色川大吉「カチューシャの青春」(小学館)を読んだ。当時の社会状況を生々しく描いた日本近代史の学者の自伝的小説。主人公(色川氏)以外は実名ででてくる現代史のドキュメンタリーでもある。サブタイトルは「昭和自分史【1950-55年】」。1925年生まれの著者にとっては25歳から30歳までの期間だ。著者(主人公)はこの時代を背景として生きていたというより、その時代に参加していたという感じがする。なお、表紙に小さく「both sides now 1950‐1955」と書いてあった。「both sides now」というのは「青春の光と影」という曲の原題なのだけど、表紙以外には本の扉にもあとがきにも出てこない。これは著者が入れた言葉なのか?それとも表紙の作成者なり編集者が付け加えたのかな?
この本は、主人公が東京に舞い戻ってきて、失業状態で貧困に苦しんでいるところから始まる。「舞い戻った」という意味は、彼は東京大学文学部史学科を卒業していたからだ。なぜ東大卒業生なのに職が無くて貧乏なのかというと、僕はこの本の前編の「廃墟に立つ」を読んでいないからよくわからないが、本人は日本共産党に入党していて、その関係で山村で教師として活動していたらしいが、GHQの団体等規制令により公職追放になったみたいだ。
この本の最初の数ページはちょっととまどった。初めは主語らしきものはなく、「自分」という言葉がそれらしかったが、ページをめくると「谷」という人物がでてきた。そのあと当時の日記らしいものの抜粋では「おれ」というのが主語ででてくる。結局この谷一郎という人物が著者の色川氏自身なのであり、日記部分の「おれ」と同一人物なのである。あとがきにその理由が書いてあった。他者との関係の中で自分を客観的に見つめる工夫として「わたし」という一人称を避けたとのことである。谷一郎は後半では三木順一という名に替る。これは著者が演劇に関係していた時に実際につかったペンネームである。
さて谷は民主商工会に就職した。これは共産党系の中小商工業者の団体。本人の経歴からすれば文化団体か教育機関が希望なのだが見つからず、貧困のためやむなく民商へ就職したということみたいだ。でもここでは給料の遅配欠配が常態化しており、貧困は一向に改善しなかった。とうとうやめようかと思っていたときに、零細業者の確定申告額に対する厳しい仮更正決定通知書が税務署からいっせいに送りつけられてきた。そのため民商は急に活性化し、主人公は税制を勉強し会員の家を回り帳簿の整理をし、税務署に反論書を出すのを手伝うなどして、たちまち税金のエキスパートとなった。さすが東大卒というべきか、色川氏だからというべきか。
この本を読んだ僕の感想では、当時かなり厳しい税の査定が行われていたみたいだ。自殺する零細業者もあったからね。厳しいといっても厳密という意味ではなく、業者の負担限度を無視した過大な課税という意味だ。推測するにシャープ勧告に基づく新税制に税務署職員が不慣れなことと、歳入不足の政府による強い圧力があったのかな。
この本のおもしろいところは、今も活躍している著名人もいっぱい実名ででてくること。それは次回に書くとしよう。
この本は、主人公が東京に舞い戻ってきて、失業状態で貧困に苦しんでいるところから始まる。「舞い戻った」という意味は、彼は東京大学文学部史学科を卒業していたからだ。なぜ東大卒業生なのに職が無くて貧乏なのかというと、僕はこの本の前編の「廃墟に立つ」を読んでいないからよくわからないが、本人は日本共産党に入党していて、その関係で山村で教師として活動していたらしいが、GHQの団体等規制令により公職追放になったみたいだ。
この本の最初の数ページはちょっととまどった。初めは主語らしきものはなく、「自分」という言葉がそれらしかったが、ページをめくると「谷」という人物がでてきた。そのあと当時の日記らしいものの抜粋では「おれ」というのが主語ででてくる。結局この谷一郎という人物が著者の色川氏自身なのであり、日記部分の「おれ」と同一人物なのである。あとがきにその理由が書いてあった。他者との関係の中で自分を客観的に見つめる工夫として「わたし」という一人称を避けたとのことである。谷一郎は後半では三木順一という名に替る。これは著者が演劇に関係していた時に実際につかったペンネームである。
さて谷は民主商工会に就職した。これは共産党系の中小商工業者の団体。本人の経歴からすれば文化団体か教育機関が希望なのだが見つからず、貧困のためやむなく民商へ就職したということみたいだ。でもここでは給料の遅配欠配が常態化しており、貧困は一向に改善しなかった。とうとうやめようかと思っていたときに、零細業者の確定申告額に対する厳しい仮更正決定通知書が税務署からいっせいに送りつけられてきた。そのため民商は急に活性化し、主人公は税制を勉強し会員の家を回り帳簿の整理をし、税務署に反論書を出すのを手伝うなどして、たちまち税金のエキスパートとなった。さすが東大卒というべきか、色川氏だからというべきか。
この本を読んだ僕の感想では、当時かなり厳しい税の査定が行われていたみたいだ。自殺する零細業者もあったからね。厳しいといっても厳密という意味ではなく、業者の負担限度を無視した過大な課税という意味だ。推測するにシャープ勧告に基づく新税制に税務署職員が不慣れなことと、歳入不足の政府による強い圧力があったのかな。
この本のおもしろいところは、今も活躍している著名人もいっぱい実名ででてくること。それは次回に書くとしよう。