
最近、夫が私の、いや、人間界の「常ならむ」を受け入れ始めてくれている。(様な気がする)
出あった頃は、自分が主役であり、自分が法律であり外からの影響に感化されるのが、たぶん嫌いであったのだろう。
誕生日には誕生会をする、などという行事も無駄だとおもっているのだろうし、どこかに出かけても、お土産を買ってくるなんて、ない。
私はどこかに出かけたら、家族になにか買って帰りたい。誕生日にはお祝いになにかプレゼントをあげたくなる。人間だもの、ね。たいていそうだと思う。
でも夫は違う。でも、今回、たまたま暇な時間にイオンにいったとき、石屋さんのお店に二人で入り、これならきっと買ってくれるだろうと思って、
「誕生日のお祝いに買ってちょうだい」
とたのんだのだよ、私から。
そうしたら、買ってくれた。
だんだんとやさしくなってきたんだろうな。
優しいってのは、妻という立場の私に順応してきた。
妻の私に合わせることが出来るようになってきた、ということ。
やっと、本当の意味でのやさしい夫、のいる家庭を構築できそうな予感。
夫本人は、十分に自分は優しい人間で、私に親切にしているつもり。
自分のもっている親切心のほかに私に、いかに合わせてくれるか、で、私が感じる夫のやさしさ、なのである。
物部の直系の宮司様が講演会で申されていました。
お祭りごとは神様だけではなくて、人間もしたほうがいい。時々楽しい行事を作って、いつもお祭りことをして楽しんだらよいですよ。とね。
誕生日がきてひとつ年をとって、たいして楽しいわけではないが、これを機になにか、自分が、周りが楽しい何かをやることが、人間界のお祭りごと。どんどんお祭りして楽しんだらよいのだよ。人間が楽しいと思うなら神様もきっと楽しんでくれるに違いない。人間も小さな神様だ。
とりあえず、夫よありがとう。
つたない私に合わせてくれて。