妻に、初めて店に連れて行かれたのは、6年前の11月の終わり頃だったでしょうか、
10月に病名が分かり、最初入った病院から、家に近い病院に変わりました。
2回目の病院に知り合いがいました。
『病名が分かったから、何というお医者さんが良いか教えて!』
『ウエサカ先生です!』
最初の町医者が、最初から2番目の病院を紹介してくれれば、良かったのに!
最初に行く病院を、選ばなければババ引いてしまいますね。
新しい病院の先生に『手術が出来そうです』と云われ、準備に入りだした頃でした。
妻に、初めて店に連れて行かれたのは、6年前の11月の終わり頃だったでしょうか、
10月に病名が分かり、最初入った病院から、家に近い病院に変わりました。
2回目の病院に知り合いがいました。
『病名が分かったから、何というお医者さんが良いか教えて!』
『ウエサカ先生です!』
最初の町医者が、最初から2番目の病院を紹介してくれれば、良かったのに!
最初に行く病院を、選ばなければババ引いてしまいますね。
新しい病院の先生に『手術が出来そうです』と云われ、準備に入りだした頃でした。
この店は、姉妹二人で営業していましたが、
1年位前から同じ年位の男性が入りました。
閉店を知らされたのは、先月です。
28年営業してきましたが、『疲れてしまいました』と云われました。
『毎日、朝4時に起きて、ケーキなどを作ったり、仕込みをするんです。
それと、創業時の機械が壊れてきて、いつ完全に壊れるかと思うと、
ドキドキしてしまいます。新しく買う事を考えましたが、辞められなくなってしまいますから・・・』
東京に住んでいた頃、
妻と妻の両親の4人で、中華にはちょくちょく出かけていました。
原宿では、南国酒家・皇家・福禄寿飯店の3軒。
青山では、横浜の中華街からの出店と書かれていた「萬珍楼」。
萬珍楼は開店の広告を観て、行列を並んで入りました。
万珍楼の1人前¥5,000円のコースだと、
最後に鯉の甘酢あんかけの料理が出ましたが、4人とも苦手で手付かずでした。
2回目から、他の料理に替えてもらっていました。
アン・ルイスさんは、常連らしく、お店の人達と談笑していました。
2回程会っています、歌が大ヒットしていた頃です。
4軒の名前を書きましたが、今残っているのは、南国酒家だけのようです。
40年も前の事ですから、残っている「南国酒家」がすごいのでしょう、
昔の面影はありません、原宿駅の直ぐ近くで、駐車場も完備でした。
中沢さんが、途中で他の店に行き、他の人が代理で入りました。
最初は「おや?」位の味の違いが、半年もすると『前と全然味が違うね、塩辛さがタッテル』と感じる位、
以前の柔らかな味が無くなります、持って生まれた天性なのでしょうか。
何年後かに帰って来た時も『味が昔に戻った』と分かりました。
塩加減だけでは無いのでしょうが、味って奥が深いですね~、
陸茶坊の近くにある蕎麦屋さん(竹のや)で、陸茶坊の1時閉店の話をしましたら、
『開店当時、田代グリルで働いていた人が、陸茶坊に行きました』と話してくれました。
田代グリルにアグネス・チャンが食べに行ったとすると、
田代グリルは、本格中華だったんだ、1度も行った事が無かったとは、、、、
多分、田代グリルから行ったシェフは、中沢 隆哉氏だったと思います。
当時の陸茶坊の厨房には、シェフが7人で回していたそうです。
7人を率いていたのですから、相当な人だったのでしょう。
中沢さんが、途中で他の店に行き、他の人が代わりになると、
最初は「おや?」位の味の違いが、
半年もすると『前と全然味が違うね、塩辛さがタッテル』と感じる位、素人でも分かりました。
平成元年
(社)日本中国料理協会の第3期中国派遣生、1か月杭州で研修
6年 陸茶坊リニューアルオープンで総料理長に就任
8年 フジテレビ「料理の鉄人」で陳建一氏に椎茸対決で勝利
10年 静岡県知事賞、優秀技能士、静岡の名工受賞
15年 厚生労働大臣賞、調理功労で受賞
(ホテルサンバレー富士見料理長)
17年 静岡県食品商談会「香港」で香港三越にて県産物調理実演
19年 陸茶坊に再度、総料理長として就任
22年 静岡県、ふじの国食の都仕事人認定
僕は、三島の商工会の会員になっていて、月に2回くらい会報が届き、目を通します。
その時は、「アグネス・チャンの三島の思い出」という様な事が書かれていました。
『私は、中華料理が食べたくなると新幹線に乗り、
三島駅の前にある「田代グリル」に行って食べます』と書かれていました。
『教えてくれたのは母です』と書かれていました。
又、『子供も連れて食べに行っていた』とも書かれていたと思います。
『へ~、本当かよ?田代グリルがね~・・・』
三島駅の真ん前の交差点に「田代グリル」があったのは、知っていましたが、
そんなに有名な店だとは知りませんでしたし、
高校生の時からすると数十年、1回も入った事はありませんでした。
何故この事を書いたのかには、訳があります。
中沢 隆弥氏
平成元年
(社)日本中国料理協会の第3期中国派遣生、1か月杭州で研修
6年 陸茶坊リニューアルオープンで総料理長に就任
8年 フジテレビ「料理の鉄人」で陳建一氏に椎茸対決で勝利
10年 静岡県知事賞、優秀技能士、静岡の名工受賞
15年 厚生労働大臣賞、調理功労で受賞
(ホテルサンバレー富士見料理長)
17年 静岡県食品商談会「香港」で香港三越にて県産物調理実演
19年 陸茶坊に再度、総料理長として就任
22年 静岡県、ふじの国食の都仕事人認定
35年位昔、
TVで流行していた番組に「料理の鉄人」という番組が流行っていて、
我が家では毎週観ていました。
たまたま見逃した時がありました、
その時に「陸茶坊の料理長が出て、中華の鉄人陳健一破りました」、
毎週観ているのにこの週だけ観ていないという偶然、泣けます・・・
この放映後の込みようといったら、客の立場ですが大喜びでした。
東京No.神奈川No.の車が更に多くなりました。
陸茶坊のシェフ 中沢 隆弥氏
陸茶坊がオススメする箱根西麓三島野菜 (hakoneseirokumishimayasai.jp)
料理の鉄人・陳健一氏 陳健一を破った・中沢隆弥氏
陸茶坊の客席は、1階は一般席、2階は予約席でした。
2~4人掛けの席が1階は、8席、10人の宴席1部屋で、
2階は15席位だったと思います
連日予約しないと入れない位盛況でした。
一人の値段は、¥3,500円~¥5000円だったと思います。
駐車場の車は、東京や神奈川の車が多く、地元の車は殆んどいませんでした。
当時の東京の値段は、
¥3000円からでしたから高い方だったと思います。
35年以上前の事です、
陸茶坊(最後のメニューです)
【公式】中国料理 陸茶坊(りくちゃぼう)のホームページ (rikuchaboh.com)