最後はダヴーだ。彼は一貫してナポレオンを裏切らなかった唯一の元帥として有名だが、もう一つの勲章がある。ナポレオンのもっとも得意とし、世界中がそのことでナポレオンを賞賛するその分野で、ダヴーはナポレオンがなしえなかったことを成し遂げたのだ。それは戦争において一度も負けなかったことだ。
一度も負けなかった将軍や武将といえば日本では立花宗茂と上杉謙信を思いだす。するとダヴーも含めてこの3人は驚くほど共通点がある。
一つは正しいと思うことを何の躊躇もなく行うことである。ベルギーで活躍したダヴーの部隊は部下に固く規律を守らせ違反者には厳罰を科した。そのため敵よりも恐ろしいと評判をとり同僚からも敬遠された。しかしダヴーは正しいことをするのは当たり前と気にしなかった。謙信も自分の兵から恐れられた。謙信は他国の小領主たちが武田や北條などから侵略を受けて助けを求められると損得を顧みず出陣した。謙信の自負は、一回も自己の利益のために他国に出兵したことはないことだ。立花宗茂も多くのエピソードがその義に厚く誠実な人柄を物語っている。
二つめは、感じることを重視したことだ。立花宗茂は戦の秘訣を感じることだと言っている。謙信は川中島で敵軍の様子をみて信玄のキツツキ作戦を見抜いて裏を書いた。ダヴーもプロイセン軍との戦いで、敵の陣容から敵の目標を即断して対抗策をたて、2万7千の軍で6万の敵を打ち破りナポレオンさえ驚かせた。
ここまで書いてみると、この3人には王陽明の言うところの良知に従った生き方をしていることがわかる。誰もが本来的に持っている良知にしたがったことをするのである。外からの価値観や打算ではなく、だれもが心の中に持っている良知が外界と反応して感じることを素直に行動するのである。そういえば王陽明も明朝の文官でありながら、反乱軍の討伐に向かい常に勝利していた。
さて、この3人共通していることはもう一つある。本人たちは戦で一度も負けなかったのだが、結局自分の属した集団は最終的には勝利しなかったことだ。でも正しいことを行えたということはそれ自体が他に代えがたい収穫だ。といってもこの3人の最後が悲惨だというわけではない。立花宗茂は旧領柳川の大名に返り咲いたし、ダヴーも元帥位を回復し市長にもなった。積善の家に余慶ありだね。
さてダヴー自身に戻ろう。ダヴーは貴族で軍人の家に生まれて軍人になった。読書により進歩思想を身につけたダヴーは革命時に革命支持派の将校を集めて組織をつくり国王と対立したため投獄されもした。革命の紆余曲折に失望したダヴーは軍務一筋に専念する。だが先鋭化した革命政府は貴族出身者をすべて軍隊から追放したためダヴーも追放された。平等をうたった革命政府が差別するとはとあきれたが、こんな政府は長く持たないと軍事学の勉学にはげんだ。案の定、革命政府は転覆しダヴーは軍隊にもどった。
ダヴーは一貫してナポレオンを裏切らなかったが、それはナポレオンに心酔していたのとは違う。ダヴーは上官のドセイから、フランスを昔の専制君主に戻そうという諸外国の侵略から国を守るには、ダヴーやドセイのような潔癖な正義漢ではだめで、目的のためには卑劣にもなれるナポレオンのような男が必要だと言われたからだ。だから盲目的に従っていたわけではない。だいたいナポレオンが最初にエルバ島に流された時、復活したのは王制なのだから、他の元帥達の様に国王に尻尾を振るのはダヴーにはできないことだ。
それにナポレオンは皇帝となったが、自分の発布した民主憲法には従う姿勢をとっていたので、ドセイの言葉にも真実はあったことになる。
一度も負けなかった将軍や武将といえば日本では立花宗茂と上杉謙信を思いだす。するとダヴーも含めてこの3人は驚くほど共通点がある。
一つは正しいと思うことを何の躊躇もなく行うことである。ベルギーで活躍したダヴーの部隊は部下に固く規律を守らせ違反者には厳罰を科した。そのため敵よりも恐ろしいと評判をとり同僚からも敬遠された。しかしダヴーは正しいことをするのは当たり前と気にしなかった。謙信も自分の兵から恐れられた。謙信は他国の小領主たちが武田や北條などから侵略を受けて助けを求められると損得を顧みず出陣した。謙信の自負は、一回も自己の利益のために他国に出兵したことはないことだ。立花宗茂も多くのエピソードがその義に厚く誠実な人柄を物語っている。
二つめは、感じることを重視したことだ。立花宗茂は戦の秘訣を感じることだと言っている。謙信は川中島で敵軍の様子をみて信玄のキツツキ作戦を見抜いて裏を書いた。ダヴーもプロイセン軍との戦いで、敵の陣容から敵の目標を即断して対抗策をたて、2万7千の軍で6万の敵を打ち破りナポレオンさえ驚かせた。
ここまで書いてみると、この3人には王陽明の言うところの良知に従った生き方をしていることがわかる。誰もが本来的に持っている良知にしたがったことをするのである。外からの価値観や打算ではなく、だれもが心の中に持っている良知が外界と反応して感じることを素直に行動するのである。そういえば王陽明も明朝の文官でありながら、反乱軍の討伐に向かい常に勝利していた。
さて、この3人共通していることはもう一つある。本人たちは戦で一度も負けなかったのだが、結局自分の属した集団は最終的には勝利しなかったことだ。でも正しいことを行えたということはそれ自体が他に代えがたい収穫だ。といってもこの3人の最後が悲惨だというわけではない。立花宗茂は旧領柳川の大名に返り咲いたし、ダヴーも元帥位を回復し市長にもなった。積善の家に余慶ありだね。
さてダヴー自身に戻ろう。ダヴーは貴族で軍人の家に生まれて軍人になった。読書により進歩思想を身につけたダヴーは革命時に革命支持派の将校を集めて組織をつくり国王と対立したため投獄されもした。革命の紆余曲折に失望したダヴーは軍務一筋に専念する。だが先鋭化した革命政府は貴族出身者をすべて軍隊から追放したためダヴーも追放された。平等をうたった革命政府が差別するとはとあきれたが、こんな政府は長く持たないと軍事学の勉学にはげんだ。案の定、革命政府は転覆しダヴーは軍隊にもどった。
ダヴーは一貫してナポレオンを裏切らなかったが、それはナポレオンに心酔していたのとは違う。ダヴーは上官のドセイから、フランスを昔の専制君主に戻そうという諸外国の侵略から国を守るには、ダヴーやドセイのような潔癖な正義漢ではだめで、目的のためには卑劣にもなれるナポレオンのような男が必要だと言われたからだ。だから盲目的に従っていたわけではない。だいたいナポレオンが最初にエルバ島に流された時、復活したのは王制なのだから、他の元帥達の様に国王に尻尾を振るのはダヴーにはできないことだ。
それにナポレオンは皇帝となったが、自分の発布した民主憲法には従う姿勢をとっていたので、ドセイの言葉にも真実はあったことになる。