朝日杯2歳FSとラジオNIKKEI2歳Sの過去10年間の勝ち馬がクラッシックでどういう成績だったか比較してみた。
※ ()内は、皐月-優駿-菊の着順である。×は不出走
朝日杯2歳FS ラジオNIKKEI2歳S
08年 セイウンワンダー(3-13-3) ロジユニヴァース(14-1-×)
07年 ゴスクホー . . . 本文を読む
傾向をみてみると、朝日杯の勝ち馬たちはクラッシックに直結しなくなってきている。むしろマイラー路線の馬たちが出るレースになって、クラッシックへ進む馬たちは、有馬記念前日のラジオNIKKEI2歳Sに向かっているようだ。わたしもそのレースは愉しみにしていて成績もいい。いつだったか、職場の部下の結婚披露宴がレースの時間帯とぶつかってしまった時も、さりげなく席を抜けて電話投票に立ったことがある。ここで増やし . . . 本文を読む
「在ることの無底性や、刹那生滅性が理解できたからといって、いったいそれがなんだろう。在ることのはかなさ、むなしさ、よりどころのなさを、ことさらあぶりだしただけではないか。まさにニヒリズムの存在論。そうおっしゃるかもしれぬ。
だが、結論からいうと、まったく逆だ。存在のそうした否定的性格は、論理的にみると、すでに、存在のとんでもない肯定性を、論証してしまっているからである。」
「存在の無根拠とは、森 . . . 本文を読む
「存在者」が存在することは誰しも疑わないし、不思議に思わない。ところが存在者を存在しめている「存在」について考察するとき、その得体の知れなさにうろたえる。
はたして、存在は在るのか、無いのか?
「かりに、存在そのことも在るのだとしよう。つまり、『存在は存在する』。そう仮定してみよう。すると当然だが、存在は在るもの(存在者)ということになる。とするとさらに、その「在るものである」はどうなるか。これ . . . 本文を読む
〈なぜこの世界や宇宙があるのか。なぜ万物が在り、そしてぼくたち人間が生きて在るのか。なぜ、むしろきれいサッパリなんにも無いのではなかったのか。草木も、鳥も、地球も、宇宙空間も、あなたも、なにもかもが。
「なぜものがあるのか、むしろ無〔なんにもない〕ではないのはなぜか」(ライプニッツ)
「『なにかが存在する』ということはどこから来たのか」(ベルグソン)
「在る。無はない」(パルメニデス)
そんなか . . . 本文を読む