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【裁量労働制】「廃棄した」捏造データの原本1万件、段ボール32箱 姿現す 2018.2.23 田中龍作ジャーナル…

2018-02-23 21:03:09 | 労働 生活一般

 

「なくなった」資料…実はあった!厚労省で野党確認(テレビ朝日 2018年 2月23日)

  

 調査票の原本が見つかったからといって労働実態が分かったわけではない。

 調査は会社(経営)側に回答させたものだからだ。当然、労働時間をうんと短く答えるに決まっている。

 労働者自身から直接回答が得られれば、身の毛もよだつほど恐ろしい現実が明らかになるだろう。闇は深い。


 

【裁量労働制】「廃棄した」捏造データの原本1万件、段ボール32箱姿現す 

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、立ってる(複数の人)、室内調査票原本の入った段ボール箱と野党議員。森ゆうこ議員は「ロッカー探したけど無かったという話自体がウソ。これロッカーに入る?入らないよ」。=23日、厚労省 撮影:筆者=

 「この段ボール32箱に国民の命が掛かっている。このデータを元に裁量労働制を拡大しようとしている」。

 安倍政権が厚労省にデータを捏造させた問題を追及する山井和則議員(希望)は、証拠物件を前に憤った。

 裁量労働制の方が一般労働よりも勤務時間が長くなるようにデータを捏造した調査票の原本約1万件が、このほど厚労省の地下倉庫で見つかった。

 野党議員11人がきょう午後、厚労省に乗り込み存在を確認した。地下倉庫にあったはずの調査票の原本は、16階の労働基準局に移されていた。

 福島みずほ議員(社民)が役人とのやりとりを明かした。「箱を見せないと言ってたが、ひと箱だけ見せた。強く要望すると32箱になった」。

 「見せろ」と迫る山井議員の怒声は廊下まで聞こえてきた。

 「(当初、厚労省は)段ボールの写真をマスコミに撮らせないと言ったが、国民は見る権利があると言って(最終的に)撮らせた」。山井議員は厚労省との攻防を振り返った。

自動代替テキストはありません。裁量労働制の勤務時間。右のデータ(8時間30分/8時間42分)が「裁量労働の方が短い」に利用された。


 調査票は、裁量労働については「一日の平均労働時間」を聞き、一般労働については「一か月のうち最も長い労働時間」を尋ねていた。一般労働の方が長くなるように仕組まれた調査だった。

 2013年に厚労省が実施した、この調査の結果は、労働政策の決定に重大な影響力を持つ労政審に用いられていた。
 
 裁量労働制の拡大を決めていた安倍政権の意向を汲んだ厚労省は、労政審をも欺くデータを提出していたのである。

 失態が明るみに出たことから、加藤勝信厚労相は「(調査票は)廃棄した」と答弁していた。厚労省事務方は「ロッカーを探したけどなかった」と回答していたのである。

 調査票の原本が見つかったからといって労働実態が分かったわけではない。調査は会社(経営)側に回答させたものだからだ。当然、労働時間をうんと短く答えるに決まっている。

 労働者自身から直接回答が得られれば、身の毛もよだつほど恐ろしい現実が明らかになるだろう。闇は深い。

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上森ゆうこ、山添拓議員らが次々と労働基準局に乗り込んでいった。=23日、厚労省 撮影:筆者=

  〜終わり~

 


【関連】
【裁量労働制】厚労省ずさん調査 異常データ新たに117件 2018.2.21 毎日新聞自動代替テキストはありません。

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


安倍首相の“つまみ食い”政治  2018.2.22 ニュースハンター

2018-02-23 13:18:28 | 政治 選挙 

 

安倍首相の“つまみ食い”政治

2018年2月22日 09:30
無題.png

 今国会の争点となった働き方改革関連法案に関する質疑で、安倍晋三首相が労働時間に関する国会答弁を撤回し謝罪した。一般労働者より裁量労働制(企画業務型)の労働時間の方が短いという趣旨の当初答弁だったが、根拠となる調査データのとり方が違っていたため、比較できない数字であったことがわかり異例の答弁取り消しとなった。データの捏造が疑われており、法案成立で裁量労働制の拡大を狙った政府の出鼻をくじいた格好だ。
 問題は、裏付け不十分な数字を“つまみ食い”して、政策の根拠に挙げ続けてきたこと。お気づきの読者も多いだろうが、安倍政治とは、この“つまみ食い”に頼るペテン師的な手法を多用することで成り立っている。

■裁量労働制で数字を“つまみ食い”

 裁量労働制の拡大を目指すとしていた安倍首相が主張の根拠にしたのが、厚生労働省が平成25年に行った「労働時間等総合実態調査」の数字。一般労働者の労働時間が9時間37分であるのに対し、裁量労働制(企画業務型)の労働時間は9時間16分になるというもので、1月の衆議院予算員会で首相は、「裁量労働制で働く方の労働時間の長さは、平均的な方で比べれば一般労働者よりも短いというデータもある」と答弁していた。

 問題の調査結果は、平成25年10月30日に開かれた労働政策審議会労働条件分科会の資料として作成された「平成25年度労働時間等総合実態調査(主な結果)」の数字に基づくもの。しかし、確認できるのは次のページの中にある『9:16』の数字だけ(下の資料参照。赤い矢印とアンダーラインはHUNTER編集部)。一般労働者の9時間37分という数字は出てこない。

 厚労省に確認したところ、「資料には記載されていない。9時間37分という数字はバックデータとして残していたもの」という説明だった。つまり、正式に公表された数字ではなく、厚労省の内部だけが承知していたデータだったということになる。

資料.png

 しかも、そのバックデータそのものが、労働時間等総合実態調査から2年も経った時点で新たに作られた数字。“9時間37分”は、民主党政権時代に、同党の要請で厚労省がはじき出した数字だった。裁量労働制については1日の労働時間を聞いて『9:16』という数字を確定したのに対し、一般労働者には「1日で最も長い残業時間」を聞き、その数字に法定労働時間の8時間を足して「9時間37分」を算出していた。

 比較不能な二つの数字を組み合わせ、一般の労働者の労働時間が長く出るようにデータを操作した形で、まさに捏造。政府が都合の良い数字を“つまみ食い”し、裁量労働制の拡大を狙ったのは確かだ。

■安保法で最高裁判決を“つまみ食い”
 
“つまみ食い”は、安倍政権の専売特許となっている。政府・与党が平成27年に強行採決で成立させた安保法制の国会審議で、違憲を否定する根拠に挙げたのが砂川事件の最高裁判決。「最高裁が集団的自衛権を認めている」という主張だった。

 しかし、砂川事件を裁いた最高裁の法廷は集団的自衛権を争点としておらず、日米安全保障条約が憲法9条に違反するか否かについて判断を下したもの。判決は、個別的自衛権を認めた上で「日米安全保障条約は明らかに憲法9条に違反するとは言えない」というものだ。ところが政府は、判決文の「我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を取り得ることは、国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならない」を曲解し、“最高裁が集団的自衛権を認めた”と強弁していた。判決文の一部を“つまみ食い”し、憲法を歪めたのである。

■相手のミスを“つまみ食い”

 首相は、別の形のつまみ食いも得意だ。森友学園疑惑を追及された首相は、森友側が「安倍晋三記念小学校」と記した設立趣意書を提出したと報道した朝日新聞を、再三にわたって攻撃。「(報道内容は)全く違ったが、訂正していない。(趣意書の)原本にあたり、裏付けを取るという最低限のことをしなかった」などとした上で、過去の誤報まで持ち出して朝日批判を展開していた。同紙の検証記事に触れた自民党参院議員のフェイスブックに「哀れですね。朝日らしい惨めな言い訳。予想通りでした」とネット右翼を連想させるようなコメントを書き込んでいたことも分かっている。

 一国の宰相ともあろうものが、報道機関を口汚くののしるというレベルの低さ。批判勢力のミスを“つまみ食い”して過剰に騒ぎ立て、議論をすり替える手法は、首相がもっとも得意とするところで、国会で追及される度に旧民主党政権の事績を引っ張り出して身をかわすことが常態化している。

  
■まるで子供

 自らが批判の対象になった時、都合のいい部分の話だけを“つまみ食い”して、「誰々君が悪い」「僕は知らない」と言って逃げるのは子供のやることである。こうした人を、大人の世界でもたまに見かけることはあるが、たいてい周囲から白い目で見られているものだ。内閣総理大臣が同じことをやっているわけだが、官僚や自民・公明の国会議員が同調するため、おぞましい姿がぼかされているのが現状だろう。だから、内閣支持率だけは依然として5割前後ある。憲法改正、集団的自衛権、働き方改革。どれも国の根幹にかかわる話なのだが……。

 

 

 

 


市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会・結成集会 --3月18、19日 「命どぅ宝--福島脱被ばくの心」 2018.2.21

2018-02-23 01:19:30 | 福島、原発


 

被ばくから遠く離れて--チェルノブイリ法日本版--

 https://farawayfromradiation.blogspot.jp/2018/02/blog-post.html?spref=fb

命どぅ宝--福島脱被ばくの心--市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会3.18-19結成集会

2018.2.21

 
《前置き》
福島原発事故について、人々とりわけ福島の人々はなぜ黙っているのか、なぜ被ばくについて喋らないのか、なぜもっと声をあげないのか--3.11以来ずっとこの問いがありました。
思うにそれは、福島の人たちが広島、長崎、沖縄の人たちと同じ経験をしてきたからです。

2012年12月に亡くなった「はだしのゲン」の作者中沢啓治さんは、「自伝」で、青春時代、原爆から逃げて逃げ回った自分について、こう語りました。
毎年、夏がくると「原爆!原爆!」とマスコミ等が騒ぎたて、私の気持ちは落ち込んで暗くなった。嫌でも広島の体験がよみがえり、やりきれない気持ちにさせられた。そして、自分が被ばくしたことで、なんか悪事を働いたような錯覚を覚えた。世の中の迷惑人間のように見る東京人の目の嫌らしさには、本当に腹が立った。‥‥
広島にいたとき原爆という言葉が嫌いで逃げていたが、東京に住んでからは、ますます原爆という言葉が嫌いになって逃げ回った。酒場や会合などで同県人だと聞かされると、原爆の話題が出ないことを祈るように願った。‥‥
私はもう二度と原爆という言葉を口にすまいと 決心した。本屋に行って書棚に原爆関係の本が並べられていると、目をそむけて通り過ぎた。新聞記事に原爆という文字が躍っていると、その記事は一切読まなかった。私は原爆という言葉と文字が本当に嫌いになった。(185~186頁)
広島で原爆を体験した子どもたちの作文を収録した 「原爆の子」(編者長田 新)で、兄を亡くした当時5歳の女の子は5年後にこう書きました。
私は、 戦争のことを考えたり、原子爆弾の落ちた日のことを思い出すのは、ほんとうにきらいです。ご本を読んでも、戦争のところはぬかして読んでいます。戦争のニュースで、朝鮮の戦争の場面が出てくると、ぞっとします。学校の宿題が出ましたので、いやいやながら、こわごわ思い出して書きます。‥‥
今から半年前に、十になる女の子が急に原子病にかかって、あたまのかみの毛がすっかりぬけて、ぼうずあたまになってしまい、日赤の先生がひっ死になって手当をしましたが、血をはいて二十日ほどで、とうとう死んでしまいました。戦争がすんだからもう六年目だというのに、まだこうして、あの日のことを思わせるような死にかたをするのかと思うと、私はぞっとします。死んだ人が、わたしたちと別の人とは思われません。私の家に、そんなことがおきたらどうしよう。私は原子病のくるしさをきいているだけに、おそろしくて、どうかして、それをわすれたいと思っています。‥‥
広島に八月六日にいた人は、だれでも戦争がきらいだと思います。附ぞく小学校も、まだ戦争でいたんだところが、そのままで、なおっていません。私の家がびんぼうになったのも、たくさんの借家がたおれたり、やけたりしたからです。
この八月六日は、お兄ちゃんの七周きです。その日が近づくとみんなが思い出すので、私はくるしく思います。(88~95頁)
沖縄戦を体験し、戦後、「銃剣とブルドーザー」で米軍に農地を取り上げられたの伊江島(いえしま)の西北端の真謝(まじゃ)の阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんは、1973年の「米軍と農民」で、沈黙する沖縄の人たちについて、こう書きました。
 真謝(まじゃ)農民は、沖縄全体もそうでありますが、戦争のことを語ろうとしません。思い出すだけでも気が狂うほどの苦しみでありました。それと同様に、戦後の土地取り上げで米軍が襲いかかってきた当時のことも、話したがりません。みな、だまっています。 真謝(まじゃ)農民はたたかいました。だがそれ以上に、苦しみと犠牲は大きかったのでした。
だがその苦痛をふくめて、やはりわたしはお話しなければなりません。(18頁)
 それから20年後に書いた「命こそ宝」でも、阿波根さんはなぜこの本を書いたのか、こう述べました。
かつてわしは、『米軍と農民』のはじめにこう書きました--伊江島の人は誰も戦争のことを語りたがりません。戦後の土地とり上げでアメリカ軍が襲いかかった当時のことも、語りたがらない。思い出すだけで気絶するほどの苦しみでありました。だが、その苦痛をふくめて、やはりわたしはお話しなければなりません--
その思いはいまもかわりません。なおいっそう強くなっております。命が粗末に扱われてはいけない、どうしても平和でなければいけない、つらくても語り伝えなければならない。(14頁)
 福島の人たちも変わらない。原発事故のことを語ろうとしません。思い出すだけでも気が狂うほどの苦しみだったと思います。そして、原発事故後の「事故と被害を小さく見せる」ために襲いかかってきた数々の政策のことも話したがりません。みな、だまっています。 福島の人々は抵抗しました(福島県の健康管理調査に対して、23%しか回答しませんでした。国連人権理事会から日本に派遣された特別報告者も「大変低い数値」と指摘するほどです)。だがそれ以上に、苦しみと犠牲は大きかったのです。
だがその苦痛をふくめて、やはり福島の人たちは話さなければなりません。でなければ、福島でまた再び、広島、長崎、沖縄、伊江島、チェルノブイリの悲劇をくり返すことになるからです。

 
 

《本題》
原発事故で誰も被ばくしたくない。 それは「命どぅ宝」だからです。

原爆投下直後の広島の廃墟の中で生まれた赤ん坊の泣き声を聴いた人がいました。その人は、その泣き声に救われ、その泣き声を忘れず、この赤ん坊が成長し、のちにドラマ「夢千代日記」が完成した。

福島原発事故でも、見えない廃墟の中で生まれた赤ん坊の泣き声を聴いた人がいました。その人は、その泣き声に救われ、その泣き声を忘れず、この赤ん坊が成長し、のちに或るものを完成させたいと願った。
そしたら、その赤ん坊の泣き声を聴いた人がほかにもいることを知りました。その人たちもまた、赤ん坊の泣き声に救われ、その泣き声を忘れない人たちでした。そして、その人たちの願っていることも一緒だったことを知りました。
その願いとは「命どぅ宝」を法律に翻訳した「チェルノブイリ法日本版」。
 
その人たちが一同に会して、原発事故の廃墟の中で聞いた赤ん坊の泣き声のように、絶望の淵にいた私たちの心を救った赤ん坊の泣き声のように、声をあげることにしました。

それが、市民が育てる「チェルノブイリ法日本版」の会 結成集会です。