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京都については
観光都市、
歴史(遺産)都市、
大学の街、、、
等々さまざまな性格付けが
可能だが、
私が個人的に
少しは注目されてよいのでは、、、
と考えているのが、
「終活都市(としての京都)」。
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たとえば、
六波羅蜜寺の平清盛像
の前に立てば、
この世の栄華を極めた
権力者の死について
否応なく考えさせられるし、
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随心寺や補陀洛寺に行けば
小野小町という
絶世の美女の、
そして、
誠心院の墓の前にたてば
和泉式部という
恋多き女の、
生と死について
考えさせられる。
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ようするに、
京都という千二百年の都には
あらゆる種類(タイプ)の
人間の死が(すでに)あり、
それについて
考えさせられる機会も
当然ながら多いのだ。
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( 続く )
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( 追記 )
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冒頭に掲げたのは、
小林秀雄賞を受賞した
南直哉さんの
「死ぬ練習」。
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市井の人間を含め
あらゆる種類(タイプ)の
死のドラマが演じられてきた
千二百年の都・京都は、
「死ぬ練習」をするには
最適の場所ではないだろうか ?
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「 永平寺で20年修行し、
現在は恐山の住職代理を務める禅僧が、
誰もが絶対に経験し、
逃れらない「死」を綴る一冊。
「死ぬこととは何か」
「死の恐怖をどう克服するのか」
「苦しまない死に方をするためには
死をどう捉えればいいか」
「死の苦痛を減らすためには
どう感じながら
生きていくのがいいか」
といったことを説いていきます。 」(内容)
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