円墳上に四角に配置された壺と円形に取り囲む丹後型円筒埴輪(作山2号墳:京都府与謝野町)
「縄文時代に、壺に子どもの死体を逆さにして入れ、家の入り口においたこととの関係はどうなのかしら? 梅原猛先生は、あの世から帰ってきた祖先の霊に再び母の胎内に帰って次の子になって生まれて来いという願い、と述べておられますよね」
マルちゃんが縄文にまで遡ってくるとは、高木は考えてもみなかった。
「縄文人が壺に子どもの死体を逆さにして埋めた、となると、やはり、壺は子宮と考えられていた、ということになるわね」
ヒメの母上の子宮説には、強力な裏付けができてきた。
「そういえば、梅原猛先生は、アイヌの人たちも、縄文人と同じように、壺に亡くなった子どもを壺に入れ、家の入り口に埋めた、と講演でおっしゃっていましたね」
ヒナちゃんも同調してきた。
「縄文人はノーパンだったから、女性がその上をまたぐと、子どもの霊(ひ)が、大地から女性の『ヒナ』に再び帰ってくる、と考えられたのかも知れないなあ?」
カントクもすっかりその気になってきた。
「霊(ひ)が母なる大地の子宮に帰り、再び黄泉帰って女性の子宮=霊那(ひな)に宿るという自然宗教の段階では、壺を子宮に見立てて死体を入れて大地に返していた。しかし、その後、死者の霊(ひ)が神那霊山から昇天・降地するという首長霊信仰の時代になると、壺は地上と天を繋ぐ霊(ひ)の通路として、墓の上に並べられた、という可能性は高いかもしれない」
長老も納得したようだ。
「そうすると、古墳の上に置かれた壺と特殊器台、円筒埴輪、人物などの形象埴輪は、それぞれ役割が異なる、ということになりますよね?」
高木は前から気になっていたことを述べた。
「壺は霊(ひ)を天に送り、迎え入れる出入り口、特殊器台は酒を入れた壺や食べ物を死者の霊(ひ)に捧げるテーブル、円筒埴輪は古墳上面の協会を示すもの、形象埴輪は葬送の儀式を表したもの、ということになるかな」
長老の答えはよどみない。
「それって、どこが発祥の地なのかしら?」
ヒメの質問はいつも、高木よりワンテンポ早い。
「子どもの死体を壺に入れるのは縄文時代から全国各地にあり、大型の甕棺(かめかん)に入れて大人の死体を葬るのは福岡県の平原遺跡や佐賀県の吉野ヶ里遺跡など北部九州の墓制。特殊器台は吉備型、出雲型、伯耆型、播磨型、伊与型、大和型などがあり、記紀の野見宿禰の記述から見て、形象埴輪は出雲がルーツではないかな」
長老は教科書的に答えた。
「補足しますと、この播磨のたつの市揖保川町の養久山古墳群からは、甕棺や壺棺が発見されています」
ヒナちゃんの事前調査は、高木の及ぶところではなかった。
「養久山って、私の実家のすぐ南じゃあない。面白くなってきたわよね」
ヒメの母上も乗ってきた。
「じゃあ、養久山古墳に葬られている王は、筑紫生まれ、ということになるわね」
ヒメの質問は止まらない。
「おそらく、母親が筑紫生まれと思います」
ヒナちゃんはいつも次の答えを用意している。
「ということは、ヒナちゃんは、心当たりがあるということなのね」
ヒメの推理はいつも鋭い。
※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ホームページ:霊(ひ)の国古代史研究室(http://www.geocities.jp/hinatsutomu)
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
内容にご興味を持っていただけましたら、下の「ブログ村」のアイコンをどれでもクリックして下さい。にほんブログ村
にほんブログ村,,
「縄文時代に、壺に子どもの死体を逆さにして入れ、家の入り口においたこととの関係はどうなのかしら? 梅原猛先生は、あの世から帰ってきた祖先の霊に再び母の胎内に帰って次の子になって生まれて来いという願い、と述べておられますよね」
マルちゃんが縄文にまで遡ってくるとは、高木は考えてもみなかった。
「縄文人が壺に子どもの死体を逆さにして埋めた、となると、やはり、壺は子宮と考えられていた、ということになるわね」
ヒメの母上の子宮説には、強力な裏付けができてきた。
「そういえば、梅原猛先生は、アイヌの人たちも、縄文人と同じように、壺に亡くなった子どもを壺に入れ、家の入り口に埋めた、と講演でおっしゃっていましたね」
ヒナちゃんも同調してきた。
「縄文人はノーパンだったから、女性がその上をまたぐと、子どもの霊(ひ)が、大地から女性の『ヒナ』に再び帰ってくる、と考えられたのかも知れないなあ?」
カントクもすっかりその気になってきた。
「霊(ひ)が母なる大地の子宮に帰り、再び黄泉帰って女性の子宮=霊那(ひな)に宿るという自然宗教の段階では、壺を子宮に見立てて死体を入れて大地に返していた。しかし、その後、死者の霊(ひ)が神那霊山から昇天・降地するという首長霊信仰の時代になると、壺は地上と天を繋ぐ霊(ひ)の通路として、墓の上に並べられた、という可能性は高いかもしれない」
長老も納得したようだ。
「そうすると、古墳の上に置かれた壺と特殊器台、円筒埴輪、人物などの形象埴輪は、それぞれ役割が異なる、ということになりますよね?」
高木は前から気になっていたことを述べた。
「壺は霊(ひ)を天に送り、迎え入れる出入り口、特殊器台は酒を入れた壺や食べ物を死者の霊(ひ)に捧げるテーブル、円筒埴輪は古墳上面の協会を示すもの、形象埴輪は葬送の儀式を表したもの、ということになるかな」
長老の答えはよどみない。
「それって、どこが発祥の地なのかしら?」
ヒメの質問はいつも、高木よりワンテンポ早い。
「子どもの死体を壺に入れるのは縄文時代から全国各地にあり、大型の甕棺(かめかん)に入れて大人の死体を葬るのは福岡県の平原遺跡や佐賀県の吉野ヶ里遺跡など北部九州の墓制。特殊器台は吉備型、出雲型、伯耆型、播磨型、伊与型、大和型などがあり、記紀の野見宿禰の記述から見て、形象埴輪は出雲がルーツではないかな」
長老は教科書的に答えた。
「補足しますと、この播磨のたつの市揖保川町の養久山古墳群からは、甕棺や壺棺が発見されています」
ヒナちゃんの事前調査は、高木の及ぶところではなかった。
「養久山って、私の実家のすぐ南じゃあない。面白くなってきたわよね」
ヒメの母上も乗ってきた。
「じゃあ、養久山古墳に葬られている王は、筑紫生まれ、ということになるわね」
ヒメの質問は止まらない。
「おそらく、母親が筑紫生まれと思います」
ヒナちゃんはいつも次の答えを用意している。
「ということは、ヒナちゃんは、心当たりがあるということなのね」
ヒメの推理はいつも鋭い。
※文章や図、筆者撮影の写真の転載はご自由に(出典記載希望)。
※日向勤著『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院)参照
※参考ホームページ:霊(ひ)の国古代史研究室(http://www.geocities.jp/hinatsutomu)
※参考ブログ:邪馬台国探偵団(http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/)
霊の国:スサノオ・大国主命の研究(http://blogs.yahoo.co.jp/hinafkinn/)
霊(ひ)の国の古事記論(http://hinakoku.blog100.fc2.com/)
帆人の古代史メモ(http://blog.livedoor.jp/hohito/)
内容にご興味を持っていただけましたら、下の「ブログ村」のアイコンをどれでもクリックして下さい。にほんブログ村
にほんブログ村,,