老後は京都で !

京都の町中(堺町六角)と東京(青山)を気ままに行き来する二地域居住を実践中。 

「藤原定家  『明月記』の世界」 と 「定家明月記私抄」

2021年02月19日 | 平安時代の京都

冒頭に掲げた

「藤原定家 『明月記』の世界」

は、平安末期から

鎌倉初期にかけて

京に生きた歌人、

藤原定家 が残した

『明月記』と呼ばれる

膨大な日記から、

この不世出の歌人の日常を

読み解いたもの。

( kindle版あり )

「 『新古今和歌集』や『小倉百人一首』

の選者として知られる歌人藤原定家は、

果たしてどのような日常を送っていたのか。

青年期から生涯にわたって綴られた日記

『明月記』を詳細に読み解くことで、

宮廷での公務の心労、

人間関係の軋轢、

家長としての重圧と苦悩、

息子たちへの思いなど、

生身の定家の姿を浮かび上がらせる。  」(内容)

( 追記 )

下は、小説家の堀田善衛さんの

「定家明月記私抄」。

 

「 紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ―

源平争闘し、群盗放火横行し、

天変地異また頻発した、

平安末期から鎌倉初期の大動乱の世に、

妖艶な「夢の浮橋」を架けた藤原定家。

彼の五十六年にわたる、難解にして

厖大な漢文日記『明月記』

をしなやかに読み解き、

美の使徒定家を、

乱世に生きる二流貴族としての

苦渋に満ちた実生活者像と重ねてとらえつつ、

この転換期の時代の

異様な風貌を浮彫りにする名著。

本篇は定家四十八歳まで。  」(内容)

下は、その続篇。

「 凉秋九月月方ニ幽ナリ―

平安文化の最後に大輪の花を咲かせ、

その終焉をも見とどけた藤原定家。

源平争闘の中に青春期を持った彼は、

後半生でもまた

未曾有の乱世に身をおかねばならない。

和歌を通して交渉のあった源実朝の暗殺、

パトロンであり

同時に最大のライヴァルでもあった

後鳥羽院の、承久の乱による隠岐配流。

定家の実像を生き生きと描きつつ、

中世動乱の全容を甦らせる名著。

続篇は定家壮年期から八十歳の死まで。 」(内容)

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