はてなブログに「縄文ノー152 朝鮮ルート、黒潮ルートか、シベリアルート、長江ルートか?」をアップしました。https://hinafkin.hatenablog.com/
日本列島へやってきた旧石器人・縄文人のルートとしては、陸続きであった頃にナウマンゾウなどの大型動物を追ってやってきた朝鮮半島ルート説やヤシの実の漂着からの黒潮ルート説を子どもの頃には習いましたが、Gm遺伝子や細石刃文化からのシベリアルート説や照葉樹林文化や稲作からの長江ルート説なども出てきており、複数ルート説なども出てきています。
私は西アフリカ原産のヒョウタンが若狭の鳥浜遺跡や青森の三内丸山遺跡から発見されていることと日本人に多いY染色体D型のDNAからみて、縄文人はアフリカ西海岸の熱帯雨林で7万年前頃に誕生したC型人から4万年前頃にⅮ型人とE型人(西アフリカのコンゴイド)が別れ、Ⅾ型人はドラヴィダ族の住む南インドから東インド・ミャンマー高地に移動し、海の道と草原の道の2ルートに別れ、東南アジアを経由した黒潮ルートと中央アジアを経由のシベリアルートを通り日本列島で出会ったと考え、それより以前の石垣島や沖縄本島で発見されたY染色体O型の旧石器人は東南アジアから黒潮ルートで日本列島にやってきたと書いてきました。
しかしながら、縄文ノート「148 『地・姓・委・奴・卑』字からの中国母系社会論」「149 『委奴国』をどう読むか?」において、「イ(委・倭)族ルーツ説」(イ(委・倭)族と倭(い)族同族説)」「匈奴(ヒュン・ナ)ルーツ説(匈奴(ヒュン・ナ)と委奴(ふぃな=ひな)族同族説)を思いつき、悩んできましたが、再検討の結果、元の「海の道」「草原の道」ルート合流説(黒潮・シベリアルート合流説)が最少矛盾仮説として揺らぐことはありませんでした。
本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、縄文時代から続くスサノオ・大国主一族の海人(天)族としての地母神・女神信仰や山人(やまと)族としての神山天神信仰(神名火山信仰や神籬信仰)のルーツを、世界史の中の日本列島人形成史として位置付ける必要があると考えます。 雛元昌弘
□参考□
<本>
・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)
2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)
2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)
2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)
2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)
2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)
2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)
2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)
<ブログ>
ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
帆人の古代史メモ http://blog.livedoor.jp/hohito/
邪馬台国探偵団 http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/