昨日のコメントを一部修正。
うちの元不登校児によると、10代のうち、6年間を不登校出会った模様。
笑ってしまうね。貴重なる10代での6年て、結構長くない?
でも過ぎてしまうと、意外とそうでもないね。
転向先の中学校で、3日学校に行ったら、もう、そこからまたまた不登校ですわ。さすがに私もがっかりして、数カ月後、円形脱毛症にもなりました。こんな私ですら、動かない子供にイライラして、そして落ち込んだりしたこともありましたから、悩むのも当たり前。苦しむのも当たり前なのかもしれませんね。
でも、一つだけ言えるのは、そこで得たわたしの答えがあるってこと。
その答えは、悩むことなかったなあ。ってこと。
イライラすることなかったなあ。ってこと。
不登校という現状を親が悩むってことは、自分の生んだその子を否定するってこと。
自分の子供がその道を選択したのならそれを受け入れてあげるのが、親の仕事だったのだなあってこと。
いろんな個性があっていいじゃない。違っていいじゃない。同じでなくっていいじゃない。
親子でね、毎日仲良くしているとね。だんだんとね。子供は勝手にね、社会に目が行くようになるんだよね。
愛情もって接してあげているとね。育てなおすとね、勝手に子供のハートが大きくなってね、外に目を向き始めるんだよね。
子供の自立ってのはね、親が突き放すのではないよね。親が親らしい、当たり前の愛情を与えたらね、そう、無償の愛ってのを、子供がなんとなく知るとね、自然と子供は社会なり、外なり、学校なりに、興味が行くんだよね。
自分もそろそろ、何かに没頭して頑張りたいなあって、意欲が出てくるんだよね。それって、やはり親の愛情なしにはできないよね。
不登校になったのが、さも悪いように、学校からもらうプリントにはよく書かれてくるね。
あのね、よく考えてほしいよね。不登校がわるいのでないよ。そうなる以前に悪いことがあったから、こうなってしまったのね。
だから、学校がいう、悪い現象っていうのは、不登校でないよ、その前の段階の話だよね。
不登校という現象は、子供が今の現状を打破したい、そう願っての事なの。打破するために、他人を傷つけずに、みずから身をひいたことなのね。
学校の生活の中に原因があるかもだし、また、家庭の中に原因があるかもわからない。また両方だったりもするわね。
解消すべきなにかがあるはずなのね。それを教えてくれているのが不登校という現象だと思うわけね。
不登校という選択をよくぞしたなあって、私は褒めているわけです。笑っているわけです。さすがは私の娘だなあってね。普通の人生は歩むはずがないんだからね、持って生まれた性分でしょう。
娘が自分を責めて落ち込んで、鬱になったりしてね。毎日死なれているかとそわそわしながら部屋を覗いていたわね。
娘がどん底であればある程、私は上に引き上げるために、朝からテンションマックスで生活したわね。だって母親は子供の太陽でないといけないからね。
だからね、私は今にも自殺するかもしれない娘をほっておいて、ご近所にお茶して友達と楽しく過ごしたりしてね。毎日楽しい、楽しいって、私が楽しがって見せていたのね。娘の不登校を、さもさも苦にしないふりをしたのね。気にしないふりでいいの。そのうちにね、だんだんと本当にきにならなくなるからね。
そうやって私が敢えてテンション高くして、不登校万歳宣言をしているうちにね、娘がどんどん、言葉を発し始めたのね。そして、自分の部屋から出てきて、兄弟とも普通に話をし始めたのね。
10代にして、2度の地獄の淵を歩いた娘が、今では飛ぶ鳥を落とす勢いの専門学校生です。自信満々で少々困っております。気の強さ、負けん気の強さ、正義感の強さ、そして同情心のある子に育ちました。
這いつくばってでも、立ちあがるすべをもうすでに、身に付けたからね、私はちっとも心配していないの。うちの元不登校は、もう、全く心配していないから、どうぞ勝手に、苦労して。どうぞ勝手に幸せになって。どうぞ勝手に人生を生きて頂戴。
親は子供の犠牲になんてならないよ、親は親で楽しむの。子育ても私が選んだ道だから楽しんでるよ。全く苦労でないの。大変なこと沢山あったけど、苦労してないの。自分が子供を産みたくて産んで、育てたくて育てているだけだから、それだけで幸せなの。
そして私は私の楽しいことをして、笑顔で毎日それを報告してあげたいの。生きる先輩としてそれが役目だとおもうのでね。
そうそう、最終面接が、きのうあって、どうだったかを、聞いたのね、娘に。
そしたら、やれることは全部やった。あとは運にまかせよう。これで駄目だったら、縁が無かったとあきらめられる。でも、絶対それを後悔させてやる。
と、のたまわる。・・・・
自信満々で昨日帰宅してきたわりに、今日になると、「ああ・・どうしよう・・・うかっているといいなあ・・・・」って弱気ですわ。本音がでちゃったわね。ま、天に任せましょう。自分の努力がどのように稔かを私は見守るだけ。自分でなんとかしてちょうだい。
うちの元不登校児によると、10代のうち、6年間を不登校出会った模様。
笑ってしまうね。貴重なる10代での6年て、結構長くない?
でも過ぎてしまうと、意外とそうでもないね。
転向先の中学校で、3日学校に行ったら、もう、そこからまたまた不登校ですわ。さすがに私もがっかりして、数カ月後、円形脱毛症にもなりました。こんな私ですら、動かない子供にイライラして、そして落ち込んだりしたこともありましたから、悩むのも当たり前。苦しむのも当たり前なのかもしれませんね。
でも、一つだけ言えるのは、そこで得たわたしの答えがあるってこと。
その答えは、悩むことなかったなあ。ってこと。
イライラすることなかったなあ。ってこと。
不登校という現状を親が悩むってことは、自分の生んだその子を否定するってこと。
自分の子供がその道を選択したのならそれを受け入れてあげるのが、親の仕事だったのだなあってこと。
いろんな個性があっていいじゃない。違っていいじゃない。同じでなくっていいじゃない。
親子でね、毎日仲良くしているとね。だんだんとね。子供は勝手にね、社会に目が行くようになるんだよね。
愛情もって接してあげているとね。育てなおすとね、勝手に子供のハートが大きくなってね、外に目を向き始めるんだよね。
子供の自立ってのはね、親が突き放すのではないよね。親が親らしい、当たり前の愛情を与えたらね、そう、無償の愛ってのを、子供がなんとなく知るとね、自然と子供は社会なり、外なり、学校なりに、興味が行くんだよね。
自分もそろそろ、何かに没頭して頑張りたいなあって、意欲が出てくるんだよね。それって、やはり親の愛情なしにはできないよね。
不登校になったのが、さも悪いように、学校からもらうプリントにはよく書かれてくるね。
あのね、よく考えてほしいよね。不登校がわるいのでないよ。そうなる以前に悪いことがあったから、こうなってしまったのね。
だから、学校がいう、悪い現象っていうのは、不登校でないよ、その前の段階の話だよね。
不登校という現象は、子供が今の現状を打破したい、そう願っての事なの。打破するために、他人を傷つけずに、みずから身をひいたことなのね。
学校の生活の中に原因があるかもだし、また、家庭の中に原因があるかもわからない。また両方だったりもするわね。
解消すべきなにかがあるはずなのね。それを教えてくれているのが不登校という現象だと思うわけね。
不登校という選択をよくぞしたなあって、私は褒めているわけです。笑っているわけです。さすがは私の娘だなあってね。普通の人生は歩むはずがないんだからね、持って生まれた性分でしょう。
娘が自分を責めて落ち込んで、鬱になったりしてね。毎日死なれているかとそわそわしながら部屋を覗いていたわね。
娘がどん底であればある程、私は上に引き上げるために、朝からテンションマックスで生活したわね。だって母親は子供の太陽でないといけないからね。
だからね、私は今にも自殺するかもしれない娘をほっておいて、ご近所にお茶して友達と楽しく過ごしたりしてね。毎日楽しい、楽しいって、私が楽しがって見せていたのね。娘の不登校を、さもさも苦にしないふりをしたのね。気にしないふりでいいの。そのうちにね、だんだんと本当にきにならなくなるからね。
そうやって私が敢えてテンション高くして、不登校万歳宣言をしているうちにね、娘がどんどん、言葉を発し始めたのね。そして、自分の部屋から出てきて、兄弟とも普通に話をし始めたのね。
10代にして、2度の地獄の淵を歩いた娘が、今では飛ぶ鳥を落とす勢いの専門学校生です。自信満々で少々困っております。気の強さ、負けん気の強さ、正義感の強さ、そして同情心のある子に育ちました。
這いつくばってでも、立ちあがるすべをもうすでに、身に付けたからね、私はちっとも心配していないの。うちの元不登校は、もう、全く心配していないから、どうぞ勝手に、苦労して。どうぞ勝手に幸せになって。どうぞ勝手に人生を生きて頂戴。
親は子供の犠牲になんてならないよ、親は親で楽しむの。子育ても私が選んだ道だから楽しんでるよ。全く苦労でないの。大変なこと沢山あったけど、苦労してないの。自分が子供を産みたくて産んで、育てたくて育てているだけだから、それだけで幸せなの。
そして私は私の楽しいことをして、笑顔で毎日それを報告してあげたいの。生きる先輩としてそれが役目だとおもうのでね。
そうそう、最終面接が、きのうあって、どうだったかを、聞いたのね、娘に。
そしたら、やれることは全部やった。あとは運にまかせよう。これで駄目だったら、縁が無かったとあきらめられる。でも、絶対それを後悔させてやる。
と、のたまわる。・・・・
自信満々で昨日帰宅してきたわりに、今日になると、「ああ・・どうしよう・・・うかっているといいなあ・・・・」って弱気ですわ。本音がでちゃったわね。ま、天に任せましょう。自分の努力がどのように稔かを私は見守るだけ。自分でなんとかしてちょうだい。