セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

映画鑑賞:『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』

2012-03-28 20:31:20 | 文化

昨日(27日火曜)名古屋駅前の映画館(ミッドランドスクエア)に行って映画『マーガレット・サッチャー  鉄の女の涙』を見た。正確には『マーガレット・サッチャー 』と『戦火の馬』を見たのだが。もちろん二本立てではない。交通費が惜しいから同じ映画館で続けて見たのだ。ちなみに株主優待券なので入場料はいらない。

そこで『マーガレット・サッチャー 』について書くのだが、これは僕がこの映画に感動したからとかサッチャー元首相を尊敬しているというからではない。あ、やはり感動したからかな。

この映画で感動したとしたらそれは、映画の中でサッチャーが話す父親か祖父の言葉だ。「考えることが行動に現れ、行動が習慣を作り、習慣が性格をつくる。そして性格が運命をつくる。」僕の聞き覚えだから正確ではないが、おおよそこの内容。元の英語ではどうなのか知りたいものだ。

この「考えること」を「志しを立てる」と考えると、最後は性格とか運命とかにつながる。なんか偉そうなことを言っているようだが、僕が腑に落ちたのはもっと卑近なことによる。半年ほど前自分のメタボを自覚した僕は、炭水化物の制限などの食事の工夫の他にiPhoneのアプリを利用した筋肉トレーニングを始めたのだ。一日10分程度のものだが、やはり億劫になりがちであったが、ここまでくると習慣になって毎日やらざるをえなくなった。以前より体重は7キロぐらい減っていて、風呂場での鏡を見ると心持ち腕が太く腹筋が現れ始めたように見える。一応、志しを立てる行動して習慣になった感じだ。

これは僕の人生では異様なことだ。なぜなら注意欠陥多動性障害(自己診断による)の僕は、自然体であることを何よりも生活の基本としてきたからだ。要する受験勉強とかエキササイズ・トレーニングなど直接の目的でないことは出来なかったからの負け惜しみだけど。

ではなぜ今になって筋トレなんかするのかと言うと、無職の年金生活者として明日かも40年後かもしれない終点の見えない生活になると、無意味につづく日々ではなくて毎日毎日が昨日より前進している実感が欲しくなるわけだ。

話は戻ると「考えることが行動に現れ」と言うところが陽明学の知行合一を思わせるのがいいのだが、サッチャーとその父親か祖父の意図するところは別かもしれない。あの言葉の出てくる前に、サッチャーは「今の人は感じたということばかり言う。でも肝心なのは考えることだ」といった続きであの父親か祖父の言葉を言ったのだ。

でも僕が思うに「考える」ことより「感じる」ことの方が正しいと思う。ブルース・リーも『燃えよドラゴン』のなかで「考えるな、感じるのだ」と言うし、雀鬼こと桜井章一氏もそんな事を言っている。多くの人が「考える」と言っていることは、外から与えられた空虚な規範や価値観を現実となんとか折り合わせようとするだけなのではないのか。これに反して「感じる」とは、それが語り得ぬものでも人間各自がもつスーパーコンピュータが無限のデータから導き出した答えだ。そのコンピュータはより高次元な物とリンクしているかもしれない。