セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

藤本ひとみ「ナポレオンに選ばれた男たち」その3

2005-12-08 22:55:32 | 歴史
最後はダヴーだ。彼は一貫してナポレオンを裏切らなかった唯一の元帥として有名だが、もう一つの勲章がある。ナポレオンのもっとも得意とし、世界中がそのことでナポレオンを賞賛するその分野で、ダヴーはナポレオンがなしえなかったことを成し遂げたのだ。それは戦争において一度も負けなかったことだ。
一度も負けなかった将軍や武将といえば日本では立花宗茂と上杉謙信を思いだす。するとダヴーも含めてこの3人は驚くほど共通点がある。
一つは正しいと思うことを何の躊躇もなく行うことである。ベルギーで活躍したダヴーの部隊は部下に固く規律を守らせ違反者には厳罰を科した。そのため敵よりも恐ろしいと評判をとり同僚からも敬遠された。しかしダヴーは正しいことをするのは当たり前と気にしなかった。謙信も自分の兵から恐れられた。謙信は他国の小領主たちが武田や北條などから侵略を受けて助けを求められると損得を顧みず出陣した。謙信の自負は、一回も自己の利益のために他国に出兵したことはないことだ。立花宗茂も多くのエピソードがその義に厚く誠実な人柄を物語っている。
二つめは、感じることを重視したことだ。立花宗茂は戦の秘訣を感じることだと言っている。謙信は川中島で敵軍の様子をみて信玄のキツツキ作戦を見抜いて裏を書いた。ダヴーもプロイセン軍との戦いで、敵の陣容から敵の目標を即断して対抗策をたて、2万7千の軍で6万の敵を打ち破りナポレオンさえ驚かせた。
ここまで書いてみると、この3人には王陽明の言うところの良知に従った生き方をしていることがわかる。誰もが本来的に持っている良知にしたがったことをするのである。外からの価値観や打算ではなく、だれもが心の中に持っている良知が外界と反応して感じることを素直に行動するのである。そういえば王陽明も明朝の文官でありながら、反乱軍の討伐に向かい常に勝利していた。
さて、この3人共通していることはもう一つある。本人たちは戦で一度も負けなかったのだが、結局自分の属した集団は最終的には勝利しなかったことだ。でも正しいことを行えたということはそれ自体が他に代えがたい収穫だ。といってもこの3人の最後が悲惨だというわけではない。立花宗茂は旧領柳川の大名に返り咲いたし、ダヴーも元帥位を回復し市長にもなった。積善の家に余慶ありだね。
さてダヴー自身に戻ろう。ダヴーは貴族で軍人の家に生まれて軍人になった。読書により進歩思想を身につけたダヴーは革命時に革命支持派の将校を集めて組織をつくり国王と対立したため投獄されもした。革命の紆余曲折に失望したダヴーは軍務一筋に専念する。だが先鋭化した革命政府は貴族出身者をすべて軍隊から追放したためダヴーも追放された。平等をうたった革命政府が差別するとはとあきれたが、こんな政府は長く持たないと軍事学の勉学にはげんだ。案の定、革命政府は転覆しダヴーは軍隊にもどった。
ダヴーは一貫してナポレオンを裏切らなかったが、それはナポレオンに心酔していたのとは違う。ダヴーは上官のドセイから、フランスを昔の専制君主に戻そうという諸外国の侵略から国を守るには、ダヴーやドセイのような潔癖な正義漢ではだめで、目的のためには卑劣にもなれるナポレオンのような男が必要だと言われたからだ。だから盲目的に従っていたわけではない。だいたいナポレオンが最初にエルバ島に流された時、復活したのは王制なのだから、他の元帥達の様に国王に尻尾を振るのはダヴーにはできないことだ。
それにナポレオンは皇帝となったが、自分の発布した民主憲法には従う姿勢をとっていたので、ドセイの言葉にも真実はあったことになる。

藤本ひとみ「ナポレオンに選ばれた男たち」その2

2005-12-08 00:04:11 | 文化
さて次はベルドナッド。この人のおもしろいのはフランスの元帥からスウェーデン国王になり、そしてその子孫が現在のスウェーデン国王まで続いていることだ。
ベルドナッドはナポレオンの対抗馬として政府首脳から選ばれた男だ。戦争で勝ち続けるナポレオンへの市民の人気が高まっていた。それだけでなくナポレオン自身が国家への野心をあらわにして来た。それに脅威を感じた政府首脳はやはり戦功があり若くして急速な昇進をしたベルドナッドをナポレオンのいるイタリア方面軍に送り込み手柄を立てさせてナポレオンをけん制しようとした。そしてベルドナッドが選ばれた理由は戦功の他にスタイルがよく優れた容姿を持っていたからだ。容姿という点ではナポレオンはこの本でたびたび書かれているように、貧弱な体形の見栄えのしない男だ。これならナポレオンに勝てると政府の人間もベルドナッド自身も思っただろう。でもそれは逆かもしれないぞ。だいたい歴史的に見て大業をなした英雄というのは、さえない容姿の男か奇怪な相をしているかあるいはその両方というのが多い。三国志の曹操も小柄なさえない容姿で、他国の使者は曹操とその部下をみて部下の方を曹操と思ったと記録にある。劉備は耳たぶが大きいのはいいとして、手が膝まで届くほど長かったと書いてある。明王朝の初代皇帝もあばた面の醜い容姿だったそうだ。豊臣秀吉は猿とかハゲねずみといわれた他に、一説では指が6本あったそうだ。美男子で大業をなしたのはラインハルト皇帝のみかもしれない。もっともこれは何千年も未来の話だが。英雄に美男がいないのはどちらも数が少ないので、両方とものカテゴリーに属するものが確率的に少なくなるという数学的な理由の他に、容姿がいいことはかえって英雄になりにくい要素があるかもしれない。容姿がよくちやほやされる環境で育ったために、自分がいい目をみるのは当然という考えを持っているため、チャンスにおいて危険をかってまで前に出るという積極性がでないのかもしれない。
ベルドナッドもそんな男だった。ナポレオンとあってナポレオンに取り込まれてしまった。それでもいつかはナポレオンより上に出ようという気はいつも持っていた。それを感じたナポレオンは自分の留守に寝首をかかれないため長兄の妻の妹をベルドナッドに妻として押し付け一族に取り込んでしまう。クーデターに誘われ政権に食い込むチャンスがベルドナッドに回ってきても決心がつかず、それをナポレオンに譲ってしまった。その後は何をやってもうまく行かず、ナポレオンからはベルドナッドを買いかぶりすぎていたと馬鹿にされるしまつだ。でも容姿がよくちやほやされて育ったことにも利点はあるもので、寛容な性質、いや寛容に見られたいという性質は身についていた。そのため常に捕虜の扱いには寛容にふるまった。それが後々役に立ち、ある意味ではナポレオンに打ち勝ったことになる。スウェーデン国王に子供がなく、スウェーデンの議会では当時ヨーロッパに君臨していたナポレオンの一族から国王の後継者を迎えようと考えて、ベルドナッドに白羽の矢をあてた。じつは過日ベルドナッドがスウェーデンの捕虜を寛容に扱ったのでスウェーデンではベルドナッドはすこぶる評判がよかったのだ。ナポレオンは自分の前妻の子をスウェーデン国王の養子にしたかったのだが、その男はスウェーデンの国教の新教に改宗することを嫌がったため、結局ベルドナッドを認めるしかなかった。
スウェーデン国王の養子となったベルドナッドは、議会の要求で反仏同盟に加わり、ナポレオンを打ち破った。スウェーデン国王に即位してからは幾多の改革を行い優れた国王といわれ、81歳まで生きたとさ。めでたし、めでたし。
まあ容姿よかったため英雄はナポレオンに譲ったが、名君にはなれたわけだ。