http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2017010902000153.html
【社説】
成人の日に考える 傍らを歩く人になる
成人おめでとうございます。ずっと誰かに守られながら大人になった。だから今度は誰かの味方になってほしい。私たちも、あなたを見守り続けます。
名古屋を拠点に活動するタレントで書家の矢野きよ実さんは、3・11の震災直後から、被災地の子どもや大人に毛筆を握ってもらい、思いの丈を思ったままに書にしてもらう、「書きましょ」プロジェクトを続けています。
そんな矢野さんに、新成人へのメッセージをつづってほしいとお願いすると、快く引き受けてくれました。
一月二日の未明に起床。新年の作法にのっとり、朝一番の清冽(せいれつ)な水をすずりに取って姿勢を正し、気持ちを込めて墨をする。
六年前、震災の年の四月、すずりの名産地として知られる宮城県の旧雄勝町(石巻市)を訪れたとき、大津波にのまれたまちの瓦礫(がれき)の中から拾い上げ、譲ってもらった“きずな”のすずりです。
「ことし最初の一枚、文字通りの書き初めです」と矢野さんが届けてくれた贈る言葉は-。
去年の十月、矢野さんはいつものようにたくさんの筆と紙を携えて、福島市郊外の旧茂庭中学校へ出掛けていきました。おととしの秋にも訪れた場所でした。
廃校の校舎で開いた「書きましょ」プロジェクト。床の上に全紙サイズの紙を広げて、心の中に溜(た)まった言葉を吐き出してもらおうという試みです。
集まったのは市内の復興公営住宅で暮らす大人十人、DV(家庭内暴力)の被害に遭って支援センターに保護されている小、中、高校生約二十人。
ほとんどが、福島第一原発のある双葉町を事故で追われた人たちでした。
震災の年からすでに広がり始めたDVや“福島いじめ”に、矢野さんは心を痛めていたそうです。
◆今生きているということ
六十歳代後半とおぼしき女性は、じっくりと時間をかけて「慶子へ」と、いまだ行方不明のままの娘の名前をしたためました。
海辺で働いていたのでしょうか。「波に持って行かれたの、まだ出て来ないのよ」と、問わず語りにつぶやく母。「これ、連れて帰ってええですか」と、自ら書いたその文字を、いとおしむように言いました。
エクアドルから移住したという小学校四年生の女の子。力強く「泣くな 笑え おまえは1人じゃない!!」と書きました。
大人が泣くと、子どもは笑う。泣けずに笑う-。そんな姿を矢野さんは何度目にしたことでしょう。前の年のことを思い出したのはその時でした。
二時間の作業の後半、思い思いの場所で思い思いに筆を走らせていたはずの子どもたち、六歳から十歳の子どもたち数人が、ほぼ同時に同じ言葉を書いた、そんな不思議な光景を。
「自分で守る」「命を守る」「私が守る」「天国へ行ってもぜったい見守る」…。何かを乗り越えようと書に向かう子どもたち。矢野さんには、贈りたい言葉がありました。
そこで新成人の皆さんに、お願いがあるのです。
第一に、今生きているというキセキのような現実を思い切り味わっていただきたい。
生きて、成長し、成人のこの日をつつがなく迎えられるということは、ただそれだけで祝う値打ちがあるのだと。
次に、被災地のこと、ふるさとに帰れない人のこと、忘れないでいてほしい。
東北や熊本の被災地に、福島に、思いを寄せるということは、この国の、つまり、自分自身の未来について考えるということなのだから。
◆時には“月の人”になる
そして最後に、傍らで涙をこらえている人に「大丈夫」と言える大人になってほしい。
キセキを起こせなくていい。戦う必要なんてない。傷んだ人や悩める人のそばにいて、「大丈夫だよ」と、小声でひと言ささやくだけでも構わない。
「大丈夫」と「大人」。何となく見かけも似ていませんか。
もちろん、太陽のように自ら輝いてももらいたい。だが時に、傍らで静かに夜道を照らす、“月の人”にもなってほしい-。
「いつも 味方だよ」
矢野さんの、皆さんに贈る言葉です。そして皆さんの方からも、傍らの誰かにそっと、届けてほしいひと言です。