ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

10 安芸へ天下ったスサノオ

2008-12-01 21:32:51 | Weblog
石上布津御霊神社(赤磐市)

●まる 080910 22:15
 新幹線の中からメールしたけど、「備後国風土記」逸文では、スサノオが南海の王女を訪ねた帰りに、今の福山市のところで、蘇民将来に茅の輪を授けたというのよね。言い忘れたけど、この南海の王女は、しまなみ海道の大三島の大山祇神の娘の神大市比売じゃあないかしら。
 吉備の国には、剣が残された赤磐市とこの福山市の2か所にスサノオの痕跡が残されているわよね。

●ボク 080910 22:18
 先程から日本書紀を読み直していますが、一書第2には、スサノオが安芸国の可愛(え)の川上に天下った、という話もありますね。
 この可愛川(えのかわ)は、比婆山から流れる西城川と三次盆地で合流し、江川(ごうのかわ)と漢字が変わります。しかし、同じ「えの川」なので、スサノオが天下ったのは、江川を遡った上流の地ということになりませんか。

●まる 080910 22:24
 私の現地感覚だと、比婆山や船通山のあたりは、斐伊川、江川、日野川、高梁川の4つの川の源流域なのよね。だから、斐伊川上流でもあり、江川上流でもあって、同じことを言っていると思うのよ。
 現在は4県に分かれているけど、スサノオの時代だと同じ出雲の国であり、風土記や日本書紀が書かれた頃には、出雲、岩見、安芸、伯耆、吉備の国に分かれ、それぞれ自分の国のこととして、別の言い伝えになっていったのじゃあないかしら。

●長老 080910 22:29
 僕も同意見だなあ。出雲、吉備、安芸の3つの記録が、同じことを違った表現で述べているということは、スサノオのヤマタノオロチ退治が、歴史的な事実であったことを示している可能性が高いと思うよ。

●ヒメ 080910 22:31
 気持ちよく酔ってながらからむけど、長老の意見って、「可能性が高い」などとまどろっこしいわよね。
 小説家は何でもお見通しの神なのよ。どんどん、言い切っちゃうわよ。作家は、全ての登場人物を神のように自在に動かし、天の上から見渡し、時には登場人物になって書いて行くんだから。もっと、はっきり言ってよ。
 だいたい、皆さん、ボビットさんに影響されて、「どこ」ばかりに目を向けてるけど、もっと他の視点はないの? なぜ記紀がスサノオの「剣」をこれだけ取り上げているのか、スサノオの愛した女性は誰と誰なのか、なんて面白いテーマはいっぱいあるじゃない?

●カントク 080910 22:42
 ヒメは相変わらずだなあ。ヒメの興味はわかるけど、もう少し「どこ」をやってみようよ。

●ガクセイ 080910 22:44
 「ガクセイ」で登場しないと、ヒメ様には満足してもらえないようですね。
 長老としては、「どこ」や「なぜ」「どうして」よりも、「いつ」に一番興味があるようなんだけど、もう少し、続けてみませんか。

●ヒメ 080910 22:46
ごめんごめん。私って、いつも、人の話や授業、講義なんかがまどろっこしくって、先に進みたいのよね。了解しました。どこどこまでも続けましょう。 
                              (日南虎男記)


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