ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

独り言  <あなたのことはそれほど>

2018年03月16日 23時35分20秒 | owarai

優しい人の温もりが、どこか
僅かに残った躰で、冷え冷えと
した家に戻っていく帰り道。

わたしはよく、一度しか会った
ことのない女の人の言葉を思い
出していた。

まだ十代だったころ、男らしい
人に連れていってもらった
バーの、若いホステスさんの
口から出た言葉。
彼女はシングルマザーだった。
名前を、シオリさんといった。

「四条から山科に戻るとき、
タクシーで蹴上(けあげ)の坂
を登りますやろ。あの坂を登る
ろきには、うちは母親になる
んです。

そして翌日の夕方、店に出るた
めにあの坂を下りてきますやろ。
そのときにうちは、女になるん
です」

「母親と女は別々の人間なの?」
と、わたしは彼女に尋ねた。男
らしい人はわたしのそばで笑って
いた。

「無粋な質問すんなや」と言い
ながら。シオリさんに向かって
「堪忍してやってな。こいつ
まだ、ねんねですねん」と言いながら。
シオリさんは真面目な顔で答えた。

「別々です」
それからわたしの瞳をじっと覗き
込んで、言った。

「あんたにもそのうちきっと、わか
る日が来ます。ひとりの人間が同時
に、警察と泥棒になることはできま
へん。

けど、ひとりの人間のなかに、両方
が棲み着いてしまうことがある。

そんなときはどっかできっちり区切り
をつけて、ここからは警察、ここから
は泥棒、そうやって生きていくしか
ありませんやろ

YouTube

菅田将暉 『さよならエレジー』

https://www.youtube.com/watch?v=XSkpuDseenY&list=RDSX_ViT4Ra7k&index=5


『目に見えないイヤリング』

2018年03月16日 08時09分22秒 | owarai

【耳朶】―じだー
「朶」という漢字は、木の枝が
垂れ下がっていることを意味す
るそうです。

耳朶とは、耳の垂れ下がった
部分、つまり、耳たぶのことで
すね。

転じて、耳そのもののことを
さす時もあります。「耳朶に
触れる」とか「耳朶に残る」
という場合もそうです。

ふつうの言葉や音は、耳を通り
抜けていってしまいますが、
心に響く言葉や音は、耳たぶに
とどまるように思います。

たまに、耳の痛い言葉も耳に
残る場合もありますが、それ
も、自分にとってはキーワー
ドとなる大切な言葉だからで
しょう。

きっとイヤリングのように
あなたの耳元で、ゆらゆら揺
れているのかもしれません。

それは、溢れる言葉や音の中
から、あなたのためだけに揺
れているイヤリングです。


初心者です

2018年03月16日 06時04分52秒 | owarai

「家で死にたいんじゃありません。
家で暮らし続けたいんです」
     ※
「ペットの最後は自宅で死なせる
べきです。
ペットでなくても、飼ってる人間
だって同じことだと思います」
     ※
「子供ってのは――
親が死ぬってことが予定にない
んですね。
だから親に死なれると、自分も
死ぬんだという実感がドーンと
きますね」
     ※
「死んだら他人の世話になるん
だから、生きている間に他人の
世話をしとかなきゃね」
     ※
「死ぬ前になりますと、人間は
炭酸ガスが増えるんです。
この炭酸ガスに麻酔性がありま
すから、最後はそれほど苦しまず
に終わるようにできているんです」
     ※
「死ぬということには
ベテランや名人はいません。
死にのはみんな初心者です」


夜明け

2018年03月16日 00時28分53秒 | owarai

寒さ物語るこの夕日 まるで永遠に
終わりを告げぬように
あたたかい未知の歌 聞きたくて

いつもの場所にかけよったけれど 
あなたはいない

どうして人は悲しい景色を眺める
でしょう

こんなにも晴れているのに・・・
雲がわたしを染めていく

あなたを待った 夜明け
時のたつのも しばし忘れて

不機嫌なため息ついたけれど切な
さかみしめてまた息を吸う

何かを悟った 夜明け
涙流すのも しばし忘れて
ぶっきらぼう所は変わってないのね

心のアルバムめくって 今日が別れ
の日と知っていても
あなたは来ない 朝日は瞳(め)にじむ

YouTube
Emiko Shiratori - Melodies of Life (LIVE) ~Final Fantasy IX Theme Song~

https://www.youtube.com/watch?v=OBtNYiSzZG4


愛よりも優しく  

2018年03月16日 00時00分58秒 | owarai

あれから、十二年という歳月が
流れた。

あの日、あの夜、闇の底を生き
物のように流れる河のほかには
何もない、

閉散とした駅のプラットホーム
に、おそらく永遠に取り戻すこ
とのできない何かを置き忘れた
まま、わたしはもうすぐ、三十
五歳になろうとしている。

こうして、スピードを上げながら
西へ西へ向かう新幹線の中でひと
り、遠ざかってゆく景色を眺めて
ると、記憶の虚空(こくう)から、

はらはらとこぼれ落ちてくるのは
あの年の記憶だけだ。あの年その
ものが、わたしにとって八番目の
曜日であり、十三番目の月だった
のかもしれない。

今はもう、痛みは感じない。そこ
にはひと粒の涙も、ひとかけらの
悲しみ宿っていない。あのひとの
記憶は愛よりも優しく、水よりも
透明な結晶となって、わたしの心
の海に沈んでいる。

この十二年のあいだに、わたしは
いくつかの恋をした。

出会いがあって、相手を求め、求
められ、愛しいと感じ、結ばれた。
二十七の時には、結婚もした。
不幸にも、夫に好きな人ができ
てしまったため、その結婚はた
った二年で壊れてしまったけれ
ど、それでも二年間、わたしは
とても幸せだった。

ただ、どんなに深い幸せを感じ、
それに酔い痴れている時でも、
わたしの躰の中に一ヶ所だけ、
ぴたりと扉の閉じられた、小
部屋のような領域があった。

扉を無理矢理こじあけると、
そこには光も酸素もなく、
植物も動物も死に絶えた、
凍てついた土地がだけが
広がっている。

だからうっかりドアをあけた
人たちは、酸素と息苦しさに
身を縮め、わたしから去って
いく。離婚の本当の原因は、
もしかしたらわたしの方に
あったのかもしれない。

こんな言い方が許されるな
らば、わたしは誰かに躰を
赦(ゆる)しても、心を救
したことはなかった。