彷徨う普代村民

普代村の一村民、
彷徨う村からの貧民の呻き声

おもしろくないレアーな話

2020年01月14日 | Weblog

 ほとんどの人は、議会で何が起きているのかわかりません。

関心がないといった方がいいのでしょうか。

関心ないのは、詳しい赤裸々な情報がないという事もあります。

それが当選一回目の議会から、恐る恐る報告紙を配り、恐る恐るブログを書いたきっかけです。

当選してから「一般質問」をほとんど欠かさずにやっているのは報告するネタのためです。

質問もしないで何を報告するんだという思いでした。

事実をなるべくリアルに報告することにしています。

そうしないと興味を持ってもらえないだろうと思ったからです。

しかし、報告紙もblogも思ったより反響が・・・ありません。現在進行形です。

お褒め頂くこともありましたが、批判的に言われることもあります。(しょうがないですが。)

 「議会」や「議員」の認識として大きな隔たりが、住民と議員の間に間違いなくあります。

それは仕方のないことだと、最近は思えます。

初当選したころは、理解してもらおうと一生懸命弁明したこともありますが、

そんな無駄な労力より、議員としてどうやったかしかないのです。評価はどうあれ。

それが、私の一般質問ということと、広報活動するということです。

立派な理念もクソありません。生の議会を感じてもらうための土台です。

無駄だとはっきり感じたらやめます。うっすらとは感じていますが。


  龍谷大学政策学部教授 土山希美枝という先生が 地方議員の一般質問について書いています。

時々、議員専用の月刊誌に寄稿する先生で、地方議会とか地方議員のことも「よく知ってるもんだな」と思うくらい詳しいなと感心します。中には知ったようなふりをして、的のずれたことを書いている先生もいます。

関係ない人には、たぶん読んでもわけわからんかも知れませんが、次からです。


<抜粋です。青字は自分の声です(笑)>龍谷大学政策学部教授 土山希美枝

〇議会の一員か、ひとりの政治家か
 議員として当選すれば、議会の一員としての役目が待っている。

だがそこで、自らの政策課題に議員として関わることが保証されているわけではない。

希望する常任委員会に入れないことは珍しくないし、自らの課題関心が議案になって上がってくるとも限らない。

要するに、議会議員には、議会の一員としての顔と、ひとりの政治家としての顔の両方を持つという二重性があって、それがいつも一致しているとは限らないのである。(なるほど、言い得て妙です。)

 議会では議会の一員としての義務を果たしていれば、政治家としての活動を必ずしもしていなくとも、ペナルティが与えられることはない。

(まさに個人の自由で、座っているだけでも通ります。質問などはやればやるほど逆にそれがペナルティーのような結果にもなったりします。何もやらなくても選挙には確実に影響しません。当選すれば「努力」とは無縁の世界です。)

そもそも議会議員に立候補するのだから、自身の政治信条や政策課題があるはずである。それでは、それはどこで発現しうるのか(よく「何をやりたくて立候補するんだ」と言うのを聞いたりしますが、一期目はそんなのは何もありませんでした。しかも、自らすすんで出たわけでもありませんので、レベルん低い立候補者です。)

そこで、一般質問である

(無力ですが「当選したからにはやれることはやる」のみです。一般質問はそのひとつです。ただじゃないですのでやれることだけでもやらないと申し訳ないです。当たり前すぎですが。)(政治信条とか、政策課題はやっているうちに見えてくるものなのではないかと思います。目的があって大学行くやつと、とりあえず行くやつの違いでしょうか。)

〇一般質問は何のためにあるか

  一般質問の機能 「ひとりでもできる(市町)村政改革」

監査機能、政策提案機能は議会の持つ機能の根幹でもあって、

その意味では、一般質問は、議会の一員としての議員が監査機能、政策提案機能を果たすことができ、

・・(略)・・議会議員である政治家としてその活動の集約となる場なのである

ただし、現実には、その機能は十分に果たされていない。
むしろ、「残念な質問」や「もったいない質問」が多く、そのため「質問力」の向上について関心も高い。

(自分の質問力については、残念と思っています。しかし、やるということも大事だとも思います。)(やればいいっつうもんではないと言われたこともあります。だからと言って、やらなくてもいいっつうもんでもないでしょう。)

だが、議員の一般質問の質が向上するということと、その質問が監査機能、また特に政策提案機能を果たすこととは、残念ながら必ずしも直結しない

毎定例会で一般質問を行う議員も少なくない。

そうした議員にとって、一般質問は「まちをよくする」ことを目指す議員活動の労力と知見の集約であると感じられる。

(そう感じてもらえばうれしい限りです。常に恐怖を感じながら向かっています。議場で言葉に詰まり、再質問が出来ず、的の外れた質問をして恥をかく恐怖です。)

だが、残念ながら、そうした議員活動の集約として質の高い一般質問が行われても、それが行政に受け入れられなければ、何かを変えることに直結しないのである。(そう。しない、のである。)


以上です。

まだありますが、深くなっていくので関係ない人には退屈です。

個人的には共感できる、興味深い内容でした。

 一般質問の質については、これまで50回近くやって、常に後悔と反省の繰返しですので質問力は「低」です。

毎回「今度こそ」と悔しい思いでいます。これは自分の能力です。

下手な鉄砲もカズ打てば当たっているのもあったかも知れません。

ですが、最後の方にもありますが、一人の一般質問や活動は、行政を動かすには限界があります。

 

『よい一般質問であっても生かされないことがあり得るのは、何より、「ひとりでする質問」だからである。「ひとりでもできる政改革」になりうる反面、その指摘は「議員のひとりが言っていること」にすぎないともされうるのである。

 確かに、合議体として議論による意思決定を行うことが議会の本来機能であって、一般質問は首長と行政機関との議論にはなり得ても、その本来機能(議会内の議論)に直結はしていない。』とも言っています。その通りです。

合議体(複数の構成員の合議によって、その意思を決定する組織体)が本来の機能といいます。

「議会」が本来の機能をするコトの重要性が、ないがしろになっているような気がします。

 

 


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