甘木市街方面から見た大己貴(おおなむち)神社の遠望
(中央の神那霊山型の山の麓にある)
●ホビット 21:38
アマテラス=卑弥呼で、「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」=邪馬台国の都=甘木・朝倉だとすると、前にカントクがおっしゃっていたように、この地に来た神功皇后や斉明天皇・中大兄皇子が祖先の祭りを盛大に行っていない、ということは不思議ですよね。
●カントク 21:41
その前に、ミステリハンターの皆さんはすでに気付いていると思うが、神功皇后がなぜこの地で「新羅征伐」の兵を集めたか、なぜ斉明天皇が対新羅・唐との戦いの基地をこの地に置いたかじゃ、クエッション?
●マル 21:44
確かにね。朝鮮半島へ船を出すなら、玄界灘に面した今の福岡市(奴国)、あるいは秀吉のように松浦半島(末盧国)の名護屋か呼子あたりに出撃拠点を置き、兵を集めるわよね。
●ボク 21:46
それは防御を考えてではないでしょうか?
●ホビット 21:47
それはどうかな?最高指揮官は指揮に便利な最前線の港に拠点を置くのではないかな。最初から指揮官が逃げ腰では、戦争はできないよ。それに、敗北後の防御を考えるなら、大和まで逃げればいいしね。
●ボク 21:50
やはり、通説のように、神功皇后の新羅征伐、というのは後世の創作ということではないでしょうか?
●ヒナ 21:51
神功皇后は福岡市の香椎に宮を置き、自身が先頭にたって「新羅」を攻めたと書かれています。もし、8世紀に創作された物語なら、筑紫の中心の太宰府を出撃拠点にするのではないでしょうか?
●ボク 21:54
それは香椎の方が交通の要衝だった、ということではないかな?
●ヒナ 21:55
仮にそうとしても、天皇家の威光を示すための創作なら、香椎宮に筑紫中の兵が参集した、という物語にしたのではないでしょうか?また、妊娠中だったのですから、部下の武将、建内宿禰に命じて「新羅を征伐した」、とした方が王者にふさわしいですよね?
●カントク 21:58
香椎宮で始祖神のアマテラスに戦勝祈願を行って兵を集めた、という方が天皇家の威光を示す物語になるな。なぜ、40kmも南に下った甘木の地で兵を募ったことにしたかじゃ。「日本ふしぎ発見!」
●ホビット 22:01
香椎にアマテラスを祀った痕跡はないのですか?宗教の痕跡は、住民が移動しない限り、長く残るものですが。
●カントク 22:03
現在、香椎には香椎宮という神社があるが、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、住吉大神を祭神としておる。この地で戦勝祈願のために始祖神のアマテラスを祀ってはおらん。
●ヒナ 22:05
邪馬台国以来、「筑紫の日向(ひな)」が筑紫の政治・宗教の中心であったから、神功皇后は甘木の「ひな城」の地で兵を集めたのではないでしょうか?
●ヒメ 22:07
姫繋がりも大きいよね。甘木に神功皇后と斉明天皇が来たのは、この地が偉大な卑弥呼女王の王都だったからじゃない。攻伐する30国を卑弥呼が再統一したという歴史があったからこそ、この地で皇后と女性天皇の下に筑紫と大和の両勢力が共同戦線を組むことができたんだと思う。
●マル 22:11
蘇我入鹿に最初の一太刀を浴びせて殺した程の行動的な中大兄皇子が、なぜ高齢の母親・斉明天皇をわざわざ担ぎだしたかというと、どうしても女帝が必要だったのね。
●ボク 22:13
そうだとすると、この地には卑弥呼=アマテラスを祀る神社というか宗教があり、神功皇后と斉明天皇は筑紫勢力とアマテラスを祀って共同戦線を張ることができた、ということになりますよね?
●ヒナ 22:15
日本書紀によれば、仲哀天皇の后の神功皇后は、この甘木の地に来てこの地の王の羽白熊鷲を討ったとされています。そして、「新羅征伐」の軍が集まらなかったので、大三輪社を建てて刀矛を奉ったところ軍衆が集まった、とされています。
●マル 22:18
その大三輪社ってどこにあるの?
●ヒナ 22:19
朝倉郡筑前町にある大己貴(おおなむち)神社とされています。甘木市街地から野洲川を挟んだ対岸にあり、甘木から見えます。
●ボク 22:21
アマテラスではなく大国主(大己貴)を祀って軍を集めたということは、この地がアマテラスとは関係がない、という事になりません?ここにはアマテラス=卑弥呼の子孫ではなく、大国主の子孫がいた、ということになりますよね。
邪馬台国甘木・朝倉説、卑弥呼=アマテラス説は崩壊じゃあないですか?
(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)
ぶろぐ村バナー
,,,
(中央の神那霊山型の山の麓にある)
●ホビット 21:38
アマテラス=卑弥呼で、「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」=邪馬台国の都=甘木・朝倉だとすると、前にカントクがおっしゃっていたように、この地に来た神功皇后や斉明天皇・中大兄皇子が祖先の祭りを盛大に行っていない、ということは不思議ですよね。
●カントク 21:41
その前に、ミステリハンターの皆さんはすでに気付いていると思うが、神功皇后がなぜこの地で「新羅征伐」の兵を集めたか、なぜ斉明天皇が対新羅・唐との戦いの基地をこの地に置いたかじゃ、クエッション?
●マル 21:44
確かにね。朝鮮半島へ船を出すなら、玄界灘に面した今の福岡市(奴国)、あるいは秀吉のように松浦半島(末盧国)の名護屋か呼子あたりに出撃拠点を置き、兵を集めるわよね。
●ボク 21:46
それは防御を考えてではないでしょうか?
●ホビット 21:47
それはどうかな?最高指揮官は指揮に便利な最前線の港に拠点を置くのではないかな。最初から指揮官が逃げ腰では、戦争はできないよ。それに、敗北後の防御を考えるなら、大和まで逃げればいいしね。
●ボク 21:50
やはり、通説のように、神功皇后の新羅征伐、というのは後世の創作ということではないでしょうか?
●ヒナ 21:51
神功皇后は福岡市の香椎に宮を置き、自身が先頭にたって「新羅」を攻めたと書かれています。もし、8世紀に創作された物語なら、筑紫の中心の太宰府を出撃拠点にするのではないでしょうか?
●ボク 21:54
それは香椎の方が交通の要衝だった、ということではないかな?
●ヒナ 21:55
仮にそうとしても、天皇家の威光を示すための創作なら、香椎宮に筑紫中の兵が参集した、という物語にしたのではないでしょうか?また、妊娠中だったのですから、部下の武将、建内宿禰に命じて「新羅を征伐した」、とした方が王者にふさわしいですよね?
●カントク 21:58
香椎宮で始祖神のアマテラスに戦勝祈願を行って兵を集めた、という方が天皇家の威光を示す物語になるな。なぜ、40kmも南に下った甘木の地で兵を募ったことにしたかじゃ。「日本ふしぎ発見!」
●ホビット 22:01
香椎にアマテラスを祀った痕跡はないのですか?宗教の痕跡は、住民が移動しない限り、長く残るものですが。
●カントク 22:03
現在、香椎には香椎宮という神社があるが、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、住吉大神を祭神としておる。この地で戦勝祈願のために始祖神のアマテラスを祀ってはおらん。
●ヒナ 22:05
邪馬台国以来、「筑紫の日向(ひな)」が筑紫の政治・宗教の中心であったから、神功皇后は甘木の「ひな城」の地で兵を集めたのではないでしょうか?
●ヒメ 22:07
姫繋がりも大きいよね。甘木に神功皇后と斉明天皇が来たのは、この地が偉大な卑弥呼女王の王都だったからじゃない。攻伐する30国を卑弥呼が再統一したという歴史があったからこそ、この地で皇后と女性天皇の下に筑紫と大和の両勢力が共同戦線を組むことができたんだと思う。
●マル 22:11
蘇我入鹿に最初の一太刀を浴びせて殺した程の行動的な中大兄皇子が、なぜ高齢の母親・斉明天皇をわざわざ担ぎだしたかというと、どうしても女帝が必要だったのね。
●ボク 22:13
そうだとすると、この地には卑弥呼=アマテラスを祀る神社というか宗教があり、神功皇后と斉明天皇は筑紫勢力とアマテラスを祀って共同戦線を張ることができた、ということになりますよね?
●ヒナ 22:15
日本書紀によれば、仲哀天皇の后の神功皇后は、この甘木の地に来てこの地の王の羽白熊鷲を討ったとされています。そして、「新羅征伐」の軍が集まらなかったので、大三輪社を建てて刀矛を奉ったところ軍衆が集まった、とされています。
●マル 22:18
その大三輪社ってどこにあるの?
●ヒナ 22:19
朝倉郡筑前町にある大己貴(おおなむち)神社とされています。甘木市街地から野洲川を挟んだ対岸にあり、甘木から見えます。
●ボク 22:21
アマテラスではなく大国主(大己貴)を祀って軍を集めたということは、この地がアマテラスとは関係がない、という事になりません?ここにはアマテラス=卑弥呼の子孫ではなく、大国主の子孫がいた、ということになりますよね。
邪馬台国甘木・朝倉説、卑弥呼=アマテラス説は崩壊じゃあないですか?
(ネタモトは日向勤氏の『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)です)
ぶろぐ村バナー
,,,