この人生、なかなか大変だぁ

日々の人生雑感をつれづれに綴り、時に、人生を哲学していきます。

介護疲れの果ての無理心中

2024-12-11 09:04:20 | つれづれ記
9日夕方スーパーJチャンを見ていたら、92歳の母親が脳梗塞で倒れ、61歳の息子が料理人をやめて介護にあたっていたが、力尽きて心中をはかったというニュースがあった。
母親の首を絞めて殺害し、自分は大量の睡眠薬を飲んだが死ねなかったという悲惨な話だ。
脳梗塞は70になる前なら比較的リハビリで復帰が可能だ。2019年に倒れたというから、当時87歳くらい。リハビリは無理だっただろう。

わたしの父も2度脳梗塞を起こしているが、70になる前だったから、ちゃんと復帰してきた。
さすがに車の運転はやめた。
ところが77歳の時に3度目の発症。親しい友人が亡くなった知らせを受けて、あちこちに連絡を取った後のことだった。救急で脳外科のある病院に運ばれたが、ICUからなかなか出られず、病状が落ち着いた頃にはリハビリの意欲もなかった。そのまま老健施設に入院することになった。

息子は仕事をやめて母親の介護にあたったが、生活は母親の年金を頼りにしていたらしい。母親の年金なんてたかが知れていただろうに。
痰取りや、おむつの世話など一生懸命やっていたと訪問医療の医師が話していた。
さすがに生活が立ちいかず、つぎの年金支給日までつづかないと思い、犯行に及んだらしい。

生活保護を受ける方法もあったと思うが、母親の年金は差し引かれるとか面倒な話になるから、やっぱり仕事はやめずに、訪問診療・介護を大いに利用すべきだったのではないだろうか。
それなら自分も消耗せず、金銭的にもゆとりが持てたはずだと、ニュースを見て思った。

2019年に倒れているから、5年ぐらい介護が続いていたと思っていたら、録画していたニュースを見直してみたら、2019年4月に母親が脳梗塞で入院し、8月「要介護5」の認定を受け、9月には息子が料理人をやめて介護にあたっている。そして2020年11月に事件は起きた。
1年2カ月で力尽きているのだ、ちょっと早すぎない?
可哀相な気持ちが半減した気がするが、苦しみは人それぞれであり、客観的なメーターがあるわけじゃないからね。
相談できる人がいれば、別の道もあったと思うだけに残念でならない。

17日追記
13日(金)に羽鳥慎一モーニングショーでこの事件の詳細が報じられていた。
車で走りながらだったので聞き間違いがあるかもしれない。
それによると、被告(61)には財務省に勤める兄がいたらしい。また、母親の弟にあたる叔父もいたようだ。まったくの孤立無援ではなかったようだが、助けを求めた様子がない。
それから、家を2200万円で売却してその後住み続けるシステムを利用したようである。17万5千円の月々の家賃は高いとしても、単純計算で10年と4カ月くらい過ごせるはずだが、個人的に800万円の借金があったらしく、その弁済をしたとしても6年ぐらいはもつはずだ。

30万円ぐらいの収入に対して40万ぐらいの支出があったと報道では伝えていた。
30万円の収入の内訳もよくわからないが、40万円の支出の内の17.5万円が家賃だとしても、残り22.5万円の支出は多くないかい?
仮にそうだとしても10万円の差額なら(2200万-800万)1400万の残金で10年ぐらいは余裕があったはずだと思うが、2、3年で破綻している。
さらに、母親は施設に入るのを拒んでいたという話だが、息子に負担をかけながらも施設で生きながらえることを嫌がっている。それが急に「殺してくれ」と死を選ぶものなのだろうか?
その前に施設への入所や引っ越しなど選択することはもっとあったと思うのだが。
なにか腑に落ちないところである。


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