彷徨う普代村民

普代村の一村民、
彷徨う村からの貧民の呻き声

気になること

2019年01月09日 | Weblog

 でございます。


 今年は選挙年でもあります。

「高齢者が増えて医療費がかかる。このままでは財政が破綻する。」と、こんな地方の人でも心配します。

「あの施設は村からどれぐらいの支出で建てるのか?」など心配されている方がいます。

「議員も久慈市は24人から、今度20人の選挙になる。人口から言えば普代は多すぎる。」とも言います。

議員の人数も、税金の使い方も、すべては財政破綻の不安から来ています。

マスコミなどもそうですが、こうまで言われると高齢者が病気して病院にかかることや、議員であることが「罪悪」になります。

道路整備や施設等への投資が無駄の垂れ流しをしているように感じられ、それを止めない議員は怠けていると思われる状況になります。


 まずは、普代村の財政状況の不安払拭が必要です。

むずかしい数字は抜きにして、直近29年度の状況ですが、決算ごとに財政の判断基準となる比率があります。

赤字比率、借金の比率、将来の負担額比率などそれぞれ基準が設けられ、一定の比率を超えればペナルティーが科せられます。

普代村はここ数年その比率はクリアされ、年々改善されています。それを考えた財政の範囲で運営されているという事です。ですから今の所心配ありません。

破綻もしません。その可能性すらありません。

極端なはなし、道路整備や村営住宅、施設整備、福祉手当などのサービスをもっと控えれば村財政は潤い基金が増えゆったりと運営できるでしょう。村民はその方が「安心だ」というのでしょうか。

震災前より基金は2倍に増えていると、12月の議会で村長が言っています。

 


無駄だとして税金の投入を控えれば、民間経済にその影響は少なからず出てきます。

今、三沿道の工事をしていますが、その経済効果を享受している人は多いはずです。それが税金を使うという事だと思います。

 

国は今、中央銀行が国債を買い取ることを続けているため、政府の実質的な負債は減少しているといいます。

簡単に言えば、子会社である日銀が政府の借金を回収しているわけで、改善に向かっているという事だろうと思います。

それで民間銀行にはカネがダブついていても、緊縮だ、無駄だといった状況で中小企業は投資先がなく借りるところがない。地方の中小企業や商店、従業員には循環の恩恵がないわけです。

財政破綻不安の呪縛におののく国民は、自分で自分の首を絞めているところがあります。

福祉である生活保護費もそれを使って生活し経済効果になります。

乱暴な言い方をすれば、無駄な建設であろうと何だろうと、循環として経済効果をもたらします。

破綻を心配するのであれば、いっさい税金投入をしなければいいのかと言えば違います。国民が困ります。

あまりにも一般の人が、「財政破綻する。無駄だ。もっと節約しろ。」と国の財政を心配しすぎで、本当に心配かと言えば、無駄や破綻は議員のせいだという批判につなげているところもあります。

破綻を心配して節約をするという発想は、家計簿的発想では効果的ですが、国や自治体がそれをやれば地域の崩壊になります。

「政府がおカネを借り、民間に支出し、企業や家計の現預金が増える」という方程式ががあります。 

政府の借りた金は、自治体に交付金としてまわり、自治体は民間事業者に仕事を発注します。

国や自治体が節約したら、その時点で存在意義がなくなります。

 


夕張市が財政破綻して財政再建という事になりました。

しかし、です。

あれは国の資金で簡単に救えたことだったのではないかと、最近すごく不思議でなりません。

東日本大震災の規模からみれば鼻くそ程度の補助金だったはずです。

ただ、ルールとしてあるものを守らなけらば「規律」がなくなります。

理由はただそれだけだったのではないか。それはそれでいいとして、

あれだけ貧困化して、人口が減り人生の変わった人も多かったのではないか。

それでも国は放っておきます。一部の地方の人間が困っても、国とはそんなものでしょうか。

 


新聞記事を見ていれば、財政破綻不安を煽っているようにしか思えません。

そして、増税もやむなし、我慢もやむなし、高齢者医療費が上がってもやむなしと納得させている。

その政策は財界大手の利益となって、国民の益には少しもならず、貧困者はさらに貧困化していく。。。

この間サンデーモーニングで、「今の政治家は世襲が多く、貴族議員ばかりで財界主義の政治をやっている」というようなことを言っていました。まったくその通りです。







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