ミン・ジョンホはネイウォン(内医院)の管理職でありながら、チャングムを主治医にするという王様の方針を支持したため王様の前に呼び出された。でもそれは王様の方針を支持する上申を自分がしたというわけではなく(実際していない)、逆に他の百官から弾劾の上申が王様に多く提出されたためだ。これからミン・ジョンホはたびたび王様に呼び出されて側近みたいになる。弾劾されて王様の目に留まるという奇妙なケースだ。
でも、分からないのは王様がほとんどミン・ジョンホを知らなかったということ。どうやらミン・ジョンホと王様が顔を合わすのは、科挙に合格した時に拝謁したとき以来らしい。あれ!科挙の試験ってものすごい難関だろう。現代日本の国家公務員の上級試験と比較にならない狭き門だと思う。毎年あるか数年に一度あるか知らないが合格者はそんなに多くないはず。役人の多くは中人といわれるノンキャリア、だから科挙合格者はいきなり高官になっているはず。中国に較べたら政府の規模がずっと小さいから科挙の合格者ぐらいは知っていて不思議はないと思うのだが・・・。
ミン・ジョンホが15歳で科挙に首席合格して王様に拝謁した時の王様の回想場面では4人の合格者が並んでいた。すると4人しか合格しないのかな。でもそんな数では、数世代で1人の合格者を出しただけでもいいにしても両班という社会階層を作り出すには無理がある。するとあの王様が拝謁した4人は上位合格者の4番目までで、合格者はもっと多いのかな?まあ毎年20人ぐらいいたら役職によっては王様も知らない高官もいるかもしれない。でもミン・ジョンホは以前は宮廷の護衛官の隊長みたいな職務だったはず、とすると警備任務中の夜の宮中で王様が側室の部屋に行くことに出会うこともあったと思うけど。
でもここまでは僕の憶測。科挙合格者が毎年何十人もいて王様がいちいち知るわけがないというならそのとおりだろう。警備の役人などは宮中で王様をみかけても遠くでかしこまって言葉どころか目を合わすことさえできなかったかもしれないし。
でももっと分からないのはチャングムの地位。皇后の王子をふくむ天然痘の治療の功績により再び王様がチャングムに官職を与え主治医にしようとした。で、そのとき王様が最初に言い出した官位が従九品。日本流で言えば従九位で一番下の官職で宮中に野菜を届けるため八百屋がもらう便宜上の官位みたいなもの。だから今や最高尚官(チェゴサングン)のミン尚官だけでなく平の女官のチャンイまで「わたしたちより官位は低いけど」というわけだ。解説では女官でも従五品までは行けるらしい。
でもおかしいな、チャングムは王様にお願いして短い間だけでもスラッカンの最高尚官になって母の無念をはらしたはず。そうするとそのとき役職に対応する官位を得たはず。日本の例だと、罪を犯して剥奪されないかぎり職を退いても前官待遇で官位は下がらないのだけど。チャングムは医女に戻った時またになったのか?
ところで今回、天然痘の治療法を探す過程をみると、チャングムがポパー哲学の実践者であることがわかった。チャングムは天然痘について「治療法が分からないからいろんな方法を試してみてどれがよいか探していく」といって、その方法を実践して総合的な治療方法を確立した。ポパー哲学では知識の源泉は問題とされない。権威あるものによるものでも民間療法からのものからで、それはすべて反証されるまでの仮説である。源泉によって判断せずに、状況に適応するものならば実践し、誤りなり限界がわかればまたあらたな状況に適応する仮説をためしてみるのである。この場面でチャングムでなくて森鴎外が治療法の研究にあたったら王子は死んでいただろう。日露戦争か日清戦争時の軍医総監の森鴎外は脚気の治療法に米ぬかがいいという意見を民間療法だとして無視したため、日本軍では多くの兵士が脚気でなくなった。
でも、分からないのは王様がほとんどミン・ジョンホを知らなかったということ。どうやらミン・ジョンホと王様が顔を合わすのは、科挙に合格した時に拝謁したとき以来らしい。あれ!科挙の試験ってものすごい難関だろう。現代日本の国家公務員の上級試験と比較にならない狭き門だと思う。毎年あるか数年に一度あるか知らないが合格者はそんなに多くないはず。役人の多くは中人といわれるノンキャリア、だから科挙合格者はいきなり高官になっているはず。中国に較べたら政府の規模がずっと小さいから科挙の合格者ぐらいは知っていて不思議はないと思うのだが・・・。
ミン・ジョンホが15歳で科挙に首席合格して王様に拝謁した時の王様の回想場面では4人の合格者が並んでいた。すると4人しか合格しないのかな。でもそんな数では、数世代で1人の合格者を出しただけでもいいにしても両班という社会階層を作り出すには無理がある。するとあの王様が拝謁した4人は上位合格者の4番目までで、合格者はもっと多いのかな?まあ毎年20人ぐらいいたら役職によっては王様も知らない高官もいるかもしれない。でもミン・ジョンホは以前は宮廷の護衛官の隊長みたいな職務だったはず、とすると警備任務中の夜の宮中で王様が側室の部屋に行くことに出会うこともあったと思うけど。
でもここまでは僕の憶測。科挙合格者が毎年何十人もいて王様がいちいち知るわけがないというならそのとおりだろう。警備の役人などは宮中で王様をみかけても遠くでかしこまって言葉どころか目を合わすことさえできなかったかもしれないし。
でももっと分からないのはチャングムの地位。皇后の王子をふくむ天然痘の治療の功績により再び王様がチャングムに官職を与え主治医にしようとした。で、そのとき王様が最初に言い出した官位が従九品。日本流で言えば従九位で一番下の官職で宮中に野菜を届けるため八百屋がもらう便宜上の官位みたいなもの。だから今や最高尚官(チェゴサングン)のミン尚官だけでなく平の女官のチャンイまで「わたしたちより官位は低いけど」というわけだ。解説では女官でも従五品までは行けるらしい。
でもおかしいな、チャングムは王様にお願いして短い間だけでもスラッカンの最高尚官になって母の無念をはらしたはず。そうするとそのとき役職に対応する官位を得たはず。日本の例だと、罪を犯して剥奪されないかぎり職を退いても前官待遇で官位は下がらないのだけど。チャングムは医女に戻った時またになったのか?
ところで今回、天然痘の治療法を探す過程をみると、チャングムがポパー哲学の実践者であることがわかった。チャングムは天然痘について「治療法が分からないからいろんな方法を試してみてどれがよいか探していく」といって、その方法を実践して総合的な治療方法を確立した。ポパー哲学では知識の源泉は問題とされない。権威あるものによるものでも民間療法からのものからで、それはすべて反証されるまでの仮説である。源泉によって判断せずに、状況に適応するものならば実践し、誤りなり限界がわかればまたあらたな状況に適応する仮説をためしてみるのである。この場面でチャングムでなくて森鴎外が治療法の研究にあたったら王子は死んでいただろう。日露戦争か日清戦争時の軍医総監の森鴎外は脚気の治療法に米ぬかがいいという意見を民間療法だとして無視したため、日本軍では多くの兵士が脚気でなくなった。