歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪2024年 わが家の剪定日誌≫

2024-12-31 20:00:36 | ガーデニング
≪2024年 わが家の剪定日誌≫
(2024年12月31日投稿)

【はじめに】


 今年を振り返ってみるに、去年に引き続き、庭木や畑のウメ、スダチなどの剪定をした。
 ハンディチェーンソーなどを購入して、裏山の孟宗竹の伐採などにも乗り出した。今年は一般にタケノコも当たり年で豊作であったようだ。
 また、ホームセンターにて、土佐文旦、イチジク(ドーフィン)の苗木を購入して、植え付けてみた。年末には、そば打ちを見学させてもらい、自分でも打ってみたいと考えている。
 今回のブログでは、その記録をとどめておきたい。




執筆項目は次のようになる。


・2024年の剪定行程・日程






【2024年の剪定行程・日程】


〇2024年の剪定行程・日程を箇条書きに書き出してみた。

・2024年1月11日(木) 晴 5℃(2~11℃)
  10:30~11:00 金柑30ケ収穫、ゆず収穫

・2024年1月17日(水) 晴 7℃(—3~12℃)
  11:00~11:15 金柑30ケ収穫

・2024年1月29日(月) 晴 10℃(1~12℃)
  10:30~10:45 金柑50ケ収穫

・2024年1月30日(火) 晴 4℃(1~11℃)
  9:30~10:30 庭木の枝の片づけ

・2024年2月6日(火) 曇 6℃(3~8℃)
  10:30~10:45 金柑55ケ収穫 

・2024年2月13日(火) 晴 12℃(1~15℃)
  10:00~11:30 庭木の片づけ

・2024年2月16日(木) 曇 16℃(5~21℃)
  9:30~9:45 金柑50ケ収穫

・2024年2月26日(月) 曇 8℃(3~9℃)
  10:45~11:00 金柑60ケ収穫

・2024年2月28日(水) 曇 8℃(3~10℃)
  10:30~11:00 寒肥え(米ぬか20キロ)
  11:00~12:00 庭木の片づけ

・2024年3月4日(月) 晴 12℃(5~14℃)
  10:30~10:45 金柑65ケ収穫

・2024年3月11日(月) 晴 14℃(1~17℃)
  10:30~10:45 金柑70ケ収穫

・2024年3月19日(火) 曇 10℃(2~11℃)
  10:30~10:45 金柑80ケ収穫

・2024年4月1日(月) 晴 16℃(6~18℃)
  10:45~11:00 金柑60ケ収穫

・2024年4月2日(火) 晴 20℃(12~22℃)
  10:00~10:40 タイヤ交換
  10:40~11:00 庭の草取り

・2024年4月15日(月) 曇 24℃(15~25℃)
  10:00~11:00 松の芽つみ2本(高枝切鋏にて)
   土曜、日曜も25℃の夏日の晴で一気に松の芽が伸びたか?(平年より5℃以上高い)
   (頂部の長い芽で10センチにも)

・2024年4月16日(水) 晴 20℃(11~24℃)
  9:00~10:00 畑の草刈り、新しい南高梅早くも2ケ実っている

・2024年4月20日(土) 曇 21℃(15~23℃)
  10:30~11:30 タケノコ11本収穫(うち2本は中腹にある)
  11:30~12:00 皮むき(45ℓのビニール袋と30ℓの米袋に)
  20:00~21:00 下ゆで

・2024年4月22日(月) 曇 15℃(12~18℃)
  10:00~10:30 松の芽つみ(2回目)

・2024年4月23日(火) 曇 17℃(15~19℃)
  10:00~10:30 イトヒバ伸びた部分を剪定
  10:30~12:00 裏山のタケノコ3本収穫と皮むき
     (1本は境界の最も高いところにある)

・2024年4月27日(土) 晴 23℃(13~24℃)
  11:00~12:00 裏山のタケノコ収穫(比較的太い)と皮むき
   ※今年はタケノコの当たり年らしく豊作(ラジオ)

・2024年4月28日(日) 晴 24℃(15~27℃)
  10:00~10:20 選挙(隣町の投票所)
  10:20~11:20 タケノコ7本収穫(うち2本は最も高い所)

・2024年5月1日(水) 曇 15℃(9~16℃)
  10:00~11:00 松の芽つみ(3回目)

・2024年5月2日(木) 晴 16℃(9~19℃)
  9:00~10:00 昨日、2階から眺めた時発見したタケノコ3本とさらに4本収穫
   (4本ほど事務局に届ける)

・2024年5月5日(日) 曇 27℃(19~27℃)
  15:00~16:00 裏山にタケノコ7本(滑ってまくれる注意せよ)
  16:15     妹夫婦来る。タケノコをお裾分け。

・2024年5月10日(金) 晴 20℃(12~27℃)
  9:00~9:30 タケノコ4本(1本は高い所)
   10:30~11:30 車庫のかしら草刈り

・2024年5月14日(火) 晴 20℃(10~20℃)
  13:00~14:30 車検
  14:30~15:00 田の水入れ
  15:00~16:00 タケノコ2本(うち1本は高い所)

・2024年5月24日(金) 晴 25℃(14~26℃)
  9:00~9:30 タケノコ2本(うち1本は高い所)

・2024年5月29日(水) 晴 22℃(11~23℃)
  14:45~15:30 車庫のかしら破竹10本伐る、道路の向こう側の枝伐り

・2024年5月30日(木) 晴 26℃(17~26℃)
  11:30~12:40 畑の草刈り

・2024年6月7日(金) 晴 24℃(17~27℃)
  9:00~10:00 畑の梅 徒長枝の剪定、施肥(米ぬか)
   ※<注意>梅の木にハチが巣を作りかけていた
  10:00~11:00 市のクリーンのため、道路脇と車庫のかしら草刈り

・2024年6月12日(水) 晴 29℃(19~32℃)
  11:00~11:30 車庫のかしら破竹10本伐る(うち5本食用に)

・2024年6月13日(木) 晴 29℃(19~31℃)
  9:30~10:30 庭の笹刈る

・2024年6月18日(火) 晴 26℃(19~29℃)
  11:00~11:30 車庫のかしらの金柑と柚に施肥(米ぬか)

・2024年6月24日(月) 曇 28℃(22~31℃)
  10:30~11:00 破竹10本伐る(この2日間の雨で伸びる)

・2024年7月1日(月) 雨 25℃(23~28℃)
  10:30~11:00 破竹10本伐る、ミカンの徒長枝伐る

・2024年7月3日(水) 晴 33℃(26~34℃)
  10:30~11:00 破竹2本伐る、枝葉を高枝切鋏で

・2024年7月8日(月) 曇 32℃(26~33℃)蒸し暑く汗でびっしょり
  10:30~11:00 破竹10本伐る(中には3メートルにも)

・2024年7月16日(火) 曇 27℃(23~29℃)
  10:30~11:00 破竹5本伐る
・2024年7月26日(金) 晴 34℃(26~37℃)日差しがきつい
  9:00~10:30 畑の草刈り(<注意>溜桝に足がつかる)
     米ぬか20キロを施肥
  10:30~11:00 道路脇の草刈り 隣家の入口の石垣崩れ危険
  (市役所の都市整備部・道路管理第二係に電話しておく)

・2024年8月2日(金) 晴 32℃(26~35℃)
  9:50~10:30 庭の草取り(鍬でかきとる)

・2024年8月5日(月) 晴 31℃(25~34℃)
  10:30~11:00 車庫のかしら 竹3本、雑木5本をノコギリで伐採

・2024年8月8日(木) 快晴 32℃(24~34℃)
  11:00~11:30 施肥(米ぬか20キロ)

・2024年8月21日(水) 晴 32℃(26~36℃)
  10:00~11:00 庭の木の剪定(月桂樹、ナンテン、モミジ)

・2024年9月4日(水) 晴 29℃(21~31℃)
  11:00~11:30 庭の木の剪定(月桂樹、ツバキ)高枝切鋏にて

・2024年9月5日(木) 晴 29℃(22~33℃)日差しきつい
  10:00~11:00 庭の剪定枝の片づけ(旧米袋に太枝切鋏にて枝を細断して詰める)

・2024年9月25日(水) 晴 28℃(20~30℃)
  10:00~11:00 庭の草取りと剪定枝の片づけ

・2024年10月10日(木) 晴 21℃(13~24℃)
  10:45~11:00 庭木の剪定(ピラカンサなどを剪定鋏にて)

・2024年10月15日(火) 曇 26℃(20~28℃)
  10:30~11:00 車庫周辺と庭の掃除(栗のイガ、剪定枝の片づけ、栗30個拾う)

・2024年10月17日(木) 晴 24℃(18~25℃)
  10:00~11:00 ホームセンターで土佐文旦の苗木購入 1408円
  11:00~11:30 栗拾い、枯れ枝の片づけ
  12:30~12:45 栗50個ほど茹でる

・2024年10月18日(金) 晴 26℃(22~25℃)
  9:00~10:00 道路脇と車庫のかしら草刈り
  10:00~10:50 道路脇の葛を鎌で刈る、土嚢の所のツタ、カズラを切る

・2024年10月21日(月) 曇 21℃(18~24℃)
  9:30~10:50 畑の草刈り(柚とスダチに葛がからまる)

・2024年10月24日(木) 晴 21℃(16~23℃)
  10:00~11:00 ホームセンターでイチジク(ドーフィン)の苗木購入 877円

・2024年10月25日(金) 晴 20℃(14~23℃)
  9:00~10:00 2本の果樹(土佐文旦とイチジク)の植え付け
  10:00~11:00 畑の竹伐りと花の茎片づけ

・2024年10月30日(水) 晴 20℃(12~22℃)
  10:30~11:30 剪定枝の片づけ

・2024年10月31日(木) 晴 19℃(13~21℃)
  9:00~10:00 ビワの定植(50センチの穴に腐葉土)、土佐文旦、イチジク、南高梅に支柱を立てる
  10:00~11:00 スダチ、梅の剪定(特に徒長枝、内向枝)

・2024年11月5日(火) 曇 17℃(13~18℃)
  11:00~11:30 ミカン収穫(直径7センチ)

・2024年11月7日(木) 曇 13℃(10~15℃)立冬(富士山初冠雪とのこと)
  10:30~11:00 後ろのツツジの剪定

・2024年11月8日(金) 晴 13℃(6~18℃)
  9:30~10:00 玄関の前の木とナンテンの剪定

・2024年11月14日(木) 晴 17℃(12~19℃)
  10:00~11:30 庭木の剪定枝の片づけ、後ろの溝のツツジ枝の片づけ

・2024年11月22日(金) 曇 14℃(8~16℃)
  10:45~11:00 スダチとミカンの種を植えてみる

・2024年12月10日(火) 曇 10℃(5~13℃)
  10:00~10:15 ミカン収穫

・2024年12月16日(月) 曇 8℃(5~9℃)
  10:00~11:00 精米20キロ、ホームセンターにて肥料購入 1434円
  (鶏ふん、油かす、腐葉土)

・2024年12月20日(金) 晴 8℃(2~11℃)
  9:30~10:00 後ろと車庫の通路の落ち葉の片づけ
  17:00~18:00 そば打ちの手伝い
  18:00~18:50 新そばの試食会と役員会

・2024年12月25日(水) 晴 10℃(6~12℃)
  9:00~10:00 畑のスダチ収穫(3キロ、約100個)
          先日ホームセンターで購入した肥料の施肥(もみ殻と米ぬかも)
  10:00~11:20 車庫のかしら草刈り、枝切り(石垣の石崩れの近く)
  11:20~12:00 タイヤ交換
  15:00~16:00 スダチの半分(1500グラム)鍋2つに分けて煮る

・2024年12月26日(木) 曇 10℃(4~11℃)
  9:00~9:30 そば粉3キロを購入 3000円
  10:00~12:00 後ろの水路落ち葉片づけ

・2024年12月27日(金) 曇 7℃(3~7℃)
  9:00~10:30 車庫のかしら 金柑とミカンに施肥、落ち葉片づけ


≪2024年 わが家の稲作日誌≫

2024-12-31 20:00:02 | 稲作
≪2024年 わが家の稲作日誌≫
(2024年12月31日投稿)

【はじめに】


 「2024年 わが家の稲作日誌」として、今年の稲作の主な作業日程を振り返ってみたい。
今年はとりわけ夏が暑く、この高温障害が収穫に如実に現れた年であった。
収穫量が減少したことのみならず、カメムシによる斑点米も例年よりも多かった。
どのような天候の下での稲作であったのか、回顧しておくことにしたい。




執筆項目は次のようになる。


・【はじめに】
・【2024年の稲作行程・日程】
・【2024年の稲作の主な作業日程の写真】







【2024年の稲作行程・日程】


2024年の稲作行程・日程を箇条書きに書き出してみた。

・2024年3月18日(月) 曇 9℃(0~10℃)
  9:00~10:00 稲作の耕作依頼に伺う 

・2024年4月8日(月) 曇 20℃(13~21℃)
  10:30~11:10 田んぼ、そば畑(小作地)の状況確認
   (ふれあいセンターで通行止、歩いて行く、そば畑の水路に枯草と砂で埋まる)


・2024年4月10日(水) 晴 12℃(6~15℃)
  9:00~10:00 そば畑1 草刈り
  10:00~11:00 そば畑2 草刈り 水路の砂をスコップですくい上げる
  11:00~12:20 田んぼの進入路と小屋周辺の草刈り

・2024年4月12日(金) 晴 21℃(9~22℃)
  9:00~10:30 田んぼの北側・南側の畦 草刈り
  10:30~11:30 車庫のかしら 草刈り

・2024年4月16日(水) 晴 24℃(11~24℃)
  9:00~10:00 畑の草刈り
  10:00~11:30 田んぼの草刈り
  11:30~12:50 畦と小道の草刈り
  ※お茶(ペットボトル500ml)持って出て水分補給

・2024年4月25日(木) 晴 22℃(11~23℃)
  9:00~12:00 畦の内側草刈り、レーキで草寄せ
 
・2024年4月26日(金) 晴 19℃(14~25℃)
  10:00~10:30 ゼノアの混合油5ℓ購入(1485円、署名必要)

・2024年5月1日(水) 曇 16℃(9~25℃)
  14:50  委託者から電話(畦ぬりをするとのこと)

・2024年5月2日(木) 晴 17℃(9~19℃)
  10:00~12:00 田の進入路と東側の法面の草刈り
  (もう畦ぬりしてあった)

・2024年5月9日(木) 晴 18℃(7~19℃)
  11:45~12:00 様子見(荒おこし終了)

・2024年5月10日(金) 晴 24℃(12~27℃)
  9:30~10:30 土のう袋を交換、取水口の草取り、掃除

・2024年5月11日(土) 晴 26℃(12~27℃)
  10:00~11:40 監査(終了後、田植えは5月の最終週、総会の翌週)

・2024年5月14日(火) 晴 20℃(10~20℃)
  13:00~14:30 車検
  14:30~15:00 田の水入れ(水路の石で調整)

・2024年5月15日(水) 晴 26℃(14~26℃)
  9:00~11:45 畦の草刈り、水調整、土のう袋追加

・2024年5月23日(木) 晴 27℃(14~29℃)
  17:00~19:15 土地区画総会(終了後、週明けに中切り、後半に田植え予定)
  19:20~19:30 田んぼの様子見

・2024年5月24日(金) 晴 24℃(14~26℃)
  9:00~9:30 裏山のタケノコ取り、木の伐採
  9:30~11:00 土のう袋追加、草刈り(進入路)

・2024年5月25日(金) 晴 24℃(14~26℃)
  16:00~17:00 地区の常会
  17:00~17:30 田の様子見

・2024年5月29日(水) 晴 19℃(11~23℃)
  11:50 委託者から電話(明日午前中に田植え、水を調整しておいてほしい)
  14:15~14:45 田の水調整(上の田、左半分に土が見える)

・2024年5月30日(木) 晴 21℃(17~26℃)
  8:30~9:30 水入れ(上の田)
       その間、買い出しに行く
  9:40~  田んぼに出る
  10:00~11:30 田植え
 (11:30~12:40 畑の草刈り)

・2024年5月31日(金) 曇一時小雨 19℃(15~23℃)
  9:00~11:00 田の水入れ(とくに上の田)

・2024年6月1日(土) 晴 23℃(16~26℃)
  9:00~10:30 水入れ(とくに上の田)

・2024年6月3日(月) 曇一時小雨 18℃(16~20℃)
  9:30~11:00 水入れ

・2024年6月5日(水) 晴 22℃(14~23℃)
  9:30~11:30 水入れ(上の田干上がっている)

・2024年6月6日(木) 曇 23℃(16~26℃)
  8:50~12:30 水入れ
  その間 8:55~9:10 春耕作代支払い 56000円
   9:30~12:30   小作地の草刈り

・2024年6月7日(金) 晴 26℃(17~27℃)
  9:00~11:00 水入れ(上の田干上がる、下の田に藻発生)
  (この間、畑の徒長枝剪定、施肥、道路脇の草刈り)

・2024年6月8日(土) 晴 22℃(19~29℃)
  9:00~11:20 水入れ

・2024年6月10日(月) 晴 25℃(18~28℃)
  9:30~11:00 水入れ(上の田、昨日の雨にもかかわらず干上がる)

・2024年6月12日(水) 晴 29℃(19~32℃)
  9:30~11:00 水入れ

・2024年6月13日(木) 晴 29℃(19~31℃)
  9:00~10:30 水入れ

・2024年6月14日(金) 晴 29℃(18~32℃)
  9:00~10:30 水入れ

・2024年6月15日(土) 晴 30℃(20~31℃)
  8:50~12:30 水入れ
  (その間、9:15~12:20 お寺の晋山式・退董式に参列)

・2024年6月17日(月) 晴 26℃(19~30℃)
  9:30~10:30 水入れ(上下の田、ほとんど水なし)

・2024年6月18日(火) 晴 26℃(19~29℃)
  9:30~11:00 水入れ、補植(四隅北側、足はまり苦戦)

・2024年6月19日(水) 晴 30℃(18~33℃)
  9:00~12:00 草刈り(暑くて1時間毎に麦茶で水分補給)

・2024年6月21日(金) 晴 25℃(21~31℃)
  17:30~19:00 水入れ(その間、18:30~19:00土地区画の役員会)

・2024年6月22日(土) 曇のち雨 
  11:00 中国地方梅雨入り(平年より16日遅れ)

・2024年6月24日(月) 曇 27℃(22~31℃)
  9:30~10:30 水入れ(上の田のみ)

・2024年6月25日(火) 曇 26℃(19~28℃)
  9:50~10:30 水入れ(その間、JAに保険料を支払いに)

・2024年6月26日(水) 曇 26℃(20~29℃)
  9:00~11:30 水入れ、草刈り

・2024年7月1日(月) 雨 24℃(23~28℃)
  9:30~9:40 様子見(週末の雨で上の田にも少し水あり)

・2024年7月3日(水) 晴 32℃(26~34℃)
  9:30~10:30 水入れ

・2024年7月8日(月) 曇 32℃(26~33℃)
  10:00~10:15 大雨後、田んぼ様子見。稲は大丈夫だった。水あり。
  10:15~10:30 共立用混合油5ℓ購入 1485円

・2024年7月9日(火) 市内大雨(100ミリ超える)

・2024年7月12日(金) 曇 25℃(21~27℃)
  9:30~10:30 水入れ

・2024年7月16日(火) 曇 26℃(23~29℃)
  9:45~10:00 田んぼ様子見(上下の田とも水あり)

・2024年7月19日(金) 雨のち曇 27℃(24~31℃)
  18:00~18:45 役員会
  18:45~19:00 田んぼ様子見(雨ふり水あり)

・2024年7月21日(日) 梅雨明け

・2024年7月22日(月) 晴 33℃(25~35℃)
  10:00~10:15 田んぼ様子見(水路の水を石で調整)

・2024年7月24日(月) 雨のち曇 30℃(25~32℃)
  9:00~11:30 草刈り(風なく蒸し暑い、麦茶と塩飴で)

・2024年7月29日(月) 晴 32℃(26~34℃)
  10:30~10:45 田んぼ様子見(水あり)

・2024年7月31日(水) 曇時々晴 32℃(24~33℃)
  9:00~11:30 草刈り(北側の法面、進入路と小道)
  ※日差しがきつく、こまめに休憩(麦茶と塩飴必須)
  ※7月の平均気温、去年こえて過去最高とのこと

・2024年8月2日(金) 晴 32℃(26~35℃)
  10:00~10:15 共立の刈り払い機のエアクリーナー掃除

・2024年8月7日(水) 晴 31℃(24~32℃)
  11:15~11:30 田んぼの様子見(クサネム上の田に15本、下の田6本)
           中央の畦の雑草またひどし

・2024年8月8日(木) 快晴 32℃(24~34℃)
  9:00~11:00 中央の畦の草刈り(日差しきつい、上の田クサネム取り)

・2024年8月16日(金) 曇時々晴 29℃(25~32℃)
  9:45~10:00 様子見(上下の田とも出穂始まる)
※関東地方では台風7号

・2024年8月19日(月) 曇 29℃(25~36℃)
  9:30~10:00 米の保冷庫の水満杯で捨てる、掃除

・2024年8月22日(木) 晴 32℃(26~38.2℃)処暑なのに今年最高気温
  9:45~10:00 様子見(出穂ほぼ完了)

・2024年8月23日(金) 晴 
  18:00~18:45 役員会
  19:00~19:15 田んぼの様子見

・2024年9月4日(金) 晴 29℃(21~31℃)
  19:00~19:15 田んぼの様子見
※やはり上の田の小屋の影の部分出穂不良、上の田クサネム大きくなる。

・2024年9月6日(金) 晴 31℃(22~34℃)
  9:00~11:30 草刈り(まだ残暑厳しい、1時間毎に休憩、麦茶と塩飴)
・2024年9月12日(木) 晴 32℃(24~34℃)
  10:30~10:45 様子見

・2024年9月13日(金) 晴 32℃(25~34℃)
  9:00~11:00 草刈り(真夏並みの暑さ、戸外で30分いると辛い)

・2024年9月16日(月) 晴 31℃(24~33℃)
  16:45~17:00 田んぼの様子見

・2024年9月18日(水) 晴 32℃(24~35℃)
  10:45~11:00 田んぼの様子見

・2024年9月21日(金) 晴 30℃(24~35℃)
  17:45~18:00 田んぼの様子見
  18:00~18:50 役員会

・2024年9月27日(金) 晴 27℃(23~30℃)
  9:00~11:00 草刈り
  11:00~11:50 クサネムとヒエを鎌で刈る
【出穂の失敗箇所】

・2024年10月7日(月) 雨 21℃(18~22℃)
  9:05 委託者に電話して稲刈りの予定尋ねる 今週末

・2024年10月9日(水) 曇のち一時雨 21℃(16~22℃)
  9:00~10:00 畦のみ草刈り
  10:00~11:40 四隅の手刈り
  (上の田の北側と小屋周辺 出穂していない、東側は一番よく育つ)

・2024年10月10日(木) 晴 21℃(13~24℃)
  10:00~10:30 ホームセンターに米袋を買いに行く

・2024年10月11日(金) 晴 21℃(14~24℃)
  9:30~11:00 四隅刈り補足
  11:00~11:30 草寄せ
  12:20    稲刈りの件で、電話あり。明日10時すぎから稲刈り

・2024年10月12日(土) 晴 23℃(12~24℃)
  8:30~9:20 買い出し
  9:30~10:20 四隅をさらに刈っておく
  10:20~11:30 コンバインで稲刈り
  14:30~15:30 米の保冷庫の掃除(去年の米11袋を納屋へ)

・2024年10月16日(水) 雨のち曇 22℃(19~25℃)
  9:20~10:00 米の搬入 



≪囲碁の布石~依田紀基氏の場合≫

2024-12-31 18:02:23 | 囲碁の話
≪囲碁の布石~依田紀基氏の場合≫
(2024年12月31日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでも引き続き、囲碁の布石について、次の事典を参考にして考えてみたい。
〇依田紀基『基本布石事典 上(星・小目の部)』日本棋院、2008年[2013年版]
〇依田紀基『基本布石事典 下(星・小目・その他)』日本棋院、2008年
 依田紀基九段は、「はしがき」において、布石の勉強法について、次のように述べている。
 アマの布石勉強法の一つとして、プロの碁を並べることを勧めている。たとえば、好きなプロの碁を繰り返し並べるのが効果的である。布石の50手までを一つの目安とする。
 本書で取り上げた参考譜は、上・下巻合わせて127例ある。これを繰り返し並べるだけでも、布石の力がつくことを確信している。

 この「はしがき」の言葉により、なるべく参考譜を紹介してみた。
(以前のブログでも【補足】として紹介したものも含まれることをお断りしておく)

【依田紀基(よだ・のりもと)氏のプロフィール】
・1966年、北海道に生まれる。
 小学校5年生で棋士を目指し上京、安藤武夫七段門下となる。
・1980年、入段。
 1983年、第8期棋聖戦四段戦と新人王戦に優勝。
・1984年、18歳で名人リーグ入りし、最年少記録となる。
・1987年、七段、1990年八段、1993年九段。
・1995年、大竹英雄九段を破り十段位を獲得。
・1996年、小林覚九段を破り棋聖を獲得。98年まで3連覇。
・2000年、趙治勲九段を破り名人位を獲得、04年まで4連覇。
<著書>
・ベストセラーになった『依田ノート すぐに役立つ上達理論』(講談社)
 『依田紀基 私の布石構想』(誠文堂新光社)などがある。



【依田紀基『基本布石事典 上』(日本棋院)はこちらから】






〇依田紀基『基本布石事典 上(星・小目の部)』日本棋院、2008年[2013年版]
【上巻目次】
第1章 星・小目平行   第1型~第41型
第2章 星・小目タスキ他 第1型~第10型

〇依田紀基『基本布石事典 下(星・小目・その他)』日本棋院、2008年
【下巻目次】
第1章 星(平行・タスキ)  第1型~第16型
第2章 小目(平行・タスキ) 第1型~第35型
第3章 目外し・高目他    第1型~第10型






さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・氏のプロフィール
・はしがき
〇依田紀基『基本布石事典 上(星・小目の部)』日本棋院、2008年[2013年版]
・星・小目平行 第8型
・星・小目平行 第20型 参考譜
・星・小目平行 第23型
・星・小目平行 第23型 中国流(1)参考譜 依田紀基vs山田規三生
・星・小目平行 第27型中国流(5)
・星・小目平行 第31型 参考譜 結城聡vs片岡聡

〇依田紀基『基本布石事典 下』日本棋院、2008年
・星・二連星 参考譜 武宮正樹vs大竹英雄
・星・タスキ星 参考譜 高尾紳路vs大竹英雄
・小目タスキ 参考譜 加藤正夫vs山田規三生
・小目タスキ 参考譜 張栩vs淡路修三
・小目・向かい小目 参考譜 山田拓自vs三村智保
・小目・向かい小目 参考譜 趙治勲vs小林覚
・小目・向かい小目 参考譜 加藤正夫vs羽根直樹
・小目・向かい小目 参考譜 依田紀基vs三村智保
・小目・向かい小目 参考譜 依田紀基vs高尾紳路
・小目・向かい小目 参考譜 結城聡vs小林覚
・第3章 目外し 第5型
・第3章 天元 第10型
・第3章 天元 第10型 参考譜 山下敬吾vs林海峰






はしがき


〇上巻のはしがき
・「基本布石事典」は、昭和50年代に林海峰名誉天元の編纂によって刊行されたが、この度、30年ぶりに21世紀版を届けることになった。
・この30年間、最も変革したのは布石の分野であろう。
 その要因は、コミにある。
 コミが4目半から5目半になり、現在は6目半の時代になっている。
 コミが多くなれば、黒はそのため積極的に、時には激しくならざるを得ない。
 そうしたことから、黒の布石は、より積極的にと変わってきている。
さらに、碁の国際化に伴って、韓国、中国で過激なほど布石の研究が進んでおり、その影響もある。
・布石に対する心構えは、大きいところから打つことにある。
 とはいえ、プロは布石で少しでも遅れをとると、後の戦いに大きく影響してくる。
 しかし、アマの場合はそこまで深刻になる必要はないが、布石を有利に運ぶことは、中盤を有利な戦いに導き、ひいては勝利への道に繋げていくことができる。

・アマの布石勉強法の一つとして、プロの碁を並べることを、著者は勧めている。
 たとえば、好きなプロの碁を繰り返し並べるのが効果的である。
 布石の50手までを一つの目安とする。
 本書で取り上げた参考譜は、上・下巻合わせて127例ある。これを繰り返し並べるだけでも、布石の力がつくことを確信している。

・上巻では、黒の「星と小目」の組み合わせでまとめてある。
 星のスピードと厚みに、小目の実利と戦闘力の組み合わせは、「中国流」をはじめ現在、最も多く打たれている布石である。
(依田紀基『基本布石事典 上』日本棋院、2008年[2013年版]、3頁~4頁)

〇下巻のはしがき
・布石は日進月歩を続けていて、プロの世界では、次から次へ過激な手法も生まれている。
 プロは、常に1目でも半目でも得をすることを心掛けているため、布石から激しくなることが多々ある。
 しかし、そのような布石をアマの人に求めることは無理であるし、意味のないことである。
・そのような観点から、本書では、最新の過激な布石は極力避け、アマが実戦で活用できる実用的な布石に重点を置いたという。

・下巻では、黒の「星」「小目」「その他」の布石を取り上げている。
・第1章の「星」は、二つの考え方がある。
 宇宙流といわれる武宮正樹九段のように、二連星から三連星に発展させ、大模様の碁に持っていく考え方。模様の碁に持って行くには、星は最も有効である。
 次に、呉清源先生のように、隅を星の一手で済ませ、足早に辺に展開する考え方で、スピード重視の星である。
・ただし、三々が空いているので、当然ながら地の甘さは否めない。
 したがって、厚みと実利のバランスを考慮に入れることが肝要である。

・第2章の「小目」は、昭和年代に多用されていたが、当時に比べ近年は出番がやや少なくなってきている。
 小目は実利に就きやすく、また戦闘力もあり、変化が多い布石になる公算が高い。
 したがって、特に局面にマッチした定石選択、局面の展開を広く考えるのが、要諦である。

・第3章の「目外し、高目」の布石は、現在は特殊な布石といえる。
(依田紀基『基本布石事典 下』日本棋院、2008年、3頁~4頁)


星・小目平行 第8型


【総譜】(1-46)
(依田紀基『基本布石事典 上』日本棋院、2008年[2013年版]、90頁~97頁)

星・小目平行 参考譜第20型


【補足】小林覚氏の実戦譜(vs武宮正樹)~依田紀基『基本布石事典 上』より
【参考譜】(1-54)小林覚vs武宮正樹
【1999年】第26期天元戦本戦
 白 九段 武宮正樹
 黒 九段 小林覚

【参考譜】(1-54)
・黒3から5のミニミニ中国流に対し、白6大ゲイマとシマって、黒の出方をうかがうのは冷静な打ち方。譜の白6はミニ中国流を回避した。
・黒7のケイマは、黒5のヒラキに連携したものである。
※黒は5から7とフトコロを広く構えるのが、ミニミニ中国流の特長である。
・白10のコスミは、三連星を働かせようというもの。
・黒31に白32は気合の反発。

【1図】(ミニ中国流)
〇白6の大ゲイマで、
・白1の割り打ちなら、黒2のカカリで白3の受けと換わり、ミニ中国流に戻る。
・黒2はaのツメも有力である。

【2図】(おもしろ味なし)
〇黒7のケイマは、黒5のヒラキに連携したものである。これで、
・黒1の一間ジマリは手堅いが、白2と割り打たれはおもしろ味がない。

【3図】(白、働き)
〇白10のコスミは、三連星を働かせようというもの。黒17で、
・先に黒1、3のツケヒくと、白5とツギ、黒5、7には白aとツガず、8のコスミにまわる。
※これは白働きである。

【4図】(黒、重い)
〇黒31に白32は気合の反発。これでAは、黒47ツケにまわられる。黒47で、
・黒1のカカリは、白2以下黒7まで実戦よりも、黒は重い。

【5図】(白、サバキ)黒9ツグ
〇黒53コスミで、
・黒1のトビは、白2ツケ以下サバかれる。
(依田紀基『基本布石事典 上』日本棋院、2008年[2013年版]、218頁~219頁)

星・小目平行 第23型


・黒1の星と3の小目の構えから5と辺にヒラくのを「中国流」という。
※星と小目の石を一手で連係させるもので、戦闘力の強い布石である。
・なお黒5でAの「高中国流」もある。
・中国流に白6のカカリはオーソドックス。
・譜の黒9と下辺からカカったのは、中国流を働かすもので、白は10とおとなしく受けた。

≪総譜≫(1-40)
(依田紀基『基本布石事典 上』日本棋院、2008年[2013年版]、240頁~246頁)

星・小目平行 第23型 中国流(1)参考譜 依田紀基vs山田規三生


【参考譜第23型2】依田紀基vs山田規三生(250頁)
第23型2【参考譜】(1-47)依田紀基vs山田規三生
【1998年】第23期棋聖戦最高棋士決定戦
 白 王座 山田規三生
 黒 碁聖 依田紀基

・黒の中国流に白6からカカったので、黒は9、11と下辺を盛り上げた。
・白12のカカリに黒13のケイマ。
・黒13のケイマに白14、16とツケヒいた。
・白18のヒラキに黒19のトビが形である。
・黒29のカカリ。
・白30に黒31、白32を決めて、黒33が手順である。
・黒43に白44、46はやむを得ない。

【1図】(コスミ)
〇白12のカカリに黒13のケイマでは、
・黒1のコスミも有力で、白に根拠を与えない打ち方である。
・白2、4以下、黒11まで相場である。

【2図】(白、変化)
〇黒13のケイマに白14、16とツケヒいたが、白14では、
・白1のツケ一本から3、5と変化するのもあり、黒は6から8が正しい応手である。
・白9以下黒12となれば、黒十分のワカレであろう。

【3図】(黒、破綻)
〇黒6で、
・黒1とカカえるのは失策である。
・白2の切りから4と出られると、黒破綻する。

【4図】(一策)
〇白18のヒラキに黒19のトビが形であるが、
・黒1とブツカり、3とトンで、右辺を盛り上げるのも一策である。
・しかし、白を安定させる嫌いもあり、譜の運びとは一長一短。

【5図】(黒、外回り)
〇黒29のカカリでは、
・黒1のカカリから3とハサみ、以下黒11と外回りで行くのも考えられるが、白2の受けで4と変化される可能性もある。

【6図】(白、苦境)
〇黒43に白44、46はやむを得ない。44で、
・白1と逃げを急ぐと、黒2以下8で白苦境に陥ることになる。
(依田紀基『基本布石事典 上』日本棋院、2008年[2013年版]、250頁~251頁)

星・小目平行 第27型中国流(5)


・黒の中国流に、白も2、4から6の高い中国流で抵抗する。
※双方、中国流の構えだと、模様の対峙となることが多い。
・黒7のカカリから9と構えた。
・黒13でAなら、白13、黒Bで模様の張り合いとなる。
・白14では、

≪譜1≫(1-14)
【3図】(白、ケイマ)
・白1もあり、黒2、4以下6まで穏やか。
また、
【4図】(白、ツケヒキ)
・白1のツケなら、黒は2から4が形である。
・黒4ではaは、白bと受けられ、黒重い。
・黒2では、
【5図】(黒、有力)
・黒2のヒキも有力で、6までが形。
・次にaと、譜1のAが見合いである。

≪譜2≫(14-36)
・白14のコスミには、黒も15のコスミが普通である。
・黒15以下19のトビまでは、常識的な運びである。
・白は右下20のカカリが絶対で、逆に黒20の一間ジマリを許しては、右辺から下辺一帯の黒模様が強大となる。
・黒21以下25までは定形であるが、25では、

【10図】(白、サバキ)
・黒1、3の急襲もあるが、白は4、6が筋で、白8、10とシボって、12までサバキ形である。
・黒31で白32が手筋で、

【11図】(根拠を失う)
・単に白1とツグのは、黒2のコスミが絶好で、白は根拠を失う。

≪譜3≫(37-45)
・右下隅が一段落すると右上と左下の隅が大きくなる。
・黒は37と打ち込んだ。
(依田紀基『基本布石事典 上』日本棋院、2008年[2013年版]、284頁~289頁)

星・小目平行 第31型 参考譜 結城聡vs片岡聡


〇結城聡氏の実戦譜~依田紀基『基本布石事典 上』より
【2001年】第26期碁聖戦本戦
 白 九段 片岡聡
 黒 九段 結城聡
【参考譜】(1-48)
・黒5の高いカカリもよく打たれる。
・白6のツケに黒7、9から11のシマリは働いた打ち方。
・白12から14のケイマが攻めの形である。
・黒13のコスミは常識的である。通常は譜の13である
・白14に黒15とツメ、白16のボウシから戦いとなる。
・白28はよい見当である。
・白30は形。

【1図】(バランス悪し)
〇白6のツケに黒7、9から11のシマリは働いた打ち方である。これで、
・定石どおり黒1とヒラくのは、たとえば白2以下6となると、黒のバランスがよくない。

【2図】(白、重い)
〇白12から14のケイマが攻めの形であり、12で、
・白1の割り打ちは、黒2のツメがぴったりで、白3以下7となるが、白の形はいかにも重い。

【3図】(黒、外勢)
〇黒13のコスミは常識的であるが、
・黒が外回りに徹するなら、黒1のカケも一策である。
・白2のハネに黒3のツギが手厚いが、甘さは否めない。

【4図】(方向が逆)
〇白14に黒15とツメ、白16のボウシから戦いとなるが、白22で、
・白1とトブのは石の方向が逆で、黒2、4から6と攻められる。

【5図】(難しい戦い)
〇白28はよい見当であり、
・白1とまともにカカるのは、黒2以下6と攻められ難しい戦いとなる。

【6図】(味消し)
〇白30は形。これで、
・白1のカカリは、黒2とシマられ味消し。
※また、後に黒aからgとからまれる恐れがある。
(依田紀基『基本布石事典 上』日本棋院、2008年[2013年版]、328頁~329頁)



ここから『基本布石事典 下』
〇依田紀基『基本布石事典 下(星・小目・その他)』日本棋院、2008年

星・二連星 参考譜 武宮正樹vs大竹英雄


②1993年 武宮正樹-大竹英雄(126頁)
第14型 【参考譜】(1-72)
1993年 第49期本因坊戦予選決勝
白十段 大竹英雄
黒九段 武宮正樹

・左下隅、白4と高目に打ったのは、黒の二連星を意識して、位を高く保つためである。
・黒9の大ゲイマは、二連星と呼応して、スケールを大きく持っていく。
・黒13のコスミは、三連星を働かせている。
・白は14と三々に入った。
・黒15のオサエ。
・黒17のカケに白18、20の出切りは気合いである。
・白は譜の18以下22ノビて黒模様を消す拠点にしている。
・黒21のトビは形である。
・白30のマガリトビに黒31は冷静。

【1図】(黒、調子づく)
〇白は14と三々に入ったが、これで、
・白1のケイマは、黒2、4と調子づかせることになる。
・続いて、白aとカカるが、黒の谷はかなり深くなってくる。

【2図】(一つの形)
〇黒15のオサエでは、
・黒1から3にはずすのも一つの形。
・白8、10に、黒はaにツガず、他に転じることになる。

【3図】(戦わず)
〇黒17のカケに白18、20の出切りは気合いであるが、
・ここは戦わずに白1とハイ、黒2ノビとなる打ち方もある。

【4図】(筋違い)
〇黒21のトビは形であるが、
・黒1のノビは筋違い。
・白2のノビから4にトバれると、戦いの主導権は白のものになる。

【5図】(黒、破綻)
〇白30のマガリトビに黒31は冷静。これで、
・黒1以下5の切りは無謀で、白6のワリコミから白aかbで黒破綻する。
(依田紀基『基本布石事典 下』日本棋院、2008年、126頁~127頁)

星・タスキ星 参考譜 高尾紳路vs大竹英雄


【補足】高尾紳路氏の実戦譜~依田紀基『基本布石事典』より
<星・タスキ星>【参考譜】
②1999年 高尾紳路-大竹英雄(146頁)
第16型 【参考譜】(1-53)
1999年 第25期天元戦本戦
白九段 大竹英雄
黒六段 高尾紳路

・白8のカカリに黒9とハサみ、以下白18まで、先手を取って、黒19とツメた。
・黒19に白は手を抜いた。
・黒23のカケは工夫した手である。
・白30の押し。
・白30に、黒31、33のハネノビは欠かせない。

【1図】(下辺も大場)
〇黒19とツメたが、これでは、
・黒1のヒラキも大場である。
・白2のカカリに黒3以下白8まで先手を取って、待望の黒9にツメる。これもあろう。
・手順中、白2でaと守れば、黒4のシマリが絶好である。

【2図】(打ちにくい)
〇黒19に白は手を抜いたが、これで、
・白1、3と守れば、手堅い。
・しかし、黒2の立ちで、左辺が理想形になり、白は打ちにくい。

【3図】(黒、今ひとつ)
〇黒23のカケは工夫した手である。これでは、
・黒1のコスミツケが手筋であるが、この場合は、白2から6のコスミまで、黒、今ひとつであろう。

【4図】(黒、十分)
〇白30の押しで、
・白1とシマるのは、黒2から4のトビが調子よくなる。
・譜の黒23と相まって、黒十分である。

【5図】(黒、つらい)
〇白30に、黒31、33のハネノビは欠かせない。これで、
・黒1にカカるのは、白2から4のトビが好点で、黒5と守るのでは、つらい。
・黒7に続いて、白は譜のAトビで好調になる。
(依田紀基『基本布石事典 下』日本棋院、2008年、146頁~147頁)

小目タスキ 参考譜 加藤正夫vs山田規三生


【補足】山田規三生氏の実戦譜~依田紀基『基本布石事典』より
<小目タスキ>【参考譜】
②1999年 加藤正夫-山田規三生 (298頁)
第18型 【参考譜】
1999年 第47期王座戦本戦
白七段 山田規三生
黒九段 加藤正夫

【参考譜】(1-56)
≪棋譜≫298頁、参考譜


・白10のカケに黒11、13と出切り、白14のツケ以下18までは、代表的な定石。
・黒19のカカリに、白は手を抜いて、20のカカリから22とヒラいた。
・黒21のシマリでは、下記のような変化もある。
・黒27以下37は常套の封鎖手段。

※依田氏は、黒21のシマリについて、次のようなサバキの変化図を示している。
≪棋譜≫299頁、2図


【2図】(サバキ・1)
・前図の黒21のシマリで、黒1のハサミなら、白2のツケがサバキの筋。
・黒3に白4以下10となる。
・続いて、黒aと押し、白b、黒cなら自然。

≪棋譜≫299頁、3図


【3図】(サバキ・2)~ツケ切り
・前図の黒3で黒1のハネは、白2の切り以下の定石に戻り、これも白サバキ。
(依田紀基『基本布石事典 下』日本棋院、2008年、298頁~299頁)

小目タスキ 参考譜 張栩vs淡路修三


⑧2003年 張栩-淡路修三 (350頁)
第24型 【参考譜1】
2003年 第28期棋聖戦リーグ
白九段 淡路修三
黒本因坊 張栩

【参考譜】(1-64)
・黒7のヒキは、白8に手を抜く作戦で、黒9のカカリを急いだ。
・白10のハサミに黒11のケイマは、趣向である。
※白12の受けでは、

【1図】(右辺を重視)
・白1のケイマから3と右辺を重視するのもある。
・黒4のシマリに白5以下9と隅を守り、黒10から12と左辺に展開し、これもあったろう。

※譜の白12に受ければ、黒13のカケから19のケイマが手厚い。
 白20に、黒21と下辺に展開したが、
【2図】(シマリ)
・黒1のシマリも好点である。
・白2のヒラキから4の守りが自然な流れであるが、黒からはaのノゾキのねらいが有力になってくる。

※手順中、黒3では、
【3図】(一長一短)
・黒1とツケて上辺に侵入するのもある。
・白2以下黒7に白8とヒラいて、前図にくらべ、一長一短である。

※黒21に白22のハイ以下28までは定形で、白の実利に黒は外勢を築く。
 白24のハネコミは肝要で、

【4図】(大模様出現)
・白1と左辺に向かうと、黒2のオサエが先手になり、4のシマリで下辺一帯に大模様が出現する。

※黒は29から31と一路広くヒラき、いっぱいにがんばった。
 この隙を衝いて、白32でAに打ち込むのは、黒B以下Fのトビとなり、右方の黒の勢力が働いてくる。
(依田紀基『基本布石事典 下』日本棋院、2008年、350頁~351頁)

小目・向かい小目 参考譜 山田拓自vs三村智保


②2001年 山田拓自-三村智保 (370頁)
第26型 【参考譜】(1-61)
2001年 第26期棋聖戦リーグ
白九段 三村智保
黒六段 山田拓自

・白10は軽い手で、勢力の碁を目指している。
・黒は11と受けたが、これでは下辺を黒34と割るのもある。
・白12と三連星を布いた。
・白14に黒15の三々入り以下、19までは定石である。
・白20のケイマは柔らかい手である。
(通常は、白(16, 十四)、黒(18, 十四)で手を抜く)
・白22は形。
・黒23と下辺からのカカリは正しい。

【1図】(黒、無理気味)
〇白10は軽い手で、勢力の碁を目指している。これに対しすぐ、
・黒1と切るのは性急過ぎで、白2、4から6とカケツがれる。
・黒7以下の戦いは無理気味である。

【2図】(黒、先手)
〇黒は11と受けたが、これでは下辺を黒34と割るのもある。続いて、
・白1のトビサガリには、黒2から4のハイを決めて、先手を取るのも、一策である。

【3図】(上辺に備える)
〇白12と三連星を布いたが、これでは、
・白1とヒラくのもある。
・黒2の割り打ちに、白3とツゲば、上辺は一人前の形。
・黒4のヒラキ以下8まで、これもあるだろう。

【4図】(がんばり過ぎ)
〇白22は形だが、これで、
・白1のオサエはがんばり過ぎで、黒2を決めて、4、6以下10と抵抗されると、白地はガラガラになる。

【5図】(黒、重複)
〇黒23と下辺からのカカリは正しく、
・黒1からカカるのは、白2、4とツケノビられ、黒7のヒラキが上方の低位の黒▲(3, 七)とコリ形になり、黒はおもしろくない。
(依田紀基『基本布石事典 下』日本棋院、2008年、370頁~371頁)

小目・向かい小目 参考譜 趙治勲vs小林覚


【補足】小林覚氏の実戦譜(vs趙治勲)~依田紀基『基本布石事典 下』より
第28型 【参考譜1】
1995年 第19期棋聖戦第5局
白九段 小林覚
黒九段 趙治勲

第28型 【参考譜1】(1-59)
・白は6のカカリから8、10と手厚く運んだが、8では手を抜いてAとヒラき、黒9、白10、黒Bに白Cと足早に展開するのも一策。
・白12のハサミに、黒13、15と下辺を割って足早の運び。
・白16と備えたのは手厚い。
・黒17に、白18は不利を承知で打ち込んだものである。
・譜の黒39のカカリを急ぐ。
・白40の大ゲイマに、黒41と入った。
・黒41と入れば、43以下生きはあるものの、周囲の黒が手薄くなってくる。

【1図】(これも一局)
〇白16と備えたのは手厚いが、
・白1のヒラキも好点である。
・しかし、黒2以下の動き出しも大きく、以下黒12まで、これも一局である。

【2図】(穏健路線)
〇黒17に、白18は不利を承知で打ち込んだものであるが、これは、
・白1のボウシくらいなら穏健路線で、黒2に白3が好形であった。

【3図】(黒、名調子)
・上辺にさわらず白1と右辺に向かうと、黒2のトビが絶好点になる。
・白3に、黒4、6と自然に左辺を囲って名調子となる。

【4図】(効果が薄い)
〇黒37、白38のとき、
・すぐ黒1、3とハミ出すのは、白4のハネ一本から6の大場にまわられ、黒つまらない。
・ここは、譜の黒39のカカリを急ぐ。

【5図】(立派なヒラキ)
・黒1のヒラキも立派。
・白2、4と隅を守られるのを嫌ったのであろうが、黒5で不満ない。
(依田紀基『基本布石事典 下』日本棋院、2008年、390頁~391頁)

小目・向かい小目 参考譜 加藤正夫vs羽根直樹


⑥1998年 加藤正夫-羽根直樹 (392頁)
第28型 【参考譜2】
1998年 第46期王座戦本戦
白七段 羽根直樹
黒九段 加藤正夫

【参考譜】(1-53)黒21コウ取る 白24コウ取る

【1図】
【2図】
(依田紀基『基本布石事典 下』日本棋院、2008年、392頁~393頁)

小目・向かい小目 参考譜 依田紀基vs三村智保


【補足】三村智保氏の実戦譜~依田紀基『基本布石事典』より
<小目・向かい小目>【参考譜】
⑨2004年 依田紀基-三村智保 (416頁)
第31型 【参考譜1】(1-58)
2004年 第59期本因坊戦プレーオフ
白九段 三村智保
黒名人 依田紀基

・隅をシマらずにすぐ5とカカリ、白6のハサミに黒11と実利に就いた。
・白14のオサエ。
・黒17のコスミに、白18から20のワタリは欠かせない。
・白18で右上にカカると、黒(2, 十四)、白(1, 十四)、黒(2, 十二)の動き出しが厳しく、逆に白が攻められかねない。
・黒23から25に白は手を抜いて、25にヒラいた。
・白28のハサミ。
・白38、48のツケハネは筋である。

【1図】(一子が遊ぶ)
〇白14のオサエで、
・白1のオサエから5と下辺に構えるのは、黒先手で6のシマリにまわる。
※白は白△の一子が遊んでおり、不十分である。

【2図】(白、遅れ気味)
〇黒23から25に白は手を抜いて、25にヒラいた。これでは、
・白1から3が定形であるが、この場合、黒4から6と大場にまわられ、白は遅れ気味である。

【3図】(白、厚い)
〇ただし、2図の黒4で、
・黒1に受けると、白2以下6まで中央が厚くなり、絶好の8に展開される。
※また、白2ではaのカケもありそうだ。

【4図】(定形だが―)
〇白28のハサミで、
・白1のコスミツケ以下5までは定形だが、黒から6または黒a、白b、黒cと圧迫される可能性がある。

【5図】(白模様消える)
〇白38、48のツケハネは筋であるが、38で、
・白1と止め3と広げるのは、黒4以下10で簡単に白模様を消される。
(依田紀基『基本布石事典 下』日本棋院、2008年、416頁~417頁)

小目・向かい小目 参考譜 依田紀基vs高尾紳路


⑩2007年 依田紀基-高尾紳路 (418頁)
第31型 【参考譜2】
2007年 依田紀基-高尾紳路 (418頁)
2007年 第62期本因坊戦第4局
白本因坊 高尾紳路
黒九段 依田紀基

【参考譜】(1-70)
・黒5のカカリ一本から7と高くシマッった。
・白8から10と割ったのは、黒9の両ジマリを許しても、ゆっくり打つ作戦である。
※黒11とカドを衝いたが、

【1図】(大場へ先行)
・黒1から3、5と大場へ先行するのもある。
・白2は根拠を確かめる好点である。
・譜の白12の押しで、Aと間隙を衝くのは、黒12、白B、黒Cと突き抜かれて、白よくない。
・白14に黒15、17以下、サバキに出たが、15でDのツメも好点であり、白15のシマリに黒28と動き出すのもある。
・黒23は、白24と封鎖されても、黒27まで先手で生きにつく作戦である。
・黒29のカカリは苦心の一手。
※これで、

【2図】(壁に近寄る)
・黒1の割り打ちは、白2からツメられ、黒3のヒラキが白の壁に近寄り過ぎる嫌いがある。
・後に、白a、黒b、白cの封鎖が厳しい。
※白30のツメで、

【3図】(黒の注文)
・白1のコスミは穏やかであるが、黒2、4と好点にヒラいて、これは黒の注文である。
※黒33、35のツケハネに白36のツギでは、

【4図】(黒の踏み込み)
・白1のノビが自然であるが、3に黒4の踏み込みを嫌ったものか。
(依田紀基『基本布石事典 下』日本棋院、2008年、418頁~419頁)

小目・向かい小目 参考譜 結城聡vs小林覚


結城聡氏の実戦譜~依田紀基『基本布石事典 下』より
<小目・向かい小目>【参考譜】
⑪2006年 結城聡-小林覚(426頁)
【第32型 参考譜】(1-76)
・白6のヒラキに黒7とカカリ。
・白10のカカリに、黒11のコスミは根拠を与えない、力強い手。
・黒11となったとき、白12、14のツケ切りでサバく余地が生じる。
・黒13のケイマではハサミもありそう。
・黒19のトビに、白20のトビは省けない。
・黒21のボウシに、白22、24以下、脱出を図り、中盤の戦いに入った。

【1図】(模様を拡大)
〇白6のヒラキに黒7とカカったが、
・黒1とツメ、白2なら黒3、5とケイマで模様を拡大していくのもある。
・続いて、白aは黒bで理想形になるので、白bのボウシから消すことになろう。

【2図】(サバキの筋)
〇白10のカカリに、黒11のコスミは根拠を与えない、力強い手である。これでは、
・黒のケイマが定石であるが、白のカカリから実戦と同じように黒11となったとき、白12、14のツケ切りでサバく余地が生じる。

【3図】(利かし)
〇譜の白12のカカリでは、
・白1の肩ツキも目につく。
・かりに、黒2と受け、白3以下8となれば大変な利かしで、白9にカカって十分である。

【4図】(白の強行手段)
〇しかし、黒2では、
・黒2のコスミツケから4と切る強行手段がある。
・白5以下抵抗しても、黒10となっては白苦しい。
※黒13のケイマではAのハサミもありそうだが、白Bとかわされ、黒Cに白D、黒16、白Eと展開されて、おもしろくない。

【5図】(つらい封鎖)
〇黒19のトビに、白20のトビは省けない。これで、
・白1の逃げを急ぐと、黒2から4と封鎖され、これは白はつらい。
(依田紀基『基本布石事典 下』日本棋院、2008年、426頁~427頁)

第3章 目外し 第5型(480頁~)
2譜 7図(ツメ方)ツケ切り  8図(白模様拡大) カケ+ツケ

第3章 目外し 第5型


第3章 目外し 第5型
【テーマ図 1譜(1-15)】
【テーマ図 2譜(16-22)】
・右上隅が一段落し、白は16とシマッた。
※黒21の理由は8図で解説

【7図】(ツメ方)
〇白は18とツメたが、これでは、
・白1と左方からツメるのもあるが、これには黒2とヒラく。
・白3のシマリに黒4と守って、強固な構えになる。
※白3で、aの打ち込みには、黒3、白b、黒cのツケ切りがあり、黒のサバキは容易である。

【8図】(白模様拡大)
〇白18のツメには、黒19以下21のトビが定形であるが、21で、
・黒1、3と左辺へ先着すると、白4から6のツケが強手になる。
・黒は7以下11と運ぶよりなく、白12のノビまで右方一帯の白模様が拡大する。
※よって、譜の黒21は欠かせない。
(依田紀基『基本布石事典 下』日本棋院、2008年、480頁~483頁)

第3章 天元 第10型


【1~3譜(1-49)】

【1譜】(1-14)初手、天元
・黒1の天元は、コミ碁の現代ではほとんど見られないが、勢力主体の変化に富む布石である。
・白2、4の二連星に、黒は高目と目外しで威圧する。
・白6は変則なカカリ。
・白6に、黒のケイマ。
・黒11のコスミに、白12の三間ビラキは手堅い。
・黒13の天王山は逃がせず、逆に白13を許してはいけない。
・白14のカカリ。

【2譜】(14-24)白、模様を荒らす
・白14には、黒15のコスミが形。
※この布石は、双方ともに天元の石を常に意識していなければならない。
 ちょっとした不注意から、一気に形勢が傾く恐れがある。
・黒15に白16とはずしたのが臨機の一手。
・譜の白16とくれば、黒17以下21のツギまでは一本道である。
・白は、隅の一子を捨てて、かわりに22まで所帯を持った。
※黒はこの代償として右上隅から上辺にかけて、模様の構築に資することになる。
 天元の布石は、黒は単に一カ所の模様にこだわらないで、柔軟な考えが必要である。
・黒23とカカって、碁を広く持っていくところ。
・黒23には白24と割る。

【3譜】(24-49)黒は戦い歓迎
・白24の割り打ちは、ゆっくりした碁に持っていく工夫の一手である。
※戦いは黒の望むところであり、天元の石が働いてくる。
・白24に、黒は25と左方からツメた。
・白は26以下34まで、所帯を持った。
※白は弱い石をつくらないことが、天元を働かせない要諦である。
・黒35で両ガカリ。
・黒35には、白は36から38とオサえることができ、白46までで一段落。
・黒47から49と構えた。
(依田紀基『基本布石事典 下』日本棋院、2008年、516頁~521頁)


第3章 天元 第10型 参考譜 山下敬吾vs林海峰


【2000年】第26期天元戦本戦
 白 九段 林海峰
 黒 六段 山下敬吾

山下敬吾vs林海峰
【参考譜】(1-64)
※コミ碁の現代、初手天元の碁はほとんど見られず、本局は珍しい。
・白6のカカリに黒7のカケは、天元を活かす道である。
・黒11のブツカリから13のオサエは非常手段。
※11で14のツギは、白(14、二)で甘いとみた。
・黒13に白14の切りから戦いに突入した。
・黒21以下白24に、黒25から27のケイマが形である。
・黒は51以下53、55と忙しく立ちまわる。

【1図】(天元をぼかす)
〇白6のカカリに黒7のカケは、天元を活かす道であり、これで、
・黒1、3のツケヒキは、白4、6と軽く展開され天元の一子がボケてくる。

【2図】(シメツケ)
〇黒11のブツカリから13のオサエは非常手段。11で14のツギは、白(14、二)で甘いとみた。白12で、
・白1のノビは、黒2、4の切りサガリから、6のオサエでシメツけられ、よくない。

【3図】(白のねらい筋)
〇黒13に白14の切りから戦いに突入したが、白18では、
・白1のカドがねらいの筋で、黒2にサガると、白3から5となって、黒ツブレ。

【4図】(白、空振り)
〇3図の黒2では、
・黒1のハネ一本が手筋で、
・白2に黒3以下7となれば、白のねらいは空振りに終わる。

【5図】(黒、甘い)
〇黒21以下白24に、黒25から27のケイマが形である。これで、
・黒1のトビは、白2以下黒7となり、黒▲の高目が甘くなる。
※また、白が厚くなり、天元の石も威力を失ってくる。

【6図】(天元働かず)
〇黒は51以下53、55と忙しく立ちまわる。55で、
・黒1、3と下辺に展開するのは、白4を利かされ下辺はまとまるが、肝心の天元が働かない。
(依田紀基『基本布石事典 下』日本棋院、2008年、522頁~523頁)



≪囲碁の布石~林海峰氏の場合≫

2024-12-30 18:00:05 | 囲碁の話
≪囲碁の布石~林海峰氏の場合≫
(2024年12月30日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでも引き続き、囲碁の布石について、次の事典を参考にして考えてみたい。
〇林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]
 この布石事典の特徴は、「はしがき」にも述べてあるように、布石の歴史的変遷についても、述べている点にあるだろう。
 例えば、昭和期の布石の変遷について、次のように記す。
 布石でいうなら、大正から昭和かけての旧布石法が昭和8年秋の布石革命によって新しく生まれかわり、やがて新旧布石統合時代を経て、昭和30年の第二の新布石時代を迎える。
 そのあとに実利主義に徹した力戦志向の布石時代が続いたかと思うと、今度は中国流や二連星、三連星による勢力尊重の新しい波がひろがり、第三の新布石期が誕生する。
 そして、その時流の動きを正確にとらえることも、本書の重大な任務であったという。
 また、多くの実戦参考譜を用意し、その局に応じて同種型の変化、応用を示した点も、この事典の特徴である。
(本事典は大部で多岐にわたるため、網羅的に紹介することはせず、私の個人的な興味でテーマを選ばさせていただいたことを、お断りしておく)



【林海峰『基本布石事典(上)』(日本棋院)はこちらから】


〇林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]
【目次】
第1部 二連星・三連星
第2部 タスキ型
第3部 星・小目
第4部 中国流
第5部 特殊戦法




さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・はしがき
・星打ちと連星
・二連星
・昭和期の布石の変遷について
・三連星
・タスキ星の意義
・中国流
・特殊戦法としての天元






はしがき


・碁の打着点は、きわめて流動的なものである。
 布石は、一局の構成の基本となるものであるが、碁の個性的な本質がそのまま現れて、流動的な内容をもっている。
・中盤の手どころや死活と違って、布石にはいく通りもの行き方があり、それがそれなりにみんな正しい。それを統一し、画一されたメニューにおさめることは、至難なわざに属する。
・本書は、布石のすべてを網羅し、分類したものではないという。
 布石のおおよその類型を整理し、その代表的なタイプと思われる局に解説を附したものである。とくに意を用いたのは、その類型をより明確にするために、多くの実戦参考譜を用意し、その局に応じて同種型の変化、応用を示したことである。
 対局にあたった棋士の創意と苦心、そして歳月をかけた体験と努力がわかるだろうし、これによって布石の事典としての価値が高まるとする。
・本書は星の第一着手を基本として、型を分類した。
 上巻を「星」、下巻を「小目」と大別した。
 これによって、第一着が星である二連星とか中国流は上巻、そして小目を三つ組合わせる秀策流は下巻を見れば、それぞれの章項におさまっているという形にした。
 星、小目以外の第一着手では、天元、辺や隅の高い初手(5ノ十、大高目や5ノ五など)は上巻に、そして目外し、高目、三々などは下巻に、収録した。

・布石にしても定石にしても、序盤の碁の打ち方は、実に流動的である。
 ここ半世紀の歴史を調べただけでも、その変遷の激しさ、移りかわりの早さは驚愕に価する。
 布石でいうなら、大正から昭和かけての旧布石法が昭和8年秋の布石革命によって新しく生まれかわり、やがて新旧布石統合時代を経て、昭和30年の第二の新布石時代を迎える。
 そのあとに実利主義に徹した力戦志向の布石時代が続いたかと思うと、今度は中国流や二連星、三連星による勢力尊重の新しい波がひろがり、第三の新布石期が誕生する。
(その時流の動きを正確にとらえることも、本書の重大な任務であったという。)
(林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]、3頁~4頁)

星打ちと連星


・星打ちの発展の歴史は、白番の創意、工夫に発し、白の布石の発展とともに歩んだといってよい。黒の第一着を星に打つことが一般化したのは、時代が下ってからである。
 星を誰が初めに打ち出したかは定かでない。現存の遺譜によれば、丈和の対局に見られるものが古い例の代表と思われるという。
(【参考譜1】文政4年(1821) 白本因坊丈和(名人、12世) 黒井上安節)
(林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]、16頁)

二連星


〇二連星 第1局
 秋季大手合 昭和14年
  白 七段 木谷実
  黒 六段 林有太郎 中押勝
・昭和十年台、すでに新布石旋風もおさまり、新旧布石の統合時代に打たれた二連星の局である。
 先番の林が星をふたつ打ち、新布石提唱者の木谷が碁風の変化を表して、白2、4の向かい小目に布陣している。
※二連星対策として呉清源が愛用し白の布石法として定着したのが、この向かい小目であった。
・黒5と高ガカリして、白6のツケに黒7、9とナダレていくのは、まさに現代的な手法である。
・白10のツギが木谷流。
・黒11とノビられ、多少利かされの気味はあるが、ナダレの大型定石によって碁が決まりがちになることを避け、堅実を旨とした手である。
・白12、14のハイは、保留して単に16とトブのもあり、黒を厚くしない意味でそう打つケースが多い。
・黒17のケイマは絶好点。
≪棋譜≫1譜(1-18)二連星 林vs木谷、20頁
(林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]、20頁~21頁)

昭和期の布石の変遷について


 著者の林海峰氏は、昭和期の布石の変遷について、次のように述べている。

●新布石革命
①昭和8年秋、新布石革命
 新布石時代の木谷実と呉清源の星打ちに関する考え方の差
②昭和30年前後の第二の新布石時代
③昭和50年前後の第三の新布石全盛期(中国流や二、三連星)
※20年周期で布石の変遷は興味深い。

【①昭和8年秋、新布石革命】
・昭和8年秋、新布石革命は燎原の火のごとく燃え盛り、囲碁界を席捲した。
 主唱者は木谷実と呉清源である。
 その三連星ないし星打ちが中心となって、高目、大高目、5ノ五、三々などの特殊戦法による中原志向が、旧来の布石法の価値観と鋭く対立、これをひっくりかえそうとした。
・旧手法は、第三線が主体の考え方なので、これを否定するためにはどうしても石の位置が高くなり、中央が主戦場となる。
・黒1、3、5の星の三連打は、位を高く保ち、勢力を誇示するのに絶好の拠点となった。
・三連星主唱者の木谷実が、前田陳爾の黒の三連星に対して、白の三連星で向かっていった。

【新布石時代の木谷実と呉清源の星打ちに関する考え方の差】
・新布石時代の木谷と呉の星打ちに関する考え方の差について指摘しておく。
 両棋士は昭和8年夏、信州地獄谷で新法について意見を交換したのは事実であるが、それではそれを三連星とか5ノ五で打ってみようという具体的な問題まで提起したわけではなかったようだ。
・木谷は、石の働きを三連星による勢力拡張で表現しようとしたし、呉の星や三々に対する考え方は一手で隅を打つという経済性にあり、必ずしも三連星にこだわっていなかった。
 前者は位高く中央に勢力を盛り上げようとし、後者は布石の速度に重点をおき、両者の間には微妙な差があった。

【②昭和30年前後の第二の新布石時代】
【③昭和50年前後の第三の新布石全盛期(中国流や二、三連星)】
・昭和ひと桁の新布石法は、やがて新旧布石統合時代を経て、昭和30年前後の第二の新布石時代を生み、またそれが50年前後の中国流や二、三連星を中心とする第三の新布石全盛期につながる。
・20年周期で布石の変遷があったのは興味深い。



・三連星主唱者の木谷実が、前田陳爾の黒の三連星に対して、白の三連星で向かっていった。
【木谷実vs前田陳爾】
昭和11年 春季大手合 
 黒六段 前田陳爾(15目勝)
 白七段 木谷実

・新法の提唱者は、自ら編み出した新法にも苦しまねばならなかった。
・黒7に対して、白8の天元が苦心の一着である。

<二間の消し>
・白10の二間トビが左右同型の消し方で、この時代の面白い手法である。
※独得の研究であり、その研究のバックがなければ打てない手といえる。
 高いところから、黒の三連星を中心とする勢力を、大きく消しているのが特徴である。
・黒11と一間にカカリ、白12の二間に、黒13と二間に応じた。
※このあたりのかけ引きが興深い。

<白あまかった>
・白18のマゲが問題のあるところ。
・黒19の打ち込みが機敏。
・白20とこのほうからオサエたので、黒21以下楽に隅から辺を荒らすことができた。
・下辺に転じ、白32のツケが痛烈であった。
※黒33のノビで34にハネれば、むろん白33に切ってくる。
・その戦いを不利とみて、黒は33にノビた。
※コミのない碁だから、白は相当頑張らねば追いつかない。
 黒37までかなり強引な封鎖の仕方であるが、黒も下辺が大きくまとまり、この結果に不満はないであろう、とする。
 白の難局といっていいと評する。

<黒好調>
・黒39と左下隅にツケたのが、いいタイミングであった。
・白40のオサエに、黒47までハネサガリ、活形を得た。
※木谷実「白48では、「い」(13,四)と打ち込むなどはどうであったか」
 48と中央をかこっても、黒49と受けられて、白は地で対抗できない局面となっている。
 左辺の白模様はかなり大きそうに見えるが、あちこちにキズがあって、よほど能率よくまとめないと、60目にするのは容易でない。
・白50とここへなぐり込んでいったのは、この局面ではやむを得ないであろうという。
・黒は鷹揚に51と封鎖し、白52と隅にかわっていった。

<林海峰氏のコメント>
・本局は序盤の白の左上隅の打ち方に、問題があったようである。
・黒に唯々と隅を侵略されては地が足りそうもなく、下辺のツケ以降目いっぱいに左辺を模様化しようとしたが、これも成功しなかった。
・現状で黒の優勢は動かしがたい。

【変化図】
【変化図(80頁の7図)】
・白52で、1とスベるのは、黒2以下7まで、いじめを食う形がつらい。
・8のケイマで右辺がかなりまとまりそうであり、白堪えられそうもない。
・このあと、黒は中央を荒らすチャンスをつかみ、「ろ」、白「は」、黒「に」、白「ほ」、黒「へ」と白の唯一の宝庫になだれ込んでいった。
※この黒もとても取れるような石ではなく、ここを侵略されては白の苦戦は明らかであるという。
(林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]、74頁~81頁、127頁)

タスキ星の意義


・星打ちの発展のおおまかなことは、第1部の冒頭で示したが、タスキ星となると二連星や三連星とはまた違った視点からとらえなければならぬだろう。
・やはり星打ちは白の布石創意から発したという類例に従って、タスキ星も白番によって打たれ出したもののようである。
 勢力というよりも、スピードに重点をおいた布石法とみるほうが当たっていよう。
・タスキ星や二連星に限らず、星打ちは黒の小目を主体とした堅実な布石に対して、これを突きくずそうという白の意欲的な打ち方であるといっていい。
 とくに秀策流の小目一、三、五の布石に対して、効果があったようである。
 白の第二手目の星から右上隅の小目の黒にカカった場合、星の白が小目でないので、勢力発展方向が一方に限定されず、両辺に対して自在なものの考え方のできる点が特色である。そこに白の幅広い活動が約束される。
 布石に策を用いねばならぬ白としては、そこに妙味を見出さねばならぬのである。
(林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]、124頁~125頁)

【タスキ星】第1局
 第10期本因坊戦挑戦手合第4局 昭和30年
  中押勝 白 本因坊 高川秀格
      黒 九段  島村利博

・黒1、3のタスキ星は、足早な布石法である。
 二連星、三連星が勢力を重んじた打ち方であるのに対して、タスキ星は位を失わず、スピードを旨とした打ち方であり、これを愛用する棋士は少なくない。
・白は2、4の小目によって、黒のタスキに対応している。
・黒5のカカリに、白は6とシマった。
 この手はこの隅を打つか、あるいは5の一子をハサむか、ふた通りあるところ。
 大ゲイマのシマリは趣向である。
・ここで黒は7と、下辺を三間にヒラいた。
・白8の二間が、実に渋いヒラキだった。
(林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]、128頁~129頁)

第4部 中国流


・本書では、黒が第五手目を辺の第三線に打つ形を中国流、そして第四線の高い位置に打つものを新中国流という表現に統一したという。
(五手目の高い中国流は中国流を発展是正した意味をこめて、修正中国流ともいわれているが、ここでは新中国流で通したそうだ)

・中国流の布石法は、本来、日本で生れたものである。
 それが中国に渡り、中国から逆輸入されて、この名がある。
 ここでは中国流を生むに至った背景と、それに共通する布石法が従来から日本にあったことを述べて、この部の導入としたいという。
(林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]、308頁)

・中国流布石は、昭和30年台(表記ママ)に安永一を中心とするアマチュア強豪の間で研究され、打たれていた。
 そして、安永が中国に渡り、中国選手にこの打ち方を紹介、当地でその技法が検討され、黒の5の手が第三線の低い中国流として日本に逆にもどってきた。
 また、昭和41年に訪中した島村俊広がこの布石法の感化を受け、ひと頃、島村流の名でプロ碁界を悩ませたのは、衆知のところである。
・日本の囲碁界で中国流が流行し、これを実戦に用いる棋士が多くなったのは、昭和40年台の後半から50年台にかけてである。
 武宮正樹にみられる大模様作戦が二、三連星の星打ちを基調としたのに対応し、中国流と新中国流が爆発的な人気を呼び、これら勢力重視と中央志向の風潮は、第三期の新布石時代再現の様相さえ呈するに至った。
・ある時期の加藤正夫は黒番のすべてを新中国流に徹し、抜群の成績とともにこの技法の発展に寄与した。
・中国流がこれだけ囲碁界に人気を得た原因として、一時期実利主義に走った全体的な傾向に対する批判と従来の布石を立体的な視点でとらえ、これに流動性を与えようとする時代的な要求があったことを、あげねばならぬだろう。
(林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]、310頁~311頁)

【参考譜6】梶原武雄vs陳祖徳
【日中交流対局】昭和40年
 白 八段 梶原武雄
 黒    陳祖徳

※中国選手が日本との交流の中でもち来った最初の頃の中国流。
 受けて立つ梶原は、かねてよりこの手法の研究家であり、この技を得意とした陳との顔合せが興深い。
・白28は、黒が次に39と受け、白37、黒a、白bのノビを期待したが、黒29の反撃がきびしかった。以下、白38までは勢い。
(林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]、310頁)

中国流 第1局


林海峰vs梶原武雄
【第10期名人戦リーグ】昭和45年
 中押勝 白 本因坊 林海峰
     黒 九段  梶原武雄
≪棋譜≫(1-54)1譜~7譜

【1譜】(1-13)下辺の大場
※梶原は、中国流出発当初から、この布石の研究家であり、その実戦体験は少なくない。
・黒1、3と星と小目の組合せから、5と左上の小目にカカっていった。
・いきなり五手目の中国流でなく、白6、8とツケ引いたところで、黒9と、このかまえについたものである。
・白は10と、下辺の大場を急いだ。
※黒が左上隅を手抜きしたのだから、当然、白(4, 六)と切ることが考えられる。
・黒11とここへ手がもどって、白12、黒13の定石ができあがる。
※白10、12と右方に石が向いたので、黒の中国流は後年にみられるような大模様化は望めなくなった。

【2譜】(14-18)軽くカカる
・白14のツメは、次に白(3, 八)の打ち込みをみて、まずこの一手であろう。
※黒からここをカカられるとの差は、きわめて大きい。
・ここで、黒は、15と一間にかまえた。
※14までの布石は、これより先、関山利夫との対局でも全く同型を経験したことがあるが、その碁では、15は(14, 四)とこのほうに一間に打たれた。
※黒15は、1時間近い長考の手だった。

・黒が上を守ったので、白は右下にカカるのは当然である。
※16と二間に、逃げ足早くカカった。
・そして、17のケイマに、白18と単純に一間にトビ、策をろうさなかった。

【3譜】(19-22)切りちがえた
・白の一間トビに、黒19のトビも、この一手である。
※敵の急所は味方の急所で、双方ともこの点は譲れない。
※さて、白からは常に三々のツケがねらいであるが、19のトビをまってそれを実行した。
 放置して、黒から21とコスんで攻められては、白が浮きあがってしまう。
・白20とツケた。
※この際、白の一間トビが隅の戦いにどの程度参加し、それがどの程度の利をもたらすか問題のところであり、またバックにある19の黒の一間トビの存在も注目せねばならない。
※中国流は、布石構造が立体的であるだけに、こういう戦いがむずかしくなる傾向がある。

・黒21のハネダシは、まず当然である。
・黒21とハネダし、白22と切って、以下のっぴきならぬ戦いに発展する。

【4譜】(23-24)ふた通りのアテ
・ここで、黒は、単純に切った白一子をカカエることはしなかった。
 23とアテ、白24のサガリとかわった。
※このあたりが、この部分戦のポイントである。
※ただし、局後の検討で、23では24のほうからアテる手のあることがわかった。
 この隅のアテにはふた通りの打ち方があり、黒も変化図にかなり食指が動いたようだ。
・なお、黒23のアテに、白24のサガリはやむを得ない。

【5譜】(24-34)カケツいでふんばる
・白24とこちらへサガらせた以上、黒25のアテから29のツギまでは一本道。
・白も30とここを切って、抵抗するよりない。
・29は、ここをツグ一手。
・白は30と切り、ラッパにカケツぐよりない。
※格好は悪いが、これが唯一のシノギ筋である。
・黒はここで33にアテ、白34のツギとかわってから、行動を起こしたが、変化のひとつとして、こうアテない打ち方も考えられた。

【6譜】(35-45)せり合い
・アテとツギの交換をしてしまったので、黒35、37の出切りには、白38、40とここを出ていきやすい形となった。
・ここで、黒41と下をハネるのが手筋で、次に43のツギをみている。
※41で(18, 十八)とオサエ、白43に抜かせて、隅の活きを考えるようでは、落第。
・白42の出は余儀ない。
・隅の二子を取られ、白44とハダカで逃げ出したのはつらいが、このくらいのことはやむを得ない。
※元来、ここは黒が二手先着して、その勢力圏であり、そこへあとから入っていったのだから、多少の苦しさは覚悟しなければならない。
 それが中国流布石に手をつける場合の心得である。
 あまりひどい目に合わずに逃げ出すことができれば、それでよしとしなければならない。
※白は44までのハダカの石が下辺の星下の一子と握手したのが、この場合の救いである。

・さて、ここで黒は45と中央をコスんだ。
※右下隅の攻合がどうなるか心配のところであるが、それには次譜の絶妙手を用意しており、これは梶原武雄らしい読みであった。
 が、外に利きの残るのがいやである。
※著者なら、手堅く黒(18, 十八)とカカエているという。

【7譜】(45-54)せり合いの碁
・黒が右下隅を放置して、45と打ったのは、白46のマガリに対して、黒47とサガる巧筋をみていたからである。
 これをほかの打ち方では手になってしまう。
・このあと、白48、50に黒51と強打を打ち、白54についで、黒(10, 十三)、白(9, 十四)と反撥して、大戦争になった。
※せり合いに終始した碁であり、中国流の戦闘的性格が表面に出た一局ともいえよう。
(林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]、312頁~325頁)

第5部 特殊戦法 天元


・特殊戦法といえば、天元をはじめ第一着手を辺に打ったり、隅の大高目や5ノ五等に配したりと、そういう種類の打ち方の総称である。その多様性はいうまでもない。
・昭和ひと桁の新布石革命前後の久保松勝喜代の天元打ちは、その熱心な研究と共に有名である。大手合の黒番で天元を打ち続け、同じ関西の棋士陣営に大きな影響を与えた。
・すでに、天元は、寛文10年(1670)の道策・算哲の御城碁で打たれているなど、歴史は古いが、地のあまさとその勢力活用法に問題があって、技術的な発達をみていなかった。
 中原を志向する新しい試みとして、脚光を浴びるようになったのは、昭和に入ってからであり、今も有力な序盤の技法として、研究の対象になり得るものである。
(林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]、458頁)

天元 第1局


・昭和初年の新布石は、中央重視の傾向を極端に示し、当然の成り行きとして天元を志向するものも多く出て、その代表的な打ち手は関西出身の雄、久保松勝喜代だった。
 
【小野田千代太郎vs久保松勝喜代】
【秋季大手合】昭和9年
    白 六段 小野田千代太郎
七目勝 黒 六段 久保松勝喜代
≪棋譜≫1-58

【1譜】(1-19)中央志向
・黒1の天元から、3、5とこのふたつの星を占めたのは、正しい布石設計であり、白ももうひとつ黒に右辺の星を占められると、模様が深くなるので、6と割っていくところ。
・ただし、この6の位置は当時の三連星対策としてよく用いられた手であり、星下より一路ずらしているところがミソである。
・黒7、9と上下の星を占めたとき、白10とカカる。
※10で15とトブことも考えたという対局者の感想があるが、これは天元の一子を意識した発言であろう。
・黒11とツケて、さっそく一戦に及んだのは、力戦を好む久保松勝喜代らしい。

【2譜】(20-35)抜くのが主旨
・黒にアテられて、白もおめおめとツイではおられない。
・20とツケ以下27としたのが、巧みなコウ材つくりだった。
※小野田は、“鬼田”とも称された剛腕の持ち主。
・右上隅のコウダテを利して、28とさっそくコウを仕掛けたあたり、その力強い芸風がよく表れている。

【3譜】(36-58)黒攻勢
・白が左下隅を一本利いてくれたので、黒は楽になった。
・むろん白36のコウダテは受けず、黒37から39とハネてふりかわった。
・黒43のハネがきつく、49にノゾいて、いじめられた。
・白54以下、ここに小世帯をもとうとするが、まだ完全ではなく、寄りがもどそうな局勢である。
※序盤から激しい戦闘となった一局である。
(林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]、458頁~465頁)

・鈴木越雄は、中原志向の人。
 梶原の外まわり、武宮の大模様、白江のアポロ流とはひと味違った、中央の厚みで打つ碁だったという(474頁)
(林海峰『基本布石事典―上(星の部)―』日本棋院、1978年[1983年版]、474頁)

≪囲碁の布石~片岡聡氏の場合≫

2024-12-29 18:00:03 | 囲碁の話
≪囲碁の布石~片岡聡氏の場合≫
(2024年12月29日)

【はじめに】


 今回のブログでも引き続き、囲碁の布石について、次の著作を参考にしながら考えてみたい。
〇片岡聡『布石 これだけはいけない』フローラル出版、2001年[2003年版]
 「はしがき」にもあるように、序盤は中・終盤にくらべ、比較的自由である。ただし、比較的自由な序盤でも、それなりの制約がある。その制約を無視すれば、いきなり形勢を損なうことになる。本書では、その制約にスポットを当ててみたという。
 タイトルにもあるように、その局面で「これだけはいけない」という手を強調して論を進めている。なぜいけないのかを解説することで、序盤に対する基本的心構えを述べたという。
(片岡聡『布石 これだけはいけない』フローラル出版、2001年[2003年版]、3頁)

【片岡聡氏のプロフィール】
・昭和33年、千葉県生まれ。榊原章二九段門下。
・昭和42年院生。昭和47年に入段、昭和63年に九段昇段。
・昭和52年、53年留園杯連続優勝。
・昭和54年、初のタイトル戦に挑戦するも加藤正夫天元に敗退。
・昭和57年新人王戦優勝。同年、第8期天元戦に加藤天元を破り、初タイトルを獲得。
・平成2年鶴聖戦優勝。
・平成10年早碁選手権戦優勝。
※本因坊リーグ11回、名人戦リーグ6回出場。棋道賞2回。



【片岡聡『布石 これだけはいけない』(フローラル出版)はこちらから】







〇片岡聡『布石 これだけはいけない』フローラル出版、2001年[2003年版]


本書の目次は次のようになっている。
【目次】
はしがき
第1章 序盤を乗り切るコツ
 序盤は「自由」か?
 どう打っても一局
 着手決定のプロセス
 大局を見誤るな
 構想をたのしむ。ただし―
 どこにでもある落とし穴
 これだけはいけない

第2章 狙いを秘める
 仕掛けのタイミング<研究局①>
  出切って戦う 三方ガラミ
 防御は攻めに通ず<研究局②>
  遠慮のカカリ 堂々のカカリ
 厚みを意識する<研究局③>
  中国流布石概要 勢力を活かす 気分は攻め 踏み込む

第3章 石の効率と働き
 攻守を兼備<研究局④>
  着意の継承 攻めも狙う
 八方をにらむ<研究局⑤>
  光る中央の一歩 狙いの決行
 緩急をつける<研究局⑥>
  常識的対応 打ち込んでこそ
 厚みには敬意を<研究局⑦>
  ワリ打ち 浅く消す
 続・厚みには敬意を<研究局⑧>
  限界の大ゲイマ 

第4章 石の方向と流れ
 目的意識を持つ<研究局⑨>
  相手の注文は? 大きく攻める
 大所を逃がすな<研究局⑩>
  第一級の大場 模様のスケール
 本手の威力<研究局⑪>
  一手で厚みに
 気合いというもの<研究局⑫>
  手抜きを咎める
 手順も有力な武器<研究局⑬>
  厚みと呼応 「いま」だから



さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・氏のプロフィール
・はしがき
・第1章 着手決定のプロセス
・第1章 これだけはいけない
・第3章 「石の効率と働き」の「緩急をつける<研究局6>」
・第4章 「石の方向の流れ」の「気合というもの<研究局12>」




はしがき


・みなさんは布石は好きですか?
 碁の面白さは、なんといっても中盤の戦いである、という人も少なくないだろう。しかり、布石もそれなりに楽しいもの。
・序盤は中・終盤にくらべ、比較的自由である。
 「答」が出しやすい中・終盤に対し、序盤は「答」の得にくい分野。
 ああ打っても一局、こう打っても一局と、打つ人の価値判断によって「答」がまちまちになる場合が少なくない。その点が、よりいっそう布石を面白くしている。
・ただし、比較的自由な序盤でも、それなりの制約がある。
 その制約を無視すれば、いきなり形勢を損なうことになるだろう。
・本書では、その制約にスポットを当ててみたという。
 タイトルにもあるように、その局面で「これだけはいけない」という手を強調してみたようだ。なぜいけないのかを解説することで、序盤に対する基本的心構えを述べたという。
(片岡聡『布石 これだけはいけない』フローラル出版、2001年[2003年版]、3頁)

第1章 着手決定のプロセス


・みなさんは局面局面で、どのように打つ手を決めているだろうか。
 着手はおよそ、次のプロセスを経て決まる。
①大局を見る
 碁盤全体をながめる。
②構想を立てる
 立てた構想を実現するための、
③戦略、戦術を考える
 戦略が定まったら、その戦略にふさわしい
④着手を選ぶ
・おおむねこのような「手順」で着手は決定されているはず。
(片岡聡『布石 これだけはいけない』フローラル出版、2001年[2003年版]、12頁)

第1章 これだけはいけない


・大局(急場)を見誤れば形勢を損なう。
 大局を正しくとらえても、あとの構想に無理があれば、やはり形勢を損なう。
 大局を正しく見、立派な構想を持ったとしても、着点を誤れば同様。
・「序盤は比較的自由」「どう打っても一局という場面も少なくない」。実際、そうした場面もある。しかし、「これだけはいけない」という手も存在する。
 本書では、その点をとくに強調している。
 「これだけはいけない」という手と、その理由を示すことが、序盤感覚に磨きをかけることになる、と信ずるから。

【12図】
・著者(黒番)の実戦。
・白は1と浅くカカって来た。
・著者は黒2とケイマで応じ、白3と入らせて、黒4とコスミツケ。


【13図】
・12図の白1に対し、「これだけはいけない」という手は、13図、黒1の受け。
➡これこそ白の注文。
・白はすかさず2とツケてくるだろう。
・黒3、白4となったでき上がり図を見てほしい。
※下辺の白は立派な構え。
 黒▲はほとんど活力を失っている。
 なおかつ、白にはaのツケが残っている。白aとツケられると、黒は低位を強いられる。

(片岡聡『布石 これだけはいけない』フローラル出版、2001年[2003年版]、20頁~21頁)

第3章 「石の効率と働き」の「緩急をつける<研究局6>


「第3章 石の効率と働き」の「緩急をつける<研究局6>」(118頁~131頁)において、苑田勇一氏との実戦譜が載っている。

【研究局6】
 黒 片岡聡
 白 苑田勇一

≪棋譜≫118頁、片岡VS苑田


【第1譜】(1—19)あっさり
・白10のハサミまでは、黒白立場は違うが、研究局3とまったく同じ進行。
・著者は両ガカリではなく、あっさりと三々にフリカワる黒11を選んだ。
※「どう打っても一局」の場面

【第2譜】(20)細分化狙い
・白は20のカカリ。
※白(14, 三)でなく、こちら側のカカリは、局面細分化の狙いがある。
 局面を細分化して、コミに物を言わせようという手法。
(白(14, 三)との善悪はいえない)
※著書では、ここをテーマ局面としている。
➡白のカカリを迎え、きわめて常識的な応接でよい。
 中国流のこの部分にカカえられたときは、対応は決まったようなもの
・定法通り、黒21とコスミツケて、黒23と受けておく。
(黒21は白(18, 四)の拒否に他ならない)
・白24とヒラかせても、黒(17, 十一)の存在で寸のつまった二間ビラキ。
※白22と立たせてはいるが、まだまだ攻めの狙える石。
 攻めが狙えるということを言い換えれば、黒の右下一帯が地になりやすいともいえる。
※なお、黒23と受けておけば、碁の推移によっては、黒(6, 二)も有力な狙いになる。

【第3譜】(21—26)狙い含み
・白24に黒25のトビ。
※これでは右下一帯の完全な守りには、なっていない。
 ただし、白に圧力をかける手には、なっている。
※加えて、右下を一手で守り切る適当な手が見当たらない。 
 それなら、いっそうのこと黒25とトンで、二間ビラキの白への攻めと、ある狙いをテンビンにかける。
※黒25に白は白26と打って、二間ビラキを補強した。
 ここでテーマ場面としている。黒25と打ったからには、ただ右下を守る気にはなれない。
➡黒25とトンだ手には、複合的な狙いがあった。
 ひとつは、白の二間ビラキへの攻め。そして、もうひとつは、黒27への打ち込み。
※白が白26と二間ビラキを強化したので、黒27ともうひとつの狙いを決行するのは、必然の帰結。
※黒25は、以上の狙いだけでなく、場合によっては、右下を丸々地にする手に化ける可能性もある。
➡このように、狙いが複合的な手ほど、効率がいいといえる。

【第4譜】(27—31)地になる
・白28に黒29、白30に黒31は、ともに大事な手。
※黒が利かされたと見るのは、誤り。
 こう受けて、「自動的に」右下が固まった、地になったと見るべきである。
 これも、黒27で白6を攻めに出た効果。
※攻めは「押して引く」「引いてまた押す」という緩急が大切。
 攻めっぱなしで、あとに何も残らない、という攻めであってはならない。
 黒29、31と「引い」たお陰で、右下が強化され、そこそこの黒地がついている。

【第5譜】(32—39)25目確定
・白は34のコスミツケでワタリを防ぎ、白36から逆襲に転じた。
※今度は黒が黒27をサバく番であるが、生きた碁とは、こういうもの。
※この間、黒は右下に約25目の地を確定させている。
 白が一子を強化するために、それだけの資本を投下したということ。
 サバキに回るのは、やむを得ない。

【第6譜】(40—53)治まる
・黒41から45まで、下辺で世帯を構えることができた。
※左下の白は、まだ確定地とはいえない。
 ただし、手をつけていくためには、黒一団の強化も必要。
・それが、黒47のハネから黒49、そして53。
※これは黒一団の単なる強化だけでなく、上辺の白をも意識している。
 中央が強くなれば、黒(6, 二)や黒(6, 五)が狙いやすくなる。
※単一の働きしかしない手というのは、そうそうない。
 要はその働きを、打ち手が認識しているかどうかである。
(片岡聡『布石 これだけはいけない』フローラル出版、2001年[2003年版]、118頁~131頁)

第4章 「石の方向の流れの「気合というもの<研究局12>」


・「第4章 石の方向の流れ」の「気合というもの<研究局12>」(196頁~205頁)において、中野寛也氏との実戦譜が載っている。
【研究局12】
 黒 片岡聡
 白 中野寛也
・タスキ小目から、ひと隅を黒5とシマリ。
・白は両三々から白6のカカリ。
・黒7で打つ手はいくらでもあるが、このカカリは一種の工夫。
・白8のカケから12までは、こちらの注文の拒否。
※注文通り打って悪いというのではなく、拒否したい気分になった、ということ。
 また、こちらの趣向に対し、趣向し返したいという反発もあったかもしれないという。
・黒13に当然ながら、白も14と反発してきた。
・黒15、17は必然。
・白18のアテを利かされても、この形は隅の白がまだ生きていないのが、黒の自慢。
・白20、22で間に合わせ、やむなく白は24のスベリ。
・黒25とトンで、少なくとも黒互角以上の戦い。

※白12の次の一手をテーマ図としている。
 実戦は、手抜きを咎める黒13と打った。
 打つ場所は、下辺、それも右下隅しか考えられない場面。
 黒7に手を抜いた白の趣向に対し、それを咎めるには、黒13に限る、と著者は解説している。

≪棋譜≫196頁、片岡VS中野


〇変化図として、参考となる図を紹介しておこう。
≪棋譜≫201頁、3図

【3図】(これだけはいけない)
※黒13で、黒1と打つのは、いけない。
 下辺から目をそらすのだけは、いけない。
・黒1、3は大場ではあっても、完全なソッポ。
・白4と受けられると、最初の黒の趣向、三角印の黒が悪手になってしまう。

≪棋譜≫203頁、7図

【7図】(シチョウ)
※黒13で黒1のケイマでも、いけない。
・白2に黒3とオサえられなければ、黒不満。
・しかし、白4と切られて困る。
・黒5、7で黒aのとき、見合えればいいのだが、白8とワタられ、黒aのシチョウが成立しない。

≪棋譜≫203頁、8図

【8図】(白やれる戦い)
・ということで、白のツケ切りに対しては、黒1とノビ、戦っていかざるを得ない。
・しかし、隅の白はすでに生きており、白4にノビられては、実戦とくらべても、黒の苦しい戦い。

≪棋譜≫205頁、10図

【10図】(手筋だが…)黒6コウ取る(1の右)
・実戦の白18でこの白1のカカエのとき、黒2の切り返しは、ひとつの手筋。
・しかし、このケースでは、白5と切られて、黒が持て余す。
※捨てるには、三角印の黒は大きい。
 手筋も、時と場所をわきまえるべきである。
(片岡聡『布石 これだけはいけない』フローラル出版、2001年[2003年版]、196頁~205頁)