セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

映画鑑賞ノート『十三人の刺客』

2010-10-02 17:00:59 | 歴史
「あり得ない、けどあり得る」とかいう口上の芸人がいたな。江戸時代の知識があることであり得なくみえるが、実はよく考えるとあり得て、逆にあり得そうなのが、あり得ないことがある。この映画はそんな映画。

幕府の老中が、幕臣である旗本の目付に極秘(私的)に命じて、将軍の弟である譜代大名(稲垣吾郎)の暗殺を謀るのである。これはあり得なさそうだが、僕はあり得ると思う。その理由は後で。で、逆にあり得ないのは、襲撃方法だ。

13人で200人の大名行列を襲う。勿論それ自体は誰の目にも不可能に近い。そこでドラマは、罠を仕掛けた宿場町に大名行列を誘い込む。ふむふむ、何らかの仕掛けがなきゃあね、とここまでは納得。ところがその後がいけない。だって大名の一行を皆殺しにするというのだもの。皆殺しが無理というのではない。むしろ、火とか水とかがけ崩れとかを使うならば皆殺しの方が成功する可能性があることも多い。この映画では宿場町の家屋を利用して行列を閉じ込めて、弓矢で数を減らして切り込む作戦。

皆殺しがあり得ないというのは、この映画のテーマは残虐な大名を倒すために、正義の剣士が立ち上がるというものだからだ。しかし明石藩の200名の藩士を皆殺しにしたのでは、この映画で一番の残酷な人間は大名(稲垣吾郎)ではなく目付(役所広司)ということになる。だいたいこの200人の明石藩士のほとんどは、大名の暴虐の賛同者でも協力者でもなく、ただの宮仕え。大量の遺族と父なし子が出るぞ。だから主人公が正義の人という前提ならばこんな映画のストーリーにならない。もちろん旧陸軍の司令官達のように自己の出世や面目のために下級兵士の命をもてあそぶ者が世にはばかることも事実。でもこの映画の前提では老中(平幹二朗)も主人公(役所広司)も大名(稲垣吾郎)の残虐さが許せなかったはずだ。この映画に「『義』のために生きることに共感」という感想を述べる人もいるが、図式的な大儀名分に陥っているのではないか。

ではどのような襲撃方法が考えられるか。まず鉄砲で狙うことである。赤穂事件や桜田門外事件では鉄砲は出てこないが、それは江戸府内だから。俗に「入り鉄砲に出女」と言うとおり江戸府内には鉄砲の持ち込みは禁止である。しかし江戸を出れば別。猟師だって鉄砲を持っている。獣害に悩む農民が代官所から鉄砲を借りて猪を退治するという例もある。鉄砲で大名行列を狙う例は、密告で失敗したが盛岡藩士が弘前藩主を狙う相馬事件がある。だから街道脇から鉄砲数丁で同時に打ち込むのがよい。道は狭いから、大名の籠または馬は常に側面をさらけ出していることになる。1丁では外れることもあるので数丁を同時に発射する。
鉄砲が入手できない等の場合は、大名行列を寸断して、大名と家臣たちを離れさせ。家臣が来ないうちにひたすら大名ののみを狙うのである。映画の宿場町に罠を仕掛けるというのはこの意味でいいアイデアだが、大名行列全部を閉じ込めて皆殺しはいけない。映画でも13人のうち2人しか生き残らなかった。

ところでこの刺客たち、鎖帷子をしていないのは準備不足だね。本当なら赤穂事件の教訓から鎖帷子をしていていいはず。

さて最初にもどり、一般に老中が大名の襲撃暗殺を考えるのが、あり得なくてでもあり得ていいのかを言おう。ふつう大名を排除しようとするとき、何らかの言いがかりをつけて大名家をとり潰すことがある。でも江戸中期以降は、よほどのことがない限り取り潰しはしない。浪人が増えると困るからだ。でもこの大名(稲垣吾郎)は残虐に人を殺傷しているから取り潰しの理由にはなるが、前将軍の子で現将軍の弟なので現将軍がバックアップしているのでそれは無理だ。改易にはできないが問題のある者が藩主についている場合は、その藩の重臣が協議して老中の暗黙の了承のもと、藩主を監禁して幕府に病気届けをしたのち隠居届をだして藩主を替えることがある。これを「押し込め」と言うが、このドラマの設定ではそれも無理だ。老中と藩の重臣が示し合わせても、将軍が弟に見舞いの使者を送ればばれてしまう。それに明石藩では外からの養子の藩主なので藩主自身にはあまり忠誠はないと思われるが、旗本から付き添いできた重臣が藩主への絶対忠義の者なので「押し込め」に必要な重臣全員の合意ができない。

改易もだめ、押し込めもだめならば、忍者での暗殺とくに毒殺という手があるのではないかと思うだろう。協力者がいない限り食事に毒を盛るのは不可能だから、藩主が外出のおりに隙を見て毒を盛る方法が考えられる。よく大名が外出から帰ってから体調が悪くなり死んでしまうケースが多い。毒殺ってそんなに簡単にできるのと思われるかもしれないが、大名に毒味役が普通に付くように、広く行われていた可能性がある。ただ藩主の毒殺が成功したら、家臣も糾弾できなくなる。新藩主が毒殺に関わっていたらお家は取り潰しだから。だから歴史に残るのは保科正之の正室が側室の娘を毒殺しようとして自分の娘を誤って毒殺した例ぐらいだ。

しかしこのころ忍術の技量を保持しているのはお庭番ぐらい。しかしお庭番は将軍直属で将軍の命令しか聞かない。老中が動かせる伊賀組も甲賀組も門番以上の技量はない。

なおこの大名(稲垣吾郎)が、ほっとくと来年には老中となるという。まあこれもあり得るとしよう。ふつう譜代大名が老中となるには、いくつかの役職を経た後なので、大阪城代でも京都所司代でもない者がいきなり老中とは思うかもしれない。だがこの大名(稲垣吾郎)は前将軍の子で現将軍の弟だ。徳川吉宗の孫の松平定信もいきなり老中になったみたいだ。古くは保科正之もふくめて将軍家の近親者はいきなり老中になることが可能みたいだ。