矢のようにすぎていく
油断するとあっという間
こんなに大切なことが
知らないうちにどんどん
流されていくとは知らなかった
気をひきしめなくては
油断したまま終わりがきそう
誰かを思い
せつなくなる時
その気持ちを大事にしよう
中途半端に幸せな状況で過ごし、
何が好きなのか嫌いなのかも
わからないような状態のひとが
大半。
「どうしたら、好きなことが見つかる
には、思い切り嫌いなことをしてみる
ことだ」。
嫌いなことをした時初めて、好きな
ことが見つかる。
ヒトは、好きなことを天国で探そう
とする。
好きなことは、天国では見つか
らない。
好きなことは、地獄の中で見つ
かるのだ。
君がもし、好きなことを見つけ
られないとしたら、今あなたが
いるところは、天国なのだ。
「ちっとも楽しくないから、天国
なんかじゃありません」と人は
言う。
天国でないとしても、地獄でもない。
中途半端に不幸なんだ。
中途半端に幸せなんだ。
好きなことを見つけるには、徹底的
に不幸になつことか?
ヒトは、どこかで酒乱場を経験して
おくといい。
凛としたため息がすいこまれて
いく
つかのままの涙も 逃げていった
空の果て
初夏
思い出が咲く
心の水面に
たわむれの恋が行き場を失う
一片の迷い
迷いあぐねるほどの力
ゆるやかに落ちるのは かろやか
に沈むため
はてしなく浮かぶのは たえまなく
ゆれるため
同じ夜
同じ笑顔で会えるなら
あなたに捨てられてもかまわない
「今、一生懸命やる」男が
輝いていてモテる。
世の中の大原則として、
モテる男は徹底的に
モテます。
モテない男は、徹底的に
モテません。
チャンスは、今やっている
ことを一生懸命やっている
人に訪れるのです。
「何かやりたい」という男が、
たくさんいます。
そういう男は、仕事でチャンス
をつかめません。
それは半分グチです。
チャンスは、今やっていること
を一生懸命やっている人に
訪れるのです。
「仕事と恋愛」は一緒です。
□なぜ「左から見た横顔」が
重要なのか!
人間の顔というのは、赤ん坊の
ときは左右対称ですが、成長
するにしたがって、左右非対称
になってきます。そのため大人
の顔は整形美人以外、正面から
見て完全なシンメトリーである
ことはまずありません。
もし正面から見て、すぐわかる
ほど非対称だったら、気質・
性格上に問題があると思って
まちがいありません(男も同じ)
小さいときは左右対称なのに、
大人になるとなぜ違ってくる
のかというと、人間は顔の筋肉
を使って、喜怒哀楽を表現する
からです。
ただ、顔の表情というのは変化
するもので、過去よりも現在
おかれた環境、心の状態が最も
極端に出てきます。
そして、それは特に横顔、それも
左側の横顔にはっきりと表れてき
その理由は、左側は右脳が支配し
ているため、おもに感情面が表わ
れるからです。
左顔がどことなく冷たく見える
とか、暗い、悲しげである、あるい
はきついといった印象を受けたなら、
たぶんその女性は、そのような性格
の持ち主であると思ってまちがい
ないでしょう。
見えるもの
見えないもの
遠いもの
すれ違う苦しさも
やさしさも今はもう
痛いほど知っている
痛いほど知っている
泣かない勇気があれば チャンスを
ください
恋人に出会うまで
ひとりでも平気
いたずらに傷つけ合う
そのほうが不思議
あの胸に帰りたい
あの胸に帰りたい
夢みる勇気があればチャンスを
ください
たえまなく落ちてくる
星くずになりたい
眠れないこの訳を
大切にするから
愛する勇気があればチャンスをください
『うららかななか、浮き
彫りになる哀愁』
日も長くなり、暖かくなる
季節なのに、周囲の明るさ
とは対照的に、これといった
理由もなく気持ちがふさぐ、
という哀愁に近い情緒を表現
する言葉です。
「哀愁」「旅愁」というときの
「愁い」は日本独特の情緒を
表していますが、なかでも
「春の愁い」は日本的な季節
感と同時に女性的な甘さのあ
る言葉で、秋の同じような
言葉である「愁思」の、根
源的的な「もののあはれ」と
は対照的な意味です。
生理学的にも春と秋は、心身
が季節の変化に追いつけず、
自律神経が失調しやすいとい
われ、
はらはらと散る花びらにも涙
するような心境に陥りやすく、
実際、春と秋は夏冬に比べ、
鬱状態になりやすい季節でも
あります。
同じ「うれい」でも「憂い」
と書くと、心配や不安など
現実的・処世的な意味合い
に比重のある憂鬱感が強く
なります。