コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

社長室長の車

2021-10-31 16:02:31 | Weblog

 仕事用には、トヨタ・クラウン、

遊び用には、フォード・ムスタング・グランデの7000㏄に乗っていると云っていました。

 ムスタングで7000㏄だとすると、パトカーのために作られた428のエンジンだと思います。

コブラなどのスポーツ用の427のエンジンが高価なため、

安価でパワーが出せるエンジンを作った結果が428でした。

 『ポルシェが横に並んでアオルから、やったけど、ツイテ来ないよ』と云っていました。

オートマで428の7000㏄にツイテ来る車は、ソウソウ有りません。

’68ムスタング・グランデ

COBRA427 s/c

コブラ427は、0~400m、12.4秒で、最高速270㎞だったと思います。

 


デパートからの電話

2021-10-29 13:46:38 | Weblog

 『お前、デパートに買い物のお金を払っているよな?』と義兄から言われました。

『うん、払っているけど、どうしたの?』

『お金が入金されていないそうだ。デパートから電話が掛かってくると思うけど、ちゃんと話した方がいいぞ』

『うん、ちゃんと払っているから安心して頂戴』

 

デパートからの電話

『申し訳ないですが、買い物代金が入金されていないんです。お兄さんにも話しましたが、

「アイツは金に固いし、払ったと云っていたから払っているよ」と言われました。

『え~、払いました、入金されていないんですか?』

『担当者と話をして、又後で連絡します』

 

連絡が来ました。

『担当者を問い詰めたら、使い込みをしたと言い出したんです』

『あ~~、そう云う事ですか。こちらは、今までのお金は全部払っています』

『事情は分かりましたので、こちらで対処します』

『はい、お願いします』

 

どうやら、最後の100万円だけでなく、その前から使い込んでいたようです。

本人は払えないので、家族親族で対処するのでしょうか、

 

この事があってから、外商を使うのをやめました。

 この事から数年後、

担当者の使い込みは、銀行でもありました。

使い込みされたお金は、¥1200万円だったと思います。

 ¥100万円の月掛けを1年していましたが、

このお金を商店街の店主に闇で貸し出し、毎晩赤坂の「ミカド」に通っていたそうです。

 「ミカド」は、僕が教えました、、、

 銀行は、社員を首にし、働き先は、元社員の兄の会社で、

ピーナツを扱う会社だと話していました。

月々の月給から生活費を引き、残りを積み立て、満額になった時支払うと云う事でした。

2年から3年後位に銀行に呼ばれ、

相手と銀行、自分の3者で話し合いをし、支払って貰いました。

完済まで3年位掛かったと思います。

先ずは、やれやれ、、、

 

 

 


外商とお付き合い出来ました!

2021-10-28 17:09:37 | Weblog

 義兄の友達のお陰で、デパートで割引して貰える事になりました。

紹介して貰えたのが、社長の親戚の「社長室長」です。

 『30%割引できない物は、酒・タバコ・レコード・カメラ・などだけど、そのつど質問して貰えれば、良いから、外商の担当者を紹介しておくよ』

『はい、お願いします』

 『社長室長とは、どう付き合えば良いの?』と義兄に尋ねると、

『俺との付き合いだから、気にしなくて良いよ』と言われました。

 今まで、このデパートの10%割り引き券をもらっていましたが、

これからは違います、30%割引です!

殆んど何でも30%割引で買えます。

若い男の子が欲しがる物は、殆んどです!

 知り合いや、親戚、妻の家族にも教え、代理で買い物をしました。

最初の内は、その都度決算しましたが、

デパートの外商から『面倒なので、1か月ごとの決済にしましょう」と言われ、

1か月ごとの決済になり、3か月ごとの決済にと変わっていきました。

4か月後に、100万円の支払いになりました。

『割引後の決済金額が100万円になりましたので、決済させて下さい』と、

こちらからお願いし、支払いました。

数日後、デパートから、問題が起きたと連絡がきました。

付き合いだした頃とは違い、超巨大なデパートになりました。

巨大になりだりたのは、付き合いだして、2~3年後だと思います。

売っている品物も、付き合いだした頃とは大違いになりました。

 


義兄の友達

2021-10-26 15:12:12 | Weblog

 20歳位の時で、まだ若かったので、着る物や装飾品には興味がありました。

帰りの家は、西武池袋線の富士見台駅です。

学校帰りには、買い物が無くても池袋のデパートに寄り道していました。

 池袋には、3つのデパートがあります、西武・東武・三越です。

その中で、売り物が一番田舎クサイと感じるデパートが東武デパートでした。

 でも、社長室長を紹介して貰えました!

社長室長を紹介して貰える前は、10%割引の券を貰って買い物をしていました。

メーカー品ならどこも同じです。

他のデパートで探し、品番を調べて同じ物を取り寄せて貰えば、良いと考えました。

『デパートの偉い人だから、何か買う物があれば、安くしてもらえ』

『お願いします』

『大体の物が30%引きに出来るから、ね』と笑顔で言われました。

『本当ですか!?』

 


義兄の友達

2021-10-25 15:52:07 | Weblog

 義兄がどこで知り合ったのか、聴きませんでしたが、

畑違いの大会社の重役が現れ、紹介してもらえました。

 『デパートの偉い人だから、何か買う物があれば、安くしてもらえ』

『本当ですか、お願いします!』

『大体の物が30%引きに出来るから、ね』と笑顔で言われました。

 『え~!?』

『頭は良いし、社長の親戚だし、両方揃っているから、偉いんだよ』

「社長室長」と書かれた名刺を頂きました。

 

 

 


無尽仲間

2021-10-24 16:20:28 | Weblog

 競馬や競輪のノミ屋の人達が多く参加しました。

彼らは、11割の利息を取っていましたから、1か月1割なら、何でもない利息でした

 白タクまがいの人達もいました。

自動車を持っているので、

お客さんを自宅まで向かいに行き、競馬場、競輪場まで連れて行きます。

 お客さんの持ち金が終わると、日1で貸します。

日1とは、1日1割の利息です。

そして、帰りは自宅に送り届け、元金と利息を受け取ります。

ご家族とも知り合いですから、逃げようがありません。

 

 大泉学園の駅前のお客さんに、

『駅前の土地を1坪売れば¥100万円だよ』と言われ、

がっかりしたと、話していました。

50年前の話ですから、今の大泉学園駅前は、坪幾らなのでしょうか?

 

 無尽が大きくなり、銀行になった例もありました。

当時、富士見台駅前に在った『東京相互銀行』が、そうでした。

http://www.opac1.com/bank/detail.php?bcd=3642

 

 

 


無尽の集まり

2021-10-23 15:14:14 | Weblog

 ¥30万円が必要な人達が2人以上だとすると、必要とする人達で落札になります、

¥5万円で落とす事もありましたが、

それ以上の金額になると、欲しい人同士で話し合いをし、決めていました。

 1口¥100万円で1か月と云うのは、ありませんでした。

 50年以上前の¥100万円は、

トヨタ クラウンが買えましたから、今の金額を想像して下さい。

 1番多かったのは、¥50万円だったと思います。

 このお金を何に使うか?

支払いか、投資です。

期日の集まりに来れなく、逃げた人もいましたが、必ず視つけられました。

 

 


義兄達の集まり

2021-10-22 15:04:35 | Weblog

  ‘67~’72年頃、毎日、池袋西口のサルビアに集まる人達が、

特別な目的を持って、サルビアに集まる日がありました。

  互助会とでも云うのでしょうか、「無尽」と云う集まりでした。

  1グループが、5人~7人位で、

¥30万円のグループ、

¥50万円のグループ、

¥70万円のグループと金額に合わせてグループを作ります。

¥100万円のグループは、無かったと思います。

 

 ¥30万円のグループで、会員5人だとすると、

1人¥6万円を出し、合計金額を¥30万円にします。

この金額を1か月間誰が使うかです。

 

 使いたい人が1人の場合、月1割の利息¥3万円を出し、

¥27万円を1か月使い、1か月後に¥30万円を持って来て、返します。

その金額を会員で平等に分けます、当然、借りた本人にも配当がありました。

 

無尽が大きくなり、銀行になった例もあります。

当時、富士見台駅前に在った『東京相互銀行』が、そうでした。

http://www.opac1.com/bank/detail.php?bcd=3642

 

 

 

 


時計ブーム

2021-10-21 15:56:57 | Weblog

 デイトジャストを手に入れた人達は、

銭湯や海水浴に行く時も、腕から外すことはありませんでした。

他の人達の驚きと好奇心のまなざしを観るためでした。

 義兄の友達たちもデイトジャストを買いだしました。

但し、白文字盤を手にした人は皆無で、『売ってくれ』、

『交換して欲しい』と何人もの人達から言われましたが、

今も自分の腕に着いています。

 この頃、何人かの人達がパテック・フィリップの時計を付けていました。

名前を聴くと『カラトラバ』と教えてくれました。

奇麗な時計で『¥80万円だよ』と言われましたが、

本物かニセモノかわからないので、名前だけ覚えました。

カラトラバ・スモール・セコンド

1秒を12コマで刻んでいるように見えます。

 

 パテックの時計で、

 今は観ませんが「文字盤がバンドと一体になっている時計をはめている人がきました。

値段を聴くと『¥400万円』との事でした(50年以上前の事です)。

 他の時計は、観ませんでした。

 

今、この時計は観なくなりました。

バンドと文字盤が同じ平面で、模様も同じで、細工に驚きました。


憧れのロレックス

2021-10-20 13:59:12 | Weblog

 この頃、義兄の仲間内で流行ったのが、「ロレックス」のデイトジャストでした。

防水で日付を確認でき、ベゼルがホワイト・ゴールド、今までにない時計でした。

 義兄の若い衆の殆んどが、デイトジャストを腕に付けていました。

 義兄は、上に頼まれて沖縄の同僚の墓参りに行きました。

一度も会った事が無いそうですが、上からの頼みですから仕方無いですね。

 当時、沖縄はアメリカ統治で、そこでロレックスを買い、日本に持ち込みました。

 その時、義兄と一緒に沖縄に行った若い衆は、

全員デイトジャストを買って日本に帰って来ました、5~6人のおのぼりさん達です。

『税関で質問されたら、日本から付けて行ったと云え』と

教えたそうですが、箱を持ち込んで税金を払った人もいたそうです。

 ですから、僕のデイトジャストは、箱も仕様書もありません。

 いくらで買ってきたのか知りませんが、

日本のデパートでは、¥24万円で売っていました。

 ホンダのN3が、¥36万円の時代ですから、凄く高価な時計でした。

 それを『¥10万円で買え』と言われ高額なので渋々買いましたが、今も使っています。

買ったのは‘68年頃でしたが、義兄が2年位使用しています。

沼津の時計屋さんの見立てでは『‘65年~’64年製だと思います』との事でした。

今のデイトジャストは、ガラスの風防ですが、当時物は、プラスティック製です。

 10年毎にオーバーホールをしています、オーバーホールをして帰ってくると、

出す前と後では、別物の時計かと思われる位、奇麗になってきます。

受け取った時と今の違いで、1番分かり易いのは、バンドです。

 穴だらけだった所を穴埋めして奇麗になって返されて来ました。

残念なのは留め金です、当時物は王冠が付いていましたが、プレスの王冠に替えられました。

毎日夜中の0時になると「カシャ」と云う音とともに日付が変わります、たいしたものです。

オーバーホール代ですが、最初は¥4万円でしたが、前回の時は¥10万円でした。

 

同型のロレックスです、僕の時計の文字盤は「白」です。

「白文字盤」は、非常に目づらしいそうです、

「コンビ」の人達から『取り換えて下さい』と何度も言われました。