人は精神から老いていく。 ねえ、何歳から老人というんだろう。新しいシニアを目指して素敵に老いる力を

新しいシニアを目指して素敵に老いる。高齢社会というけれど、高齢者が何を考えているかわかりますか?老いる力と幸せを考える

元気でね。

2019-09-19 16:28:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ





先刻から喫茶店にいる。

うん?

最近は喫茶店とは言わないのか?

じゃあ、なんて呼べばいい?

スタバ、ドトール、ルノアール?

はははー、私の町には、どれもありません。

ただの喫茶店はあります。


今、この喫茶店で、丹田呼吸をしている。


吸って吐いて、ではなく、吐いて吸って。

お腹の皮が背中にくっ付くようにお腹を凹ましながら息を吐く。

否、お腹を凹ましながら、お腹の皮を背中にくっ付けるようにする。

丹田という所は、おヘソから指3本下の辺。

ここに神経を集注(集中ではない)させて

鼻から息を吐く。

流派によって、鼻から吸って口から吐けという教えもあるが、

私は調和道丹田呼吸法なので

鼻から吸って鼻から吐く。

静かにゆっくり息を吐き続けると、

吐き終えた時、その反動で素直に自然に空気を吸うことができる。

吐きながら肛門を締めるのだが、これもなかなか難しい。

ものの本によれば、「肛門を内蔵の中に吸い込むように締める」とあるが、

そんなこと簡単にできない。

とは言え、精神を集中して丹田呼吸。

ちょっとの時間を利用して、

自分の身体に気を遣い、生きている実感を掴むようにするのだ。


最近は、禁煙が当たり前になっているから、

喫茶店でも空気があまり汚れていない。


とにかく、常に自分の身体に注意を向けて集注。






身体の中に息が入って出て行くのを、全神経で感じてみて

息を吸うときは、いいことを考える

息を吐くときは、心やからだの汚いものを出す感じで深呼吸してみて

少し続けていると、心の中にあたたかい感情がうまれてくるよ

今日もあと少し。元気でね。
  (くろほとき)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨の日(過去の思いは、今につながっているか ①)

2019-09-18 05:40:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ










「雨の日には雨の中を 風の日には風の中を」





このことばが好き。



・・・・・・・・・・・
「雨の日には雨の中を 風の日には風の中を」

暖かい春の陽ざしを
ポカポカと背中に受けて
平らな道をのんびりと歩いてゆく

そんな調子のいいときばかりではないんだな
あっちへぶつかり
こっちへぶつかり
やることなすこと
みんな失敗の連続で
どうにもこうにも
動きのとれぬことだってあるさ、

当にしていた
友達や仲間にまで
そっぽをむかれてさ
どっちをむいても
文字通り八方ふさがり

四面楚歌ってやつだな
それでも
わたしは自分の道を自分の足で
歩いてゆこう自分で選んだ道だもの

雨の日には雨の中を
風の日には風の中を

涙を流すときには
涙を流しながら

恥をさらしながら
口惜しいときには「こんちくしょう!!」と
ひとり歯ぎしりを咬んでさ
黙って自分の道を歩きつづけよう
愚痴や弁解なんて
いくら言ったて何の役にも立たないもの

目に見えないいのちの根が
太く深く育つ時だから
何をやっても思うようにならない時
上にのびられない時に根は育つんだから

雨の日には雨の中を風の日には風の中を
(相田みつを)


・・・・・・・・・・・・・・・

自分が元気がない時や疲れている時に出会った、このことば。

何をやっても思うようにならない時に出会った、このことば。

「雨の日には雨の中を 風の日には風の中を」


今の自分は、

「雨の日には雨の中を 風の日には風の中を 試練の日には試練の中を」

つらくても前を向いて 深呼吸して
(くろほとき)



(過去の思いは、今につながっているか)

振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない。

そう言ったのは、寺山修司。

名言です。

あなたには名言ではないかもしれませんが、

私には名言です。

明日に向けて放つ眼光の輝きと強さ。

寺山修司のこの言葉は、シニアにこそ捧げられるべき行動の源泉です。


    
                     ⬇︎
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死ぬまで自立

2019-09-17 06:10:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ





厚生労働省の発表によると、昨年の日本人の平均寿命は

男性81.25歳、女性は87.32歳で過去最高を更新した。

総人口に占める高齢者人口の割合は28.1%となった。(前年は、27.7%)

いろんな意味ですごいことだ。

「いろんな意味で」という表現の中には

肯定的なことばかりではなく、否定的なことも多々含まれている。

時代は「人生100年」だという。

しかし一方で

「長生きはしなくていい」と、長生きを否定的にとらえる人が増えているのも事実なのだ。


その理由は

平均寿命と健康寿命の差

介護問題

年金問題、経済的な苦しさ

社会的孤立などなど、悪いこと尽くめ。


例えば、健康寿命と平均寿命の差。

2013年時点の健康寿命と平均寿命の差は

男性は9.02年、女性は12.04年。

長生きをしても10年前後は自立した生活ができず

病気や介護で不健康な毎日を送っていることになる。

「元気でいられるのなら長く生きてもいい」

そうでなければ、「長生きは地獄」

ああ、大変な時代。

(後日この問題は、掘り下げて考えてみたい)






意識を自分のからだに持っていこう


朝起きる。

コップ一杯の水を飲む。

そして、からだのあちこちを擦ってから真向法。

強張っているからだが解れてくるのが実感できる。

からだが解れるという感覚は

からだを伸ばしたときのツッパリ感

捻ったときの痛さや心地よさ

反り返ったときの気持ちの集中など

からだを通した意識の感覚。


折あるごとに、努めて意識を自分のからだに持っていくこと


それが、からだをつくり、心をつくるためには必須なのだ。


からだにいいことをすこしずつ習慣化したい。


自分に合うかもしれないという動きや方法は

煎じ薬を飲むように少しずつ習慣化していく。

それが、自分に合えば、煎じ薬のように効いてくるから。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土俵の外にいる人

2019-09-16 05:50:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ




《土俵の外にいる人》

「お金なんかいらないわ」

金持ちが言った。

貧乏人は、その意味がわからなかった。

「お金より大切なものがたくさんあるのよ」

そうお金持ちが言った。

貧乏人は、少しだけ頷いたが、心のなかでは、「お金がなければ何もできないだろ」って思った。

二人が一緒に食事に行くことになった。

お金持ちは、いかにも高そうなレストランに行こうと言った。

貧乏人は、そんなの食べたら今月を過ごせないと思った。

おごってあげるから行こうと言われたけれど、貧乏人は、強く首をふった。

おごってもらったら、この世の位置関係が決定してしまうと思った。

もちろん、食べたい。きっとほっぺが落ちるほどの味がするんだろうな、って貧乏人は思った。

だけど、そのおそろしく高い料理を食べている自分を想像したら、卑屈な自分が浮かび上がってきてつらくなった。

人間ってなんだろう。

お金持ちと貧乏人は、人種が違うのだろうか。

生まれた瞬間から、お金持ちはお金持ち。

目覚めた瞬間から、貧乏人は貧乏人。

勝ち組、負け組。勝負をしなくても、ずっとその差は縮まらないこの世。

石川啄木が、

「はたらけどはたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざりぢっと手を見る」

そう歌った心境に共振してしまいそうになる。

「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ

花を買い来て妻としたしむ」

貧乏人は、もう気が滅入ってきそうになって吐き気がした。

お金がないということは、自由がないということか。

お金がないということは、卑屈が似合うのか。

嗚呼、お金なんていらないという人は、お金のない苦しさがわからない。

戦争をしようと言う人は、戦争に行かない。

戦争をしようと言う人の家族も戦争に行かない。

寒くないという人は、寒くない所にいる。

食べなくても平気という人は、いつでも食べることができる環境にいる。

ハングリー精神が大事だという人は、過去は別としても、もうその時には、ハングリーではない。

土俵の外にいる人は、そこに土俵があるということを知らない。

そんな人がこの世には数え切れないくらいいる。

自由競争、個性尊重、経済的自立、自己実現、能力重視・・・すべて土俵の外にいる人たちの論理に見えてくる。

貧乏人は、考える。

「絶対、お金持ちの言うとおりにはならない。」

「土俵の外にいる人たちの思いどおりにはならない。」

「自分の幸せは、自分でつかんでやる。」

貧乏人は、未来という白い紙の上に、自分の、自分たちの色剤を注ぎ込む努力を、今日も続ける。




元気をためて、深呼吸をして、歩いていこう。・・・ね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老いの苦を見切って自分らしく生きる

2019-09-15 07:51:00 | 高齢文化 高齢者の学び シニアライフ



全シニアに贈ることば ↓

『私たちは柔軟な心を持つかぎり、何歳になっても新しい挑戦を始めることができる。』
(くろほとき)


人間には、四つの苦があるという。

生の苦。

老の苦。

病の苦。

死の苦、である。



『中阿含』(ちゅうあごん)という書物の中に

青年の時のお釈迦様が

老人や病人や死人を見た時の憂愁について書いてある箇所がある。


『突然に反省が彼(釈迦)を襲う。

今、彼は若い。

しかし、いつか遠からぬ日に、彼もまたあのように老人になるのではないか。

そう思ったとき、

彼の若い誇りは、いちどに色あせた。』

と書いてある。



その気づきをきっかけにして、お釈迦様は、

人間の相を熟視し、本格的な思索を始めたのだという。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『地獄の思想』(梅原猛著・中公新書・35頁〜)の中に、老いの苦について書かれた次のくだりがある。

・・・・・・・・・・

「老い。なんという深い嘆きが老いのなかに含まれていることであろう。

人生は間もなく過ぎてゆく。

子供が成長して一人前になる。一人前になったとき、すでに老いはひそかにしのびよる。

そして老いは、ひそかに容色や肉体や頭脳の衰えによって、われわれに告げ知らされる。

若さは去り、あとには、衰退の人生しか残っていない。
若き日は、もはや二度と帰りはしない。

歓楽の若き日を送った人は後悔する。

空しく青春がすぎ去り、彼の晩年には、みじめな人生しか残っていないことを。

勤勉な青春を送った人もまた後悔する。

彼の青春時代があまりに禁欲的であり、もはや彼には、快楽に耐える力が残っていず、快楽を味わわずに彼の青春が過ぎてしまったことを。


老年がひそかにおとずれるとき、すべての人は後悔し、すべての人は悲しむ。


東洋の伝統的な敬老の精神、それは深い思いやりに支えられているかにみえる。

老人、それは死の近くにすむみじめな人間である。

もしも、人がこのみじめな人間にうわべだけでも尊敬の態度を示さなかったなら、
老人たちはどうして自己のみじめさに耐えられよう。

しかも、そのみじめさは、いつかは、だれもが体験しなければならぬみじめさなのだ。』

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

このくだりを読んで、反発する人は、ステキである。

このくだりを読んで

「でも、私は、強く生きる」と決心する人は、もっとステキである。

さらに

私は全てを受け入れるけれど

「でも、私は、残りの人生を強くしなやかに生ききってやる」と願う人は

もっともっとステキである。


《人生の締めくくり方の学び》というのは

四つの苦を、どう乗り越えるか。

そして、そのなかでも

老いの苦を、どう見切って自分らしく生き切るかを、再認識し

残りのエネルギーを再注入することではないのか。



ふっと、そんなことを考えました。
くろほとき)




私たちは柔軟な心を持つかぎり、何歳になっても新しい挑戦を始めることができる。』
(くろほとき)


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする