音羽様
ちょっぴりご無沙汰してしまい
ました。
すぐにお返事が書けなくて、ご
めんなさいね。
来月の初めに脳神経の手術を受
けることになって、その準備や
検査に追い立てられながら、
日々を過ごしています。
その間ずっと、片時も忘れず、
音羽さんのことを想い、文面
を空で言えるくらい、いただい
たお手紙を読み返してきました。
いくつか、いえ、たくさん、胸
に突き刺さっている言葉があり
ます。
「彼は私を愛していなかった」
という一行です
「父が母を本当に愛していたのだ
としたら、父はなぜとき子さんと
付き合い、ふたりの女性を悲しい
目に遭わせたのですか?」という
問いかけ。
居ても立ってもいられないような
気持ちになりました。
わたしが前の手紙のなかに書いた
ことが、あなたの苦しみの種を
蒔いてしまったのかもしれません。
そうだとしたら、謝ります。
でも、音羽さん。
わたしはそれでも、書かずには
いられないのです。
順ちゃんはあなたのお母さんを
愛していたし、その事実は永遠
に変わらない、と。
ならば、わたしという女は順ちゃ
んにとって、いったいなんだった
のか。
音羽さんのフィアンセにとって、
あなたが思い余って刺してしま
うことになる人は、どういう
存在だったのか。なぜ、あなた
はそんな罪を犯してしまったの
か。犯さなくてはならなかった
のか。
「教えてください。愛ってなん
ですか?」
あなたの悲鳴が聞こえてきます。
あんなに一生懸命したのに、そ
の挙げ句、裏切られてしまって、
いったいどうしたら愛なんて、
信じることができるの?
あなたの必死の問いかけに、わ
たしは答えなくてはならないと
思っています。
だって、わたしはあの頃、あな
たのフィアンセの恋人と全く
同じ立場にいたのですから。
読みたくないかもしれないけ
れど、どうか読んでください。
奥さんがいても、わたしのこ
とを、順ちゃんは目一杯、愛
してくれました。
わたしも愛しました。短い時間
でしたけれど
非常に月並みな言葉を使います。
わたしは「愛人」でした。音羽
さんが、図らずも傷を負わせて
しまったその人同様、わたしも
順ちゃんの「愛人」だった。
不倫の恋人でした。
朝には冷める男の情熱の、欲望
の対象であった、と同時に、愛
の対象であった、ということで
す。
たとえ不倫であっても、誰から
認められることのない、正しく
なくて、歪んでいて、欲望にま
みれ、うす汚れていて、まった
く陽の射さない暗いものであっ
ても、それもまた、愛の一側面
であり、切り取られたひとつの
断面であるということなのです。
あなたがかつて彼を愛したよう
に、彼の恋人もまた、彼を愛し
ていた。どんなに苦しくても、
悔しくても、そこから目を逸ら
してはなりません。
この世の中には、間違ったこと、
曲がったこと、醜いこと、憎悪
や嫉妬や羨望、執着や煩悩、
そのために引き起こされる過ち
が、確固として存在しています。
避けようとすれば、そこに引き
込まれる。逃げようとしても、
それに追いかけられる。
そして愛もまた、その例外には
なり得ないのです。