10月半ば、献血に行ってきました。
献血を始めたのは、23才の時でした。
義兄がガンになり輸血が必要だと言われたのが切っ掛けでした。
献血した場所は、青山にある日赤本店です。
当時は黄色い血(売血)が社会問題になっていた頃でした。
日赤本店の献血場所は、今はビルの中にあり綺麗ですが、
当時は戦中戦後を思い出させる、薄暗い木造の学校校舎の感じでした。
大勢の人達が献血の順番を待っていて、
番号札を貰い待ちますが、時間をつぶす場所が無く外で待機でした。
牛乳ビンのような入れ物に採血していきます。
終わると毎回血液型が書かれたバッジを貰えました。
血が落ちる感じの赤いバッジで血液型と鮮やかな日赤の十字が描かれていました。
七宝焼きだと思いますが、今持っていると良い感じのピンズです。
当時乗っていた同型のコロナマークⅡ1900GSS
献血を始めたのは、23才の時でした。
義兄がガンになり輸血が必要だと言われたのが切っ掛けでした。
献血した場所は、青山にある日赤本店です。
当時は黄色い血(売血)が社会問題になっていた頃でした。
日赤本店の献血場所は、今はビルの中にあり綺麗ですが、
当時は戦中戦後を思い出させる、薄暗い木造の学校校舎の感じでした。
大勢の人達が献血の順番を待っていて、
番号札を貰い待ちますが、時間をつぶす場所が無く外で待機でした。
牛乳ビンのような入れ物に採血していきます。
終わると毎回血液型が書かれたバッジを貰えました。
血が落ちる感じの赤いバッジで血液型と鮮やかな日赤の十字が描かれていました。
七宝焼きだと思いますが、今持っていると良い感じのピンズです。
当時乗っていた同型のコロナマークⅡ1900GSS