても町をどのような形にする

かという観点からではなく、個別で判定するから歯抜け、一本釣りの様相になり、畑地で

綺麗に整備されていた町は資材置き場や倉庫と畑とのモザイク模様に変わってしまうの

ではないかと心配している。

住宅団地の近くでは保育園や保育所に関連する施設の建設が見られる。11月頃、畑地

を埋立てしているのを見て宅地になるのかなと思っていたら、旅行から帰ってみると大きな

鉄骨建ての平屋が建てられておりビックリした。看板をみると子育て支援の施設になるらし

い。畑地が転用される一方、先祖からの畑を一生懸命に守ろうと頑張っている人も沢山お

られる。畑で作物を作っても出荷するほどではない、周りの人も自家用は作っているから

裾分けすることもなかろうが・・・放置すれば直ぐに荒れ野原になるから作った方がいい。

畑の一部は使っているが大半は遊休地になっている人でお年寄りの方は、シルバーセン

ターに草刈りをお願いして畑を守っている人もいる。反面、自分で草刈りなど十分できるの

に放棄地にしている人もあり、地域で農地を守るという気運は残念ながらない。

農家なら農業をしない人でも農地を相続することを農地法は認めている。農家で家業を受

け継ぐ若い人は殆どいなくなった今、昔ながらの事情だけを汲んだ農地法では農地を農地

として守ることはできなくなった。農業は法人化、大規模集積により農地を守ろうとする動きは

あるが、この町に限らず担い手が不足しているから、最低でも農業で生計が成り立つ施策を

強力に推進し、若者の就農人口を増やさないと崩壊の一途を辿るだけになるのは明白であ

る。以前、安倍総理が提唱していた『美しい日本』どころか醜い日本に変貌していくのではな

かろうか。


『軽トラ勝手にドアロック』

2013年12月17日 17時16分53秒 | 日記

軽トラックの車検料の天井が見えないほど部品劣化が進んでいると車検工場からの電話

に慄(おのの)いたのはほぼ1年前のこと。年の瀬を何とか乗り切れそうだと思っていたの

に青天の霹靂、そして苦渋の選択で買い替えることにしたのは、ちょっと前のようにしか思

えないほど早い速度で時が経ってしまった。しかし新しい車がやってくると快適な軽トラッ

クライフを過ごしていた。どの車でも半ドア状態や車にキーをつけたままドアを開けておく、

またシートベルトを締めないととピーピーと警告音が鳴らされる。

畑に行き閉めたはずが半ドアだと五月蠅いこと。閉め直すまで警告は終わらないから、う

っとおしいのも事実。ならば前のトラックと同じようにドア開閉SWを殺してしまえば、半ドア

でもドアは常時閉となり警告音はならないから、我慢できないことはない憂鬱から解放され

る。そうした状態で使っていて何の問題は起きなかったから自信満々でドアSWを外して使

い始めた。前のトラックと違うのはキーレス・エントリーになっただけだ。

秋口のある日、車の中にキーを置いたままにして用を済ませ車のドアを開けようとすると、

ロックされていて開けることが出来なくなっていた。うっかりとして、ドアロックしたままドアを

めてしまったのかと、スペアキーで難を逃れた。

そして、何度かドアがロックされてしまうことがあるものの、窓が開いていたりして被害はな

かったから『変だなー』としか思わず、キーは車の中におかないようにして様子をみていた。

ある朝、私がトラックの荷物を整理している間に妻は用があり、玄関のカギを掛けて外出し

た。その時、運悪く車の中にキーを置いたままにしていた。ガチャ、と音がした。キーは車

の中。玄関のカギはかかっている。妻は外出。

四面楚歌の私、勝手口、ベランダの戸はカギが掛けられている。すると風呂場の窓が少し

空いているのを発見、スルスルとよじ登り小さい窓から勝手知ったる自分の家だから簡単

に侵入できた。スペアキーで難局を乗り切る。

その後も同様のことがあり車屋に状態を説明してみた。『キーレスでドアを開けてから30秒

過ぎてもドアを開けないと自動的にドアロックする』と説明があった。ドアSWを殺しているこ

とをすっかり忘れていたから、ドアを開けたままでもロックすることがあると回答していたから、

車屋は一度調べたいと言ってきた。暫くしてから、ドアSWのことを思い出しSWを元に戻し、

言われた通り試してみると、車屋の説明の通りで異常なしと判明。

私がドアSWを殺していたから思わぬタイミングでドアロックになる、何てことはない自業自得

のことだった。


『途中下車、ブダペスト空港』

2013年12月17日 16時58分28秒 | 旅行

私たちは初めての経験だった。ドーハ発ザグレブ行の飛行機はハンガリーのブダペスト

経由で行くものでブダペストのお客はここで降り、私たちは1時間ほど待機した後に1時

間ほどのフライトでザグレブに着く。上空から見える風景は大都会の雰囲気ではなく大き

く曲りくねったドナウ川沿いは開けた都市と農作地が入り混じったところのようだった。行

ったことはないが実際には中世を思わせる古い建物が並ぶ街並みだと思う。

会話の中で『何か国ぐらい行きましたか?』と聞かれることがある。行くと言うのは、どういう

定義になるのだろうか、ツアーや自分で行くぞと決めて足を地に着けた国を言うのか、今

回のブダペスト空港で待機したからハンガリーには行ったことがあるになるのか。

それではバスで通過した国は?トイレ休憩で立ち寄ったドライブインの国は?

定義は難しいことになる。どうでもいい事だが・・・どうなんだろうか?

ドーハからの飛行機は私たちツアー客が大半を占めており、ここで降りる客は少なかった。

目的地でもない所で大切な旅の時間を奪われ、監禁状態は迷惑千万なことなれど、これも

避けられないこと。飛行機が再び飛び立ち窓の外を見下ろすと下界の山々は白い雪を頂

き、まるで白い高原のようになっている。こうしているのも僅か1時間だから水平飛行から下

降にむけて体制を整え雲の中に突入し、ガガガッと車輪を出す音が聞こえた。

着陸すると極細かい雨粒の混じりの曇りだった。この空港もタラップを降りバスに移動して

から空港施設に移動する。こじんまりとした空港で混雑もなく入国手続きを終え、荷物が出

てくるのを待つ。荷物を受け取ってから両替タイムとなり窓口に並ぶ。

日本人は円からKnへの交換なのに私は$100札を5枚出したものだから、係員は咄嗟に偽

と思ったのか札を持って奥の方に行き暫くしてから戻って来た。昔からは偽$札は横行し

ており高額紙幣の$100札は鑑定機でチェックされることがあると聞いていた。そして次にパ

スポートの提出を求められた。完全に不審者扱いだ。と言うのも、私の前で円からKnに変え

ていた人はパスポーの提出など求められていなかったからだ。係員がとる行動などどうでも

いいこと、私はKnに変えて貰えれば。

交換を終えた人の話では1Knが18円くらいだと話していた。私の場合は83円で買った$を

交換しているから、再計算して云々は面倒だったからそのまま財布に収めた。軍資金を調

達したから、これで当面のことは心配しなくてよくなる。

 

         ドナウ川が蛇行するブダペスト近郊

              ブダペスト空港の上空

 

             クロアチアの首都、ザグレブ到着

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『機上の人に』

2013年12月16日 17時18分21秒 | 旅行

関空からカタールのドーハまで約9時間、乗り継ぎ後に到着するのはハンガリーのブダ

ペストでこの空港は所謂、途中下車する人が降り私たちは機内に監禁されたまま1時間

ほど待ち再びザグレブに飛び立つ。こうした行程に時差が絡んでくるが、時差を抜きに

して時間経過をたどると、どんな動きになるのか分かり易い。西に向かうという事は時間

が過ぎても向かうだけ前の日本時間に戻っていくことになる。この論理に従って考えて

いくと面倒になるから時計は日本と国外を表示できるものを用意しておき、機内のディス

プレーに表示される目的地への到着時間などを合わせてみれば分かり易い。

私は昔からカシオ製のワールドウォッチ、為替レート換算機能の小型時計を使っている。

事前に現地通貨レートを入れておけば現地の売価を入力するだけで円に換算してくれ

るから非常に便利だし、アラームも付いている。カタール空港は空の5つ星とか言われて

いるだけあり機内サービスいい。特に食事の質は非常に高いと思っていたが慣れて来た

のか、以前ほど感動はしなくなったけど、それでも質は高いと思う。

何処の航空会社でもそうだろうが、22時40分発の飛行機、飛び立って30分後ともなれば

ボチボチ寝る時間なのに機内食が出される。軽食かと思いきや結構重そうなチキン料理

が出て来た。私は食べる気はなかったので白ワインを貰い、ついでに妻の分も貰って私

が飲むことにした。A330の機体にはリモコン付きのゲームできるディスプレーがあり、暫く

はこれで暇つぶしを出来るし、飽きたら映画でも観ていればいい。ワインを飲みながらテ

トリスやスロットを興じ日本語訳のない映画を観ていると自然に眠くなるから、それに乗じ

て寝込んでしまう。ここで役に立ったのが空港で買った空気枕、枕としてより寄りかかる体

と窓との間に使う。ドーハまでもっと時間がかかると覚悟をしていたが思ったより早く到着

したように思う。飛行機から降りるとバスに乗り到着ゲートまで行く。しかしトランジットと最

終到着とでは降車場所が異なり、トランジットの場合は手荷物に黄色のタグをつけている

から、黄色の到着ゲートの所で降りればいい。降車場所に係りがいてタグの色をチェック

しているから、間違え降りることはまずないと思う。ドーハ到着は現地時間で5時だから夜

が明けそうなタイミングだが、広い空港は照明が煌々と点けられている。前回、来た時の

ことを思い出し

『市場で運ばれて行ったラクダはどうしているかな?』

『食用だから、とっくに人の腹の中』

こんな会話をしながら乗り継ぎゲートをくぐる。

早朝だというのに空港は込み合っていた。敬虔なイスラム教徒の女性は夫以外には黒い

布で顔を隠し、人前では決して物を食べない。先日、放送されたTVでの内容だ。これは極

一部の女性のことだろう。多くは、黒いスカーフのようなもので頭を覆い、顔を出している。し

かも待合所の椅子に座り大口を開けてハンバーガーを食べていた。免税店に向かうと、これ

また多くの人が金銀の宝飾品やブランド物を見入っており、とても早朝の光景には見えない。

ドーハでこうだからドバイではもっと凄い光景が見られるかもしれない。

                 早朝のドーハ空港、搭乗待合室

                 機内から見た飛行機雲

 

 

 

 

 

 

 


『ゴミ、マナー』

2013年12月16日 17時15分40秒 | 日記

私がアドリア海の真珠と呼ばれるクロアチアのドブロヴニクで海と空の青さ、中世から続

く家並みを見て綺麗だと見とれていた頃、私の山小屋近くでは不届き者が事もあろうに、

50cmX150cm位のガラス入りの木枠を3枚も不法投棄していた。

家具を分解して始末しようとして取り外した開き戸で蝶番もついていた。その近くには別

の時期に扇風機が1台、米袋に詰められた何かのゴミが1つ放棄されている。その道路端

には大きな椎木がありご神木とされ、しめ縄に御幣が飾られているから、それが何かを知

らない人でも神聖な場所であることは容易に理解できるはずだ。

と、嘆くことなかれ。そうした事にすら鈍感で人として基本的な素養に欠けているから理解

することは不可能なのだ。こんな阿呆どものことを変に理解してしまうほど、時代感覚は変

質してしまった。いつからだろうか。何故だろうか。恐らく、こうした種類の人間は増えること

はあっても減ることはないような気がする。

自己中の人間ばかりになり自分のテリトリーだけ綺麗にすることに専念し、その為なら他人

に迷惑をかけても気にしていない。自分がそんな目に遭うと大騒ぎをする輩の増殖が止ま

らないからだ。似たようなウィルスとしてモンスター・ペアレント、自分の子供さえ良ければ式

の脳味噌を持ち合わせている不幸な子の親。また、別のウィルス株は交通マナーを侵食し

ている。黄色から赤に変わっても通行可の如くスイスイと無視するドライバー。こいつらは目

が悪いのではないかと疑いたくなる。今日は、事もあろうにサン・フラワー観光の小型バスが

観光客を乗せながら、完全な赤信号を疾走して行った。客の命を預かっているという意識な

ど全くないのであろう。自家用車を運転する時は赤信号であっても突っ切ることがあるから、

観光バスであってもいつものように運転している、こんな感覚でしかないのだろう。だから私

は言う。プロの運転手はいなくなったと。

こんな性質の悪いウィルスが蔓延してしまった日本、今では極普通にしている人は絶滅危惧

種として保護しなければならなくなった。その内、世界遺産の新しいカテゴリーに加えられる

かもしれない。


『旅行会社受付カウンター』

2013年12月15日 16時53分10秒 | 旅行

関空からの旅は今度で4度目になる。空港内の施設は大方のところ覚えているが、集合

場所だけはいつも確認しておいてから時間つぶしにかかる。前回は有り余るほどの時間

があったからコインロッカーに荷物を預けてからゴソゴソしたが、今回はそこまでの必要は

ないから面倒でもゴロゴロと動き回る。

集合時間まで2時間余、日本最後の晩餐はいつものことながら寿司に落ち着いた。カター

ル航空だから機内で寿司が少し出される可能性もあるが、本場のものを堪能しておくこと

にする。当然のこと、懐かしくなるであろう赤だしは捨て難い。

食後、空気枕のことを思い出し、店を覗いてみる。機内で身体を倒す時、窓や背もたれの

隙間に使えるものが欲しく物色する。最近のものは首に巻くようなものが主流のようだが、

昔ながらのものの方が使い勝手はいいと思う。枕をゲットしてから両替所に行って見た。

スロベニア、クロアチアともEUに加盟しているがクロアチアはユーロを導入していないから

現地通貨クーナKnが使われている。しかし関空ではクーナを扱っていないため、最初に訪

問するスロベニアのため€だけを用意しておく必要がある。

為替差益損なるもの庶民には関係ないとする方が大半だが、年に1度でも継続して外国に

行く人にすれば、その差は大きいと感じることがある。昨年3月トルコに行った時、現地通貨

とは別に円高であることから基軸通貨たる$を纏めて購入しておいた。この時の$は83円、

今は102円。この時点でヨーロッパへの旅は当面ないだろうと€は必要分しか代えなかった。

€は100円くらいだったが今は142円となっているから、結果はドル買いではなくユーロ買い

の方が正解だったようだ。ただ、目的は為替差益を得るためではなかったので悔しい思い

をしているのではない。

旅行に行く度、その時の$を持ち歩き換金している。さて今回は日本で€を調達する。なら

ば$で換金・・・・両替所での説明によると、$-→¥--→€と2度の換金が生じるので手数料

が高くなるから得策ではないと説明を受ける。

つまり日本円が基軸通貨になるから$-à€への直接換金はできないのである。

仕方なしに手持ちの円で少量の€を買って、Knはザグレブ空港での換金とする。

懐は温かいほどではないが一応困らない程度の資金を確保でき、準備万端整い集合カウン

ターに向かってみる。1時間くらい前だから私たちが初めてのようで、未だ並んでいる人はい

なかった。すると様子を察し声を掛けてくれたのは添乗員の方だった。

手続きを終え出国までの説明を受け、搭乗ゲートでの集合となり再び解散となった。しかし、

もう行く所もなくなったので早目に搭乗ゲートに向かうことにした。北ウィングの搭乗口までモ

ノレールに乗っていく。前回は夜中の出発で明りのない暗くなった所ばかりを通ったが、今回

は未だ9時前だから免税店も開いており、随分と雰囲気に差を感じた。


『原発とイルミネーション』

2013年12月15日 16時51分15秒 | 日記

師走を迎えてというより、クリスマスを迎えてというのが相応しい光景として各地で華やか

に輝いているイルミネーション。光の種類、色の種類が増えてケバケバしく輝いていた豆

電球のものより圧倒的に綺麗になった。それを浮き出すデコレーションにも工夫が施され

光の織りなす、お伽の世界のようで、長らく見ていても飽きない。数も大量になり総数で

十万個などと聞かされてもピンとこないがTVで観ていても圧倒されてしまう。こうした光

景はクリスチャンでもないないのにクリスマスと言って飾る必要はあるのだろうか。素朴な

疑問を持つ。先日のクロアチアでもスロベニアでもクリスマス飾りは簡素なものだったし、

イタリアでも同様なのに日本の飾りは飛び抜けているように思える。あの飾りはクリスマス

用ではなく年末行事だと言訳しても嘘は直ぐばれる。こうした飾りの大半は12月25日くら

いまでで終えてしまうからクリスマスを意識しているに違いない。

こうした光景にけしからんと苦言を吐いているのではなく、私は年末の風物詩として見て

いる。見ていて綺麗、飽きないものには違いないが、こうした所で消費される電力は半端

なものではないはず。原発は動いていなくても、こうした贅沢な光の美を楽しむことができ

るし、何ひとつ不自由は起きていない。なのに、政府や電力会社は狼少年のように起こり

もしない電力不足を煽り、なし崩し的に再稼働に持ち込もうとしている。

こうした背景には経済界から安い電力確保の強烈な要望があるからに他ならない。その

証明として、電気料金値上げは困ると言う民ですら、多くの人は原発の再稼働には疑問

を持ち、脱原発に向かうべきだと思っているからだ。原発停止後しばらくは避難民のことも

あり遠慮していたが人の関心が少しでも薄れてくると、禿鷹どもは本性を表し原発再稼働

を声高に叫び出してきた。それは島根県議会においても同様で表面では慎重な態度を見

せているが、腹の中は再稼働決めているがgoを出す度胸はないから、誰かが言訳の出来

説明をしてくれるのを待っているだけだ。何が安全なのか理解することができない議会が

決めるのだから、住民は腹をくくって生活していくしかない。

昨日の新聞で経産省は原発再稼働を推進に舵を切ったと載っていたが、原発に故郷を追

われた人たちの目にきれいなイルミネーションはどう映るのだろうか。


『クロアチアへの序章Ⅱ』

2013年12月14日 17時33分44秒 | 旅行

 師走近くゴソゴソと旅行に出かける暇人はそうは居るまいと思っていたら、私の希望コー

スは満杯で最終コースに空きがあると言う。予期しない展開ではあるが日程が多少ずれ

るだけのこと、こちらも暇人には変わりない。

ネットでみると募集するコース数は多く1週に1コースくらいの頻度で設定されており、

その大半は募集人数に達しているらしく『催行』のマークがつけられている。申し込みを

終えてからも、さしたる準備に追われることもなく淡々と日々を過ごし出発の前々日にな

ってから、急に持って行くトランクケースのことが気になり前回の旅を振り返ってみた。

かなり大きめのものを2つ持って行ったがお土産が入りきらず、大きな紙袋を買って持ち

帰った事から、もう少し大きめのトランクケースが必要との結論に達した。

ネットでの購入は間に合わないから、近くのホームセンターに出かけてみると希望する

サイズのものがあり、しかも7,000円ほどと安価だったから迷うことなく買い求めた。このサ

イズだとかなり大きいと思っていたが、旅をしてみたら途中で買う土産が増える度にギュ

ーギュー詰めになり、もう1つ大きいサイズがあればよかった。こんな調子で出発前まで

ゆっくりのペースで進んでいった。事前準備は帰国時の後泊宿手配、海外旅行保険だ

けで外貨は関空、クロアチアで代えればいいだけだ。

海外旅行を何度か経験してきたから、以前のように旅立ちを指折り数えることも、トランク

ケースの中身を何度もチェックすることなく、泰然自若として出発当日を迎える。本当は

もっと気分が高揚したりワクワクしたりすれば楽しさも増してくると言うものだろうが。

この旅行社は添乗員が前々日に挨拶の電話をしてくる。それによると今回のツアーは72

人参加で36人が1グループとして行動するとのこと。人数が多いから何かと不便なことも

生じるだろうと予感させた。

松江駅12時30分発の高速バスで4時間半かけ阪急梅田に、そこからリムジンで約1時間

乗れば関空に到着する。この間も暇だから録画しておいたTV番組を7インチ画面のワン

セグTVで観ていた。中国山脈の峰々は白く雪化粧をしているが道路への影響はゼロで

分水嶺を越えれば温暖な山陽、関西へはもう一息となる。

梅田に着くと陽は暮れて夜の帳が下り、行き交う人の足も幾分か速足に見える。リムジン

に乗り換え繁華街を通れば夥しいほどのネオン、イルミネーションは目が眩いばかりだ。

関電は賜った『節電をしても需用電力が賄えないから原発の稼働を・・』

橋下市長は反対するかと思ったら、何てことない得意の2枚目の舌であっさりと同意して

しまった。原発は再稼働した。定期点検が始まり原発はまた停止した。

大阪の街は原発があってもなくても、ギンギラギンと輝きまくっている。

何を基準にして電力が不足しているのか。

もうすぐ日本を離れ異邦人になろうとしているのに、現実が足を引っ張る。


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