歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪テーマ別のやさしい英文解釈~『英語の構文150』より≫

2021-12-30 17:52:33 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪テーマ別のやさしい英文解釈~『英語の構文150』より≫
(2021年12月30日投稿)

【はじめに】


今回のブログでは、岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』(美誠社、2001年[2000年第1刷])から、テーマ別に英文を抜き出して、英文解釈力を高めてみよう。
そのテーマとは、〇言語、〇国の特徴と国民性、〇人生(・幸福・友情など)、〇歴史、〇文学、
〇自然と科学を扱った英文を選択した。



【岡田伸夫『英語の構文150』(美誠社)はこちらから】

英語の構文150―リスニング用CD付



さて、今回の執筆項目は次のようになる。


〇言語
英語は国際語/日本語の背広/サラリー=給料の語源/外国語の勉強/外国語の勉強と辞書/文字は言語を構成する音声を表す/
〇教育
教育の目標/健全な教育/
〇国の特徴と国民性
アメリカと日本での教師に対する評価の違い
〇人生~・幸福・友情
幸福とは物の見方/真の友情/
〇歴史
歴史の目的~ランケの言葉/アメリカの歴史/エジプト文明とナイル川/リンカーン/日本の鎖国/ヘンリー4世/西洋の歴史と日本の歴史/コロンブス/
〇文学
ウィリアム・テル/クレオパトラとカエサル/
〇自然と科学
植物の光合成/自然と天然資源/科学の進歩/気候





〇言語


英語は国際語


・Today, English is used on every continent and has a
wider geographical range than any other tongue. It is the
international language of commerce, scholarship, diplomacy, and
science. Its users include persons of every color, race, and
religion.

<語句>
・continent(名)大陸
・geographical(形)地理的
・range(名)範囲
・tongue(名)言語(=language)
・scholarship(名)学問
・diplomacy(名)外交
<考え方>
・has a wider geographical range than any other tongueは、「ほかのどんな言語よりも地理的に広い範囲で使われている」と訳せばよい。
・また、A include Bは「A がBを含む」と訳すより「A にBが含まれる」と訳せばよい場合が多い。
<訳例>
今日、英語はどこの大陸でも使用され、他のどんな言語よりも地理的に広い範囲で使われている。英語は商業、学問、外交、科学の国際語である。英語の使用者にはあらゆる皮ふの色や、人種や、宗教の人が含まれる。

(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、229頁、練習問題No.303.)

日本語の背広


・They say that the Japanese sebiro is named after a street
in London. The best shops for men are on the street Savile Row.
<語句>
・They say that~ ~だそうだ、~と言う
・be named after… …の名をとって名づけられる
・shops for men 男物店、紳士用品店
・Savile Row サビル=ロー(一流紳士服の仕立屋が並んだLondonのファッション街)、row
は両側[片側]に家の並んだ通りをいう。
<考え方>
・a street in LondonはSavile Rowのことである。
<訳例>
・日本語の背広はロンドンの通りの名をとったと言う。男物最高級店がロンドンのサビル=ロー通りにあるのだ。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、69頁、練習問題No.85.)

サラリー=給料の語源


・Roman workers were paid with salt. That is why we have
the word “salary,” which means “salt money.”
<語句>
・salt(名)塩
・salary(名)給料、サラリー(語源はラテン語で「塩を買うための金」の意味。)
<考え方>
・第2文のwhichの先行詞はthe word “salary”であることに注意(⇒構文44)
<訳例>
・ローマ(時代)の労働者は、塩で給料の支払いを受けた。そういうわけで、「塩のお金」という意味の「サラリー」ということばがある。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、107頁、練習問題No.139.)

外国語の勉強


・To be sure, the ability to speak a foreign language
fluently facilitates communication, but it is not essential.
<語句>
・fluently 流ちょうに
・facilitate(動)容易にする、楽にする
・essential(形)不可欠の
<訳例>
・なるほど外国語を流ちょうに話す能力はコミュニケーションを容易にするが、どうしても必要なものではない。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、293頁、練習問題No.385.)

外国語の勉強と辞書


・To those who study a foreign language, dictionaries are
indispensable. In order to learn a language well, we have to make
the best use of dictionaries, which give us lots of information
about the language.
<語句>
・indispensable(形)欠くことのできない
・make the best use of……を最大限に活用する
・information(名)知識
<考え方>
・非制限用法のwhichに注意
<訳例>
・外国語を学ぶ人にとって辞書は欠くことができない。言葉をよく学ぶためには、辞書を最大限に活用しなければならない。というのは辞書は言葉について多くの知識を与えてくれるからだ。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、299頁、練習問題No.393.)

文字は言語を構成する音声を表す


・Letters in themselves are not language, but merely symbols
which are used for the sounds of which language is composed.
<語句>
・letter(名)文字
・in themselves それ自体では、本来(⇒構文36)
・symbol(名)記号
・for… …を表すものとして
・be composed of… …から作られている
<考え方>
・the sounds of which language is composedの関係詞節を能動態に変えて、the sounds which compose language と考えると、日本語らしく訳すことができる。
<訳例>
・文字は本来、言語ではなくて、言語を構成する音声を表すものとして用いられる記号にすぎない。

(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、112頁、構文49 not A but B、研究問題)

〇教育


教育の目標


・It should be a universal educational goal to empower
pupils to use as wide a range of language varieties as com-
petently as possible.
<語句>
・empower +人+to~ 人に~する能力を与える
・range(名)幅、範囲
・language varieties 場面にふさわしいいろいろな言語の変種
 「広い範囲の言語の変種」というときには、a wide range of language varietiesとなるが、練習問題288.のように、同等比較のas…as ~の中に組み込むと、wideのようにan as wide range of language varieties as~ではなく、as wideを冠詞aの前に取り出してas wide a range of language varieties as~とする。
・competently(副)有能に、立派に
<考え方>
・as possibleはas wide a range of language varietiesと as competentlyの両方に呼応している。
<訳例>
・生徒に場面にふさわしいいろいろなことばをできるだけ幅広く、できるだけ上手に使いこなす能力を身につけさせることを普遍的な教育の目標とすべきである。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、219頁、練習問題No.288.)

健全な教育


・A sound education does not mean that someone leaves
school with his head filled with facts and theories. Education does
mean development, not only of the brain, but of the whole body.
<語句>
・sound(形)健全な
・leave school 卒業する
・with one’s head filled with… …で頭をいっぱいにして(⇒構文87)
・development(名)発達
<考え方>
・of the brain, of the whole bodyがともにdevelopmentを修飾する。
・なお、第2文のdoesは肯定の内容を強調している。
<訳例>
・健全な教育とは、事実や理論で頭をいっぱいにして学校を卒業していくことを意味しているのではない。教育とは頭脳だけでなく全身の発達ということを実は意味しているのだ。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、337頁、練習問題No.442.)

〇国の特徴と国民性


アメリカと日本での教師に対する評価の違い


・Japanese respect for education extends to teachers, and
having been a teacher myself, I am pleased by this. But we
Americans have little respect for teachers, judging by what we
pay them. I still have in my files a newspaper showing two
employment ads : one for a college teacher and, just below it,
one for a street-cleaner. The salary offered the former was
lower than what was offered the latter. This reflects
American attitudes toward teachers.
<語句>
・respect(名)尊敬
・extend to……にまで及ぶ
・file (名)(新聞などの)綴じ込み
・employment ad 求人広告
・offer(動)提供する
・reflect(動)反映する、表す
<考え方>
・第1文のhaving been a teacher myself=as I have been a teacher myselfの意味である。
・また、第2文のjudging by what we pay themは「私たちが彼らに支払っているものから判断すれば」の意味でjudging byは慣用的な独立分詞構文である。
・第3文の2つのoneは共にemployment adの代名詞である。
・さらに、第4文には、 “the former ―the latter”「前者-後者」の構文があるが、それぞれ何を指しているのかしっかりつかむこと。
<訳例>
・日本人の教育に対する尊敬の念は教師にまで及んでいる。そして私自身教師をしているので、このことはうれしい。だが、私たちアメリカ人が教師に支払っているものから判断すれば、教師にほとんど尊敬の念を持っていない。私の新聞の綴じ込みにいまでも次のような2つの求人広告の出ている新聞がある。1つは大学教師の口、そしてそのすぐ下に道路清掃人の口。前者(大学教師)に提供される給料は後者(道路清掃人)に提供されるよりも低かった。これはアメリカ人の教師に対する態度を反映している。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、174頁、長文でためしてみよう(11))

〇人生~・幸福・友情・読書


幸福とは物の見方


・Happiness depends not so much on circumstances as on
one’s way of looking at things.
<語句>
・circumstances(名)環境(通例複数形)
・way(名)方法
<訳例>
・幸福は、環境で決まるというよりむしろ本人の物の見方で決まる。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、225頁、練習問題No.295.)

真の友情


・True friendships are based upon two things. One of these
things is liking, and the other is respect. People like one
another when each finds the other pleasant company. They
have such similarity in tastes and interests that they like to be
together. For real friendship, however, this is not enough.
For this, respect must be added to liking. You may think it
strange to speak of boys and girls respecting one another.
You may think that respect is to be felt towards older people
only. But boys and girls may be as worthy of respect as men
and women.
<語句>
・friendship(名)友情
・be based upon……に基づく
・liking(名)好み
・respect(名)尊敬
・one another お互い
・such +名詞+that~ 非常に~なので(⇒構文135)
・similarity(名)類似
・A is added to B  AがBに加えられる
・as+原級+as A Aと同じくらい…(⇒構文95)
・be worthy of……に値する
<考え方>
・ “One …the other”は「一方は…、他方は~」という意味である(⇒構文33)
・ finds the other pleasant company「相手が楽しい仲間だとわかる」はSVOCの文型である。
・また “think it”のitはto speakを受ける形式目的語。it(=to speak…)とstrangeとの間にはisもwasもないが、itは主語、strangeはその述語の働きをしている。つまりit strangeは小節である。(⇒構文77)
・ なお、 “boys and girls respecting”のrespectingは動名詞でboys and girls はその意味上の主語である。
<訳例>
・真の友情は2つの事柄に基づいている。その1つは人の好みであり、もう1つは尊敬である。人々は相手が愉快な仲間であることがわかると、お互いに好きになる。彼らは趣味と関心がすこぶる似ているところから、好んで集まるのである。しかしながら、真の友情にはこれだけでは十分ではない。真の友情には好みに加えて尊敬がなくてはならない。男の子や女の子が互いに尊敬し合うと言えば奇妙に思えるかもしれない。尊敬は目上の人に対してのみ感じるもののように思うかもしれない。しかし、男の子や女の子も、おとなの男女と同じように尊敬に値することもあるだろう。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、198頁、長文でためしてみよう(12))

〇歴史


歴史の目的~ランケの言葉


・The aim of history, said Ranke the German historian, is
simply to state “what has actually happened” ; but this is far from
being a simple business.
<語句>
・aim (名)目的
・Ranke(名)ランケ
・state(動)(明確に)…を述べる 
・business(名)仕事
<考え方>
・Ranke とthe German historianは同格になっている。
・to stateは不定詞の名詞的用法でisの補語である。
<訳例>
・歴史の目的は単に「実際に起こった事実」を述べることである、とはドイツの歴史家ランケのことばである。だがこれは決して簡単な仕事ではない。

(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、211頁、練習問題No.278.)

アメリカの歴史


・Had the British not insisted on collecting such heavy
taxes, the Colonies might not have rebelled, and the United States
might never have become an independent nation.
<語句>
・the British  イギリス国民
 “the+国名形容詞=国民全体を表す名詞”となることに注意
  ⇒the Japanese(日本国民)、the Americans(アメリカ国民)、the Greeks(ギリシア国民)
 ※これはつねに複数名詞として扱われる。なお、語尾が-an, -kの場合は-sをつけなければならない。
・insist on –ing ~すると主張する
・tax(名)税
・the Colonies アメリカ合衆国の起源となった東部の13の英国植民地
・rebel(動)(政府に)反抗する
・independent(形)独立した
<考え方>
・Had the British not insisted on ~はIf the British had not insisted on ~であることに注意。
<訳例>
・イギリス国民がそんな重税を徴収することに固執していなかったら、[アメリカ東部の13の]植民地は反乱を起こさなかったかもしれないし、合衆国は独立国家になることはなかったかもしれない。

(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、265頁、練習問題No.351.)

エジプト文明とナイル川


・Egypt is aptly called the “Gift of the Nile,” for this
remarkable river gives it life. There is so little rain in Egypt
that the whole land would be desert if it were not for the Nile.
<語句>
・aptly(副)適切に、うまく(文全体を修飾) 
・remarkable(形)注目すべき、すばらしい
<訳例>
・エジプトが「ナイル川の贈り物」と呼ばれるのはぴったりの表現である。というのはこのすばらしい川はエジプトに生命を与えているからである。エジプトには大変雨が少ないので、もしナイル川がなかったら国全体は砂漠となるだろう。

(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、267頁、練習問題No.352.)

リンカーン


・Lincoln worked hard on the farm with his parents. He
was such a strong boy that he could do almost everything a man
could do.
<訳例>
・リンカーンは両親といっしょに農場でいっしょうけんめい働いた。彼はたいそう丈夫な少年だったので、大人の男にできることはほとんどすべてすることができた。

(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、309頁、練習問題No.403.)

・Abraham Lincoln was the President during the American
Civil War when the political system broke down over slavery. He
believed that slavery was wrong and that he must keep the Union
together.
<語句>
・the American Civil War 南北戦争(1861-1865)
・political system 政治体制
・break down こわれる、乱れる
・slavery(名)奴れい制度
・the Union (南北戦争時代の)アメリカ
<考え方>
・that …and that…の2つのthatに導かれる名詞節がともにbelievedの目的語である。
<訳例>
・エイブラハム・リンカーンは、政治体制が奴隷制度をめぐって崩壊したアメリカの南北戦争の間、大統領をつとめた。彼は、奴隷制度は間違っているし、アメリカ合衆国を分裂させないようにしなければならないと信じていた。

(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、337頁、練習問題No.443.)

日本の鎖国


・It was forbidden to build ocean-going ships. No Japanese
could go abroad, and no European enter the country.
<語句>
・forbid(動)禁止する
・ocean-going (形)外洋航行の
<考え方>
・第2文ではno European [could]enter の省略に注意。
<訳例>
・外洋航行の船を建造することは禁じられていた。日本人は誰も外国へ行けなかったし、ヨーロッパ人も誰1人として日本の国へは入れなかった。

(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、339頁、練習問題No.445.)

ヘンリー4世


・Henry the Fourth had robbed his cousin Richard the Second
of his throne - some said of his life as well.
<語句>
・Henry the Fourth ヘンリー4世(ふつうHenry Ⅳと書かれる)
・throne(名)王位
・some Some [people]が主語の場合は、「~する人もある」と訳そう。
 この場合はpeopleが省略されることがある。「~する人もある」と訳す方が、「ある人たちは~する」と訳すよりも日本語らしい。
 <例文> Some object to his opinion.(彼の意見に反対する人もいる。)
・as well =also
<考え方>
・his cousin とRichard the Secondとは同格である。
・また後半では、“some [people] said [that Henry the Fourth had robbed his cousin Richard the Second ]of his life as well.”と補って考えよう。(⇒構文149)
<訳例>
・ヘンリー4世はいとこのリチャード2世から王位を奪った。その命までも奪ったという人もあった。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、48頁、研究問題)

西洋の歴史と日本の歴史


・A knowledge of Western history is no less important to an
understanding of Japan today than a knowledge of Japanese
history.
<語句>
・Western(形)西洋の
<考え方>
・「構文106  no less +原級+than…」は「…と同様に~」という意味である。語が連続して「no less than…」となる場合には、「…も」(=as much(/many) as …)という強めを表す意味になる。
・a knowledge of…は「…を知ること」、an understanding of…は「…を理解すること」と訳せばよい。このように「抽象名詞+of…」の抽象名詞を動詞的に訳すとよい場合がある。
⇒【抽象的な意味の名詞は動詞的に訳そう】
〇「抽象名詞+of A」という形は「Aを~すること」と訳す場合(Aは目的語)と、「Aが~すること」と訳す場合(Aは主語)とがある。
 特に「A’s+抽象名詞+of B」という形は「AがBを~すること」と訳せば日本語らしくなる。
 これらの場合の抽象名詞は、いずれも動詞から作られた名詞であることに注意。
 <例文>
 The boy’s invention of the machine surprised us.
(その少年がその機械を発明したことに我々は驚いた。)

<訳例>
・西洋の歴史を知ることは、日本の歴史を知ることと同様に、今日の日本を理解するのに大切だ。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、19頁、238頁、研究問題)

コロンブス


・No sooner had Columbus proved that there really was a
new world beyond the sea than several other navigators made
voyages there.
<語句>
・prove(動)証明する
・navigator(名)航海家
<考え方>
・「構文111  S+had no sooner+過去分詞~than…」は「Sが~するやいなや…」、「Sが~するかしないうちに…」という意味の構文である。
 なお、これらの構文ではno sooner, hardly, scarcelyを強意のために文頭に出すことが多く、その後の語順は主語と助動詞が倒置(疑問文と同じ語順)するので注意しなければならない。この形の文は文語調である。

<訳例>
・コロンブスが海の向こうには本当に新しい世界があるということを証明したとたんに、そこへ向かって航海した他の航海家が何人かいた。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、250頁、研究問題)

〇文学


ウィリアム・テル


・The angry ruler thought of a cruel plan. He made Tell’s son
stand with an apple on his head.
<語句>
・ruler(名)支配者
・think of… …を思いつく
<考え方>
・「構文83  make+O+原形」は「Oに~させる」と訳すが、人が主語の場合には強制的に無理やりさせる意味をもつ。
・第2文のwith an apple on his headは付帯状況を表す。(⇒構文87)
 「with+名詞(A)+前置詞+名詞(B)」という形で、「AをBに~して」と訳すが、AとBの関係から判断して「~」の部分に適当な日本語を補う必要がある。この場合は、「リンゴを頭にのせて」と訳せばよい。

<訳例>
・怒った支配者は残酷な計画を思いついた。彼はテルの息子にリンゴを頭にのせて立たせた。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、188頁、研究問題)

クレオパトラとカエサル


クレオパトラについては、野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』(新興出版社啓林館)の「第12章 仮定法」において、ブレーズ・パスカルの名言を載せていた。

□If Cleopatra's nose had been shorter, the whole face of the world would have been changed.
― Blaise Pascal
クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていただろう。(ブレーズ・パスカル)
(野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』新興出版社啓林館、2017年、270頁~
271頁)

【野村恵造『Vision Quest 総合英語 2nd Edition』はこちらから】

Vision Quest 総合英語 2nd Edition



紀元前48年9月、ポンペイウス追討ためにエジプト入りしたカエサルは、和解を図ろうとして、両共同統治者をアレクサンドリアに招集した。当時、クレオパトラ7世はペルシウムでプトレマイオス13世派と戦闘しており、アレクサンドリアへ出頭するのは容易でなかった。

プルタルコスによると、女王クレオパトラ7世は自らを寝具袋にくるませ、カエサルのもとへ贈り物として届けさせ、王宮へ入ることに成功したといわれる。
寝具ではなく絨毯に包んで届けさせたと説明されることが多い。
(古代エジプトでは、贈り物や賄賂として宝物を絨毯に包んで渡す習慣があり、クレオパトラは宝物ではなく自らの身体を贈ったのだとする)
→ただし史料では確認できないとされる。
この時、クレオパトラ7世はカエサルを魅了した。

なお、絨毯の中からカエサルの前へ現れるクレオパトラを描いたジャン=レオン・ジェロームの“Cléopâtre et César”(1886年)という歴史画もある。



岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』(美誠社)にも、このクレオパトラのことを述べている英文がある。
・She slipped into the city in a small fishing boat and had her
servant tie her up in a roll of carpet, and unroll it before the
eyes of the king.
<語句>
・slip into… …にそっと入る
・fishing boat 漁船
・tie up すっかり包む
・a roll of… ひと巻きの…
・unroll(動)開く
<考え方>
・「構文84  have+O+原形」は「Oに~させる」「Oに~してもらう」という意味である。

<訳例>
・彼女は小さな漁船に乗ってその町にそっと入った。そして召使いに、自分をじゅうたんで巻かせ、王の目の前でそれを開かせた。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、190頁、研究問題)

〇自然と科学


植物の光合成


・A blade of grass looks very small. Most green leaves look
small, too. Grass and leaves are really factories. Green plants
use the energy of sunlight to manufacture carbohydrates.
<語句>
・blade(名)(草の)葉
・really(副)実は
・manufacture(動)作る
・carbohydrate(名)炭水化物
<考え方>
・the のないmostは「たいていの」と訳そう。
 theがついているかいないかで、mostの意味は大きく違う。The があれば最上級で「最も…」の意味。なお、a mostは「非常に…」(=very)という意味になる。
<訳例>
・1枚の草の葉は大変小さく見える。たいていの緑の木の葉もまた小さく見える。草や木の葉は実は工場である。緑の植物は、太陽光線のエネルギーを使い、炭水化物を作る。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、32頁~33頁、研究問題)

自然と天然資源


・Nature has provided us with everything we need ― air and
water, food, and natural resources like oil.
<語句>
・nature(名)自然
・resource(名)資源
・like(前)…のような
<考え方>
・everythingの後に関係代名詞を補って考える。
・なお、everythingと―(ダッシュ)以下は同格である。
<訳例>
・自然は我々が必要とするすべてのもの、つまり空気、水、食物、それに石油のような天然資源を与えてくれる。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、46頁、研究問題)

科学の進歩


・Science can create nothing out of nothing; but its advance
makes it possible for us to discover and invent what we have
never dreamed of.
<語句>
・create(動)創造する
・out of nothing 無から
・advance(名)進歩
・never dream of… …を夢にも思わない
<考え方>
・最初のnothingは「何も…ない」という意味の否定語である。
・また、for usはto discover以下の意味上の主語であることに注意。
 つまり、“make it … for A to~”という構文になっているわけだが、「Aが~することを…にする」と訳せばよい。
 ただし、この場合は主語がits advanceという無生物の主語だから、“S makes it … for A to~”という型は、「SのためにAが~することは…である」というように訳すと日本語らしくなる。
(⇒構文8)
・なお、whatは関係代名詞で things which (/that)と考えるとよい。
・また、have… dreamedは現在までの経験を表す。
<訳例>
・科学は無からは何も創造することはできないが、科学の進歩のおかげでこれまで夢にも思わなかったものを発見したり発明したりすることができる。

(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、176頁、研究問題)

気候


・The climate is so good here that vegetables and fruit will
grow better than in any other part of the land.
<語句>
・climate(名)気候
 【climateとweatherの違い】
  climate:一定の土地の平均的気候をいうときに使う。
  weather:特定の日などの天候を話題にするときに使う。
・grow(動)育つ(ここでは自動詞で「育つ」であるが、他動詞で「…を育てる、…を栽培する」という意味がある。このように、1つの動詞、1つの名詞にもいろいろな意味があるから必ず文の構造を的確に把握してその意味をとらえること。)
<考え方>
・so… that~(非常に…なので~)という構文があることに注意。(⇒構文135)
・またpartは「地方」の意味である。
<訳例>
・ここの気候は大変よいので、野菜や果物はその国の他のどんな地方よりもよく育つだろう。
(岡田伸夫『英語の構文150 New Edition』美誠社、2001年[2000年第1刷]、228頁~229頁、研究問題)

≪小説『レ・ミゼラブル』と英語≫

2021-12-21 18:13:59 | 語学の学び方
≪小説『レ・ミゼラブル』と英語≫
(2021年12月21日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでは、小説『レ・ミゼラブル』と英語について考えてみる。


【Victor Hugo, Les Misérablesの英語版はこちらから】

Les Miserables (Signet Classics)

【Victor Hugo (Translated by Norman Denny), Les Misérables, Penguin Booksの英語版はこちらから】

Les Miserables (Penguin Clothbound Classics)



『レ・ミゼラブル』という小説


ユゴーはフランスのロマン派で最も偉大な詩人として評価されている。
『レ・ミゼラブル』(1862年)は、人道主義的立場で書かれたユゴーの大河小説である。
400字詰め原稿用紙にして実に5000枚に及ぶ大作であった。
当時は文学といえば、戯曲ないし詩であった。小説はまともな文学とは見なされていなかった。その地位が上がったのは、1820年代から30年代のことであった。
1820年代にイギリスからウォルター・スコットの歴史小説が入ってきた。ユゴーはスコットから小説作法を学んだ。その歴史小説の方法とは、出来事が起こったのにできる限り追い時間を経過させて場面として語るものである。つまり現実の時間と空間を忠実に再現する作法である。これを「演劇的小説、ロマン・ドラマチック」と呼んだ。この方法を『レ・ミゼラブル』でも忠実に実行した。そしてその骨格は、演劇の筋にならって、起承転結がはっきりしており、単純明快なものであった。そのため、ミュージカルに脚色したり、ダイジェスト版の筋立ても辻褄を合わせやすかったといわれる(稲垣直樹『サドから『星の王子さま』へ――フランス小説と日本人』丸善ライブラリー、1993年、100頁~101頁)。

【稲垣直樹『サドから『星の王子さま』へ』丸善ライブラリーはこちらから】

サドから『星の王子さま』へ―フランス小説と日本人 (丸善ライブラリー)

ユゴーは政治的には共和主義者であったので、第2帝政を否定した。
この点について、『レ・ミゼラブル』を英訳したデニィーは、導入の中で次のような解説を加えている。

ユゴーの政治思想について
He was first and foremost, by nature
as well as by conviction, a romantic. It was an attitude to life
expressing itself in all life’s activities, above all in the arts but also in
politics, where it bore the name of liberalism. As time went on and
he outgrew the Bonapartism inherited from his father and the
royalism inherited from his mother, this liberalism took the form of
outspoken republicanism. Universal suffrage and free (compulsory)
education were to become the basic tenets of his political creed.
(Denny, Introduction, Les Misérables, Penguin Books, 1982, pp.7-8.

Hugo は、ロマンチックで、リベラル主義であった。
父親は、ボナパルト主義、母親は、王政主義であったのだが、ヴィクトル・ユゴーのリベラル主義は率直な共和主義の形態をとった。

1843年に娘のLéopoldineの死亡はかなり影響した。

ルイ=フィリップとは仲が良かったが、1848年の革命で、the Constituent Assemblyになる
1851年、ルイ=ナポレオンの第2帝政にがまんできず、亡命した
14年間、家族とともにガーンジー島へ暮らした。女優で終生の愛人Juliette Drouetもそばに住んだらしい。ここで『レ・ミゼラブル』が書かれ、1862年に出版された。

フランスは、普仏戦争に敗れて、1870年に第2帝政が崩壊する。ユゴーは凱旋将軍のように群衆の歓呼に迎えられ、パリに帰る。そして1874年には、小説『93年』を発表する。これはフランス革命の頃に主題をとった歴史小説の集大成であった。

ユゴーは共和主義者であったので、ナポレオン3世の第2帝政に反対した。そしてオジの第1帝政にも批判的であった。

このことは、『レ・ミゼラブル』でも窺い知ることができる。
ジャン・ヴァルジャンとナポレオン1世とは対比的に描かれている。2人の運命を辿る上で、1769年と1796年、そして1815年という3つの年号が重要な鍵である。つまり1769年→1796年→1815年は物語の重要な軸となる。

これらの年で、2人の運命は鮮明なシンメトリーを形造る。
つまりナポレオン1世は1769年に生まれたが、ジャン・ヴァルジャンも同年に生まれたことになっている。
そして運命を変える出来事が1796年に起きた。
ナポレオンはイタリア遠征軍総司令官として戦功を収めて、その後19年に及ぶ栄達の足がかりがつく。それに対して、同年1796年、ジャン・ヴァルジャンは最初の有罪判決を受ける。以後、19年間徒刑場で苦難の生活を始める。こうユゴーは物語を設定した。
そして19年後の1815年にどうなったのか。
ディーニュの町で交差し、その運命を入れ替える。その際、ユゴーは小説で次のように周到な記述をしている。
ディーニュの町に入るのに、ジャン・ヴァルジャンは「7か月前カンヌからパリに向かう皇帝ナポレオンが通ったのと同じ道をたどってきた」。
2人の運命がディーニュで出会う1815年という年号にユゴーは執着した。
また小説の書き出しでも、「1815年、シャルル=フランソワ=ビヤンヴィニュ・ミリエル氏はディーニュの司教であった」とする。
壮大な小説は、1815年という年号から始まっている。
ユゴー自身、草稿の中で第1部第2編第1章(ジャン・ヴァルジャンがディーニュの町に到着する場面)を一番早く書いたという。つまり草稿の一番古い日付が付されている(稲垣、1993年、110頁~111頁)。


小説『レ・ミゼラブル』の構成


『レ・ミゼラブル』は、次のように、五部から成っている。
第一部 ファンチーヌ
第二部 コゼット
第三部 マリユス
第四部 プリュメ通りの牧歌とサン=ドニ通りの叙事詩
第五部 ジャン・ヴァルジャン
各部は、篇に分かれ、さらに各篇が章に分かれる。第一部から第三部までは八篇、第四部は十五篇、そして第五部は九篇ある。そして全巻で、計三百六十三章になる。

『レ・ミゼラブル』のあらすじ


小説『レ・ミゼラブル』を各部ごとに、あらすじを記しておく。

第一部「ファンチーヌ」のあらすじ


枝打ち職人だった25歳のジャン・ヴァルジャンは、寡婦の姉とその7人の子供を養い、貧困の日々を送っていた。厳しい冬が来たのに仕事にもありつけず、しかたなくパンをひとつ盗もうとして、取り押さえられてしまう。
そのため、5年の徒刑を言い渡されたが、服役中に脱走を試みたために、刑が加重されて、19年間トゥーロンの徒刑場で過ごすことになった。

1815年10月に釈放され、ディーニュの町にたどり着く。しかし、前科者の黄色い旅券のために、どこでも追い返され、寝食もままならない。そんな彼を迎え入れてくれたのが、ディーニュの司教ミリエル氏だった。しかし、その翌日、司教館の銀の食器を盗んで逃亡し、憲兵に捕まるが、司教は、それらはジャン・ヴァルジャンにあげたものと明言して、かばう。彼は感謝したが、そのあと煙突掃除の少年から、40スーを奪ってしまう。自責の念に駆られ、良心にめざめて改心し、以後ミリエル司教を崇めつつ、贖罪に努めることになる(ただ、この小さな事件でも余罪になり、終身懲役以上の刑罰になることから、以後、ジャン・ヴァルジャンは名前を変え、身分を隠すことになる)。

ファンチーヌはモルトルイユ・シュル・メールの孤児で、15歳のときにパリに出て、お針子になった。学生と恋仲になるが、捨てられて、女児コゼットを生む。パリを離れて、故郷に帰ろうとするが、その途中、旅籠兼料理屋を営んでいるテナルディエ夫婦に出会い、養育費を払って、コゼットを預かってもらうことにする。
久しぶりに故郷に帰り、黒ガラス装飾品を製造する工場で働く。その工場はマドレーヌ氏(ジャン・ヴァルジャンの変名)が経営する工場だった。ファンチーヌの美貌が工場の同僚の嫉妬を招き、「未婚の母」だと密告されて、工場を解雇される。

そして、コゼットを預けたテナルディエからは、養育費・架空の医療費などを催促され、不幸に追い打ちをかける。ファンチーヌは、コゼットのために髪を売り、歯を売り、最後に体を売ることになってしまう。公娼としてすさんだ日々を送ることになるが、ある男に背中に雪を入れられるという悪ふざけをされて、もめ事になり、警部ジャヴェールに監獄行きを命じられる。そこに居合わせたマドレーヌ氏が介入し、ファンチーヌは釈放される。

この町の市長になっていたマドレーヌ氏は、自分の知らないところで、ファンチーヌが工場を解雇された事情を初めて知り、重病の彼女を看護室に入れ、テナルディエの手から娘のコゼットを取り戻したいという最後の希望を叶えると約束する。

こうした中で、ジャヴェール警部から、マドレーヌ市長は、ある報告を受ける。ジャン・ヴァルジャンと思われる男が、リンゴを盗んだ廉で裁判にかけられるというのである。ジャン・ヴァルジャン本人(マドレーヌ市長)は、その男が全くの別人だと誰よりも知っていたので、煩悶する。つまり、その男にトゥーロンで終身懲役に服従してもらって、自分は尊敬できる市長のままとどまるか、それとも良心に従って、みずから名乗り出て、その哀れみ男を救うかの選択を迫られる。その結果、後者を選び、ファンチーヌとの約束を果たせないまま、再び警察に追われる身になり、逮捕され、徒刑場に送られる。

その逮捕前に、ジャン・ヴァルジャンは、黒ガラス装飾品の製造工場の経営で稼いだ60数万フランの現金を、モンフェルメイユの森に隠すことに成功した。他方、ファンチーヌはコゼットに再会できないまま、絶望のうちに死んでしまう。

第二部「コゼット」のあらすじ


8年ぶりにトゥーロンの徒刑場に連れもどされ、囚人に逆戻りしたジャン・ヴァルジャンは、
軍艦の水夫が海に落ちようとしているところを助け、その際に海に飛び込んで脱獄に成功する。身元を隠してパリに出てきて、「ゴルボー屋敷」に住まいを借り受ける。その後、ファンチーヌとの約束を果たすために、モンフェルメイユのテナルディエの所にいるコゼットに会いに出かける。

まだ8歳にもならないコゼットは、女中代わりに、こき使われ、痛ましい境遇にあった。ジャン・ヴァルジャンは、テナルディエに手切れ金を渡して、コゼットをパリの「ゴルボー屋敷」に落ち着く。しかし、老女の通報で、パリに転任していたジャヴェールの知るところとなり、ふたりは夜陰に紛れて逃げ出し、プチ・ピクピュス修道院に忍びこむ。

ジャン・ヴァルジャンは、その修道院の庭で、かつて命がけで救ってやったフォーシュルヴァン老人に出会い、この老人の忠告のおかげで、ジャン・ヴァルジャンは庭師として、コゼットは寄宿生として、正式の許可を得て、その修道院に5年間、穏やかに暮らすことができた。

第三部「マリユス」のあらすじ


この第三部で初めて登場するマリユス・ポンメルシーは、ワーテルローに参戦したナポレオン軍の大佐の息子だった。大佐がナポレオン軍の残党として貧しい暮らしをしていたので、王党派の祖父ジルノルマン氏の手で育てられた。しかし、マリユスは、父親の死などをきっかけに、徐々にボナパルト主義にめざめて、祖父と対立し、家出してしまう。「ゴルボー屋敷」で貧しい学生生活を送るうちに、アンジョルラスら革命派の秘密結社≪ABCの友の会≫のメンバーと知り合いになる。

その「ゴルボー屋敷」には、すでにジョンドレットと名前を変えたテナルディエ一家が、モンフェルメイユからパリに引っ越して、極貧の生活をしていた。そこで一攫千金をもくろんで目をつけたのは、若い娘(コゼット)を連れて教会にくるルブラン氏という慈善家(ジャン・ヴァルジャン)だった。
じつはジャン・ヴァルジャンは、コゼットの将来を思って修道院を出て、プリュメ通りの家とアパルトマンを借りて、「年金生活者」としてひっそり暮らし、コゼットを時々散歩に連れ出していた。

マリユスは、リュクサンブール公園でこの美しい少女を見かけ、激しく恋するようになる。身元を知ろうと追いかけ回し、アパルトマンにまで付いてくるので、ジャン・ヴァルジャンは不安を覚え、アパルトマンを引き払って、プリュメ通りの家に移ってしまう。行方をくらまされたマリユスは、悶々とした日々を過ごす。そんな時、隣人のジョンドレット一家の姉娘(エポニーヌ)が無心の手紙をもってくる。その姿が哀れだったため、マリユスは一家の貧困に同情を寄せる。

ある日、慈善家のルブラン氏が娘をつれて、ジョンドレットのあばら屋に姿を現し、冬場をしのげる衣類を届ける。マリユスはあの美しい少女を見つけ、あとを追ったが無駄に終わる。
その後、マリユスは壁の穴から、隣家のジョンドレット一家を窺っていると、話の様子から、ジョンドレットがじつはテナルディエという名前であり、マリユスの父親から、「ワーテルローで命を救ってくれた恩人だから、よくしてやってくれ」と遺言されていた当人だと知って驚く。また、テナルディエが盗賊団に助力を頼んで、ルブラン氏を待ち伏せし、恐喝する準備をしているのを見て仰天し、警察に通報する。
ルブラン氏はテナルディエの一味の捕虜にされ、殺されようとしていたところ、マリユスのとっさの機転のおかげで、ジャヴェールが率いる警察に踏み込まれ、一味の大半は逮捕される。ただ、ルブラン氏は逃亡し、ジャヴェールを悔しがらせる。

第四部「プリュメ通りの牧歌とサン=ドニ通りの叙事詩」のあらすじ


ジャン・ヴァルジャンは最愛のコゼットがだれかを愛しはじめ、自分から離れていくのではないかと心配していた。リュクサンブール公園近くに別に借りていたアパルトマンから、急にプリュメ通りの庭付きの家に移ったのも、その危惧からだった。それでも、マリユスが、エポニーヌの手引きでついにコゼットと再会し、夜の庭で逢瀬を重ねることを妨げられなかった。

一方、ジャン・ヴァルジャンは、一家でイギリスに移住する計画をたてるが、そのことをコゼットから聞かされたマリユスは窮余の一策を講じる。それは、久しぶりに祖父のジルノルマン氏に会いに行って、コゼットとの結婚の許可を求めることであった。25歳前だと結婚には親権の許可が必要だったが、祖父ジルノルマン氏は身分の違いを理由に反対した。
 
絶望したマリユスは、民衆蜂起を主導する≪ABCの友の会≫の仲間に会いに、バリケードのあるサン=ドニ地区に向かう。バリケードの中で、別れの手紙をコゼットに書いて、蜂起に参加していた少年ガヴローシュに託す。しかし、ガヴローシュの失策のため、この手紙がジャン・ヴァルジャンの手に渡る。ジャン・ヴァルジャンは、この手紙を見て内心喜び、憎きライバルのマリユスの最期を見届けようと、バリケードのある所に赴く。
ところで、ガヴローシュは、両親のテナルディエ夫婦から愛されず、パリの浮浪児になっていたが、優しく快活な少年だった。路上で寒さで震えている少女に自分のショールをやったり、里親に見捨てられたふたりの子供(実は彼の弟たち)の面倒を見てやったり、バリケードの外にある敵の弾丸を集めてきたりして、仲間から信頼されている。

そして小説は、最大の山場、1832年6月5日、共和派のラマルク将軍の葬儀の途中で勃発した蜂起の悲劇を語ることになる。この戦闘の中で、エポニーヌは密かに愛していたマリユスをかばって命をおとす。マリユスは戦いに参加し、ガヴローシュ等が危ういところを救う。しかし、大軍に取り囲まれた蜂起者たちは孤立し、追い詰められていく。

第五部「ジャン・ヴァルジャン」のあらすじ


民衆の苦しみを見かねて立ち上がった≪ABCの友の会≫のメンバーは、バリケードに立てこもって、劣勢の中で戦っていた。ジャン・ヴァルジャンは最初戦いを傍観していたが、敵の歩哨の鉄兜を撃って退散させたりして、アンジョルラスらに信頼されるようになり、捕虜となっていたジャヴェールの処刑を任される。ところが、空砲を放ってジャヴェールを殺さず、こっそりと解放してやる。そして、重傷を負い、気を失いかけているマリユスを背に担い、暗い下水の地下道にもぐりこみ、死の危険を冒しながら、なんとか出口をみつける。

ようやく外に出ると、ジャヴェールが待っていた。ジャンは逮捕を覚悟したが、その前に担いでいる青年マリユスを自宅に戻したいと頼んで、ジルノルマン氏のもとに運んでいく。それから、コゼットに事情を説明し、家の整理をするために帰宅することを願った。ところが、ジャヴェールはジャン・ヴァルジャンを家に残したまま立ち去り、逃亡犯を逮捕すべき義務を果たさなかった自分を責めて、セーヌ川に身を投げる。

運良く回復したマリユスが、コゼットとの結婚の許可を祖父に求めると、今度は認めてくれた。またジャン・ヴァルジャンも、内心の葛藤を克服し、60万フランほどの持参金をコゼットに用意してやる。ただ、ジャン・ヴァルジャンは結婚の祝宴にも出席せず、コゼットとマリユスが同居を申し出ても固辞する。

そして結婚式の翌日、自分はフォーシュルヴァンではなく、ジャン・ヴァルジャンという名の元徒刑囚であるという秘密をマリユスに打ち明ける。マリユスは衝撃を受け、義父を遠ざけるようになる。コゼットを失ったと知ったジャン・ヴァルジャンは急速に衰えていき、死を覚悟する。マリユスは、テナルディエの口から、地下道を通って瀕死の自分を助けてくれた恩人こそ義父だったと知り、コゼットとともに駆けつける。こうして若いふたりに看取られて、ジャン・ヴァルジャンは64年の生涯を安らかに終える。
(西永良成『『レ・ミゼラブル』の世界』岩波新書、2017年、5頁~17頁)。


【西永良成氏の『レ・ミゼラブル』分析―小説の執筆の経緯について】


西永良成氏は『『レ・ミゼラブル』の世界』(岩波新書、2017年)において、この作品の成立の過程を辿り、歴史的背景を参照しつつ、作品に込められたユゴーの思想を読み解いている。
ユゴーはこの小説を執筆する前に、ミリエル司教のモデルとなったディーニュの司教ミリオス、主人公ジャン・ヴァルジャンが19年間を過ごすトゥーロンの徒刑場の元徒刑囚ピエール・ラモン、あるいはリールの貧民窟やビセートル監獄の実態についての資料を収集し準備をした。
実際に、『レ・ミゼラブル』を書き始めたのは、1845年11月からである(ただ、この時の題名は『レ・ミゼール』Les Misères(貧困)であり、主人公もジャン・トレジャンという名前)。この小説を1848年まで執筆したが、同年の「2月革命」「6月暴動」の影響で一時中断した。
1854年に『レ・ミゼール』を『レ・ミゼラブル』に改題した後、12年ぶりにトランクから旧稿を取り出して、再びこの畢生の大作に取り組んだのは1860年4月で、一応の完成を見たのは1861年6月である。その間、「哲学的な部分」を書き足して、分量を『レ・ミゼール』の倍にふやし、主人公の名前もジャン・ヴァルジャンに変えた。そしてようやく1862年4月~6月、公刊された。ユゴー60歳の時のことである
(西永良成『『レ・ミゼラブル』の世界』岩波新書、2017年、26頁~27頁)

【西永良成『『レ・ミゼラブル』の世界』岩波新書はこちらから】

『レ・ミゼラブル』の世界 (岩波新書)

【小説の時代設定】


『レ・ミゼラブル』の時代設定は、ジャン・ヴァルジャンがトゥーロンの徒刑場から釈放される1815年10月から、死亡する1833年6月までである。
フランス史に即していえば、エルバ島に流刑になったナポレオンの「百日天下」(1815年
3月20日~6月22日)のあと、ブルボン王家のルイ18世の第二次王政復古、「栄光の三日間」と呼ばれる1830年の「7月革命」によるルイ・フィリップの「7月王政」の成立、そしてこのブルジョワ的政体に不満なパリ民衆の1832年6月蜂起といった政変が相次いだ時期の翌年までである。
そしてこれはユゴーの生涯でいえば、13歳から31歳までの時期にあたり、この時期の雰囲気、主な出来事などを体験していた
(西永良成『『レ・ミゼラブル』の世界』岩波新書、2017年、31頁)

【『レ・ミゼラブル』という小説と時代背景】


ユゴーは『レ・ミゼラブル』の中で、ルイ・ナポレオン(皇帝ナポレオン3世)の第二帝政の時期は19世紀に痕跡を残すことはないであろう時期であるとしている(2-7-8)
『レ・ミゼラブル』はユゴー文学にとっての分岐点、いわばワーテルローであったと西永良成氏はみなしている。
ナポレオン3世の帝政に代わる共和政の復活を予告し、文学の政治にたいする勝利を意味し、小ナポレオンにたいするユゴーの積年の怨念を晴らす復讐でもあったという。この小説はバルザックの「わたしはナポレオンが剣で成しえなかったことを筆で成しとげる」という座右の銘があてはまる作品であると西永氏は捉えている。
この『レ・ミゼラブル』の発表から8年後、1870年にナポレオン3世は普仏戦争で捕虜になり、退位する。そのあとユゴーは、「ユゴー万歳! 共和国万歳!」という歓呼を浴びながら、預言者のように祖国に迎えられ、1871年に成立した第三共和政の時代には、共和国を象徴する偉人と見なされるようになった。そして1885年5月に世を去ったとき、国葬によってパンテオン(偉人廟)に送られ、その葬列には200万人近い人びとが加わったといわれる
(西永、2017年、97頁~99頁)。

【ユゴーの小説『レ・ミゼラブル』と時代背景】


ユゴーの世代は、ナポレオン戦争に間に合わかなかった「遅れてきた青年」の世代でもあった。ちょうどユゴーの世代が学齢に達するくらいから、軍歴より学歴の社会になり、地方の名士の子弟をはじめとする多くの若者が学生となってパリに溢れた。またこの頃には農村からパリにやってきた若いお針子たちがパリに溢れていた。
ルイ18世の王政復古で、突如気が抜けたような平和が訪れたが、そうした平和の訪れとともにファッション・ビジネスが盛んになった。縫製アトリエでは大量のお針子が必要とされ、彼女たちは親元を離れてパリの屋根裏部屋に一人暮らしを続け、野外のダンス場で知り合った学生と恋人関係になることが多かったようだ。
のちに、プッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』では、そのようなお針子と学生との恋の悲劇が神話化される。1896年の初演だが、原作はフランスの作家ミュルジェールの『ボヘミアン生活の情景』(1849年)である。19世紀(1830年頃)のパリの学生街カルチェ・ラタンを舞台とし、お針子ミミと詩人ロドルフォとの純愛・悲恋を中心に、ボヘミアン生活を送る人々を描く。
そして、ユゴーの『レ・ミゼラブル』では、1815年~33年のフランスが舞台とされているが、やはりお針子であるファンチーヌが、パリで青春の猶予期間(モラトリアム)を謳歌する学生トロミエスと恋に落ち、妊娠して、結局は地方の親元に帰るトロミエスにすてられたあげく、孤独のうちにコゼットという娘を産み落とすのである。
付言すれば、ユゴー自身も、1818年から21年(16歳から19歳まで)、弁護士の資格を取ると称して法学部に籍を置いたが、学校には行かず貧しい屋根裏部屋にこもって詩作に励んでいた。というのも、寄宿学校にいた14歳のときにはすでに「シャトーブリアンのようになりたい。さもなくば無だ」とノートに書きつけるほど、ユゴーは文学に熱中して文学的栄光のみを欲していたからである。そしてアデルとひそかに結婚の約束を交わしていた(鹿島茂『100分de名著 ノートル・ダム・ド・パリ』NHK出版、2018年、20頁~21頁)。

【鹿島茂『100分de名著 ノートル・ダム・ド・パリ』NHK出版はこちらから】

ユゴー『ノートル゠ダム・ド・パリ』 2018年2月 (100分 de 名著)

【ジャン・ヴァルジャンとナポレオン】


稲垣直樹氏は、『サドから『星の王子さま』へ――フランス小説と日本人』(丸善ライブラリー、1993年)という本において、「ジャン・ヴァルジャンとナポレオン」と題して、興味深いことを述べているので、紹介してみたい。
作者ユゴーが『レ・ミゼラブル』でいちばん言いたい本質とは、一言でいえば、マイナスからプラスへのエネルギーの転換による、全宇宙の贖罪の到来をヴィジョンとして提示することであると稲垣氏は考えている。そしてこのエネルギーの宇宙的転換を起こす装置がジャン・ヴァルジャンであるというのである。
ところで、『レ・ミゼラブル』の作中で、ジャン・ヴァルジャンはナポレオン1世と頻々と対比され、ふたりの運命は驚くほど鮮明なシンメトリーを形造る(左右対称というよりも、上下対称というべきシンメトリー)。
ジャン・ヴァルジャンはナポレオンと同じ1769年に生まれたことになっている。それにこの1769年と対称の関係にある1796年がまさに、ジャン・ヴァルジャンとナポレオンのどちらにとっても運命を変える重要な年号となる。これは史実だが、この年、ナポレオンはイタリア遠征軍総指令官として華々しい戦功を収めて、このあと19年におよぶ栄達の足掛かりをつくる。この同じ年、ジャン・ヴァルジャンは最初の有罪判決を受けて、以後やはり19年にわたる徒刑場での苦難な生活を始める物語の設定になっていると稲垣氏は解説している。
相対する運命をたどったふたりは19年後の1815年、ディーニュの町で交差し、その運命を入れかえることになる。ディーニュの町に入るのに、ジャン・ヴァルジャンは「7か月前カンヌからパリに向かう皇帝ナポレオンが通ったのと同じ道筋をたどってきた」とユゴーは周到に書きこんでいる。
ナポレオンとジャン・ヴァルジャンの運命がこうしてディーニュで出会う1815年という年号に、ユゴーは異常な執着ぶりを示した。『レ・ミゼラブル』という小説全体の書きだしが「1815年、シャルル=フランソワ=ビヤンヴニュ・ミリエル氏はディーニュの司教であった」(En 1815, M. Charles-François-Bienvenu Myriel était évêque de Digne.)となっている。 この壮大な小説自体が、「1815年」という年号を表す言葉で始まっているのである。
また、この小説のユゴー自筆原稿の研究によると、草稿の中でいちばん古い日付をもつのは、第1部第2編第1章、ジャン・ヴァルジャンがディーニュの町に到着するところを物語る部分だそうだ。この部分の書きだしは、「1815年10月の初めのことであるが」となっており、やはり「1815年」を含む文で始まっている。このように、ユゴーは大変にこだわっているようだ。
こだわった理由は、1815年がワーテルローの戦いの年であるからだと稲垣氏はいう。この戦いにナポレオンが敗北を喫した結果、ナポレオンの時代が完全に終わりを告げる。このワーテルローの戦いについては、明治35年(1902)から翌年にかけて新聞に連載された、黒岩涙香の『噫無情』(『レ・ミゼラブル』のダイジェスト版)、そしてミュージカル『レ・ミゼラブル』も、容赦なく切り捨ててしまっている。
しかし、『レ・ミゼラブル』第2部の冒頭には、ワーテルローの戦いについての長大な描写と考察が挿入されている。この戦いの本質をユゴーがどうとらえたかが、『レ・ミゼラブル』全体を読みとく鍵になると稲垣氏はみている。
ユゴーはこの戦いについて次のように説明している。
「その日、人類の未来の見通しが一変した。ワーテルロー、それは19世紀の扉を開ける支える金具。あの偉大な人間の退場が偉大な世紀の到来に必要だったのだ。人間に有無を言わせぬある方のお力が働いたのだ。」
Ce jour-là, la perspective du genre humain a changé. Waterloo, c’est le gond du dix-
neuvième siècle. La disparition du grand homme était nécessaire à l’avènement du grand siècle. Quelqu’un à qui on ne réplique pas s’en est chargé.
(Victor Hugo (Édition par Yves Gohin), Les Misérables I, Édition Gallimard, 1973[1995].p.449.
ヴィクトル・ユゴー(石川湧訳)『レ・ミゼラブル 1』角川文庫、1998年、515頁
Victor Hugo (Translated by Norman Denny), Les Misérables, Penguin Books, 1976[1982], p.310.も参照のこと)
「あの偉大な人間の退場」すなわちナポレオンの歴史からの退場が1815年のワーテルローの戦いであり、ナポレオンからバトンタッチを受けるようにして、そのあと登場し、人類の未来を担うのがジャン・ヴァルジャンだというわけであるという。時代の主人公の交替が起こる1815年から『レ・ミゼラブル』は始まらなければならなかったのもうなずける
(稲垣直樹『サドから『星の王子さま』へ――フランス小説と日本人』丸善ライブラリー、1993年、109頁~112頁)

【稲垣直樹『サドから『星の王子さま』へ』丸善ライブラリーはこちらから】

サドから『星の王子さま』へ―フランス小説と日本人 (丸善ライブラリー)

ジャン・ヴァルジャンについて


さて、主人公ジャン・ヴァルジャンについて、英語では次のように述べてある。
Jean was out of work and there was no food in the
house. Literally no bread ― and seven children!
One Sunday night when Maubert Isabeau, the baker on the
Place de l’Église in Faverolles, was getting ready for bed, he heard
a sound of shattered glass from his barred shop-window. He reached
the spot in time to see an arm thrust through a hole in the pane. The
hand grasped a loaf and the thief made off at a run. Isabeau chased
and caught him. He had thrown away the loaf, but his arm was
bleeding. The thief was Jean Valjean.
This was in the year 1795. Valjean was tried in the local court
for housebreaking and robbery.
(Victor Hugo (Translated by Norman Denny), Les Misérables, Penguin Books, 1976[1982], p.93)

訳本
「ジャンには仕事がなかった。一家にはパンがなかった。パンがない。文字どおり。七人の子供!
 ある日曜日の晩、ファヴロールの教会広場のパン屋モーベール・イザボーは、寝ようとしていたとき、格子とガラスのはまった店頭で、はげしい物音がするのを聞いた。急いで行って見ると、格子とガラスを拳骨でたたき割った穴から、片手が出ている。その手は一本のパンをつかんで持ち去った。イザボーは大急ぎでとびだした。どろぼうは駆け足で逃げて行く。イザボーはあとを追いかけて、つかまえた。どろぼうはもうパンを投げすてていたが、手はまだ血だらけだった。それがジャン・ヴァルジャンであった。
 これは、1795年の出来事である。ジャン・ヴァルジャンは、「夜間、家宅に侵入して窃盗をおこなった故をもって」当時の裁判所に引きだされた。(ヴィクトル・ユゴー(石川湧訳)『レ・ミゼラブル 1』角川文庫、1998年、136頁)。

≪推理小説『オリエント急行殺人事件』と英語≫

2021-12-21 18:12:36 | 語学の学び方
≪推理小説『オリエント急行殺人事件』と英語≫
(2021年12月21日投稿)

【はじめに】


 今回のブログでは、アガサ・クリスティーの有名な推理小説『オリエント急行の殺人』と英語について考えてみる。
その際に、次の文献を参照した。
〇アガサ・クリスティー(山本やよい訳)『オリエント急行の殺人』早川書房、2011年
〇Agatha Christie, Murder on the Orient Express: A Hercule Poirot Mystery, Harper Collins Publishers, 2011.

なお、映画のDVDとしては、次のものを鑑賞した。
〇私も購入したDVD『オリエント急行殺人事件』(パラマウント・ジャパン、1975年公開、シドニー・ルメット監督、アルバート・フィニー主演)




【アガサ・クリスティー(山本やよい訳)『オリエント急行の殺人』早川書房はこちらから】

オリエント急行の殺人 (クリスティー文庫)

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Murder on the Orient Express (Poirot) (English Edition)

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アガサ・クリスティーの孫マシュー・プリチャード氏の序文



文庫本に、マシュー・プリチャードが、「『オリエント急行の殺人』によせて」と題して、序文を記している(アガサ・クリスティー(山本やよい訳)『オリエント急行の殺人』早川書房、2011年、4頁~7頁)。

マシュー・プリチャードは、アガサ・クリスティーの娘ロザリンドの息子である。つまりアガサ・クリスティーの孫である。1943年生まれで、アガサ・クリスティー社の理事長を長く務めているという(7頁)。
彼によれば、『オリエント急行の殺人』はアガサ・クリスティーのもっともお気に入りの作品の一つであったという。この作品の精緻なプロットを誇りにしていたからだけではなく、不幸に終わった最初の結婚に区切りをつけ、母の死という悲劇を乗り越え、考古学者のマックス・マローワンとの新たな結婚生活の門出を祝うという意味あいもあったからだと述べている。

アガサ・クリスティーは「列車はつねにわたしの大好きなものの一つであった」と自伝の中で述べている。『オリエント急行の殺人』は1933年に書かれ、翌1934年にイギリスで刊行されたものである。アガサの旅行に対する愛情、とりたてて列車に対する憧れをもっとも反映した作品のひとつである。
現代でこそ、オリエント急行の旅は優雅なものであるが、1930年代にロンドンからイスタンブール、さらにその先に列車で向かうことは現在とは比べものにならない危険を伴う冒険であったようだ。
フランスからイタリア、トリエステを経由して、バルカン諸国、ユーゴスラビア、イスタンブールまでのオリエント急行は交通手段であるだけでなく、異文化との出会いの場でもあった。当時の旅行は、道連れになった人と友人となったり、停車した駅でお土産を売っている地元の人と交流したりする社会的な一大イベントであった。旅は人生そのものであり、冒険であった(4頁~5頁)。

アガサ・クリスティーの優れた点は、オリエント急行という、彼女自身が実際に体験し、社交の場として楽しんだ旅のなかに、殺人という悲劇的な出来事を取り入れた点であると、孫のマシュー・プリチャードは見ている。
今日では、金持ちの乗客がこれほど多く乗り合わせていたことは想像しにくいことだが、1930年代にはまったくありえないことではなかったようだ。かくして容疑者たちが乗り合わせた列車は雪のために足止めを食うことになる。やがて殺人事件が起き、事件解決のためにエルキュール・ポアロの登場と相成る。
アガサ・クリスティーの作品には、「孤絶」という設定が多く見られるが、列車という舞台設定はその典型といえる。

しかし『オリエント急行の殺人』は違った意味でアガサ・クリスティーの典型的な作品のひとつであるという。それは下僕や労働者、遺跡発掘現場での作業員といった抑圧された人々への共感であり、社会正義への配慮でもあった。
時代の雰囲気や個性的な多くの登場人物に目を奪われがちだが、作品中に登場する、アメリカで誘拐されて殺されたデイジー・アームストロングの話を忘れてはならない。このデイジー・アームストロングの事件は名前こそ変えてあるが、かの有名なリンドバーグ事件がモデルになっている。フィクションの中とはいえ、誘拐殺人者に正義の鉄槌を下すことで、祖母アガサ・クリスティーは溜飲を下げたにちがいないと、孫のマシュー・プリチャードは推測している。

1974年の映画版でも冒頭にセピア調で描かれたデイジー・アームストロング事件は、そこからはじまる人間ドラマを予感させる印象深いものだった。
アガサ・クリスティーは魅力的な舞台設定と鋭い社会観察で高く評価されている。彼女の小説には、犯罪の犠牲者に対する配慮や、社会正義への願望、生命の尊重といった思想が根底に流れている。時代の雰囲気をとらえた娯楽小説と犯罪の邪悪さを描いたミステリーといったこの二つの融合こそがクリスティー作品の人気の秘密といえると孫のマシュー・プリチャードは捉えている(6頁~7頁)。


『オリエント急行殺人事件』の有栖川有栖氏の解説


大雪のためユーゴスラヴィアの山中で立ち往生した豪華国際列車・オリエント急行で、殺人事件が発生した。殺されたのは忌まわしい過去を持つアメリカ人富豪であった。列車会社の重役は、同じ列車に乗り合わせていたエルキュール・ポアロに事件の捜査を依頼した。そして、カレー行き車両の乗客全員を尋問することになる。地元の警察に通報する前に犯人を突き止めるよう、依頼されたのである。

この推理小説『オリエント急行殺人事件』について、「華麗なる名作」と題して、作家の有栖川有栖氏が解説している(アガサ・クリスティー(山本やよい訳)『オリエント急行の殺人』早川書房、2011年、409頁~413頁)。

<ミステリの女王>アガサ・クリスティーは数多くの傑作・秀作を遺したが、その中でも『オリエント急行の殺人』(1934年)は舞台や登場人物の華やかさ、結末の意外性、作品の知名度で群を抜いている。
本作の魅力を要約すると、エキゾチックで、レトロで、サスペンスフルの3つになると、有栖川氏はまとめている(411頁)。華麗なる名作と呼ぶにふさわしい作品だと絶賛している(409頁)。

ただ「しかし、実はこの作品にはそれを超えるインパクトがある。胡散臭(うさんくさ)く、スキャンダラスな一面によって。」(411頁)という断りを付け加えてはいる。この作品は、現実の世界ではさほど意外ではないはずのことが、ミステリの世界でのみ意外性を帯びるというパラドックスが光っているという。この<ミステリの女王>は、「あなたたちと、そんな約束をした覚えはないわ」と不敵で凄みのある笑みを浮かべていたかもしれないと、有栖川氏は想像している(412頁~413頁)。

「アームストロング誘拐事件」


ところで、本作では、殺害されたラチェットが引き起こした「アームストロング誘拐事件」(第一部事実)には、実際に起こった事件をモデルにしている。
有栖川氏は次のように解説している。
「スキャンダルと言えば、本作の背景となっている誘拐事件は、実際にあったリンドバーグ子息誘拐事件をモデルにしている。当時、世界を震撼させた悲劇を、クリスティーはすばやく自作に取り込み、ミステリとしての「問題作」を書き上げた。抜群の作家的反射神経である。レトロスペクティヴな風味を楽しみながら、その点にも留意したい。」(413頁)。

私がこの作品を一言で要約すれば、「孫娘を殺された祖母の壮大なる復讐劇」ということになるのではないかと思う。この事件の背景にあるのは、やはり「アームストロング誘拐事件」(The Armstrong Kidnapping Case)であろう。
そして、事件解決に向けて、重要な記述は次のエルキュール・ポアロの推理であろう。

The first and most important is a
remark made to me by M. Bouc in the restaurant car
at lunch on the first day after leaving Stamboul ― to
the effect that the company assembled was interest-
ing because it was so varied ― representing as it did
all classes and nationalities.
“I agreed with him, but when this particular
point came into my mind, I tried to imagine whether
such an assembly were ever likely to be collected
under any other conditions. And the answer I made
to myself was ― only in America. In America there
might be a household composed of just such varied
nationalities ― an Italian chauffeur, and English
governess, a Swedish nurse, a French lady’s maid
and so on. That led me to my scheme of ‘guessing’ ―
that is, casting each person for a certain part in the
Armstrong drama much as a producer casts a play.
Well, that gave me an extremely interesting and sat-
isfactory result.
(Agatha Christie, Murder on the Orient Express: A Hercule Poirot Mystery, Harper Collins Publishers, 2011, pp.301-302.)

【Agatha Christie, Murder on the Orient Expressはこちらから】

Murder on the Orient Express (Poirot) (English Edition)


翻訳本によれば、次のようにある。
「まず、もっとも重要な点として挙げておきたいのは、イスタンブールを発車した日に食堂車で昼食をとっていたとき、ムッシュー・ブークがわたしに言った言葉です。ここにいる人たちの顔ぶれがおもしろい、変化に富んでいて、あらゆる階級とあらゆる国の人々が集まっている、というような意見でした。
 わたしも同意しましたが、あとになってこの点が心に浮かんだとき、このようにさまざまな人が集まる場合がほかにあるだろうかと考えてみました。すると、答えが浮かんできました――あるとすれば、アメリカぐらいのものだ。アメリカなら、いろいろな国籍の人を使用人として住まわせている一家があってもおかしくない――イタリア人のお抱え運転手、イギリス人の家庭教師、スウェーデン人の乳母、フランス人の子守など。これでわたしの“推理”の輪郭ができました。つまり、プロデューサーが芝居の配役を決めるように、
アームストロング事件というドラマの役を一人一人に割り当てていったのです。おかげで、きわめて興味深い、満足できる結果が得られました。」
(アガサ・クリスティー(山本やよい訳)『オリエント急行の殺人』早川書房、2011年、390頁~391頁)。


【アガサ・クリスティー(山本やよい訳)『オリエント急行の殺人』早川書房はこちらから】

オリエント急行の殺人 (クリスティー文庫)


名探偵エルキュール・ポアロの人物設定


名探偵エルキュール・ポアロ(Hercule Poirot)は、アガサ・クリスティー作の推理小説に登場する架空の名探偵である。ベルギー南部のフランス語圏(ワロン地方)出身とされているベルギー人である。ベルギーのブリュッセル警察で活躍し、署長にまで出世した後、退職していた。
 
名前のエルキュール(Hercule)は、ギリシア神話に登場する怪力の英雄「ヘラクレス」のフランス語形である。
(フランス語ではHは発音しないのが鉄則。だからHeは「エ」。)
ただ、クリスティーは、小男であるポアロにわざとこの名前をつけたそうだ。
また、日本では、“Poirot”について、「ポアロ」と「ポワロ」の二つの表記が存在する。
フランス語でoiは「オワ」という感じに発音するため、後者のほうが原音に近い。そして末尾のtはフランス語では発音しないのが鉄則。
以前は、「ポワロ」と表記することが多かったが、「ポアロ」表記している早川書房が翻訳独占契約を結んだため、「ポアロ」という表記が世間に広まったという。


『オリエント急行殺人事件』とフランス語


名探偵エルキュール・ポアロ(Hercule Poirot)が、ベルギー南部のフランス語圏(ワロン地方)出身ということもあってか、『オリエント急行殺人事件』の英語版でもフランス語が登場する。

乗客と車掌との会話で、頻度の高いフランス語が使われている。
たとえば、
“Bonne nuit, Madame”(「おやすみなさい(ボンヌ・ニュイ)、マダム」)(訳本65頁、原書p.44.)
“Bon soir, Monsieur”(「おやすみなさい(ボン・ソワール)、ムッシュー」)(訳本67頁、原書p.45.)
“De l’eau minerale, s’il vous plait”(「ミネラルウォーターを頼む(ドゥ・ロー・ミネラル・スイル・プレ)」)(訳本66頁、原書p.44.)
ただし、正しくは、minerale,はminéraleで、plaitはplaîtである。

もう少し、長いフランス語として、次のようなものもある。
0時40分ごろ、ムッシュー・ラチェットがベルを鳴らして車掌がノックすると、ドアの内側から、フランス語で、
「ス・ネ・リアン。ジュ・ム・スィ・トロンペ(Ce n’est rien. Je me suis trompé.)」
という大きな声がしたので、車掌は中に入らずに立ち去ったと証言している。
(訳本126頁~127頁、原書p.92.)

このフランス人の車掌ピエール・ミッシェルの証言は、ポアロのメモにも明記され、0時37分まではラチェットは生存していたものと推測されている。そのメモにも、
「0 :37 ラチェットの部屋のベルが鳴る。車掌が駆けつける。ラチェット、「なんでもない。間違えたんだ(ス・ネ・リアン。ジュ・ム・スィ・トロンペ)」と言う(訳本173頁、原書p.128.)

しかし、このフランス語は果たしてラチェットが話したものか、疑問を抱かれるに至る。
「ラチェットはフランス語が話せなかったのですよ。それなのにゆうべ車掌がベルに呼ばれていくと、『なんでもない。間違えたんだ』と、フランス語で返事があった。しかも、いかにもフランス語らしい表現で、片言しかできない人間とはぜったい使えないものだ。『ス・ネ・リアン。ジュ・ム・スィ・トロンペ』」(訳本頁308、原書p.233.)

原書には次のようにある。
M.Ratchett spoke no French. Yet, when the conductor came in answer to
his bell last night, it was a voice speaking in French
that told him that it was a mistake and that he was
not wanted. It was, moreover, a perfectly idiomatic
phrase that was used, not one that a man knowing
only a few words of French would have selected. ‘Ce
n’est rien. Je me suis trompé.’
(Agatha Christie, Murder on the Orient Express: A Hercule Poirot Mystery, Harper Collins Publishers, 2011, p.233.)

「いかにもフランス語らしい表現」とは、代名動詞を指すのではないかと思う。

DVD『オリエント急行殺人事件』(パラマウント・ジャパン)について


私も購入したDVD『オリエント急行殺人事件』(パラマウント・ジャパン、1975年公開、シドニー・ルメット監督、アルバート・フィニー主演)についても紹介しておく。
この版は、グレタ・オルソン役でイングリッド・バーグマン、アーバスノット役でショーン・コネリー、マクイーン役でアンソニー・パーキンスといった名優が共演している。
なお、イングリッド・バーグマンは1974年度アカデミー賞助演女優賞を受賞した。

アガサ・クリスティーが書いた推理小説の映画化は、国際派スターが総出演し、いわくありげな乗客たちを見事に演じている。

系図
ハバード夫人(芸名リンダ・アーデン、本名はゴールデンバーグといいユダヤ系)~ドラゴミロフ公爵夫人と親しかった。
娘 アームストロング夫人(ソニア・アームストロング)~夫人の娘デイジーを誘拐され殺されたショックで流産、死亡
末娘 アンドレニ伯爵夫人(ヘレナ・ゴールデンバーグ)~アンドレニ伯爵が大使館員としてワシントンに駐在していたときに結婚
  名付け親はドラゴミロフ公爵夫人
孫 デイジー(3歳のときに誘拐される。身代金20万ドルを払った後、死体で発見される)

【DVD『オリエント急行殺人事件』(パラマウント・ジャパン)はこちらから】

オリエント急行殺人事件 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

なお、『オリエント急行殺人事件(2017年の映画)』の方は、監督・主演はケネス・ブラナーがポアロ役を務め、ラチェット役をジョニー・デップが演じたことで話題を集めた。



《参考文献》
アガサ・クリスティー(山本やよい訳)『オリエント急行の殺人』早川書房、2011年
Agatha Christie, Murder on the Orient Express: A Hercule Poirot Mystery, Harper Collins Publishers, 2011.
DVD『オリエント急行殺人事件』(パラマウント・ジャパン、1975年公開、シドニー・ルメット監督、アルバート・フィニー主演)


≪推理小説『まだらの紐』と英語≫

2021-12-21 18:12:08 | 語学の学び方
ブログ原稿≪推理小説『まだらの紐』と英語≫
(2021年12月21日投稿)


【はじめに】


 今回のブログでは、推理小説『まだらの紐』について、解説してみよう。
参考としたのは次の文献である。
〇皆川慶一『宝島MOOK シャーロック・ホームズの冒険 DVD BOOK vol.1 美しき自転車乗り・まだらの紐』宝島社、2009年[2010年版]


『まだらの紐(The Speckled Band)』


『まだらの紐』は<ストランド・マガジン>1892年2月号に載ったホームズ譚を代表する作品の一つである。密室殺人にダイイング・メッセージを絡めた作品である。

イギリスの作家アーサー・コナン・ドイルにより、1887年から1927年にかけて発表された一連の推理小説は、当時の読者に熱狂的な人気をもって迎え入れられた。シャーロック・ホームズという魅力的な探偵が、奇異なる謎に満ちた事件を解決する冒険譚は、世界で好評を博した。

皆川慶一『宝島MOOK シャーロック・ホームズの冒険 DVD BOOK vol.1 美しき自転車乗り・まだらの紐』(宝島社、2009年[2010年版])に収録された映像は、そのホームズの活躍する小説を原作とした、イギリス製のテレビドラマである。イギリスのグラナダTVにより製作され、1984年から10年にわたって全41話が放送され大ヒットした。このドラマ・シリーズの長所は、映像化にあたって可能な限りドイルの原作を基準としたことにある。つまり原作の物語世界を損なわず、きちんと映像化した作品はこれが初だったとされる。原作を“正典”と称する熱烈なファン層「シャーロキアン」にさえ“正典を投影した世界”として受け入れられた。原作を愛読したファンには懐かしくも新鮮である(皆川慶一『宝島MOOK シャーロック・ホームズの冒険 DVD BOOK vol.1 美しき自転車乗り・まだらの紐』宝島社、2009年[2010年版]、1頁)。


【『宝島MOOK シャーロック・ホームズの冒険 DVD BOOK vol.1 美しき自転車乗り・まだらの紐』宝島社はこちらから】

シャーロック・ホームズの冒険 DVD BOOK vol.1 (宝島MOOK)


『まだらの紐』は謎解きを主眼とする本格ミステリの傑作として有名な物語で、ホームズのファンはもとより推理小説ファンにも人気の高い作品である。またドイル自身がホームズの物語の中でベストに挙げた作品としても知られ、正にホームズ譚の代表格の一編とされる。
筋立ても人物設定も魅力に満ちており、事件の核心を彩る怪奇なムードと、奇態な凶器や密室のからくりには興奮すら覚える人もいる。一方、ホームズの論理的思考と現実性を尊重する読者の中では、『まだらの紐』に違和感を覚える人もいる。というのは、『まだらの紐』がはらむ矛盾、要となるトリックが合理的でないというのである。
種明かしになるので、読んだことのない人は、ここから先は読まないでほしいのだが、不合理さの最大のポイントは、『まだらの紐』に登場するような生態を示す蛇は、これまで確認されたことがないというものである。
具体的にその特徴を挙げれば、
①既知の蛇は音は認識せず、振動により反応するので、口笛で操れる蛇はいない
②蛇がミルクを積極的に飲むことはあまりなく、餌付けには不向き
③自然の木の枝の凹凸に体を引っ掛けて伝う蛇が滑らかなロープを這ったり、まして方向転換し這い登ることはできない
④蛇に限らず、金庫で飼って窒息しないものか?
口笛やミルクについては、インドに行ったことのないドイルが、インド関連の文献等で見知った誤解ではないかとの見解もあるという。
ともあれ、映像化にあたって、原作のままに描こうとし、クルーたちは原作の記述がはらむ矛盾を根気よく対処し、現実とうまく折り合いをつけ、ドラマを作りあげた。そして蛇の撮影はクルーの想像を絶する根気と工夫によって進められたそうだ。ドラマのクライマックスを再現したエンド・タイトルこそ、その証しで、特にエンド・タイトルの冒頭は必見である(皆川慶一『宝島MOOK シャーロック・ホームズの冒険 DVD BOOK vol.1 美しき自転車乗り・まだらの紐』宝島社、2009年[2010年版]、14頁~15頁)。

まだらの紐の登場場面


推理小説では、まだらの紐が次のように登場する。
≪原文≫
Round his brow he had a peculiar yellow band, with
brownish speckles, which seemed to be bound tight
round his head. As we entered he made neither
sound nor motion.
“The band! The specked band!” whispered Holmes.
I took a step forward : in an instant his strange
headgear began to move, and there reared itself
from among his hair the squat diamond-shaped
head and puffed neck of a loathsome serpent.
“It is a swamp adder!” cried Holmes. “The dead-
liest snake in India. He has died within ten seconds
of being bitten.
(コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険 The Adventures of Sherlock Holmes』講談社英語文庫(Kodansha English Library)、1994年[2004年版]、pp.141-142.)

≪訳文≫
そのひたいにくるりと巻きついているのは、奇妙な茶色の斑点のある黄色の紐、それがどうやら博士の頭をかたく締めつけているようだ。私たちがはいっていっても、博士は声もたてなければ、動きもしなかった。
「紐だ! まだらの紐だ!」ホームズが押し殺した声でささやいた。
私は一歩前へ出た。と、その瞬間、博士の奇妙な鉢巻きが動きだしたかと思うと、髪のなかからにゅっと伸びあがったのは、ずんぐりした菱形の頭と、ふくれあがった首―忌まわしい毒蛇だった。
「沼蛇だ!」ホームズが叫んだ。「インド産のもっともおそるべき蛇だよ。咬まれてから、おそらく十秒とたたずに死んだだろう。(後略)」
(アーサー・コナン・ドイル(深町真理子訳)『シャーロック・ホームズの冒険』創元推理文庫、2010年、341頁)。

DVDでは、先の蛇の件は次のような科白で出てくる。英日対訳による。
時間48分18秒
It’s the band, the speckled band.(まだらのヒモの正体だ)

時間48分22秒
It is a swamp adder, the deadliest snake in India.(インドで最も恐れられている猛毒のヘビだ)

時間49分55秒
The Doctor had trained the snake, probaly with the milk, to return at the sound of a whistle.(牛乳を餌に口笛で戻るよう仕込んだのでしょう)

(皆川慶一『宝島MOOK シャーロック・ホームズの冒険 DVD BOOK vol.1 美しき自転車乗り・まだらの紐』宝島社、2009年[2010年版]、47頁)。



《参考文献》
アーサー・コナン・ドイル(深町真理子訳)『シャーロック・ホームズの冒険』創元推理文庫、2010年
コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険 The Adventures of Sherlock Holmes』講談社英語文庫(Kodansha English Library)、1994年[2004年版]
皆川慶一『宝島MOOK シャーロック・ホームズの冒険 DVD BOOK vol.1 美しき自転車乗り・まだらの紐』宝島社、2009年[2010年版]



カットした部分(2021年12月21日)











さて、今回の執筆項目は次のようになる。







《推理小説『まだらの紐』について》
(2015年5月3日)
2021年12月12日に英語学習法にコピペ


アガサ・クリスティー(山本やよい訳)『オリエント急行の殺人』早川書房、2011年
Agatha Christie, Murder on the Orient Express: A Hercule Poirot Mystery, Harper Collins Publishers, 2011.
DVD『オリエント急行殺人事件』(パラマウント・ジャパン、1975年公開、シドニー・ルメット監督、アルバート・フィニー主演)


≪映画『ある愛の詩』と英語≫

2021-12-21 18:09:05 | 語学の学び方
ブログ原稿≪映画『ある愛の詩』と英語≫
(2021年12月21日投稿)


【はじめに】


今回は、英語の読み物として、映画『ある愛の詩』を解説してみたい。
 エリック・シーガル『LOVE STORY』(講談社インターナショナル株式会社、1992年)を参照にした。

【エリック・シーガル『LOVE STORY』(講談社インターナショナル株式会社)はこちらから】

ラブ・ストーリィ―Love story (Kodansha English library)

【DVD映画『ある愛の詩:LOVE STORY』はこちらから】

ある愛の詩 デジタル・リマスター版 50th アニバーサリー・エディション [Blu-ray]



風間研氏による「恋愛」の解説


まず、その前に、簡単に恋愛文学について、風間研『大恋愛―人生の結晶作用―』(講談社現代新書、1990年[1995年版])をもとにみておこう。

 人は「大恋愛」と言われたら、どんな文学作品を思い出すのであろうか。恋愛の極めつきとして、『ロミオとジュリエット』と『トリスタンとイズーの物語』を挙げている。この選択に異議をはさむ人は少ないだろうと風間研氏はコメントしている。
『トリスタンとイズーの物語』については、コクトー自ら現代風にアレンジし直して、「悲恋」という題名で(原題は「永劫回帰」だが)映画化しているほどで、このケルト人の伝説はヨーロッパ人なら誰でもが、愛の原型として知っている話であろうようだ。オペラ・ファンなら、ワーグナーの壮大な悲劇をすぐに思い出すことだろう。
『ロミオとジュリエット』は、仇同士の家の息子と娘が恋に落ちる話である。ロミオのモンタギュー家と、ジュリエットのキャプレット家とが長い間、犬猿の仲だというのが障害である(風間研『大恋愛―人生の結晶作用―』講談社現代新書、1990年[1995年版]、54頁~55頁)。
【風間研『大恋愛―人生の結晶作用―』講談社現代新書はこちらから】

大恋愛―人生の結晶作用 (講談社現代新書 982)


『ロミオとジュリエット』について


『ロミオとジュリエット』の恋愛は単純である。というのも、これは純粋な初恋だからである。それも出会いの部分しか物語になっていないからであると風間研は解説している。二人は恋愛で苦しむ前に死んでしまう。つまり相手の美しい部分しか見ていないうちに悲劇が訪れてしまう。
なにしろ出会いからして衝撃的で、一目見た途端に愛し合ってしまう。二人の結びつきは理屈ではなく、物に憑かれたように、発作的である。一瞬にして一目惚れで恋に落ちる。
ミュージカル映画の「ウエストサイド物語」の大筋は『ロミオとジュリエット』と変わらず、仇同士の家の息子と娘が恋に落ちる話である。
『ロミオとジュリエット』は何度も映画になっているが、中でも、オリヴィア・ハッセーが主演したのは名作であろう。風間研は「彼女は無条件に可愛かった。なるほどジュリエットという心地良い響きの名前に、彼女はピッタリのキャスティングだった」と回想している(風間研『大恋愛―人生の結晶作用―』講談社現代新書、1990年[1995年版]、58頁~60頁)。

「おお、ロミオ、ロミオ!なぜあなたはロミオなの?」
これは、屋敷の二階にある自室の前のバルコニーでの、有名なジュリエットの独白である。一目惚れとは、何よりも「目」の勝負なのであると風間は考えている。言葉の助けなんか借りなくても、目を見ていれば、自ずと分かるものなのである。ただ「一目惚れ」は思春期の少年少女なら誰にでも起こりうるありふれた「恋愛」の典型であり、純粋に一目惚れの恋愛だけを物語にするというのは難しいという。
邪魔とか妨害は、恋愛物語の大きな要素であり、作者が一目惚れの恋愛を描こうとした場合、結婚の障害に執着するのは、当然と言えば当然だろうと説明している(風間、1990年[1995年版]、62頁~63頁)。

【DVD映画『ロミオとジュリエット』はこちらから】

ロミオとジュリエット [DVD]


映画『ある愛の詩』について


物語の書きだしは次のようにある。
What can you say about a twenty-five-year-old girl
who died?
Then she was beautiful. And brilliant. That she
loved Mozart and Bach. And the Beatles. And me.
Once, when she specifically lumped me with those
musical types, I asked her what the order was, and
she replied smiling, ‘Alphabetical.’ At the time I
smiled too. But now I sit and wonder whether she
was listing me by my first name ―in which case I
would trail Mozart ―or by my last name, in which
case I would edge in there between Bach and the
Beatles. Either way I don’t come first, which for
some stupid reason bothers hell out of me, having
grown up with the notion that I always had to be
number one. Family heritage, don’t you know?
(エリック・シーガル『LOVE STORY』講談社インターナショナル株式会社、1992年、5頁)

Erich Segal(Retold by Rosemary Border), Oxford Bookworms Library: Love Story, Oxford University Press, 2008.
What can you say about a twenty-five-year-old girl who
died?
You can say that she was beautiful and intelligent. She
loved Mozart and Bach and the Beatles. And me. Once, when
she told me that, I asked her who came first. She answered,
smiling, ‘Like in the ABC.’ I smiled too. But now I wonder.
Was she talking about my first name? If she was, I came last,
behind Mozart. Or did she mean my last name? If she did,
I came between Bach and the Beatles. But I still didn’t come
first. That worries me terribly now. You see, I always had to
be Number One. Family pride, you see.
(Erich Segal(Retold by Rosemary Border), Oxford Bookworms Library: Love Story, Oxford University Press, 2008, p.1)

板倉章氏は次のように訳している。
どう言ったらいいのだろう、二十五の若さで死んだ女のことを。
彼女は美しく、そのうえ聡明だった。彼女が愛していたもの、それはモーツァルトとバッハ、そしてビートルズ。それにぼく。
いつだったか、こういった音楽家の連中とぼくとをことさらいっしょに並べたとき、どういう順番になっているのか、きいてみたことがある。すると彼女、にっこり笑って「アルファベット順よ」と言ってのけた。あのときはぼくも苦笑してしまった。
でも彼女のいない今、ぼくは腰をおろし、あの順番のなかに組みこまれたとき、苗字と名前と、どちらで入れられていたのだろうかと、考えてみる。名前だったらモーツァルトのあとになるし、苗字だったらバッハとビートルズの中間に入ることになる。いずれにしてもばかげた理由で一番になれなかったのかと思うと、むしょうにしゃくにさわってきた。子供のときから、ぼくはなにごとにつけナンバーワンでないと気がすまないという性質(たち)だった。
わが家の家風というやつだ。」
(エリック・シーガル(板倉章訳)『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、5頁~6頁)。
Notes
・brilliant 聡明な
・specifically lumped me with those musical types こうした音楽家の連中とぼくとを、ことさらいっしょに並べた
・trail Mozart モーツァルトのあとになる
・edge in~ ~に割り込む
・bothers hell out of me 無性にしゃくにさわる
・Family heritage 家風
(エリック・シーガル(板倉章訳)『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、150頁)。


原島一男氏もこの書きだしに注目している。
“She was beautiful. And brilliant. She
loved Mozart and Bach. And the Beatles. And me. “
「彼女は美しかった。頭脳明晰だった。彼女は愛していた。モーツァルトとバッハ、それいビートルズ。そしてぼくを」
オリバーが、ジェニーを偲んで、雪景色のスケート場に向かって語りかける言葉である。
(原島一男『映画の英語』ジャパンタイムズ、2002年、99頁)。


【原島一男『映画の英語』ジャパンタイムズはこちらから】

映画の英語

この部分を解説しておこう。
ジェニファ・キャブラリ(Jennifer Cavilleri)は美しく聡明であった。彼女の愛していたものは、モーツァルトとバッハ、それにビートルズ。そしてぼく(オリバー・バネット、Oliver Barrett)だったという。
25歳の若さで亡くなった彼女に、生前に、音楽家たちとオリバーの中で、どういう順番で好きなのかを尋ねたことがあったというのだ。すると、彼女はアルファベット順だと答えた。その好きな順番が、どうなのか、死後の現在、気になったというのである。
オリバー・バネット(Oliver Barrett)という苗字と名前では、その順番が変わってくることに気付く。
① つまり、名前(Oliver)だったら、モーツァルト(Mozart)のあとになる。
② 苗字(Barrett)だったら、バッハ(Bach)とビートルズ(Beatles)の中間にはいることになる。つまり、バッハのBac、バレットのBar、ビートルズのBeaというアルファベット順になる。
しかし、オリバーは苗字・名前をいずれもアルファベット順にしても、彼女の一番好きなものに自分が入らなかったことになり、無性に癪にさわってきたというのである。オリバーはハーバード大学の学生で何事につけ、ナンバーワンでないと気がすまないという性質(たち)であり、それが家風であったので、余計に腹が立ったというのである。
このあと登場するオリバーの父親(バレット3世)は、1928年のオリンピックで、シングルのボートレースに出場したことがあった(Segal, 1992, p.36. 板倉訳、1972年[2007年版]、48頁)。
さらに、オリバーのひいじさん(曽祖父、great-grandfather)はハーバード大学のバレット講堂を寄贈した人物であったという設定である(Segal, 1992, p.9. 板倉訳、1972年[2007年版]、11頁)。
このように、バレット家は、名門の家柄で、エリート主義の一家であった。このことがかえって、オリバーとジェニーの結婚に障害となった。
オリバーの両親から縁を切られても、オリバーとジェニーの愛の絆と結婚への決意は揺るがず、二人はささやかな結婚式を挙げ、質素なアパートでの生活が始まる。
その後、オリバーの父親から60歳の誕生日パーティの招待状が届いたとき、ジェニーはそろそろ和解の時期が来たとオリバーを説得しようとする。しかし、二人はこの件で大喧嘩をして、ジェニーは家を飛び出す。
そしてオリバーが追いかけてゆき、「悪かった、許して」と謝るオリバーに、ジェニーが言う言葉が、有名なセリフである。
“Love means not ever having to say you’re sorry.”
(エリック・シーガル『LOVE STORY』講談社インターナショナル株式会社、1992年、105頁、149頁)
(原島一男本では、“Love means never having to say you’re sorry.” 原島一男『映画の英語』ジャパンタイムズ、2002年、98頁~99頁)

直訳すると、「愛とは許されるのがわかっているので、謝る必要がないものだ」となるという。この言葉は、後でもう一度出てくる。つまりジェニーが白血病で亡くなった後、オリバーが自分の父親に同じ言葉を言っている。原島一男は、こちらの方は、言葉は同じでも、むしろ「愛とは、後悔する必要のないものです」に近いのではないかと解説している。
(原島一男『映画の英語』ジャパンタイムズ、2002年、98頁~99頁)。
ともあれ、アメリカ東部のボストンで男女の学生が出会い、恋に落ちるというストーリーのこの映画は、若さのもつ“純粋さ”を教えてくれる。ただ一途に相手を愛し、そのために生き、散っていく姿をみると、純愛という言葉の真の意味が伝わってくる(原島、2002年、93頁)。

作家の富島健夫とエリック・シーガルが純愛について対談した際に、8年前に日本で『愛と死をみつめて』という書簡集が出版されて大ベストセラーになったことを話した。
この『ラブ・ストーリー』の主人公とよく似ているが、日本では残された男の人がその後結婚する段になって、読者は大変非難したことも話した。
そして残されたオリバーはその後どういう生き方を歩むと思うかと質問したのに対して、主人公のオリバーは結婚するかもしれないが、その想像は読者自身に委ねたいと思うと答えた。
ただオリバーに言えることは、ある意味でこれからの彼の人生が始まるとも言えると付言した。

ところで、その『愛と死をみつめて』の著者であり、主人公の河野実(まこと)は、この『ラブ・ストーリー』について次のように語っている。
「ぼくも『ラブ・ストーリー』を通読しました。ぼくの体験とあまりによく似てるんで驚きました。ぼくも愛する人を失ったときは、ほんとに自分ももう終わりだ、と思いました。でも、あれは青春の終わりで、決して人生の終わりじゃなかったということが、あとになってわかったのです」と。(エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、221頁~222頁)。

青春と人生とを区別して考えている点が注目できる。
訳者板倉章によれば、本質的な定義づけをするなら、青春とは単純性と純粋性であろうと主張している。
そして、この『ラブ・ストーリー』で若者たちを泣かせたものは、いったい何だったのだろうと問いかけている。
その問いに対して、『ラブ・ストーリー』が出版された時、若者が共感したのは、彼らのかくありたいと思う青春があったからであると答えている。つまり若者がもつ純粋性と単純性が、この本に書かれてある純愛(純粋で単純な愛)と、周囲の大人の世界との戦いに共鳴したのだと理解している。
オリバーは父親に代表される偉大なアメリカ(実は人々から自由と生命力を奪っていくだけのインチキな社会)と戦い、絶対的な力であるジェニーの死に対してさえも戦いを挑むのである。青年は荒野をめざす、という青年の夢をかなえていたからであると板倉は解説している(エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、214頁~215頁)。


この小説は実話であり、主人公にはモデルがおり、エリック・シーガル自身、これほどのベストセラーになろうとは考えていなかったと、1971年1月に来日した時のインタビューで答えている。
エリック・シーガルが教えているイェール大学の研究室に、大学の生徒が、エリックを訪ねてきて時に話してくれたことを基にして小説化したという。その学生の友達の奥さんは学生結婚をした夫のために日夜働いて彼を卒業させた。就職して、いざこれからという時に、その奥さんは先天性の病気で亡くなったという。

エリックはこの話に感動して、生徒が話し終えて研究室を離れていった時、無意識にタイプに向かい、1968年12月15日から、1969年1月15日までに書き上げたという。つまり、イェール大学文学部教授の時、教え子が語った実話に触発されて、わずか1ヶ月で本書を書き上げたといわれる。
本書は、1970年2月に発売されて、1年間でアメリカ国内で1200万部突破という大記録を打ちたてた。同年12月に公開された映画(ライアン・オニールとアリ・マッグロー共演)も世界的にヒットする。

しかしこの小説が出版されようとも、ましてこれほどのベストセラーになろうとも考えていなかったと、訳者板倉のインタヴューで答えている。
というのはベストセラーの三大要素といわれている、暴力もセックスもペシミズムもないからである。この小説にはマリファナも戦争もフリーセックスも、そして黒人問題もない。だが、この手の小説はアメリカではここ百年というもの出版されたことがなかった。セックスをことさら書かなかったこの純愛小説のために、少女小説と笑われることを、エリック・シーガルは大変恐れたようだ。この小説を発表するのには、そういう意味での勇気が必要だったらしい。
ところで、フランスのル・モンド紙はこの『ラブ・ストーリー』に次のような賛辞を贈った。
「エリック・シーガルは世界中が待ちわびていながら、唯一人としてそれを書く勇気のなかった本を与えてくれた」と。まさにエリックの内心を見透かしたような賛辞であった(エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、209頁~213頁)。

清水真弓氏の解説~ジェニファーの名科白にこめた意味


また清水真弓氏は「ラブ・ストーリーについて」という解説を記している(エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、196頁~207頁)。

エリック・シーガルという作者の胸には、中世の恋物語の美しさが去来したのかもしれないと想像している。
古典や比較文学の研究家であるエリック・シーガルの中に、現代の『ロミオとジュリエット』を描こうとする意図があったのではなかろうかと清水真弓は捉えている。
今日ではラブ・ストーリーそのものが大人の童話となりつつある。愛をてれずに描くことが出来たのも、作者が才人であるというよりも、大人であるからかもしれない。その意味で、彼は失われた青春の夢を愛惜したともいえるだろうという(エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、206頁~207頁)。
青春には負担が多すぎ、生涯のどの時期よりも、傷つきやすいものである。
清水は、このことを示すために、2つの小説を挙げている。すなわち、『卒業』(チャールズ・ウェッブ著)と『ライ麦畑でつかまえて』(J.D.サリンジャー著)である。
つまり、『卒業』の主人公ベンジャミンの行動が、大人や世間の常識というモノサシで計ったら、不可解で支離滅裂であろうと、彼にとって、そのとき、そのときの行動が真実なのである。また、『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールデンはインチキを嫌悪し、常識に反抗するが、これらも青春の純粋さの生んだ潔癖感ともいえると清水はいう。ベンジャミンやホールデンの彷徨は、大人への一種の甘えであるかもしれないが、子供から大人になる季節の途中で、自己の存在証明を何によって得るかを模索していると捉えている(エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、198頁)。

この『ある愛の詩』という小説は、どうあるべきかなどという文学的な問題ではなく、どんなふうに感じるかをただ書き記した小説であると清水真弓は捉えている。素朴な“愛の象(かたち)”として。
その“愛の象(かたち)”をこの本は一つの事例として示したにすぎないかもしれないという。
「愛とは決して後悔しないことよ」
“Love means not ever having to say you’re sorry.”
(エリック・シーガル『LOVE STORY』講談社インターナショナル株式会社、1992年
、105頁、149頁)

作者はジェニファーにいわせたこの言葉の中に、一つの解答を与えようとしたのではなかろうかという。未練なんかないと言い、愛とは決して後悔しないことを彼の心に残していったのであったと清水氏は理解している(エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、199頁)。
また清水は、『ある愛の詩』という小説は、ある意味で、武者小路実篤の『愛と死』に似通った雰囲気をもった作品であるという。『愛と死』は、昭和14年(1939)、作者が55歳のとき書かれたものであるが、若い読者に読み継がれてきているのは、愛の純粋性が描かれているからであろうと清水は推察している。『ある愛の詩』と同じように、僕という語り手の回想形式で書かれている。
一人の女との出会いから、その死に至るまでの過程が描かれているが、作品の魅力はその女主人公にあるといわれる。男が外遊し、帰国を待ちわびる最後の手紙が、無邪気でいじらしく、素直に読者の心に感動を呼ぶ。だが、男の帰国を目前にスペイン風邪で急死してしまう。

一方、『ある愛の詩』の最大の魅力も、イタリア系のラドクリフ女子大学であるジェニファ・キャブラリという女の子に、みずみずしい実在感を与えているところにあると、清水はみている。つまり、最初のふたりの出会いで、オリバーに無関心を装うことで、奇妙に入り交じった感情を抱かせる小悪魔的な面と、そのくせ男の自尊心をくすぐるいじらしさを兼ねそなえた女の子であると、清水は分析している。
『ある愛の詩』は、もっとも現代的な、それでいて、愛の理想的な物語であると捉えている(エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、199頁~201頁)。

アンディ・ウィリアムスの名曲「ある愛の詩」


ところでアンディ・ウィリアムスが切々と、そして朗々と歌ってヒットした。
作詞はCarl Sigman、作曲は「男と女」「白い恋人たち」で有名なFrancis Laiであった。
その歌いだしは
Where do I begin to tell the story of
how great a love can be,
The sweet love story that is older than the sea,
The simple truth about the love she brings to me?
Where do I start?
(松山祐士『魅惑のラブ・バラード・ベスト100』ドレミ楽譜出版社、1994年、90頁~91頁)

【松山祐士『魅惑のラブ・バラード・ベスト100』ドレミ楽譜出版社はこちらから】

魅惑のラブバラード100 (メロディ・ジョイフル)

岩谷時子は、エディット・ピアフが作詞したシャンソンの名曲「愛の讃歌」などの訳詞で有名である。その岩谷時子の訳詞では
「海よりも美しい愛があるのを教えてくれたのはあなた。この深い愛を私は歌うの。」としている。

「ある愛の詩」の歌詞について、その歌いだしは、
“Where do I begin to tell the story of how great a love can be,”である。
これは明らかに、小説の書きだし、つまり
“What can you say about a twenty-five-year-old girl who died?”
(どう言ったらいいのだろう、二十五の若さで死んだ女のことを。)
に対応した歌詞であることがわかる(Segal, 1992, p.5. 板倉訳、1972年[2007年版]、5頁)。

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アンディ・ウィリアム ベスト・オブ・ベスト (ケース付)


著者エリック・シーガルについて


ところで、著者のエリック・シーガルについては、次のように略記されている。
Erich Segal was born in America in 1937, and studied at
Harvard University. Love Story, his first novel, was written in
1970. It became a world-wide bestseller, with over 21 million
copies sold in 33 languages. A film of the book was made in the
same year, starring Ryan O’Neal and Ali McGraw. This was
also an immediate success. It had seven Oscar nominations,
and won Segal a Golden Globe award for his filmscript.
Segal wrote many other bestsellers, and several of them
were also filmed. One of his most well-known films was the
Beatles’ Yellow Submarine. In 1977 he wrote Oliver’s Story,
which is about what happens to Oliver Barret after Jenny’s
death. Other popular novels were The Class, Doctors, and
Only Love.
As well as novels, Erich Segal wrote many serious works
about Latin and Greek. For many years he was a Classics
Professor at Yale University in America, and he was also a
Fellow of Wolfson College, Oxford. The last part of his life
was spent in England, and he died at his home in London in
2010.
(Erich Segal(Retold by Rosemary Border), Oxford Bookworms Library: Love Story, Oxford University Press, 2008, p.68.)

作者エリック・シーガルは、1937年に、ニューヨークで生まれ、ハーバード大学に学んだ。そして33歳の若さで、イェール大学の教授として古典と比較文学を教え、ギリシア、ローマの遺物について数冊の本を出した俊英の学者であった。
その一方で、ビートルズの「イエロー・サブマリン」のシナリオを書き、ハリウッドの人々の興味を惹起した。『ラブ・ストーリー(ある愛の詩)』は、彼の処女作で、アメリカで発売されるや、大ベストセラーになり、この作品一作で、1970年代の新人作家として迎え入れられた(エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]、204頁~205頁)。

ビリー・ジョエルの大ヒット曲「オネスティ(HONESTY)」



Erich Segal(Retold by Rosemary Border), Oxford Bookworms Library: Love Story, Oxford University Press, 2008には、次のような質問がある。

What do you think is important when you choose someone to marry?
A good husband or wife should…
・be good-looking
・be from a rich family
・be fun to be with
・have the same interests as you
・be younger or older than you
・be kind
・be intelligent
・be honest
・be loving
・be patient
10項目から選択するというものである。
(Erich Segal(Retold by Rosemary Border), Oxford Bookworms Library: Love Story, Oxford University Press, 2008, p.66.)

「be honest」という項目を結婚する相手に求める点を挙げているのに興味がひかれる。というのは、ビリー・ジョエルの大ヒット曲である「オネスティ(HONESTY)」を思い出すからである。
If you search for tenderness,
it isn’t hard to find.
You can have the love you need to live.
But if you look for truthfulness,
you might just as well be blind.
It always seems to be so hard to give.

Honesty is such a lonely word.
Everyone is so untrue.
Honesty is hardly ever heard,
and mostly what I need from you.
(やさしさが欲しいなら
それはたやすく見つかるだろう
生きていくのに必要な愛を得ることもできるあろう
けれど 正直さを捜そうとなると
いっそ目をつぶってしまいたくなる
正直であるというのはそれほど難しいことだ

誠実とは何と寂しい言葉だろう
誰もが不実な世の中さ
誠実という言葉はめったに聞かれないが
それこそ僕が君に求めるもの
訳 内田久美子)
(羽田健太郎『NHK趣味百科 英語ポップス歌唱法Ⅱ』日本放送出版協会、1995年、96頁)
“Honesty is hardly ever heard, and mostly what I need from you.”(誠実という言葉はめったに聞かれないが、それこそ僕が君に求めるもの)とビリー・ジョエルは心の叫びとして歌っている。
ビリー・ジョエル自身、ニューヨークのブロンクスに生まれた。この歌は都会に住む大人の歌である。つまり、この歌は誠実さがなければ他に何を持っていても、本当に幸せにはなれないと歌っている。この曲は、アルバム『ニューヨーク52番街』の中に収められている曲である。
アメリカ人は、愛する二人に誠実さを求める。

【ビリー・ジョエルのCDはこちらから】

ビリー・ザ・ベスト


《参考文献》
風間研『大恋愛―人生の結晶作用―』講談社現代新書、1990年[1995年版]
鈴木晶『グリム童話―メルヘンの深層』講談社現代新書、1991年[1998年版]
松山祐士『魅惑のラブ・バラード・ベスト100』ドレミ楽譜出版社、1994年
Erich Segal(Retold by Rosemary Border), Oxford Bookworms Library: Love Story, Oxford University Press, 2008.
エリック・シーガル[板倉章訳]『ラブ・ストーリー ある愛の詩』角川文庫、1972年[2007年版]
エリック・シーガル『LOVE STORY』講談社インターナショナル株式会社、1992年
フォーイン・クリエイティブ・プロダクツ編『麗しのサブリナ』フォーイン・クリエイティブ・プロダクツ、1996年[2004年版]
マーク・ノーマン、トム・ストッパード(藤田真利子訳)『恋におちたシェイクスピア―シナリオ対訳本』愛育社、1999年
別冊宝島編集部『「武士道」を原文で読む』宝島社新書、2006年
清水俊二『映画字幕の作り方教えます』文春文庫、1988年
戸田奈津子『男と女のスリリング―映画で覚える恋愛英会話』集英社文庫、1999年
原島一男『映画の英語』ジャパンタイムズ、2002年
原島一男『オードリーのように英語を話したい!』ジャパンタイムズ、2003年
塚田三千代監修『モナリザ・スマイル』スクリーン・プレイ、2004年
フォーイン・クリエイティブ・プロダクツ編『幸福の条件―名作映画完全セリフ集』フォーイン・クリエイティブ・プロダクツ、1997年







羽田健太郎『NHK趣味百科 英語ポップス歌唱法Ⅱ』日本放送出版協会、1995年






最相葉月『青いバラ』小学館、2001年
最相葉月『絶対音感』新潮文庫、2006年[2009年版]

フランシス・チャーチ(中村妙子訳)『サンタクロースっているんでしょうか』偕成社、1977年[1988年版]
中村妙子編訳『クリスマス物語集』偕成社、1979年[1985年版]

高橋大輔『12月25日の怪物』草思社、2012年
葛野浩昭『サンタクロースの大旅行』岩波新書、1998年[2005年版]