にゃんこの置き文

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず

ある地域猫の最期

2021年01月13日 | 
年が明けたばかりだというのに、怒涛の一週間だった。

先週、家の近くで人だかりが。
水道管の破裂も心配するほどの寒さの中、猫が道路で動けなくなっているらしい。
6,7人の近所の人が取り囲む中、猫は誰かが持ってきたペットベッドに寝かされ、携帯用のヒーターを当てられ、一人が動物病院に電話をかけていた。
興味のない人は通り過ぎていくので、その場に溜まっているのは当然動物好きの人ばかり。誰も気づかないところで野良猫が死んでいく分には、「仕方ないな」で終わるが、目の前で死にかけてる生き物を見過ごすのは無理、ということだろう。
その心境は、捨てられた子猫をみつけた時に似ていると思う。
真っ先に思うのは、「うわぁ、やっちまった」だ。気づかなければ平穏な日々がこの先も続いた筈なのに、みつけてしまった以上はもう見なかったことにはできない。
今回も「治療後飼う人がいない猫は診れません」という動物病院の返答を聞いた瞬間、思考がぐるぐるした。
毎回の食事に一時間かかるフミの世話だけでも大変なのに、もう1匹の面倒まで看れるのか?
コロナ下の小売業勤めで、非正規で、高齢で、自分の身すら明日にはどうなってるかわからないというのに、新たな命を引き受けてる場合か?
回復してくれたらまだいい。もしダメなら、辛い看取りをまた経験することになるぞ。

それらは正論。
とにかく生きてるんだから助けたい。
それは感情論。
どんな理屈も、感情には勝てません。

「飼います」と宣言して、近所の人が出してくれた車で病院へ。
体温、測定不能。
血液検査結果、肝機能不全。
とりあえず入院して様子をみることに。
原因はネコエイズらしい。
クロタンは皮膚病と口内炎だった。
ニゴウは肺炎になった。
この猫の場合は肝臓にきたということか。
腹水がたまっているので、点滴治療はできないらしい。(入れるそばから血管外に出てしまう)
人間で言う胃ろうみたいなものを設置し、毎日胸水を抜けば、まだしばらくは持つだろうと言われた。
いや、先生。それって「拷問」ですやん。

人間なら本人の意思を確認できるけど、動物はそれができないのが最大のネックだ。
自分だったら、口から物を食べられなくなった時点で「もういい」と思う。
ニゴウとマーに徹底治療をして苦しめてしまったという後悔もある。
「もういいね?」と猫に告げて、部屋で好きにさせることにした。

痛い注射もない、胸に針を刺されることもない、無理に温めることもしない。
移動したがったら身体を支えて手伝い、好きな場所で寝かせておいた。
いつもの黒白の奴が来て、横たわった猫の傍で前足を揃えてきちんと座り、5分ほど互いにみつめあっていた。
朝方、水を含ませてやろうと顔に触れたら、動かなくなっていた。

本当は誰もいない所でひっそりと死にたかったのかもしれないが、人にみつかったのが運の尽きと思ってあきらめてもらうしかない。
桜耳をしてるから、人とまったく係りを持たずに生きてきたわけではなさそうだけど。
どんな猫生だったのかな。
冷たくなった今も、楽しい夢を見ているような顔をしてる。
野良だから苦労もあっただろうけど、それ以上に楽しいこともいっぱいあったと信じたい。



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