お絵描き日記~イラストレーター照井正邦

職人、照井正邦の似顔絵、意匠など。画力の向上を目的に練習しています。

抜いて描くことの難しさ(似顔雑談)

2012-07-28 04:13:44 | 雑記
※描く側としての話。

抜いて描くことの難しさ。

週刊朝日「山藤章二の似顔絵塾」に、投稿させて頂いている訳ですが、(自分の投稿作品の中で)「どうしてこれが入選して、こっちが載らないのだろう?」
と、塾長とのズレを感じるときがあります。
最近こそ、(全体の投稿数が減ったからかもしれませんが)掲載数は安定していますが、半年載らないときもありました。
そこで思うことは、「抜いて描いていない」ということが一つあげられると思います。

細部までしっかりと描き込むことは上達するのに重要ですが、作品として他者が見るときは息苦しく感じることもあると思うのです。
どこか抜けたところ、色でも、形でも、テーマでも、何かスキのようなものがないと見る側はツラいかなと。
単純に言ってしまえば、「笑えない」作品になってしまうと言うことです。
でもそれは、密度のある作品が描けた上で抜かないと、ヌケた絵になってしまうとも思います。

もう一つ挙げるとしたら、独創的な見方がないこと。
ただ自分のタッチで描いているだけで、オリジナルな着眼点がない。
観察力不足というか、自分の中で吸収しきれていないと思うことがあります。
そうなると、資料の写真や映像(動画はまだいいのですが)とにらめっこするだけで、どんどんオリジナルな感覚は薄れて、写実的な絵になってしまいます。

最後に、スタイルがないこと。
これは、半ば諦めていますが、オリジナルな表現なり、誇張や省略がないこと。
一目見ただけで、「これはだれそれの似顔絵だ!!」と、分かるくらいの個性が必要だと思います。
最初に戻りますが、抜いて描いたときに出やすい気がします、個人的には。

そして追加で、「批評の目」でしょう。
その人を愛しすぎてしまうと、また距離を失ってしまうと、ただのファンアートになってしまいます。
ファンアートならそれはそれでいいと思うのですが、有名人の似顔絵となると、冷静な目も必要になると思います。
けれど、ストレートに描いて毒がありすぎると、それはそれで冷静な目ではなくなってしまいます。
そのアンバイが難しいです。

と長々と書いてしまったのですが、「似顔絵塾」では、自分がファンの有名人の似顔絵は載りにくい気がします。
一人で(ファンの人たちと)もりあがってしまっては、ダメと言うことでしょうか。

となると、「ファンがその有名人の似顔絵を捜しに、私の作品を見に来た」ならば申し訳ないな、と思います。

ファンの方の批評にも真摯に受け止めますが、そういう似顔絵に限って、似顔絵塾に掲載されたりするので、鵜呑みにもしないようにしています。

P.S
どうしてこれが掲載されたのか?という作品の一例。
 
線が温かったので、応募をやめようと思っていた作品でした。
「雰囲気が似ている」ということが、最低条件になっていることに気づかされます。


ブログランキングに参加しています。
いいね!」と思ったらクリックをお願いします↓

にほんブログ村 イラストブログ 似顔絵へ

人気ブログランキングへ