暗闇検校の埼玉県の城館跡

このブログは、主に、私が1980年代に探訪した中近世城館跡について、当時の写真を交えながらお話しするブログです。

光屋敷(熊谷市)

2019-08-27 14:56:36 | 城館跡探訪
久しぶりに記事を書くので、何を書こうか迷いましたが、

今回は熊谷市中条にある光屋敷について書きたいと思います。

調査日は2019.07.29です。

光屋敷は「みつやしき」と読むのだそうで、中条氏館跡に近接しています。

中条氏館の北方に観音寺と言うお寺があります。

この地域は今井という地域です。

観音寺は、中条氏の政庁跡地だそうですが、特段、遺構は残っていません。













大きな宝篋印塔があったのですが、どうやっても写真が寝てしまいます。

観音寺には地蔵菩薩図像板碑が秘蔵されており、高校生の時、拓本をとらせていただきました。


さて、光屋敷跡は観音寺の西側にあります。

光屋敷上は、県道の敷設、区画整理によって、遺構は大きく損壊されてしまいました。



光屋敷は、下の写真の北側から、次の交差点あたりまでの一帯です。



館跡は光屋敷と言う名前の集落で、全体を館跡だと考えればかな大規模なものだです。



かなり暑い日でしたが、自家栽培のミニトマトを売るおじいさんがいたので、光屋敷について

たずねることが出来ました。

下の写真は、南側エリアですが、この辺りには往時をしのばせるものはほとんどないそうです。







堀跡も区画整理の中に取り込まれており、面影は失われているようです。


下の写真の屋敷林の左側の圃場あたりは、かつては湧水のある沼沢地であったそうです。



そのほか、県道をまっすぐ行って観音寺に入る集落道のあたりに、大きな土手があったが、

県道工事のため大きく損壊されたとの事でした。


では、湧水のあったという水田に向かってみます。

下の写真は、光屋敷集落内です。猛暑のため、集落内には人気が感じられませんでした。







この辺りですね。




接近してみます。







この辺りが泉だったのですね。

この民家の背後にある堀は遺構のようです。

勘の通りならば、この水堀に付属する土塁が県道付近にあるはずですが・・・。

堀沿いには歩けそうもないので、農道を使って移動します。



北側から見た光屋敷です。



この交差点の右側が、光屋敷です。右折します。





この辺りが、教えていただいた土塁のようです。









わずかですが残っていましたね。


次いで、県道を挟んで観音寺側も見ましょう。











観音寺西側にも民家があり、遺構の調査は難しいようです。

猛暑にもかかわらず、自転車出来てしまったのもかなりのダメージでした。

おじいさんのところで、ミニトマトを買って、次の目的地に移動です。