ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート

「神話探偵団~スサノオ・大国主を捜そう!」を、「ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート」に変更します。雛元昌弘

神話探偵団108 歌聖・柿本人麿と和歌三神

2011-02-21 20:50:33 | 歴史小説
可古の島の候補地・加古川河口の高砂神社

「ところで、住吉大社というと、航海の神であるとともに和歌の神様とされているけど、なぜなのかしら?」
全国各地を飛び回っているマルちゃんは思いもかけぬことに詳しい。
「なぜか、住吉明神と玉津島明神、柿本人麻呂が和歌三神とされているんだな」
高木にはほど遠い世界でノーマークであったが、カントクの世代となると、その知識は幅広くなるのかもしれない。
「そういえば、百人一首に、高砂を詠んだ歌があったわよね」
ヒメの関心は360度、飛び回る。
「『誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに』。作者の藤原興風は三十六歌仙の一人です」
マルちゃんはスラスラと歌を詠んだ。
「そうすると、平安時代にはこの高砂の松はよく知られていたことになるわね。世阿弥よりもずっと前になる」
ヒメの頭の中では、小説のストーリーが新たな展開を見せたようだ。
「そういえば、三十六歌仙のトップにあげられている歌聖・柿本人麿もこの印南の歌を詠んでいましたね。万葉集にでてきます。
『稲日野も 行き過ぎがてに 思へれば 心恋しき 可古の島見ゆ』」
マルちゃんが新たなテーマを持ち出した。
「柿本人麿の羇旅の歌8首の1つです。その2つ後には、有名な次の歌があります。
『天ざかる 夷の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ』」
ヒナちゃんまで加わって、高木の苦手な和歌の世界に入っていった。
「それと、柿本人麿には印南をよんだ歌が万葉集にもう1つあります。『柿本朝臣人麻呂、筑紫国に下りし時、海路にて作れる歌2首』です。
『名ぐはしき 稲見の海の 沖つ波 千重に隠りぬ 大和島根は』」
ヒナちゃんの澄んだ歌声が境内に響いた。
「旅の歌8首と海路にて作れる歌2首は同じ時に詠んだのかしら?」
ヒメの推理アンテナには何かが引っかかったようだ。
「別の場所に掲載されていますから、別々の機会の歌だと思います。旅の歌8首に出てくる地名は、三津、大阪の湊から、神戸 → 淡路島北端 →印南・加古 → 南淡路島(又は武庫 ) と続いていますから、大阪から出て、この地まで来て、帰ったと思います」
「柿本人麿は、何故、この地に旅をしたのかしら?」
「一番考えられるのは、皇族のお供をしてきた、ということだと思います」
「それは誰なのかしら? それと、何のためなのかしら?」
「石の宝殿ところで述べましたが、726年に聖武天皇がこの地を訪れたのは、大国主建国の聖地にきて高御位山と石の宝殿の大国主を祀り、反藤原連合に向けてスサノオ・大国主の子孫にメッセージを発したものと考えられます。その時には、宮廷歌人の山部赤人が同行し、印南の地名を歌に残しています」
「柿本人麿が同行した可能性はないの?」
「660年頃の生まれとされていますから、726年の聖武天皇の印南行幸の時に生きていれば66歳ということになります。しかし、人麿が歌った高市皇子や弓削皇子の挽歌が696、699年であることからみて、その死は700年頃の可能性が高いと考えられています」
「この印南の歌は万葉集のどのあたりに出てくるの」
「弓削皇子や春日王、長田王(長皇子の子)などの歌に続いています」
「そうすると、天武系と天智―藤原系の後継者争いの中で、人麿は天武の子の長皇子・弓削皇子兄弟と親しかった可能性があるな」
カントクもこのあたりは詳しい。
「人麿は藤原一族に殺された長皇子・弓削皇子に従って印南に行った可能性が高いのではないでしょうか。また、長皇子の子の長田王は筑紫に派遣されて歌を詠んでいますから、人麿が筑紫国に下りし時に海路で作った歌というのは、長田王に従ったのかもしれません」
ヒナちゃんは、いつも答えを用意している。
「しかし、『心恋しき 可古の島』といい、『夷の長道ゆ 恋ひ来れば』『名ぐはしき 稲見』など、人麿の思い入れはかなり強いわね」
ヒメの小説は厚みをましてきそうだ。
「『可古の島』の『島』には国という意味があります。私は『可古の島』には『過去の国』の意味が重ねられていると思います。また、『千重に隠りぬ 大和島根は』には、大和国の『根』である大国主の国が『隠りぬ』という意味が込められていると思います」
確かに、ヒナちゃんの言うように、この地が大国主建国の地であるとすると、『名高い 稲見』であり、この地に出雲系の天武天皇の皇子が訪れ、さらに、天智系ながら蘇我氏の血を引き、藤原氏と闘った聖武天皇がこの地を訪れ、大国主の子孫を味方に付けようとしたのは高木にも納得できた。
「柿本人麿=山部赤人説があったけど、どうかな? 柿本人麿は死んだことに挽歌まで作り、藤原氏が勢力を失った時に復活し、聖武天皇に仕えて印南に来た、ということは考えられないかな?」
異説・珍説に詳しいカントクならではの発言である。
「二人の歌が同一人の歌だとは、とでも思えないなあ。赤人は平凡だよね」
作家のヒメならではの発言である。
「しかし、歳をとって歌に力がなくなる、というのはあるんじゃない」
カントクは食い下がる。
「山部赤人はその間、各地に行って歌を詠んでいますから、有名な柿本人麿ってことがすぐにバレてしまうのではないでしょうか?」
やんわりとヒナちゃんにイナされてしまった。
「和歌三神のうち、柿本人麻呂はわかるけど、住吉明神と玉津島明神はわからないなあ」
ヒメはどこまでもこだわる。
「住吉明神こと底筒男命・中筒男命・表筒男命の『筒』は、『津島』の『津』の可能性があると思っています。対馬の南端には『豆酘(つつ)』という地名が残っていますし、厳原の『いつ』も『委(倭=い)の津」ですから、ここも『津島の津』=『つつ』であった可能性があります。玉津島も津島に関わりがあり、津島をルーツとするスサノオ一族に繋がってくるような気がします。」
いつもながら、ヒナちゃんの推理は独創的だ。
「古事記に最初に出てくる歌が、真偽はともかくとして、スサノオの有名な『八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に・・・』の歌とされている、というのも気になるなあ」
確かに、カントクの言うように、誰かが和歌三神などとこじつけたのに違いない。
「古事記はこの国の建国者がスサノオと大国主であることを伝えています。万葉集は、柿本人麿を中心とした天武派の歌集という性格を持っています。天武天皇は火明命一族の大海氏に養育されており、住吉大社を創建したのは火明命の子孫の津守氏です。恐らく、柿本人麿を慕う歌人達が、住吉大社や玉津島神社を頼り、集まるようになったのではないでしょうか」
今度は、ヒナちゃんの推理が高木の中にすっと入ってきた。
「ありがとう、ヒナちゃん。曾祖母ゆかりの住吉大社を今度の小説には登場させられそうね」
質問ヒメも納得したようだ。
「しかし、高砂神社に藤原興風や柿本人麿の歌碑がないというのは残念ね」
マルちゃんの言うとおりである。
「播州人って、海の幸・山の幸に恵まれてノンビリしているというか、郷土意識が弱いというか、ほとんどないからね。オープンである、といえば聞こえはいいけど、あまり文化的ではないわよね」
ヒメはいつも地元には手厳しい。

※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
       霊の国:スサノオ・大国主命の研究
(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
       霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
  帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
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