セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

藤本ひとみ「ナポレオンに選ばれた男たち」

2005-12-06 23:10:33 | 歴史
藤本ひとみ「ナポレオンに選ばれた男たち」(新潮社)を読んだ。ナポレオンにより元帥に叙せられた26名の中の10人についての各人1章ずつの伝記だ。
ナポレオンやフランス革命についてはあまり知らなかった。その下の軍人についてはこの本にもでてきたネイ元帥の名を知っているぐらいだ。それもナポレオンの影に隠れた脇役としての凡庸な軍人としか記憶にのこっていない。でもこの本を読むと10人の元帥それぞれに個性や才能があってなかなかおもしろかった。動乱期で淘汰されて生き残った元帥だから凡庸ではありえないのは当然か。田中芳樹の「銀河英雄伝説」に出てくるラインハルト皇帝旗下の将軍たちをも連想させる。「銀英」にでてくる将軍の名や階級名はドイツ風だけどね。でもナポレオンの旗下の元帥の数は多すぎないか。「銀英」のラインハルトの元帥はミッターマイヤーとロイエンタールそして軍務尚書のオーベルシュタインの3人だけ。キルヒアイスも早く死ななければ当然元帥だったけど。「銀英」の上級大将を加えてもまだナポレオンの元帥より数は少ない。でもたしかこの上級大将たちもラインハルトの死後、帝国の功臣としてみんな元帥になったはずだ。とにかく人間と軍人の多い中国でも元帥は8人ぐらいだと思うからナポレオンのフランスは軍人階級名の大インフレだ。元帥だけでなく20代での大尉だの大佐だの司令官や准将というのがどの人物にもでてくる。階級の意味づけが訳語の日本での語感と違うのか、それとも革命前は貴族だから超特急の昇進で、革命後は動乱で頭角を現しやすいのかなとも考える。
さて本題に戻って、この本で僕が興味を引く人物は3人。マルモンとベルドナッドとダヴーだ。
マルモンはナポレオンが最初に帝国元帥を任命した18人に入っていなかった。同格の師団長クラスはみな任命されたのにマルモンだけははずれていた。マルモンは師団長だっただけではなくナポレオンが24歳のときからの部下で19歳のマルモンはナポレオンの代政府への上申書を代筆などしていたのである。作者はマルモンが元帥からはずされたのは、貧弱な体形のうえ植民地(コルシカ島)育ちでうまく文章をかけないナポレオンが、貴族出身で容姿も教養も性格も非の打ち所のないマルモンに嫉妬を感じてためとする。でもナポレオンが言うようにようやく30歳のマルモンには早すぎるというのも納得できる。だって一番若い元帥は35歳だから。やや落ち込んだマルモンはアドリア海に面した辺境の地の総督に任命された。そこでマルモンはその地に自分を必要とする人々がいること知り民生に情熱をそそぐ。そこでマルモンは、出世などの他からの評価でなく自分で自分の価値を認めそれでよしとする人間になった。その後マルモンはナポレオンの戦争の手伝いや後始末に欧州各地に派遣され元帥にもなった。同盟軍にパリを包囲された時ナポレオンはパリから20キロ離れたところにいた。マルモンはパリとナポレオンのいるフォンブローとの中間地点に陣取っていた。マルモンは市民の血を流させないためにナポレオンにそむいても自己の責任で戦争を終結させなければならないと苦慮していた。そこへフォンテンブローからネイ元帥らがナポレオンに退位を承諾させたという知らせを持ってやってきた。喜んだマルモンはマルモンらの残存武力を背景にナポレオンの退位の条件について同盟軍と有利に交渉するためパリにむかった。マルモンの留守中の軍の指揮を任された将軍は、遅れて届いた以前のナポレオンからのフォンテンブローへの召集命令を、ナポレオンがマルモンを罰するためのものと誤解して恐慌をきたしパリのロシア軍に保護を求め合流してしまう。このためマルモン軍団が敵に寝返ったといううわさが立ちナポレオンからは終生裏切り者あつかいされた。マルモンは裏切り者あつかいされながらも、他の評価よりも自分の判断で自分の責任で生きる生き方に満足し、1852年3月3日に満足の中で77歳の生涯を閉じた。帝国元帥26人中もっとも後年まで生きたそうだ。ただもっとも長生きではない。もともと若かったから一番遅くになくなったとも言える。
で、なにが言いたいかというと、自分の判断で自分の責任で生きるということさ。それが本来の人間の正しい生き方だから長生きもできたと考えたいね。でもキルヒアイスは早死だったけどね。
ベルドナッドとダヴーは後日。