天気のいい休日、のんびりと
散歩している老夫婦の姿を
見た。
”老ふたりお互いに
空気となり合ひて有るには
忘れ無きを思わず“
いないことを思わない、たとえ
「死」というものが、ふたりの
肉体を一時的に引き離したとし
ても、
心はいつまでも「無きを思はず」
なのだ。
YouTube
"Butterfly" - Gretchen Parlato & hr-Bigband
https://www.youtube.com/watch?v=X56EdGhz3a4
天気のいい休日、のんびりと
散歩している老夫婦の姿を
見た。
”老ふたりお互いに
空気となり合ひて有るには
忘れ無きを思わず“
いないことを思わない、たとえ
「死」というものが、ふたりの
肉体を一時的に引き離したとし
ても、
心はいつまでも「無きを思はず」
なのだ。
YouTube
"Butterfly" - Gretchen Parlato & hr-Bigband
https://www.youtube.com/watch?v=X56EdGhz3a4
青春は自己を作るとき
といいます。
自己は、苦しみのなか
で見出すものです。
生きることは苦しむこと
です。
生きることは悩むことです。
だから、人は愛を求めるの
です。
その愛のなかから、「生きる
喜び」を感じるのです。
「きっといいことがある」と
考える!
休み時間が半分すぎたら
「まだ半分残っている」
「まだ○○才、まだまだ若い」
と考えます。
前向き肯定的でいれば、
ちょっと不都合なことでも
感謝できます。
ホントに気持が違ってきます。
日々この積み重ね
評論家の犬塚道子さんは、
アルメニア大地震の際に「欧
米の救援の早さとスケールの
大きさと質の良さに比べると、
日本政府の対処の遅れが目立
った」という日本の新聞記事
に出会って、次のように語っ
ている。
その日、犬塚さんが住んでい
るフランスの小村の看護婦資
格を持っている一主婦は、
姑に幼児を預けて現地に飛ん
だ。その飛行機代は、現場で
少しでも働きたいが、専門家
でないために行けない人たち
が少しずつ負担した。
フランス外務省も、ビザその
他に即対応した。
村の教会にも、ニュースの翌朝
からぞくぞくと毛布が届いた。
村のはずれの小農のおばあさん
は、気の毒になるほど慎ましい
安物しか普段は買わないのに、
真新しいウール100%の毛
布を持って走ってきた。
子どもたちも、自分の小遣い
やプレゼントを我慢して
持ってくる。
大事なのは、そんな一人
ひとりの姿勢です。
政府自治体が、会社が、トップ
が、上司が「~しないから駄目
だ」と不平不満を言ったり問題
点を指摘するだけなら楽です。
でも、そんな「くれない族」の
集団では何も変わりません。
大切なのは、些細なことでも
いいから最初の一人に自分
自身がなることです。
「人の心は、自分の心の投影
として、己が心の鏡に映る。
人は、自分の心にないものを
感じることはできない。自ら
の内に善なるものがない者は
人の善を感じられず、偉大さ
を持たない者は他の偉大さに
無感動であり、神を持たない
者は神を信じることはできな
い」。こんなことを、どなたか
に伺ったことがあります。
あなたには、他人がどのよう
に映りますか?
相手のいたらなさやいやらし
さばかりが目につく人は、
ひっよとしたら自分の心がそ
うなのかもしれません。
大切なことは、相手に対する
労りや優しさです。
会社の人間関係にしても、調
子のいいときは、地位や権威
だけでも部下は表面的には
動いてくれます。
ところが、本当に苦しくなっ
たときには、その人の徳が
試されます。
「この人のためなら」という徳が
なければ、人は動いてくれません。
自分の中身が、豊潤、精雅でなく、
人間に対して愛情を持てない人が、
人の信望を得ることはできません。
徳を磨きたいものです。
比叡山天台座主、山田氏は、
「地球上では思慮分別を
授けられている生物は人間
だけだから、その責任を
果たさなければならない。
どういう責任かというと、
地球全体あるいは宇宙全体
の森羅万象に眼を向けて、
今日と明日のことを考える
ということです。
この世に存在するものは、そ
れが存在する限りにおいて
価値があり認めなければ
ならない。
その価値ありの価値を発見
することが、人間の思慮
分別、つまりは知能の幅に
なってくる。
蛍も蛙も、私たち同様に
生きる権利があります。
それぞれに価値あらしめる
というのは、人間のことだ
けではない。
蛍には蛍の、蛙には蛙の
価値がある」と語る。
蛍の光と太陽の光とどちらが
尊いか?蛍の光と電気の明か
りとどちらが役に立つか?
そんなことを考えてみても、
なんの意味もありません。
それぞれに(経済価値だけで
は計れない)比ぶべくもない
存在価値があるということです。
私たちは、万物がそれぞれ生き
ている地球があるからこそ
生かされているのです。
そういった意味では環境の
動物だと言えます。
それぞれの存在価値を尊重し、
万物と共に生きたいものです。
―MUSIC―
人々の心を打つ音楽。音楽は
もともと共同作業のときの掛
け声として生まれたとか、
集団の中で合図などの情報を
伝えるためだったとか、怒り
や苦悩、喜びなど人々の感情
を伝えようとして発展したと
か、様々な起源が言われてい
ます。
いずれにしても、言葉の通じ
ない海外でも、音楽を通して
なら気持ちや感情を表現でき
ます。
しかしもしも、その音楽の分野
にいまのような楽譜が存在し
なかったら、メロディーは人か
ら人へ直接伝わるしかなく、
ひとつの曲がこれほどまで広く
愛されることもなかったはず。
国を超え、時代も超えて、素
晴らしい音楽を受け継いでいる
私たち。
それを可能にしてくれた五線譜
は、音楽を愛する世界中の人々
をつなぐ美しいリボンです。
もう一度、ニューヨーク時間
に合わせてある猫の置時計に
目をやる。長針と短針を、じ
っと見つめる。見つめだって、
どうにもならないと、わかっ
ているのに、それでも見る。
ねえ、どうして。
どうして、メールをくれない
の?
あなたは今、どこで、何をし
ているの?
必ずメールを送るって、あの
約束を忘れたの?
それとも、もうわたしのこと、
忘れてしまったの?
空しい疑問符に搦めとれたま
ま、ベットにどさっと倒れ込
む。失望がぐるぐると、全身
を駆け巡っている。両手で
抱え込んだ枕に顔を押し付け
て、悲しくて泣いている女の
子のふりをしてみる。
まるで、水槽から外に飛び出し
てしまった金魚のよに、なす
術もなく、足掻いている心を
持てあましながら。
ああ、泣きたい、と思う。
「泣き虫詩音」になって、思い
きり泣きたい。涙で洗い流して
しまいたい、息苦しいまでの、
この想い。 たぶんあのひとは、
わたしがこんなにも烈しい気持
ちを抱えていることを、知ら
ない。知ったらきっと、驚いて
しまうだろう。
電話したいと思う、電話して、
声が聞きたい。この気持を伝え
たい。だけど、できない。だって
わたしは、あのひとの電話番号を
知らない。
新しい住所と電話番号が決まった
ら、すぐにメールで知らせるね。
うん、待ってる。
そんな約束をした空港で、別れる
前に、あのひとは言った。
「淋しくなる」と呟いたわたしに
対して。
「大丈夫。どんなに遠く離れてい
ても、つながるのは心と心なんだ
から。心の中で相手を想っていれ
ば、それはつながってることに
なるんだよ」
想ってる。こんなに、想って
る。恋よりも、烈しく。一分、
一秒ごとに。張り裂けて、ば
らばらになり、砕け散ってしまい
そうなほどに。でも、淋しい。
想っているだけでは、わたしは
幸せになれない。
目を閉じると、二十二歳のわた
しが見える。
走り過ぎて、息を切らしている肩。
メールが来なかっただけで、まる
でこの世の終わりみたいに悲観し
て、ベットに倒れ込んでいる背中。
情熱と苦悩の綯(な)い交ぜになった
彼女の貝殻骨のあたりを、そっと、
この手のひらで撫でてあげたくなる。
今のわたしには、ゆるやかな痛み
のように、わかっている。
あのひとの言った通りなのだ。
つながるのは心と心。それ以外
では、人はつながることなどで
きないのだと。