日本弁護士連合会によると、優生保護法による優生手術は約2万5000件。だが詳しい実態は分かっていない。
さらに佐々木さんのように、法の範囲外で自由意思によらない不妊手術を受けた事例は、掘り起こすすべも時間とともに失われつつある。(文中より)
優生思想に「反論」の半生 望まぬ不妊手術受けた女性 故佐々木千津子さん=学芸部・反橋希美
毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20180124/ddf/012/040/009000c
2018年1月24日 大阪夕刊
旧優生保護法(1948~96年)があった時期に不妊手術を強いられ、その怒りを実名を明かして世に訴えた女性が広島にいた。2013年に死去した佐々木千津子さん(享年65)。脳性まひの不自由な体にとらわれず、自由奔放に生きた姿は“劣った人”を排除する「優生思想」への反論そのものだった。
近く、旧法により受けた強制不妊手術を違憲として宮城県の女性が国を相手に提訴する。今こそ佐々木さんの半生をたどりたい。
「年を取れば足が動かなくなるかもしれないし、寝たきりになるかもしれない。でも体がほとんど動かなかった彼女は、あんだけ堂々と胸張って介護受けて生きてた」。昨年11月中旬、紅葉鮮やかな大阪・河内長野の山間部にある古民家。30~60代の男女10人に、ドキュメンタリー映画監督の下之坊修子(しものぼうしゅうこ)さん(67)が語りかけた。
下之坊さんは血縁のない人たちが互いに支え合い、人生の終わりを迎えられるような場を作ろうと模索している。この日の勉強会で名前を出したのは過去2回、密着取材してドキュメンタリー映画を製作した佐々木さんだった。「彼女と出会ったからこそ、私は正々堂々と(他人に)『オムツ替えて』って言いながら死んでいける、と思えるようになったんです」
「出産不能」知らされず
佐々木さんは48年、広島市内で生まれた。生後1週間で高熱を出し、脳性まひに。就学を免除され、小中学校には通えていない。姉の縁談が、佐々木さんの障害を理由に破談になったのがきっかけで家に居づらくなり、21歳で施設に入所した。その際「生理の後始末ができなければ入所できない」と聞きつけた母親に勧められ、卵巣への放射線照射手術を広島市民病院で受けた。
健康被害などの問題から優生保護法でも認められていなかった手術方法だった。出産できなくなるとも知らされていなかった。その後、障害者運動団体の「広島青い芝の会」との出会いを機に38歳で自立生活を始めた。90年代半ばからは積極的に望まぬ不妊手術の実態を語り始めた。
下之坊さんは「忘れてほしゅうない」(2004年)と「ここにおるんじゃけぇ」(10年)の2作で佐々木さんの訴えや日常を写しとった。支援団体の依頼で1作目を製作した後「この人、すっごい面白い」とほれ込み、自ら佐々木さんに申し入れて再撮影した。
<生理がね、子どもと関係あるんじゃったら(手術を)せんかったのね。(略)なんでこうなるんだ>
「型」にはまらぬ奔放さ
作中、佐々木さんの絞り出すように語る言葉は胸を打つ。だがそれ以上に印象に残るのは、型にはまった「障害者観」を揺さぶる外見や暮らしぶりだ。
金やピンク、緑とカラフルな髪にジーパン姿。プロ野球・カープの熱烈なファンで、車椅子で球場まで出かける。24時間の介護を受けるが、着る服も食べる弁当の種類も決めるのは全て自分の意思だ。
「佐々木さんに出会う前は、介護する人の指示通りに生活するのが当たり前やと思ってた。『障害者は可哀そうな人』という思い込みに気づかされました」。下之坊さんは、初めて佐々木さんの日常に接した驚きをこう語る。
生前の佐々木さんに介護者を派遣した広島市のNPO法人「障害者生活支援センター・てごーす」は昨夏、下之坊さんを招いて2作品の上映会を開いた。「ここに~」の上映中、参加した介護者や障害者から笑いが起きたシーンがある。
佐々木さんが扇風機を買いに行った家電量販店で名前を店員に告げようとするが、店員は「千津子」の「ち」を聞き取れない。商品を選ぶ時から介護者にばかり話しかけていた店員に、ムッとした佐々木さんが「ち」を連想させようと「血液は、なんていいますか」と迫る場面だ。
通常の上映会なら観衆が静まり返るシーン。代表の川本澄枝さん(54)は「頑固者の佐々木さんの人柄が出てますよねえ。でも『ち』を言うのに血液って余計に分かりにくい。『また佐々木さんは』って親しみを込めて笑うとる感じです」と話す。
川本さん自身も脳性まひがあり、佐々木さんと同時期に施設から出て自立生活を始めた。出会った当時の佐々木さんは「背中を丸めてしゃべるおとなしい人」だった。「施設で言いたいことを我慢するのに慣れてたんでしょう」。当時は障害者の介護サービスは整っておらず、施設を出ると自力で介護してくれる人を探さねばならなかった。川本さんは佐々木さんも含めた当時の暮らしを「1日1食取れればいい方で、体調を崩して亡くなった仲間もいた。でも生きてる、という実感があった」と振り返る。
ひりひりした「自由」を積み重ねる中で、佐々木さんは変わっていく。
<はじけてしもーた。ジーパンを買ってボタンもいっぱいあるブラウスを買って(略)ズッと続けていきたいもんぢゃにゃ~>(佐々木さんのエッセー集「ほっとして ほっ」より)
不用意に知人にキャッシュカードの番号を教えて無断で生活費を引き出されたり、道も調べずに遠出し、介護者を何時間も歩かせたり--。支援者は振り回されたが、そのたびに「エヘエヘ」と照れ笑い。憎めない「お騒がせおばちゃん」が出来上がっていった。
根底に理不尽への怒り
佐々木さんは手術の後遺症とみられる体の不調に常に悩まされたが、晩年も勉強会などへの参加をやめなかった。「望まないのに体を変えられた理不尽さへの怒りが、根底にはあった」と下之坊さんは思う。「ここに~」の編集の際、本人が「カットして」と言った場面がある。入浴時、胸部のシルエットが分かるシーンだ。「卵巣機能が失われた影響で胸の膨らみがなくなったのを気にしていた」。恋多き人だったが、実ることはほぼなかった。
佐々木さんは13年8月、山口県内の勉強会の帰途で体調を崩し、運ばれた病院で亡くなった。エッセーで何度も「子どもがほしい」と吐露してきた彼女が亡くなるまで処置を受けたのは、くしくも使われていない分娩(ぶんべん)室だった。
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日本弁護士連合会によると、優生保護法による優生手術は約2万5000件。だが詳しい実態は分かっていない。さらに佐々木さんのように、法の範囲外で自由意思によらない不妊手術を受けた事例は、掘り起こすすべも時間とともに失われつつある。
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