Seesaaブログ「ヒナフキンの邪馬台国ノート」に「49 『卑弥呼王都=高天原』は甘木(天城)高台―地名・人名分析からの邪馬台国論」をアップしました。https://blog.goo.ne.jp/konanhina
古代史の話をする機会があり、資料として『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)からピックアップした「邪馬台国ノート45 『正使陸行・副使水行』の邪馬台国甘木高台説(200206)」後の分析を加筆・修正したレジュメを作成しました。
母系制社会の縄文時代から、米鉄交易によるスサノオ・大国主の委奴国(ふぃな=いな・ひなの国)建国の延長上に筑紫大国主王朝の卑弥呼の女王国があり、魏書東夷伝倭人条と古事記・日本書紀の地名・人名・距離分析から卑弥呼(霊御子)=アマテル(大霊留女:オオヒルメ)の王都が甘木高台(高天原)であることを突き止めています。
卑弥呼の宮殿の場所については『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』からさらに絞り込みを行っており、近々、現地調査でその墓の場所を確かめたいと考えています。
本ブログの「スサノオ・大国主建国論」としても、スサノオ・大国主7代の「委奴国(いな(ひな)のくに)」と大国主の筑紫妻・鳥耳(襲名アマテル)からの筑紫大国主王朝10代の関係、さらには大国主の国譲り(私説は鳥耳の子・穂日と事代主・建御名方の後継者争い)と倭国の大乱との関係、筑紫大国主王朝10代と卑弥呼の邪馬壹国との関係について、高天原から薩摩半島西南端の笠沙・阿多へのニニギの天下りと合わせて、総合的に検討する参考にしていただければ幸いです。
なお掲載図27・表2から、主なものをピックアップして添付しました。 雛元昌弘
□参考□
<本>
・『スサノオ・大国主の日国(ひなのくに)―霊(ひ)の国の古代史―』(日向勤ペンネーム)
・『邪馬台国探偵団~卑弥呼の墓を掘ろう~』(アマゾンキンドル本)
<雑誌掲載文>
2012夏「古事記」が指し示すスサノオ・大国主建国王朝(『季刊 日本主義』18号)
2014夏「古事記・播磨国風土記が明かす『弥生史観』の虚構」(前同26号)
2015秋「北東北縄文遺跡群にみる地母神信仰と霊信仰」(前同31号)
2017冬「ヒョウタンが教える古代アジア”海洋民族像”」(前同40号)
2018夏「言語構造から見た日本民族の起源」(前同42号)
2018秋「『龍宮』神話が示す大和政権のルーツ」(前同43号)
2018冬「海洋交易の民として東アジアに向き合う」(前同44号)
2019春「漂流日本」から「汎日本主義」へ(前同45号)
<ブログ>
ヒナフキンのスサノオ・大国主ノート https://blog.goo.ne.jp/konanhina
帆人の古代史メモ http://blog.livedoor.jp/hohito/
ヒナフキンの邪馬台国ノー http://yamataikokutanteidan.seesaa.net/
霊(ひ)の国の古事記論 http://hinakoku.blog100.fc2.com/
ヒナフキンの縄文ノート https://hinafkin.hatenablog.com/
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