愛の種

 
 猫がいる限り アセンションが止まらない
  

憑依とは

2015-10-15 22:14:57 | 不思議体験
いきなりの題名、失礼しました。


私の親族にバツイチ男性で同じ年の人がいたのですが、不慮の事故にあい昏睡状態を数日続けた末、亡くなってしまいました。
会社関係の人とかも来てくださり、遺族にとっては、立派な葬儀を開いてもらい、感謝してしまう。

お寺に行き、ご住職にお経をあげてもらい、納骨しようと皆が立つそのまえ、ご住職が一言参列者にご挨拶してくださいました。

故人に対してとそして、残された家族がたった一人の母親に対して、暖かくも深い同情心でもって言葉をかけてくださいました。

ご住職のその言葉に、と、いうよりは、その心に、私の心も振動してしまいました。

なんというかね、本当に同情してもらって、とってもありがたくって、ありがたくって。そして若くして亡くなった故人のことを想うと悲しいのと悔しいのが
一気にきました。

涙が出てきて・・・。どんどん出てきて・・・。もうそれがとまらなくなりましてね。
最後は嗚咽して、地べたに伏せておいおい、泣いてしまっていました。もちろん私はちゃんと意識がありますよ。
そして、「ごめんね、ごめんね」って、言いたくなって言っていました。
ご住職が私のことに気づいて、そばに寄ってきてくださり、「大丈夫、大丈夫」といって方と背中をおしてくださいました。
わたしは、「有難うございました。有難うございました」って連呼しておりました。

・・・・終わってからね。なあるほどね。私だけの意志と考えだけで、嗚咽してしまったり、ごめんね、とか、ありがとうございました。とか言っていたのは、私の亡くなった親族である従妹の言葉だったんだね。

それを憑依というけれど、単に私の気持ちと従妹の気持ちが同調しただけのことだね。
そんなこんなの、お葬式が終わり、翌日、いきなりなぜか、八幡平に私は降り立っていたのであります。雨が降って少し残念だったけれど、橋の上から下に広がる、紅葉の景色を覗いた瞬間。
涙・でした。

一瞬にして、私の心が痛んでいたのが、癒されたんですよ。悪いものが流された瞬間、とでもいいましょうか。
心から綺麗だって思えたのは、きっとそれだけ、自分が疲れていたんだろう。少し心が弱っていたんだろう。

昨日のお葬式をした個人は私の従妹だったから。幼いころから遊び相手だった。母親にはきつく当たったりして、あんまりよい息子とは言えなかったかな。それでもさ、こんな結果は親も望んているわけがないよ。
それでも明日を向かないといけないのは遺族の仕事だろうね。でもさ、やっぱり心が壊れちゃったりひびくらい入るよね。
そんなときだよ。八幡平の紅葉が、自分を一瞬にして変えてくれました。やはり自然には敵わないや。

だんだんと雨がやんで、最後は大好きな虹がね、私を出迎えてくれたの。わざわざ私のために虹が顔を出してくれたの。
って、そんなわけがないね。虹はだれのものでもない。でも、そう思えてしまった。
だって晴れてほしいなって、思うと空が晴れてくれるんだもの。二重や三重の虹が見えるかもって、思ったら見えるんだもの。お天道様が私の気持ちをきっとさっしてくれたに違いない。
偶然が重なったら奇跡。奇跡。奇跡は神技。神業って、実は神様の所業だもの。

有難うございます。また、自分は自分で明日も生きていくよ。
あいつもきっと、最後に「ありがとうございます」って言葉を言い残せて満足だったろう。
頑張れよ、あの世で楽しく過ごすんだよ。お疲れさまでした。
コメント
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