二つの美しさ
リウマチを自彊術(じきょうじゅつ)で克服した人の講義(体験指導)を受けた。
背筋がまっすぐで、優しい顔をしていた。「正しい型をすることが大事です。」「続けること 続けること。」と言いながら、四方八方に気を配って自彊術の動作と精神を伝達していた。
三十年近く自彊術に取り組んで自ら難病を克服してきた自信と正確な型からにじみ出る美しさが、教室に充満していた。
その横で講義のアシスタントとして八十一歳になる女性が模範演技をしていた。その女性は、無口だけれど素人の私が見ても無駄のない合理的な動きをしていた。
この人も朝夕欠かさず、十八年間、自彊術に精進してきたのだと紹介されていた。この女性も美しかった。講師の美しさとは違う一途な美しさを放っていた。
実に、講師七十三歳、弟子八十一歳。二人の振舞いは、禅の世界に似ていた。
休憩時間に陳列されていた書物のなかに『易経』があった。不思議に思って講師にたずねてみると『易経』の一節を開いて、「天行健君子以自彊不息」という言葉を示しながら、「天の運行はすこやかである。人間は健康を保つためには、毎日自ら勉めて休んではいけない」という意味の解釈を教えてくれた。
休憩を挟んで後半の講義も前半同様、意味深く引き込まれるような講義であった。勿論、七十三歳の講師と八十一歳のアシスタントの二人三脚で伝授が進行していった。
二人とも美しかった。それぞれが違う美しさを放っていた。要求された動作を人並みにできない私であったが、会場の誰よりも二人の美しさに圧倒されていた。
七十三歳の講師の美しさは、難病を克服してきた「救いの美しさ」だった。
八十一歳のアシスタントの美しさは、難病を克服してきた講師の生き方に魅せられ、修練の末に辿り着いた「求道の美しさ」だった。
百年近く続くわが国の体操(自彊術)の体験指導を終えた私は、身体の軽快な心地よさを感じながら幸せな気持ちをいっぱいにして会場を後にした。
強く生きようと思った。
(くろほとき)