歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

≪加藤恭子氏の速読風読解~『英語を学ぶなら、こんなふうに』より≫

2021-12-15 18:48:19 | 語学の学び方
≪加藤恭子氏の速読風読解~『英語を学ぶなら、こんなふうに』より≫
(2021年12月15日投稿)

【はじめに】


 加藤恭子氏の提唱する速読風読解について、解説してみる。
次の文献を参照にした。
〇加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会、1997年[2001年版]

また、加藤恭子氏には、次のような英語関係の書物もある。
〇加藤恭子/ヴァネッサ・ハーディ『英語小論文の書き方-英語のロジック・日本語のロジック』講談社現代新書、1992年[1996年版]

また、加藤恭子氏は本来フランス語科の出身であるので、フランス語にも詳しく、次のような名著もある。
〇加藤恭子『「星の王子さま」をフランス語で読む』ちくま学芸文庫、2000年[2001年版]



【加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会はこちらから】

英語を学ぶなら、こんなふうに―考え方と対話の技法 (NHKブックス)


【加藤恭子/ヴァネッサ・ハーディ『英語小論文の書き方-英語のロジック・日本語のロジック』講談社現代新書はこちらから】

英語小論文の書き方―英語のロジック・日本語のロジック (講談社現代新書)

【加藤恭子『「星の王子さま」をフランス語で読む』ちくま学芸文庫はこちらから】

「星の王子さま」をフランス語で読む (ちくま学芸文庫)



さて、今回の執筆項目は次のようになる。


・加藤恭子氏の速読風読解
・速読風読解~上智大学経済学部経営科の入試問題より
・英語と日本語の違いについて
・加藤恭子氏とフランス語の『星の王子さま』
・おわりに







加藤恭子氏の速読風読解


どの言語においても、速読も精読もできてこその実力であると加藤恭子氏は主張している。
速く読むためには、次の点に注意すべきである。
・辞書を使わずに、できるだけ速く読むこと。
・“早く”というのは、後戻りをせずに、前へ前へと進み、一気に読み終えてしまうことを意味する。
・わからない単語があったら、エンピツで印をつけること。
・辞書を使って読んでいては、実戦に役に立たないので、辞書はすべて読み終えて、チェックをするときにのみ使うことを勧めている。

「速読風読解」の学習方法は、繰り返し繰り返し、ある程度まとまった量の文章を速度を気にしながら読むことが大切であるという(題材としては、設問がすぐ続き、正解もついているので、大学入試問題が便利であるらしい)。

速く正確に要点を取れる能力、これがあってこその精読であるというのである。そして、次のような注意点を列挙している。
・パラグラフごとの要点を気にしながら読むこと。
パラグラフ全体の内容がわかることが理想的であるが、それが難しければ、各パラグラフの中で、最も重要なセンテンスの見当をつけることがポイントである。
・読むときに日本語に訳さないこと。
 日本語を捨て、英語を英語のままで、その語順通りに「推量の能力」をしぼり出し、何とか読み、つじつまを合わせてしまうこと。“正確に読む”のは、すべてが終わって、辞書を手にしてからでよい。ともかく、荒療治から始めるのがよいとする。
 「読む」作業は、母語でも大変なもので、外国語なら、なおさらであるから、こんな大変なことをあるレベルまでもっていくには、荒療治と努力しかないというのである。
・わからない単語は推量すればよいが、推量に時間をかけているよりは、もしそれによって速度が落ちるなら、飛ばせばよいという。前後の文章から、何とかつなげてしまえばよい。
このような注意点を気にかけて学習すれば、確実に読解力は向上すると加藤恭子氏は述べている。
(加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会、1997年[2001年版]、150頁、167頁~169頁)

【加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会はこちらから】

英語を学ぶなら、こんなふうに―考え方と対話の技法 (NHKブックス)


速読風読解~上智大学経済学部経営科の入試問題より


速読風読解を解説するにあたり、1991年の上智大学経済学部経営科の入試問題を例にとっている。
次の文章は248語からできている。もし10分かかったとしたら、1分当たりの字数は、24.8語となる。自分の1分当たりの読んだ字数を計算してほしいという。


次の文章を読み、(1)~(10)についてそれぞれ(a)~(d)の中から正しいものを一つ選び、その記号を記せ。

The blacks in the USA are descendants of Africans who were brought across the Atlantic in the 17th, 18th and early 19th centuries and sold in the slave markets to plantation owners. Their masters treated them much as they treated their horses. There were no laws to protect slaves from ill-treatment. The
slaves became Christians, but their black preachers taught them that God wished them to serve their
white masters loyally. Few blacks in those early days dared to believe that blacks and whites were
equal.
The American blacks were not freed until the end of the Civil War in 1865. For nearly a hundred
years after the Civil War many of them led a harder life than when they were slaves. The Southern
states passed segregation laws forbidding them to mix anywhere with whites. In the Northern states
there were no segregation laws, but few whites accepted blacks as fellow Americans, and the city slums
where they lived were as unhealthy as anything they had known in the South.
‘Black is beautiful !’ This was the cry of black Americans in the 1960s, for they believed at last that
they could do any job as well as whites if they were given equal opportunities. The riots of the ‘long
hot Summers’ of the ’60s showed they had the power to give the whites a shock. Between 1948 and 1955
the American Supreme Court and other federal organizations had made segregation unlawful every-
where in the USA, especially in schools.

読み終わったら、字数を計算する。そして、設問に取り組むこと。

(1) Most blacks in the USA
(a) recently arrived in America.
(b) want more segregation laws.
(c) have ancestors who come from Africa.
(d) are plantation owners.

(2) The first blacks to come to America
(a) preached that blacks and whites were equal.
(b) were victims of slavery.
(c) came to start the Civil War.
(d) came to spread Christianity.

(3) Before the Civil War blacks in the South were
(a) treated as honored guests.
(b) treated not much better than animals.
(c) anxious to start a rebellion.
(d) hoping to send for more of their relatives to come and join them in their new land.

(4) During the first centuries after their arrival what made life especially hard for Southern slaves
was
(a) they weren’t allowed to practice religion.
(b) there were too few slave markets.
(c) they fell outside of the legal system.
(d) they were forced to live in urban slums.

(5) In the pre-Civil War South religion
(a) was forbidden by the plantation owners.
(b) excluded all but whites.
(c) was used by black preachers to encourage slaves to rise up and rebel.
(d) none of the above.

(6) One result of the Civil War was that the slaves
(a) learned that God wished them to serve their white masters loyally.
(b) were finally freed when the war was over.
(c) were given money and transportation to go back home.
(d) none of the above.

(7) In the first century after the Civil War
(a) most blacks led an easier and happier life.
(b) in fact the number of slave markets increased.
(c) most people accepted blacks and whites as equal.
(d) many of the former slaves actually lived a harder life than before.

(8) The segregation laws
(a) meant that the two races could not mix equally.
(b) were especially harsh in the North.
(c) were declared illegal right after the Civil War.
(d) were slightly less harsh in the North than in the South.

(9) In the first decades after the Civil War most Northern blacks
(a) wanted to move to the South.
(b) suffered from prejudice or discrimination.
(c) were accepted by whites as equals.
(d) were able to move out of the city slums.

(10) Segregation was legal in the USA for a period of about
(a) fifty years.
(b) one hundred years
(c) five hundred years.
(d) it never was legal to begin with.

(加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会、1997年[2001年版]、150頁~155頁)

ここから校正はまだしていない(2021年10月25日)

<ある回答例>


一人の学生に読んでもらったと仮定して、問題文でわからなかった単語(下線部分)と、設問に対する回答を記してもらった。
すると、次のようになった。

The blacks in the USA are descendants of Africans who were brought across the Atlantic in the 17th, 18th and early 19th centuries and sold in the slave markets to plantation owners. Their masters treated them much as they treated their horses. There were no laws to protect slaves from ill-treatment. The
slaves became Christians, but their black preachers taught them that God wished them to serve their
white masters loyally. Few blacks in those early days dared to believe that blacks and whites were
equal.
The American blacks were not freed until the end of the Civil War in 1865. For nearly a hundred
years after the Civil War many of them led a harder life than when they were slaves. The Southern
states passed segregation laws forbidding them to mix anywhere with whites. In the Northern states
there were no segregation laws, but few whites accepted blacks as fellow Americans, and the city slums
where they lived were as unhealthy as anything they had known in the South.
‘Black is beautiful !’ This was the cry of black Americans in the 1960s, for they believed at last that
they could do any job as well as whites if they were given equal opportunities. The riots of the ‘long
hot Summers’ of the ’60s showed they had the power to give the whites a shock. Between 1948 and 1955
the American Supreme Court and other federal organizations had made segregation unlawful every-
where in the USA, especially in schools.

☆学生のわからなかった単語
descendants/slave /plantation/ill-treatment/preachers/loyally/dared/freed/segregation/ forbidding/segregation/fellow/opportunities/riots/Supreme Court/federal/segregation unlawful

☆学生の設問の回答例(※必ずしも正解でないので注意)
(1)→(a)、(2) →(a) 、(3) →(c)、 (4) →(d) 、(5) →(b) 、(6) →(b)、(7) →(a)、 (8) →(d)、 (9) →(d)、(10) →(b)

(加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会、1997年[2001年版]、155頁~159頁)

<考え方の道筋>


・わからなかった単語(下線部分)は18もあった。しかし、同じ単語に3つ印をつけているから、本当の数は16。
(248語のうち、わからない単語は、16しかなかったことになると、指導者は励ます)

・わからなかった単語は、周囲から“推量”すればよいとする。
⇒日本語でも、漢字だけだと、“則”、“罔”、“殆”などとあった場合、見当がつかず、全くわからなくても、「学んで思わざれば則ち罔(くら)く思うて学ばざれば則ち殆(あや)うし」と、文章に入っていたら、何となくわかる気がするのと、同じである。
・16の単語を抜き出してバラバラに聞いたら、わからない。でも、文章の中に入っていれば、周囲から推量してわかるはず。

〇読解には、「推量の能力」の開発が不可欠であると、加藤恭子先生は強調している。

(加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会、1997年[2001年版]、159頁~160頁)

指導者とある学生の対話を載せつつ、正解に導いている。
その要点のみを記しておく。

☆設問(1)について
本文の1行目から、学生に説明させてみる。
「アメリカの黒人たちは、17、18と19世紀初期に大西洋を渡って連れてこられたアフリカ人たちの○○です」(○○は子孫)
「何とか市場(奴隷市場)でアフリカ人たちは、大農場をもっている人々に売られた」
「主人たちは、彼らを馬のように扱った。奴隷を○○から守る法律はなかった」(○○は歓待の反対)

設問(1)の回答として、(a)の「最近アメリカへ来た」と答えた学生に、指導者は、17、8世紀が最近かと質問する。
そして、学生は「(b)は意味がわからないし、(d)は違っているし、(c)も単語が違うので」と答える。
(c)の動詞が“have”であることに注目させ、「アフリカからの先祖をもつ」ということに気づかせ、(c)の正解に導く。

☆設問(2)について
・学生の回答は(a)にしているが、指導者は、なぜ、そう答えたのか理由を尋ねる。
・すると、「(c)と(d)は違っていて、(b)はよくわからなかったので。白人と黒人が平等だったらどんなにいいかと思って」と答える。
・それに対して、指導者は、あなたの気持ちを推量に入れてはいけないと注意する。そして、本文に書いてあることしか書いてはいけないという。
・“slavery”は、“slave”が“奴隷”だから、「奴隷制度の犠牲者」という意味になり、(b)が正解であるという。

☆設問(3)について
・「奴隷たちはキリスト教徒になりました。しかし、黒人牧師たちは、神は黒人たちが白人の主人たちに、〇〇に仕えることを望んでおられると教えました」
(〇〇は“忠実に”とか“献身的に”という意味)
「その頃、黒人と白人が平等だと信じることを〇〇するような黒人はほとんどいませんでした。」
・アメリカの黒人たちは、1865年に南北戦争が終わるまでは「フリードされなかった」。
⇒逆に言うと、ここで解放されたことになる。
・設問の(3)に戻ると、「馬のように扱われた」のだから、(c) ではなくて(b)が正解となる。

☆設問(4)について
・「南北戦争後百年近く、彼らは奴隷であったときよりもっと大変な生活を送ることになりました。南部の州が〇〇な法律を通したからです。白人と黒人が交わるのを“禁じる”法律を。」
⇒そういう法律を何とよびますか?――“人種隔離法”  
・「北部の州にはそういう法律はなかったけれど、ほとんどの白人は彼らをフェロー・アメリカンズとしては受け入れませんでした。」
(“フェロー”は“仲間”)
・「そして、彼らが住んだ大都市のスラムは、南部で知っていたどこよりも不健康でした。」
・設問の(4)を(d)とした理由を問われると、学生は(a)と(b)は間違っているとみる。彼らは確かにスラムに住んでいましたから、と答えると、それは北部の黒人のことであると指導者に訂正される。
・設問は「南部の奴隷たち」で、まだ奴隷の時代の話で、法制度外にあって、法によって守ってもらえなかったから、(c)が正解。

☆設問(5)について
・学生は、「どれもあまり正しくないように感じで」と答えると、その感じは当たっていると指導者はいう。
・でも、(b)の「宗教は白人以外は排斥した」につけてしまっている。
⇒黒人がキリスト教徒になった話がでてきたのだから、(b)も間違っている。
 としたら、そのどれでもないわけで、(d)が正解。

☆設問(6)について
・その通りという。

☆設問(7)について
・学生は(b)の「南北戦争後の一世紀間、黒人はより幸福の生活を送った」と考えていたが、逆だと気づき、(d)と答える。

☆設問(8)について
・人種隔離法についてだが、学生は(d)につけた。
 しかし、本文には、北部にはそういうものはなかったと書いてあるから、(a)が正しい。

☆設問(9)について
・学生に再考を促し、本当に(d)のように、北部の黒人たちはスラムから出ることができたのですか?と問われる。
⇒すると、(a)の「南部へ帰りたかった」も、(c)の「白人に平等に受け入れられた」も間違っていると、学生はいう。
・では、(b)はどうですか?と問われると、二つの単語“prejudice”と“discrimination”の意味がわからなかったという。
⇒わからない単語がでてきたら、直ぐに推量で分類するとよいと指導者はアドバイスしている。
 これらの二つの単語は、似ていると思うか、それとも“善と悪”のように反対の意味か推量してみる。
⇒北部の黒人たちは何に苦しんだのか? 
 平等に受け入れてもらえないことに苦しんだと学生はいう。“いじめ”と答えると、意味としては“偏見”と“差別”だけれど、そのカンはいいと、指導者は付言する。

再び本文に戻る。
・「ブラック・イズ・ビューティフル!」。これは、1960年代におけるアメリカの黒人たちの叫びでした。遂にどんな仕事でも、白人たちと同じようにできることを信じたのです。もし、彼らが平等な〇〇を与えられたなら……。」と学生はいう。
・「仕事をするについて、平等な機会を与えられれば」と指導者は補足する。
・「60年代の“長い暑い夏”の〇〇は、彼らが白人たちにショックを与える力のあることを示したのでした。」
(⇒アメリカ史で、60年代の夏にアメリカの黒人が何をしたかを思い出すと、〇〇は暴動になる)
・「1948年から55年の間に、何とかと他の組織は、アメリカのどこでも、ことに学校では人種隔離政策は法的でないと決めました。」
⇒このセンテンスには4つもわからない単語があったのに、2つはわかってしまった。
 何かが違法という判断を下すとしたら、どういう所がするのか?と問われると、学生は最高裁と答える。
“Supreme Court”がそれに当たる。“other federal organizations”は、アメリカの政治組織のことを考えると、“連邦のいろいろな組織”という意味になる。

☆設問(10)について
・(b)のアメリカでの人種隔離が約百年合法だったとした理由は?と問われると、
「南北戦争が終わったのが1865年で、その後に生まれ、1948年から55年にかけて禁止されたのですから、83年から90年間、つまり約百年合法だったのでは」と学生がいうと、合っていますと答える。


英語と日本語の違いについて


日本人が書く英文リポートやエッセイは、なぜ欧米人に理解されにくいのか。
日本語と英語の言語感覚や発想の差異、ロジックやレトリックの相違などを通して、正確でわかりやすい英語文章の書き方を伝授しようしたのが、加藤恭子/ヴァネッサ・ハーディ『英語小論文の書き方-英語のロジック・日本語のロジック』(講談社現代新書、1992年[1996年版])である。

たとえば、書き手と読み手の関係について、次のように加藤恭子氏は考えている。
日本語が「読み手指向型」であるのに対し、英語が「書き手指向型」であるという。
日本語における書き手と読み手の関係は、“受容的”である。両者は同じ側、または同じグループに属している。書き手が展開する議論に、読み手は賛成しなかったとしても、強い拒否はあまり示さない。
しかし、英語での書き手と読み手の関係は、競合的である。書き手は、読み手が自分に共感してくれるなどと思うことはできない。「自分の言うことは、こういう理由で正しいのだ」と、説得にかからなくてはならない。

この根本的な態度の違いは、使う単語の違いにもはっきりと現われているという。
日本人は、“we”を使って英語を書くのが好きだが、英語を母国語とする人間は、その場合“we”ではなしに、“you”を使う。

たとえば、
「海外旅行にあたっては、予防注射が必要かどうかを調べなければならない」
というような場合、日本人は“we”とする傾向がある。
 When we go abroad, we should check whether we need any vaccinations.
日本人は単一民族的色彩が濃いので、他人を“私たちの中の1人”とみなすというか、皆が同じグループに属していると感じるのだろう。

だが、このような場合には、英語では“you”を使うのが、ふつうらしい。
 When you go abroad, you should check whether you need any vaccinations.

“we”と “you”の違いは、小さなことにみえるかもしれない。“we”を使っても、文法的には正しい。だが、この違いは、日本人が気づいている以上に大きく、メンタリティの根本的な差を示しているようだ。「共同」のメンタリティと「対決」のメンタリティと表現してもよい。

(加藤恭子/ヴァネッサ・ハーディ『英語小論文の書き方-英語のロジック・日本語のロジック』講談社現代新書、1992年[1996年版]、163頁~166頁)

【加藤恭子/ヴァネッサ・ハーディ『英語小論文の書き方-英語のロジック・日本語のロジック』講談社現代新書はこちらから】

英語小論文の書き方―英語のロジック・日本語のロジック (講談社現代新書)

加藤恭子氏とフランス語の『星の王子さま』



関正生氏も英語版の『星の王子さま』を、オススメの多読教材として挙げていた。
ここでは、加藤恭子『「星の王子さま」をフランス語で読む』(ちくま学芸文庫、2000年[2001年版])を取り上げて、フランス語でも「前から読んでいく」ことが重要であることを確認しておく。
つまり、フランス語と英語の語順が類似し、日本語の語順がいかにフランス語と英語のそれと異なっているかということを説いている。フランス語の語順がフランス人の考え方そのものであるというのである。

(以下の記事は、中断している私のブログ「フランス語の学び方あれこれ」で書く予定であったものであることを断っておく)

【加藤恭子氏とフランス語】


<なるべく訳そうとしないこと>
・フランス語の真の「読解力」を身につけたいとは誰しも思うことであるが、「読む」ことと「訳す」ことは必ずしも同じではない。
・フランス語的考え方と、日本語的考え方は同じものではない。だから、原文を日本語に翻訳してしまうのは、四角い物を無理に丸い箱に入れようとするようなものであるという。
(どこかを切り捨てなければ、できることではないし、もし、その切り捨てた部分が重要だったとしたら、大変である)。
そこで、次のような二段階で取り組めばよいことを加藤氏は薦めている。
① 「著者は、どういうことを言っているのだろうか?」
このどういうことに焦点を当て、できるだけ正確に、深く、理解するように努める。そしてその「内容」を理解する。
② 「では、そういう「内容」は、日本語ではどう表現するのだろうか?」
そして加藤氏は、日本語の語順で読まないことを強調している。日本語に訳さない以上、その語順を強制する必要はなくなる。つまり後からひっくり返し、ひっくり返して読まないことが大切であるというのである。要は、文は頭から少しずつ読むこと。それがフランス人が考え、書き、理解する語順なのであるという。

ところで、『Le Petit Prince』は、当然のことながら、フランス語で書かれている。サン=テグジュペリという個人によって、生み出されたものではあるが、背後にはフランスの文化、生活様式があり、フランス語的考え方の中で考えられ、書きとめられた。つまりフランス文化の中に咲いた華であるというのである。

一方、それを読む私たち日本人は、日本語的思考方法に従ってものごとを考え表現する。日本の歴史、生活、文化の中から生まれてきた「華」「産物」である日本語に規定されている。
こうした文化的背景の差を常に念頭に置いておくことが必要である。
(加藤恭子『「星の王子さま」をフランス語で読む』ちくま学芸文庫、2000年[2001年版]
、30頁~31頁)。

このように、フランス語の語順で理解し、日本語に翻訳しないことを加藤恭子氏は提言している。
そして『星の王子さま』の冒頭を利用して、フランス語、英語、日本語の語順比較を行っている。
1Losque 2j’avais six ans 3j’ai vu, une fois, 4une magnifique image,
5dans un livre 6sur la Forêt Vierge 7qui s’appelait «Histoires Vécues».

1When 2I was six years old 3I saw 4a magnificent picture
5in a book, 7called True Stories from Nature,
6about the primeval forest.

2私は6歳の 1とき、6原始林についての 7「実話集」という 
5本の中で、4すばらしい絵を 3見たことがあります。

仏語 ―1234567
英語 ―1234576
日本語―2167543

フランス語と英語だけを見ると、6と7が逆になっているだけで、あとはそのままの語順である。でも、日本語と比べると、複雑である。
(加藤、2000年[2001年版]、33頁~35頁)

フランス語と英語の語順が類似し、日本語の語順がいかにフランス語と英語のそれと異なっているかがわかる。フランス語の語順がフランス人の考え方そのものであるというのである。

<加藤恭子氏の座右の銘>
『星の王子さま』の中で、バオバブも大きくなる前は、“ça commence par être petit.”と言う。
この“ça”は、バオバブを指しているが、直訳すると、「それは小さい状態から始まる」つまり、大きなバオバブも、小さいところから始まったのだ、もとは小さかったのだ、となる。
もちろんあたり前のことではある。「大人の前は子どもだった」「花の前はつぼみだった」と並べれば、あたり前の羅列ができ上がる。しかし、そのあたり前のことの中にひそむ真理をこんなにも美しく浮き上がらせることは、サン=テグジュペリの才能というものであろうと加藤恭子氏は賞賛している。
“ça”はもちろん “commence”も“par”も “être”や“petit”はいずれも初級に出てくるフランス語である。それを組み合わせて、ある環境に置いたとき、こんなにも光る言葉となる。加藤氏自身が座右の銘にしている言葉の一つであるという。
(加藤、2000年[2001年版]、90頁~91頁)

【加藤恭子『「星の王子さま」をフランス語で読む』ちくま学芸文庫はこちらから】
【加藤恭子『「星の王子さま」をフランス語で読む』ちくま学芸文庫はこちらから】

「星の王子さま」をフランス語で読む (ちくま学芸文庫)



おわりに


田辺保氏は『なぜ外国語を学ぶか』(講談社現代新書、1979年)において、語学・フランス語の学習について次のように述べている。
語学の学習は、楽器のけいこと同じように毎日、たとい短時間でもよいから、怠らずにつづけることである。1週間に2度、3時間の勉強をするより、毎日30分ずつをくりかえす方がよいと。
そして、訳読の時も、ひとつの文章の意味が理解できたらもう一度、声に出して読んでみるとよい。内容が正しくわかったうえでなければ、それにふさわしい感情のリズム、イントネーションはそえられないのだから、音読は訳したあとの方がよいかもしれないという。何度もくりかえし読み、原文の中身を原文のあらわす音のつらなりとともに、自分に納得させて行くことが重要であるという。
(田辺保『なぜ外国語を学ぶか』講談社現代新書、1979年、186頁~187頁)

【田辺保『なぜ外国語を学ぶか』講談社現代新書はこちらから】

なぜ外国語を学ぶか (1979年) (講談社現代新書)

また、どの言語においても、速読も精読もできてこその実力であると加藤恭子氏は主張している。速く読むためには、辞書を使わずに、できるだけ速く読むこと。“早く”というのは、後戻りをせずに、前へ前へと進み、一気に読み終えてしまうことを意味するという。わからない単語があったら、エンピツで印をつけること。辞書を使って読んでいては、実戦に役に立たないので、辞書はすべて読み終えて、チェックをするときにのみ使うことを勧めている。

「速読風読解」の学習方法は、繰り返し繰り返し、ある程度まとまった量の文章を速度を気にしながら読むことが大切であるという(題材としては、設問がすぐ続き、正解もついているので、大学入試問題が便利であるらしい)。速く正確に要点を取れる能力、これがあってこその精読であるというのである。そして、次のような注意点を列挙している。
・パラグラフごとの要点を気にしながら読むこと。
パラグラフ全体の内容がわかることが理想的であるが、それが難しければ、各パラグラフの中で、最も重要なセンテンスの見当をつけることがポイントである。
・読むときに日本語に訳さないこと。
 日本語を捨て、英語を英語のままで、その語順通りに「推量の能力」をしぼり出し、何とか読み、つじつまを合わせてしまうこと。“正確に読む”のは、すべてが終わって、辞書を手にしてからでよい。ともかく、荒療治から始めるのがよいとする。
 「読む」作業は、母語でも大変なもので、外国語なら、なおさらであるから、こんな大変なことをあるレベルまでもっていくには、荒療治と努力しかないというのである。
・わからない単語は推量すればよいが、推量に時間をかけているよりは、もしそれによって速度が落ちるなら、飛ばせばよいという。前後の文章から、何とかつなげてしまえばよい。
このような注意点を気にかけて学習すれば、確実に読解力は向上すると加藤恭子氏は述べている。
(加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会、1997年[2001年版]、150頁、167頁~169頁)。

【加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会はこちらから】
【加藤恭子『英語を学ぶなら、こんなふうに――考え方と対話の技法』日本放送出版協会はこちらから】

英語を学ぶなら、こんなふうに―考え方と対話の技法 (NHKブックス)




≪伊藤和夫氏と英文解釈≫

2021-12-15 18:44:30 | 語学の学び方
ブログ≪伊藤和夫氏と英文解釈≫
(2021年12月15日)
 

【はじめに】


前回のブログで、伊藤和夫の言語観・英語観について、言及した。
晴山陽一の著作から英語教育について一人の人物に私は辿りついた。駿台予備校の伊藤和夫という人物である。私は幸か不幸か、大学受験で予備校や塾のお世話になったことは一度もなかったので、このような優秀な予備校講師がいることを、晴山陽一の著作を読むまで全く知らなかった。しかし、この先生の著作を実際にあたってみると、いろいろと啓発されることを多く書かれてある。以下、紹介しみたい。

前回のブログでは、
伊藤和夫が目指したのは、<英語→事柄→日本語>という理解の順序である。伊藤は言う。
「英語自体から事柄が分かること、つまり訳せるから分かるのではなく、分かるから必要なら訳せることが英語の目的である」と。
伊藤和夫の言語観とは、「言語の習得は理解が半分、理解した事項の血肉化が半分である。後者のためには、同種の構文で書かれた文章を大量かつ集中的に読むことが有効である」というものである。

伊藤は「あとがき」で、
「英語の構文を理論的に解明することを主眼とし、英文の読解にあたってその構造をできるかぎり意識的に分析しようとした」のが、『英文解釈教室』という本であり、この書物から得た知識をもとに、自分が読みたい原書を読むことを勧めている。そして、「本書の説く思考法が諸君の無意識の世界に完全に沈み、諸君が本書のことを忘れ去ることができたとき、本書は諸君のための役割を果たし終えたこととなるであろう」と締めくくっている。伊藤和夫(1927-1997)は、東京大学文学部西洋哲学科を卒業しただけあって、その主張は哲学的で、説得力がある。

日本語にする以前の水際で英文を「事柄」として理解する。それが伊藤が生涯追い求めた理想の「英文解釈」のあり方だったようだ。この<英語→事柄→日本語>という図式は、國弘正雄の<英語→イメージ→日本語>と完全に一致すると晴山陽一はいう(伊藤、1977年[1997年版]、iii頁~v頁、314頁。晴山、2008年、121頁)。



【伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫はこちらから】

ビジュアル英文解釈 PARTI (駿台レクチャー叢書)


【伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅡ』駿台文庫はこちらから】

ビジュアル英文解釈 PARTII (駿台レクチャー叢書)















さて、今回の執筆項目は次のようになる。









『』の要約



伊藤和夫氏の考える英語の基礎



文がこみ入ってくると、不定詞や so that...canをいちいち後から返って訳しているのでは、話が混乱してしまって、訳文が明瞭でなくなることも多い。
伊藤和夫がいつも言うように、「言葉の順序は思想の重要な部分」なのだから、先に出てくるものを先に訳すという方法にはそれだけで一つのメリットがある。

「目的」の不定詞は「ために」と訳すというような機械的な教わり方をし、そこから抜けられないために英語を読むために、目が英文の中を右往左往し、結局そこで挫折してしまった人がどんなに多いかと考えると恐ろしくなるくらいともいっている(伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫、1987年、186頁)

英語の基礎は、次の3つにあるという。
①主語と動詞の結びつきに代表される5文型
②修飾する言葉とされる言葉、HとMの結びつき
③節の使用による文の複雑化

全体の見通しがアタマあれば、個々の例題を通して単純なものから複雑なものへと、知識がラセン状に組み立てられてゆくのが、望ましいというのが、伊藤和夫の考え方である。
伊藤和夫のアタマの中にあったシステムがどのようなものかを、その中心部だけでも、最後にハッキリ示しておくことは有益だと思う。
伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅡ』(駿台文庫、1988年)を終えて、「文法」を読むとよい。参照ページを丹念にたどって行けば、伊藤和夫が何を教えたくて、あちこちでいろんな伏線を張ったり、仕組んだりしていたか、どの部分とどの部分が有機的に関連するかが分かるという。それが力がつくことだと力説している。

最後に伊藤和夫は、
分らないと思っている英文の多くは、実は内容についての予備知識がなかったり、体験が不足しているために、形と無関係に「分からない」ことも多いと断わっている(伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅡ』駿台文庫、1988年、242頁~243頁)。

英文は「左から右へ、上から下へ」読む


伊藤和夫先生の口ぐせは、「左から右へ、上から下へ」英文を読むことである。
英語を読むときの目の動きが必ず「左から右、上から下」だということの中には、この順序に添わない、つまりこの順序を逆にする考え方や教え方は、すべて不自然だということが含まれていると、伊藤先生は主張している。

たとえば、次のような英文があるとする。
 In Vermont someone had to walk with a red flag to
warn that it was coming.

・had to は「…しなければならない」という意味の助動詞must(= have to)の過去形。
・with a red flag 「赤い旗を持って」
・to warn 「警告するために」はwalk にかかる副詞的用法をまとめる不定詞。
・warn that …のthatは、warnの目的語になる名詞節をまとめる接続詞。
⇒It(=the car)was coming.とすれば独立文になることを確認する。
≪訳文≫
「バーモントでは、赤い旗を持った人が歩いて、自動車の接近を警告しなければならなかった。」

ここで、基礎が分っていない学生のR君が、次のような質問をする。
伊藤先生は、「to warnは警告するためにという意味の、目的を示す不定詞」だと言いながら、「歩いて…警告しなければならなかった」と訳している。「警告するために歩かなければならなかった」と訳さなくていいのですか、と。

伊藤先生は、この文章を英語で読むときには、次のような順序で、内容を追うことができなければ、本物でないという。

In Vermont (バーモントで), someone had to walk (誰かが歩かなければならなかった), with a red flag(赤い旗を持って), to warn that …(…ということを)
そして、次のように付言している。
※to warnは「目的」を示す不定詞だと教わると、まず目がそこへ行き、that it was comingを訳してから、次にsomeone had to walkへ目がもどるといった、行きつもどりつ型の読み方はだめなのだと。

そして、もう一人の学生G君は、伊藤先生に次のように反論する。
訳を通して考えるやり方で教わってきたから、伊藤先生のようなやり方では、ちゃんとした日本語にならない。分かったとはとても思えないと。

伊藤先生は、学生を諭す。
訳せたから読めたのではない。読めてるから、必要な場合には訳せるのだ。
このやり方は、すぐに慣れてくるはずだ。
だいたい、関係代名詞は、うしろから返って「…であるところの」と訳してみると意味が分れるというような、考え方や教え方をしているから、力がつかないのだという、伊藤先生の持論を主張している。

(伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫、1987年、3頁、6頁~7頁、22頁~23頁)

文法的な解釈と、どう訳すかとは次元のちがう問題


伊藤和夫先生は、『ビジュアル英文解釈PARTⅡ』(駿台文庫、1988年)において、文法的な解釈と、どう訳すかとはある程度次元のちがう問題であるという。
たとえば、次のような英文がある。

Far more important to men and women than the pleasures of
television or the motorcar is the fact that they can get the food and
shelter and the medical care needed to keep themselves and their
families in health and reasonable comfort.

<Vocabulary>
pleasure喜び shelter(衣食住の)住 medical care医療 reasonable ほどよい、応分の

・Far more important to …のFarは比較級を強める語。
(cf.) Gold is far heavier than water. (金は水よりずっと重い)

☆本文は、形容詞ではじまっている。主語はどこにあるのだろうと思えることが大切である。
ここで、次のように考えるのでは、心細い。
 than the pleasures of television or the motorcar is the factの所が、the pleasures (=S)… is(=V)と見えてしまう。
⇒複数形のthe pleasuresがisの主語になれないいのはもちろんである。
 それよりこの読み方では、次のように、この文は主語はおろか、動詞までなくなってしまう。
Far more important
→than the pleasures … is the fact that …

かといって、It is far more …のIt isの省略だろうなどと考えるのが、伊藤先生がいつも攻撃する「省略」のごまかしである。
(そんなことを許す規則はどこにもないという)

・thanのかかるのは、… the motorcarまで。
「男や女にとり、テレビや車の楽しみよりはるかに重要な」と読んでいて、is the factの所で、is が動詞、主語はあとのthe fact、全体はC+be+Sの構文とひらめくのが正しい解釈である。
(C=Complement:補語、S=Subject:主語を意味する)

・the fact thatのthatが関係代名詞であってはならないという約束はないが、同格名詞節が第1感としてひらめくのが、英語に慣れているということである。

・they can get the food and shelter
foodにtheがつくのはなぜかと感じていれば、the medical careのあとのneeded(=p.p.つまりPast Participle:過去分詞)をfood、shelter、medical careの3つにかけて、「…に必要な食物と住居、医療手段」と読めるはずである。
⇒needed以下の限定を受けるからthe foodとなっている。
(cf.) We buy it because of the quality or the value of the product.
  (それを買うのは、製品の品質または価値のためである)

・to keep themselves and their families in …
×ここを「ひとりでいて、家族を…に保つ」のように、
  keep themselves
and their families in health …
と読むのはいかにも不自然である。

〇ここは、keep (O+O) in healthと読むのが釣り合いのとれた読み方である。
⇒この文のin health …も目的補語である。
「自分と家族を健康で…快適な状態に保つ;自分も家族も健康で…快適な生活を送る」

・reasonableは「合理的な」ではない。
 プールつきの豪邸に住んで召使いにかしづかれるといった、並みはずれた快適さまでは望まないが、人間として許されて当然の快適な生活はしたいと言っている。
※最後まできて、they can get以下に主語や目的語の点で欠けるものがないこと、つまりthatが接続詞で同格名詞節をまとめているという予想が正しかったことも確認できた。

☆まだ全体を訳す仕事が残っている。
この文は、C+be+Sであるが、文法的な解釈と、どう訳すかとは、ある程度次元のちがう問題であるという。
この解釈は、この文を「…はるかに重要なのは、…」とCをSのように訳すことを妨げるものではない。
⇒言葉が目に入る順序からすれば、そのほうが原文に近いとも言える。

「男や女にとり、テレビや車が与えてくれる楽しみよりはるかに重要なのは、…」とはじめよう。

・that – Clauseは、「…するために必要な食物と住居…を得ることができる」と訳しても、もちろん誤りではないが、訳がゴタゴタする。
⇒だから、neededまでで一度切って、「必要な食物と住居、医療手段を得て、自分も家族も健康で相当程度快適な生活を送れるようにすることである」とまとめる。

<大意>
「男や女にとり、テレビや車が与えてくれる楽しみよりはるかに重要なのは、必要な食物と住居、医療手段を得て、自分も家族も健康で相当程度快適な生活を送れるようにすることである。」
(伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅡ』駿台文庫、1988年、175頁~178頁、181頁)

伊藤和夫『ビジュアル英文解釈』にみられるルール


伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』(駿台文庫、1987年)では、英文解釈において次のようなルールをまとめている。

<List of rules ルール>
ルール1 前置詞のついた名詞は文の主語になることができない
ルール2 文の中で接続詞によってまとめられる部分は、それだけを取り出すと独立の文になる
ルール3 関係代名詞は節の中で代名詞として働き、先行詞を関係代名詞に代入すると独立の文ができる
ルール4 A and (M) Bの形では、Mは常にBにかかる
ルール5 第5文型の文のOとCの間には主語と述語の関係がかくれている
ルール6 名詞のあとに主語と動詞がコンマなしで続いているときは、関係代名詞の省略を考える。あとに目的語を持たない他動詞か前置詞があれば、それが正しいことになる
ルール7 形容詞・分詞があとから名詞を修飾するときは、名詞と形容詞・分詞の間に主語と述語の関係がかくれている
ルール8 かくれた述語の過去分詞を本来の述語に変えるときは、前にbe動詞を加える
ルール9 疑問代名詞と関係代名詞のwhatは、名詞節をまとめると同時に節の中で代名詞として働く
ルール10 接続詞+M2(副詞的修飾語)+S+Vの文ではM2は必ずあとの動詞へかかる
ルール11 冠詞と所有格のあとには名詞がある。このとき「冠詞(所有格)…名詞」の中に閉じこめられた語句はその外に出られない
(伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫、1987年、283頁)


関係代名詞(主格)とルール3


関係代名詞(主格)について考えてみる。
次の英文が、関係代名詞を含む文である。
 
All dogs which were brought into the country
had to stay in some place for half a year.

・[All dogs had to stay …]+[The dogs were brought into …]と考える。
・were brought into the country「国内に持ちこまれた」→「国外から来た」
・had to stay in some place for half a yearは、for … a yearがstayにかかって、「ある場所に半年は留まらなければならなかった」
・The dogs …が、which were broughtに変わって、All dogsを修飾する形容詞節(名詞を修飾する節)になっているわけであるから、「国外から来た犬はすべて、ある場所に半年は留まらなければならないことになっていた」とまとめる。

※この文は関係詞の節がSとVの間に入って、S(S+V)Vという構成になっていることに注意せよ。

All dogs which were brought into …の所で、伊藤先生は、関係代名詞の節をThe dogs were brought into …という独立文にして見せた。
そして、次のように解説する。

※関係詞の節は、独立文の中の名詞か代名詞が、関係代名詞に変わることによって、文全体が別の文の中の名詞に対する修飾語(形容詞節)になったものとみる。
※関係詞の節について分からないことがあったら、「…であるところの」式の分かりにくい日本語の意味を考えるのではなく、
(1)先行詞を関係詞に代入して、分かりやすい独立文に還元し、
(2)次にそこで分かったことを先行詞に対する修飾語にしてみるということ
が大切である。
そして、これがどんな場合にもあてはまる手順である。
このことを、「関係代名詞は節の中で代名詞として働き、先行詞を関係代名詞に代入すると独立の文ができる」とまとめて、ルール3とする。

(伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫、1987年、24頁~25頁、29頁~30頁)

ルール4の解説


ルール4は、「A and (M) Bの形では、Mは常にBにかかる」というものである。ここのMはModifier(修飾語)を意味する。
たとえば、次のような英文があったとする。

The nightingale usually begins to sing about
the middle of May, and after the second week
in June people hear his voice no more.

・The nightingale usually begins to sing 「ナイチンゲールは普通歌いはじめる、歌いはじめるのが普通である」
・about the middle of Mayは「約、およそ」
⇒全体は「5月の中ごろに」の意味で、begins to singにかかる。

☆and after the second week in June … さて、このandは何と何を結ぶのだろうか?
ここを次のように考えた人はいないだろうか。
「ナイチンゲールは普通5月の中ごろと、6月の第2週以降に歌いはじめる」

歌いはじめる時期が1年に2回もあるのはおかしいが、もし、この文が、
The nightingale … begins to sing
about the middle of May,
and after the second week in June.
のように、in Juneの所で終わっていれば、ほかの読み方はない。
しかし、この文ではin Juneのあとに、people hearという主語と動詞が続く。
これが、この文の読み方を根本的に変えるのである。
そんなことはないと言い張り、
「5月の中ごろと6月の第2週のあとに、ナイチンゲールは歌いはじめる。人々はその鳥の声をもう聞かない」と訳せると言う人は、この読み方では、The nightingale usually begins とpeople hear という2つのS+Vを結ぶ言葉がないことに気がつかなくてはいけない。

The nightingale usually begins to sing about
the middle of May, and (after the second week
in June) people hear his voice no more.
「ナイチンゲールは普通5月の中ごろに歌いはじめる。6月の第2週以後はその声くことはもうなくなります」と読むのが正しい。

※and はThe nightingale … begins とpeople hearを結ぶのである。

※こういう考え方をすることを、読者はafterからin Juneまでをカッコに入れなさいと教わっているかもしれない。
カッコに入れるとは、いま述べたような考え方をすること、つまりandが何と何を結ぶか、andのすぐあとに来るものではなく、ひとつ後にくるものがand以下の中心になるのではないかという考え方をすることなのである。
⇒この考え方を一般的に示すと、A and BのandとBが離れる次のような形になる。
 A and … B
…の部分に入る言葉はどういう働きをするのか。
こんな所に文全体の中心になる主語や動詞が出るはずはなく、ここに修飾語が入る。
 A and (M) Bの形になる。
この構文ではMは常にBにかかる。つまり、
 A and (M→) Bになる。

〇英語には、形が意味より優先する場合があり、この規則はその1つである。
これを、
A and (M) Bの形では、Mは常にBにかかる
とまとめて、ルール4と、伊藤和夫先生はみなしている。

(伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫、1987年、xii頁、34頁~35頁)


ルール10の解説


「ルール10 接続詞+M2(副詞的修飾語)+S+Vの文ではM2は必ずあとの動詞へかかる」について、解説を記しておく。

☆代名詞のthatと接続詞のthatは、どうやって見分けるのだろうか?
この点について、次のように説明している。
(1) They say that.
(2) They say that people usually marry in their teens.

(1)は、「彼らはそのことを言う」でthatは代名詞。
(2)も(1)と同様に、They say that …ではじまるが、thatは代名詞ではなく接続詞と感じられる。

☆同じthatなのに、ちがって感じられるのはなぜだろうか?
(2)では、people … marryという、thatによってまとめられるS+Vがthatとほぼ同時に目に入るからである。
この文は「人は普通十代で結婚すると言われる」の意味である。

(3) They say that in tropical countries.
(4) They say that in tropical countries
people usually marry in their teens.

(3)は「熱帯の国々では彼らはそのことを言う」で、thatはまた代名詞。
(4)はどうだろうか?
 最後まで読めば、(2)と同じように、people … marryがthat によってまとめられるS+Vで、thatは接続詞だと分かるが、They sayからはじめてthatまで来たところでは、thatは代名詞なのか接続詞なのか分からないことになる。

予想と確認が大切

※こういうところでは、途中で判断を保留して決定的な因子の登場を待つ、つまりin tropical countriesのあとがどうなるかを先に調べて決めるのではなく、一応thatの所で先を予想して、その予想に従った見通しを立てることが大切であるという。
では、thatの所で次のどちらを選ぶことになる。

(3)’ They say that(=代名詞) in … 名詞.
(4)’ They say that(=接続詞) in … 名詞+S+V

They say that …ではじまる文は、people … marryの所で自分の予想通りS+Vが現れたことが分かったら、そのまま先へ進めばよく、(3)’を選んだ人は文がin tropical countriesで終らず、予想外のS+Vが現れたら、それに驚いて前に返り、thatについての解釈を訂正すればよい。

※「予想と確認」または「予想と確認と訂正」。
これが、この本のPartⅠとPartⅡの全体で、伊藤和夫氏が読者に一番身につけてもらいたい考え方である。
(また、そのために必要な知識を、この2冊の本で提供したという)

さて、もう一つ大切なことがある。
それは、M2 thatとthat M2 のちがいを分かってほしいことである。

(3)は、
 They say that ←in tropical countries.
でin tropical countriesはsayを中心にかかったが、(4)のようにthatが接続詞と決まると、接続詞のthatは文の中で自分がまとめる部分の開始を示すので、in tropical countriesをthatをこえて前のsay へかけることはできなくなる。

(4)は、
 They say that (in tropical countries)→people … marry

と読んで、「熱帯の国々では人は普通十代で結婚すると、言われる」と訳すことになる。
逆に、in tropical countriesがthatの前に出ると、次にようになる。

They say in tropical countries that
people usually marry in their teens.

ここでは、They say ←in tropical countries that people … marry というかかり方、つまり、「人は普通十代で結婚すると、熱帯の国々では言われる」と解釈することになる。

※このことを一般化すると、
「接続詞+M2(副詞的修飾語)+S+Vの文ではM2は必ずあとの動詞へかかる」
というルールができる。
これをルール10と、伊藤和夫氏はみなしている。

(伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫、1987年、153頁~155頁)

伊藤和夫と英語の熟語


【賞賛・非難のfor】
賞賛・非難の意を示す動詞は、動詞...for ~の形で「~のことで...を...する」の意味で使うものが多い。
 cf. excuse, scold, praise, thank
blame...for~ 「...を~で非難する」
【問題】
Don’t blame me (for what happened, from one to the other, getting it right, out of order).
(伊藤和夫『新・英文法頻出問題演習[PARTⅡ 熟語篇]』駿台文庫、2001年[2009年版]、
101頁~102頁)

【禁止のfrom】
hinder, keep, prevent, prohibit, protect, stop等の動詞は、「動詞...from~」の形で、「...が~をすることをふせぐ(妨げる、禁止する)」の意味を示す。
keep ... from ~「...に~をさせない、...を~から守る」
【問題】
君の犬を私の庭に入らせないようにできないかね。
Can’t you [your dog / let/ keep/ out/ from/ coming] into my garden? (2つ不要)
(伊藤和夫『新・英文法頻出問題演習[PARTⅡ 熟語篇]』駿台文庫、2001年[2009年版]、
105頁~106頁)

【「~に変える」のinto】
change, cut, divide, make, turn, translate, talk等の動詞は、「動詞...into~」の形で、「...を~に変える」の意味を示す。
【問題】
I have translated a simple proverb ( ) plain English.
(簡単な諺を易しい英語に訳した)
translate...into~「...を~に翻訳する」
(伊藤和夫『新・英文法頻出問題演習[PARTⅡ 熟語篇]』駿台文庫、2001年[2009年版]、
109頁~110頁)

【分離のof】
clear, cure, deprive, rid, rob等の動詞は、「動詞...of ~」の形で、「...から ~を分離(除去)する」を示す
【問題】
This medicine will cure you ( ) your disease. (成城大)
(このクスリであなたの病気はなおるだろう)
(伊藤和夫『新・英文法頻出問題演習[PARTⅡ 熟語篇]』駿台文庫、2001年[2009年版]、
103頁~104頁)


【打つのon】
hit, pat, tap, strike等の動詞は、「人の頭(肩・背中)を打つ」を、「動詞+人+on the head (shoulder, back)」という形で表わすことが多い。
【問題】
He patted me (the back, my back, by my back, on the back). (慶大)
(彼は私の背中を軽くたたいた)
(伊藤和夫『新・英文法頻出問題演習[PARTⅡ 熟語篇]』駿台文庫、2001年[2009年版]、
105頁~106頁)

【with+供給物】
present 物 to人=present 人with物「人に物を贈る」
fill, present, provide, supply 等の動詞は、目的語のあとのwith~で材料または供給物が示される。
【問題】
I am going to present the prize ( ) her.
=I am going to present her ( ) the prize.
(その賞は彼女に贈るつもりです)
(伊藤和夫『新・英文法頻出問題演習[PARTⅡ 熟語篇]』駿台文庫、2001年[2009年版]、
107頁~108頁)

【基本動詞 takeを使った熟語】
1. take down     書きつける、書きとめる(=put down, write down)
2. take in (=deceive)  だます
3. take off   (帽子・靴などを)脱ぐ
4. take...off  (ある期間・日を)休暇として取る
5. take off  (飛行機が)離陸(出発)する
6. take on  (仕事・責任などを)引き受ける
7. take out  (人を)連れ出す
8. take over  引き継ぐ
9. take up (=occupy) (時間・場所などを)取る、占める。

【問題】
1. He took ( ) my telephone number in his notebook.(慶大)
2. I was taken ( ) by his smooth talk and appearance. (上智大)
3. Take ( ) your hat when you come into a room.(静岡大)
4. I have a headache, and I would like to take a day ( ) today.(関西学院大)
5. Our plane took (away, in, off, out) at exactly twelve o’clock, and landed on time
at Kennedy airport.(日本大)
6. Mr. Wilson said that he did not want to (look up, put up, take on, wear down)
any more serious obligations.(早大)
7. I plan to (take, make, see, call) a friend out to dinner tomorrow.(南山大)
8. John expects to take (after, back, into, over) the business when his father
retires.(慶大)
9. Please don’t trouble yourself for me. I don’t want to (get, give, make, take) up
your time.(京都産業大)
(伊藤和夫『新・英文法頻出問題演習[PARTⅡ 熟語篇]』駿台文庫、2001年[2009年版]、73頁~74頁)。

基本動詞 putを使った熟語
1. put away 片づける(しまう)
2. put off (=postpone)...[until ~] を[まで]延期する
3. put on 着る、身につける
4. put on weight 体重がふえる
5. put out (=extinguish) (火・燈火などを)消す
6. put up (旗を)掲げる、(家を)建てる

【問題】
1. Will you please help me clear the table? =Will you please help me put
( ) the things on the table? (早大)
2. They had to put ( ) their departure on account of heavy snow. (中央大)
3. If you want to help with the cooking, you had better take off your jacket
and put ( ) this apron.(浜松医大)
4. John has gained a lot of weight recently.
=John has ( ) ( ) a lot of weight recently.(立教大)
5. ( ) ( ) your cigarette before you go into the elevator.
エレベーターに乗る前にはタバコの火を消して下さい。(横浜市大)
6. They put ( ) the flag on national holidays.(早大)
(伊藤和夫『新・英文法頻出問題演習[PARTⅡ 熟語篇]』駿台文庫、2001年[2009年版]、71頁~72頁)。


2015年5月10日以降入力

暗記英文
①鈴木長十・伊藤和夫『新・基本英文700選』駿台文庫、2002年[2013年版]
②藤田英時『基本英文700でまるごと覚える重要単語&熟語1700』宝島社、2012年

受験英語用
①のNo.14
 The best way to master English composition is to keep a diary in English.
(英作文に上達するには英語で日記をつけるにかぎる)
(鈴木・伊藤、2002年[2013年版]、10頁~11頁)
①のNo.555
 The role of the historian is less to discover and catalog documents than to interpret and explain them. (歴史家の役割は、史料の発見や分類よりも、むしろその解釈と説明にある)
(鈴木・伊藤、2002年[2013年版]、130頁~131頁)

実用的
②のNo.189
 You should be at the boarding gate at least 30 minutes prior to your scheduled departure time.
(出発予定時刻の少なくとも30分前に搭乗口にいる必要があります)
 (藤田、2012年、56頁)
②のNo.345
 Sorry I didn’t respond earlier, but I just haven’t had a chance to check my email for a while.
(もっと早く返事をしなくてごめん、でもしばらくメールをチェックするチャンスがなかったんだ)
 (藤田、2012年、92頁)


15年5月24日以降、2021年12月14日構成を変更し、見出しづけ

言葉の理解と音楽~伊藤和夫の言語観・英語観


伊藤和夫の言語観・英語観を知るには、その著『伊藤和夫の英語学習法』(駿台文庫、1995年[2011年版])は一読に値する本である。伊藤と、生徒2人との3人の会話形式で記述されているために、途中、冗話・冗談も含まれるが、生徒の質問に回答する伊藤の言葉の中には、受験英語という枠組みの中とはいえ、英語教育に対する信念が随所に吐露されていて、興味深い本である。

たとえば、伊藤和夫は言語について、「言葉の理解と音楽」と題して、次のような主旨のことを述べている。
言葉は、書かれるよりも、文字として存在するよりも前に、まず話し手の口から出る音、音声として存在するものである。他人の話を聞くときのことを考えてみればわかるように、音声は口を出た次の瞬間には消えてしまうから、分からなくなったからといって前へもどるわけにはゆかず、聞いた順序での理解が唯一の理解である。
言葉は絵より音楽に似ている。音楽の理解の方法はひとつで、音の流れに身をまかせ、最初からその順序に従って聞いてゆくことだけである。音楽のテープを逆まわししたり、思いつきで飛び飛びに聞いたところで音楽は分かるはずはない。英語の文も、先頭からその流れに沿って読まなくてはならず、英文を眺めるのではなく、読まなくてはいけないという(伊藤和夫『伊藤和夫の英語学習法』駿台文庫、1995年[2011年版]、48頁~49頁)。

【伊藤和夫『伊藤和夫の英語学習法』駿台文庫はこちらから】

大学入試伊藤和夫の英語学習法

このように、言葉はまず音声として存在するものだから、言葉の試験をする以上、Hearing(ヒアリング)の問題があるのは当然である。従来の英語教育は、訳読中心の方法、制限用法の関係詞はあとから返って「……ところの」と訳すというような教え方が主流であった。つまり英文を読む場合は、いつでもテキストを前に返って確認できる、場合によっては漢文の原文を返り点の記号に頼って読むように、目を行ったり来たりさせてきた。
しかし、英語を聞く場合はそうはいかず、音声は聞いたはじから消えてしまう。音によって理解することは、英語をどう訳すかの前にある、英語を英語の次元でどう理解するかという問題、つまり英語の順序で読むに従って理解するにはどういう頭の働きが必要かという問題に直結する。

英文を読むことと訳すことは違うという伊藤の立場


ここで、伊藤和夫は英文を読むことと訳すことは、分離するものであるという立場をとる。旧式の訳読中心の教え方とは別の方法として、伊藤は前から訳してゆく方法を提唱している。その著『英語長文読解教室』(研究社出版、1983年[1992年版]、255頁~282頁)の「私の訳出法」において詳述している。

【伊藤和夫『英語長文読解教室』研究社出版はこちらから】

英語長文読解教室

読むことと訳すことはちがうから、いちいち日本語に訳す、つまり英文を行きつ戻りつ、何回も見るのではなく、左から右へ、上から下へ、文頭の大文字から文末のピリオドまで、英文の順序に沿って目を1度走らせるだけで、すべてが分かるように自分を訓練することが大切であると伊藤和夫は強調している(伊藤、1995年[2011年版]、71頁、122頁~123頁)。

そして、伊藤は英語の読解力と速読について、次のような立場を表明している。すなわち
「ゆっくり読んで分かる文章を練習によって速く読めるようにすることはできるが、ゆっくり読んでも分からない文章が速く読んだら分かるということはありえない」と。
これは自明の公理であるという。

よく英語の速読法として、文章を1語1語たどっていたのでは速く読めないので、名詞や動詞、形容詞だけ拾って読めとか、形容詞はたいてい飾りだから飛ばしても大丈夫だとか、パラグラフ(段落)の中心はたいてい文の先頭にあるから、各パラグラフの先頭の文だけ読めば、だいたいのことは分かるとよくいわれる。日本語でも「ななめ読み」とか「飛ばし読み」といわれる方法だが、それがなぜ可能かについて考えてみる必要があるという。

その際に、文中から取り出した、叙述の中心になるキーワードだけを、相互に無関係に読んでいるのではなく、キーワードとキーワードを自分で結び、その中間項に相当するものを自分の頭で補って、全体にひとつの意味の脈絡をつけることに成功し、しかもそれが原文の内容とだいたい同じだから、分かったことになる点に注意を促している。
読む前に、そこに書いてあることの見当がついているから、そうした速読は可能であったのである。逆に読む前に「分かって」いない文章を「ななめ読み」したり、「飛ばし読み」したところで、結局は誤解と妄想しか生まれてこないという。やはり読む前に「分からない」ものが、読んで分かるはずはないのである。つまり
「ゆっくり読めば分かる文章を練習によって速く読むことは可能だけれど、ゆっくり読んでも分からない文章を速く読んでみたところで誤解と妄想におちいるだけだ」と言い、日本人が陥りやすい英語速読法の落とし穴について注意している(伊藤、1995年[2011年版]、70頁~73頁)。

実は、先のキーセンテンスとか、パラグラフ・リーディングという速読法は、英語の本場であるアメリカの学生に対する速読の訓練法を直輸入してきたものであるから、それを日本の学生にやらせるには、根本的な見落としがあるとして、警鐘を鳴らしている。英語の形の上の約束すら身についていない日本の学生に、アメリカ式の速読訓練をさせても、効果があがるはずはないと、伊藤は否定的である(伊藤、1995年[2011年版]、74頁)。

ところで、Hearingの対策としては、できるだけ英語を「聴く」ようにすることを挙げているが、その際に注意すべき点を2点指摘している。
①ひとつは、ばかにしないで、できるだけ易しいもの、努力しないでも分かるものからはじめることである。最終的には、FENのニュースを聞いてその内容がわかるようになれば理想的であるが、焦ってはならず、最初はテレビやラジオの会話講座あたりの易しいレベルの方が途中で放棄しないですむから良いという。
②ふたつめは、耳で聞いたことをできればテキストで確認する努力、読むためのテキストも自分で声を出して読むことで耳で確認する努力も怠らないことである。先述したように、言葉は原則的には話すのが先で、読むのはあとであり、音声はテキストとちがって捉えにくいし、音声による文の構造は分析の対象にはなりにくい。

ただ、音声という捉えにくいものの中で、きちんと論理性や文法が貫徹しているから、言葉はすばらしいのである。ここに、中学・高校の英語教育を終えた人の利点がある。その人々はある程度読解力があるので、それまでに培ったReadingの力が、訓練次第によって、
Hearingの力とドッキングするという。そもそも読解力がなく読めない人のHearingの力は、ある所までくると壁につき当って先へ進めないというのが現実であるという。訳さずに読む力をつけるには、声を出してテキストを読むことを勧めている。つまり音読の勧めである。
英語の復習のうち、声を出して読むことを勧める理由として、目だけでなく耳まで、つまりできるだけ多くの能力を勉強に参加させるほうが効率がよいことが挙げられる。しかしそれだけではない。口を動かして読んでいれば、いやおうなしに英語の順序で考えざるを得ない利点を挙げている。
一方で声を出していながら、一方で訳すことはさすがにできないから、英語のままで考えることに慣れざるを得なくなるのが、音読の効用の第2点目である。つまり音読している時は英語の次元で理解することが中心になり、いちいち訳さなくてすむ点がよいという。英語の復習はテキストの中の単語の記憶が完了したかどうかを目安にするのがよいとする。つまり、テキストを何度もくり返しして、知らない単語がなくなったら、復習はすんだことにするというやり方である(伊藤、1995年[2011年版]、84頁、123頁~124頁)。

高橋善昭『必修英語構文』の言語観


ところで、この伊藤和夫の言語観・英語観は、彼が勤めていた駿台予備校の英語科の講師陣に共通したものであったようである。
というのは、駿台の英語科の講師高橋善昭たちが執筆した『必修英語構文 CD付』(駿台文庫、1996年)の中でも、この言語観を端的に英語で表現した文章を掲載している。

  It is of the highest importance, if we wish to understand the
real nature of language, to realize fully that words consist of
sounds, which are uttered and heard, and not of letters, which are
looked at.
Owing to the large part which books play in education,
people have come to hold strange views concerning language, and
some actually think that the letters, which make up the written
word on paper, are the real language, and that the sounds, which
we can hear, are only of minor importance. It is probable that
we should find it easier to grasp the real external facts of lan-
guage, which are its sounds, if we knew nothing about writing
and spelling at all, and could only think of language as being
uttered sounds. A little consideration of the question shows us
that the letters are very unimportant compared with the sounds,
and that when we study a language, it is the sounds and their
meanings which must mainly concern us.
【Notes】
of importance=important(of +抽象名詞=形容詞)、nature 本質、consist of... ...から成る、utter 声を発する、part=role、concerning... ...に関して、grasp... ...を把握する、external 外的な(↔internal)、uttered sound 発声された音、compared with ...
...と比較して



<訳例> ~「PARTⅡ Chapter2...section1」より
 言語の本質を理解したいと思う場合、この上なく重要なことは、語は口で発せられ耳で聞かれる音声から成り立つのであって、目で見られる文字から成り立つのではないと十分に認識することである。
 教育で書物が大きな役割を果たしているので、人は言語に関して奇妙な考えを持つようになった。現に、紙上に書かれた語を構成する文字が真の言語であり、耳で聞くことのできる音声は二義的重要性しか持たないと考える人もいる。多分、文字や綴りを全く知らないで、言語は発せられた音声であるとだけ考えることができるとすれば、言語の真の外的側面とはまさしく音声であるということが分かり易くなるであろう。この問題を少し考えてみれば分かることだが、文字は音声と比べると重要性は非常に低いものであり、言語の研究にあたってもっぱら我々の関心事としなければならないのは音声とその意味である。
(高橋善昭ほか『必修英語構文 CD付』駿台文庫、1996年、103頁および「必修英語構文別冊訳例集」PARTⅡChapter2...section1, 8頁の訳例参照のこと)。

【高橋善昭ほか『必修英語構文 CD付』(駿台文庫)はこちらから】

必修英語構文 CD付 駿台受験シリーズ

つまり、上記の文によれば、言語の本質を理解する上で、語は口で発せられ耳で聞かれる音声から成り立ち、目で見られる文字から成り立つのではないことを認識することが重要であると主張している。教育で書物が大きな役割を果たしていることから、紙上に書かれた語を構成する文字が真の言語であるかのように考える人もいるが、言語は発せられた音声であると考えることが一義的に重要であり、言語の研究では音声とその意味に関心をもつべきであるという。

この言語観・英語観は、高橋善昭たちが執筆した本書の基本的コンセプトになっている。その趣旨は「序にかえて」に述べてある。それによれば、本書は、駿台の英語科の講師たちの英知と経験を集約して、「英語構文」研究のテキストを編集し、解説を加えたものである。
そもそも英文は「単語」が横一列に連結した「線条構造」となっている。そして英語は「語順言語」であり、正確な読解には、個々の語句レベルの規則だけではなく、文レベルの構造が見えることが必要である。この「文レベルの法則性」を正しく認識することは、英文読解の基礎であり大前提であり、本書はこの基本的能力を短期に養成することを目的としているという。
そして本書の使用法の一つについて次のように記している。言語は音声と不可分であり、その感覚を磨くためにも、付属のCDを何回も聞くと共に、英文を声に出して読む努力をしてほしいという。このCDが slow tempoではなく natural speedで吹き込まれているのは、本物の音声とリズムを身につける必要があるからである。はじめは聞き取れなくても、何度も聞いているうちに聞き取れるようになる瞬間が誰にでも訪れるので、そこに到達するまで努力せよと主張している。
そしてCDの中でも高橋善昭自身も、この点を強調している。つまり、英文を文字で読めばわかるのに、耳から聞いたのではわからないことがあるのは、それまで聞いた絶対量が不足しているからで、聞いた量が臨界点(critical point)を越えると、誰でも必ず聞き取れるようになるという。THROUGH HARDSHIP TO THE STARS!と発奮を期待している
(高橋善昭ほか『必修英語構文 CD付』駿台文庫、1996年、3頁~5頁)。



≪関正生氏の英語の勉強法~『世界一わかりやすい英語の勉強法』より≫

2021-12-15 18:30:56 | ある高校生の君へ~勉強法のアドバイス
≪関正生氏の英語の勉強法~『世界一わかりやすい英語の勉強法』より≫
(2021年12月15日)


【はじめに】


 関正生『世界一わかりやすい英語の勉強法』(中経出版、2011年)をもとに、英語の勉強法について考えてみる。





【関正生『世界一わかりやすい英語の勉強法』(改訂版)はこちらから】

カラー改訂版 世界一わかりやすい英語の勉強法











関正生『世界一わかりやすい英語の勉強法』(中経出版、2011年)

本書のもくじは次のようになっている。
<もくじ>
はじめに
本書の特長
第1章 語学に必要な「メンタル」を鍛えよう!
第2章 世界一わかりやすい「単語・熟語の勉強法」
第3章 世界一わかりやすい「文法・リーディングの勉強法」
第4章 世界一わかりやすい「リスニング力・発音の勉強法」
第5章 世界一わかりやすい「ライティング・スピーキングの勉強法」
第6章 プロ読解の「学習ツール活用法」
第7章 基礎トレーニング後の「英語の試験対策」
おわりに




さて、今回の執筆項目は次のようになる。













関正生『世界一わかりやすい英語の勉強法』中経出版、2011年
「英語の基礎体力」を具体的に言うと、「英検2級ないし大学入試センター試験で150点」であり、基礎トレーニングである(関正生『世界一わかりやすい英語の勉強法』中経出版、2011年、38頁)。
関正生は「一番効率よく勉強できる順番」で書き、章立ても、それを反映しているという
(関、2011年、38頁)。


基礎をつくるトレーニングの順序


本書の目次は次のようになっている。
<もくじ>
はじめに
本書の特長
第1章 語学に必要な「メンタル」を鍛えよう!
第2章 世界一わかりやすい「単語・熟語の勉強法」
第3章 世界一わかりやすい「文法・リーディングの勉強法」
第4章 世界一わかりやすい「リスニング力・発音の勉強法」
第5章 世界一わかりやすい「ライティング・スピーキングの勉強法」
第6章 プロ読解の「学習ツール活用法」
第7章 基礎トレーニング後の「英語の試験対策」
おわりに

この目次にあるような順番で勉強をするのが一番効率がいいと関正生はいう。
第2章 単語力=筋力
第3章 文法・リーディング力=持久力
第4章 リスニング力=柔軟性
第5章 ライティング・スピーキング力=瞬発力

第2章で、「単語・熟語の覚え方」を説明する。
第3章では、文法と英文解釈で、「英語のルール」を学び、正確に英語を読み取り、返り読みしないリーディング力のつけ方を説明する。
第4章では、返り読みしない力を土台に、リスニングの勉強に入る(リスニングでは返り読みなんて絶対にできないから)
第5章では、「リーディング力・リスニング力」を土台に、「ライティング・スピーキング」の勉強に入る。

「読めない英語」を「書ける」わけがないし、「聞けない英語」を「話せる」わけがない。そしてゆっくりでも「書ける」ようになれば、その瞬発力を上げていくことで「話せる」ようになるわけである。
(斎藤兆史や澤田昭夫が難しく言っていることを簡単にわかりやすく述べている。)
第6章では、基礎トレーニングを効率的にこなすための「道具」を紹介している。
(関、2011年、39頁、41頁)。

英文の速読とは


速読とは、決して「急いで読むこと」ではなく、「正しく読むこと」であると関正生はいう。世間にはびこる「(段落の頭だけ読む)速読」や「スキャニング(必要な部分だけ読むこと)」といったテクニックは絶対にやめるべきであるという。

まずは正しいフォームが必要である。この「正しいフォーム」こそ「英語の正しい読み方」である。さらに「正しいフォーム(英文解釈力)」に加えて、「筋力(単語の瞬発力)」「実際の試合(音読力)」などの要素が必要である。いろんな要素が相互作用して「速くなる」と説く。

つまり、速読に必要な要素とは、次の3つである。
①単語の瞬発力(0.1秒で単語の意味が浮かぶか?)
②英文解釈力(英文の構造を正しく把握できるか?)
③音読力(日本語を介入させずに英語をそのまま理解できるか?)~最低30回、理想は50回の音読

公式化すれば、速く読むには「単語の瞬発力×英文解釈力×音読力」が大事だという
(関、2011年、94頁~101頁、110頁)。


関正生と伊藤和夫の『ビジュアル英文解釈』


関正生は
〇伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫、1987年
〇伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅡ』駿台文庫、1988年
について絶賛している。

【伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫はこちらから】

ビジュアル英文解釈 PARTI (駿台レクチャー叢書)


【伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅡ』駿台文庫はこちらから】

ビジュアル英文解釈 PARTII (駿台レクチャー叢書)




つまりこの参考書により、「正しく読めること」ができるという。
この本で「返り読みせずにアタマから正しく読める」ようになると、関正生はいう。
さらに「ボク自身、この本に出合(ママ)わなければ英語を仕事にしていなかったと思います」と“運命的な出会いの本”であることを強調している。そして「PARTⅠとPARTⅡの2冊をこなしてください。内容は地味で単調に感じるかもしれませんが、すさまじい効果があります」とその良書を保証している。
(関正生『世界一わかりやすい英語の勉強法』中経出版、2011年、97頁)

文法と英文解釈で、「英語のルール」を学び、正確に英語を読み取り、返り読みしないリーディング力のつけ方を関正生は説明している。返り読みしない力を土台に、リスニングの勉強に入ると勉強の順序を説いている。
(関正生『世界一わかりやすい英語の勉強法』中経出版、2011年、39頁)


オススメの多読教材


関正生のオススメの多読教材として、1物語、2日本のマンガ、3日本の小説を挙げている。とくに1物語の次の3冊は面白く、予備校の生徒にも評判がすごくいいらしい。
① 『シンデレラ/眠りの森の美女』
Tales of Two Princesses : Cinderella & Sleeping Beauty, Xanthe Smith Serafin著、アイビーシーパブリッシング)
カンタンな単語で気軽に読めるし、ほのぼのとした気分になれる

② 『星の王子さま』
The Little Prince, Antoine de Saint-Exupéry著/Mariner Books
『星の王子さま』を大人になってから読むと、いろいろとハッとさせられるという

③ 『クマのプーさん』
『クマのプーさん――Winnie-the-Pooh』A.A.Milne著/講談社インターナショナル
もともとイギリスの物語で、単語が少し難しいが、予備校で紹介すると生徒が一番に買いに行く本らしい
(関正生『世界一わかりやすい英語の勉強法』中経出版、2011年、102頁~103頁)


ここから古いメモをもとに加筆 2021年10月24日

関正生と英語


 関正生は、1975年、東京生まれである。
 埼玉県立浦和高校、慶応義塾大学文学部(英米文学専攻)卒業後、東進ハイスクールを経て、秀英予備校講師などを経歴している。予備校デビュー1年目から出講校舎すべてで、常に最多の受講者数・最速の締め切り講座数を記録したそうだ。

「はじめに」において断っているように、その勉強法は留学もネイティブ講師も必要なく必ず独学でできるものである。つまり「正しい努力」の方法、このことを大前提にした勉強法を紹介していく。
(関正生『世界一わかりやすい英語の勉強法』中経出版、2011年、4頁)

日本人はまず「英文法を頭で理解」⇒「反復して無意識の領域まで落とし込む(体に染み込ませる)」という作業をこなす必要があると説く。つまり、非ネイティブは英文法を頭で理解し、反復して体に染み込ませる!(87頁)ことが重要であるという。

英文解釈力



英文を速く読むためには、「英文の構造」をキッチリつかむこと(英文解釈力)が必要である。

でも最近は「英文解釈」と聞くだけで、やたら古くさいと思われ、あげく「だから速く読めない」と、メチャクチャなことまで言われる。
しかし、新聞、ビジネス、TOEICなどの資格試験、洋書、英字新聞に必要とされる英語力には、「英文解釈」が絶対に必要である。

英文解釈をやると、英文の構造を予想する力がつき、きちんと英文が読めるようになる。きちんと読めれば、読むスピードも上がる。
「TOEICの問題集をいくらこなしても点数が伸びない」「読むのが速くならない」と思っている人には、一度速度の呪縛から抜けて、きちんと正しく読むことをオススメすると、関正生は強調している。

関正生は
〇伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅠ』駿台文庫、1987年
〇伊藤和夫『ビジュアル英文解釈PARTⅡ』駿台文庫、1988年
を絶賛し、「正しく読める」ことを目指してほしいという。
(関正生『世界一わかりやすい英語の勉強法』中経出版、2011年、96頁~97頁)

音読力


音読力(日本語を介入させずに英語をそのまま理解できるか?)
英語をマスターするためには「やさしい英文を大量に処理していくことで英語アタマをつくる」という作業が絶対に必要である。
そのために必要なのが「音読」である。

英文解釈できちんと理解した英文を、何度も音読して脳に染み込ませる。
5~10回では足りず、最低30回、理想は50回の音読である。
2~3回英文を読んだだけでは、いちいち日本語に置き換えないと意味が理解できないかもしれないが、何度も繰り返して同じ英文に触れていくうちに、英語を英語のまま処理できるようになる。
英文を目で見ながら、意味がどんどん浮かぶようになる。これができるようになれば、返り読みもしなくなり、日本語を介さずに英文の内容が浮かぶようになる。すると、英文を読むスピードが格段に上がる。いちいち日本語に直す手間が省けるのでスピードが上がる。毎日30分音読して2~3カ月かかる。でも、ぜひ挑戦してほしい。

音読は、関正生が英語ができるようになった最強の武器であるという。受験のとき、問題集の英文を50回は読み込んだし、30歳まで1日30分の音読を13年間続けたそうだ。

ディクテーションとシャドーイングの使い分けも重要である。
ディクテーションとは、聞こえる英文をすべて書き取るのである。数行または1分程度の英文を週にひとつだけでもよい。シャドーイングは、リスニングしながら、その英文に影のようにくっついて声に出していく。3分程度の英文を毎日やるとよい。

ボイスレコーダーを手に入れたら、同じ教材を何度も何度も聞き込むことである。たくさんの英文を1回だけ聞くよりも、同じ英文を何度も聞くほうがリスニング力は上がる。ひとつの英文を完璧にシャドーイングしたら、その英文は終了だが、50回以上聞くことになるようだ。「音の記憶力」をつくるわけである。「音を脳に染み込ませる」つもりで聞きまくることが重要である。

さて、音読するときに気をつけることは何か?
「音読」は「英語アタマ」をつくるものである。だから、無意味に音読しても効果はない。
次のことを気をつけよと説く。
≪音読の細かい注意点≫
①必ず声に出す
(黙読だと無意識のうちに目で飛ばしてしまうので)
②声の大きさは無関係
(ボソボソでも十分なので、どこでもできる)
③何も考えずに字面だけ追っても効果はない
(a)まずは英文の構造(英文解釈)を意識して10回
(b)次に英文を読みながら和訳が浮かぶように10回
(c)最後は自然なスピードで10回
④目標は1日30分~早ければ2カ月、普通は3カ月で効果が出る
⑤一気に30回読む必要はない。1日5回×6日=合計30回が目安。
⑥サボってしまったら、翌日は1時間音読。2日サボったら最初からやり直しと考える。
(厳しいが、英語アタマはそんなにカンタンには手に入らない)

音読するときはダラダラ読んでも意味がないので、1日30分、集中して取り組むこと。
3カ月後にはきっと「劇的な読解スピード」を手に入れることができる。

(関正生『世界一わかりやすい英語の勉強法』中経出版、2011年、97頁~100頁、127頁~128頁)

リスニング


リスニングができない原因とは、「4つの知識」で英語が聞こえるようになる。「知らない」とリスニングはできない!
①「正しい音(弱形)を「知らない」
②「速い」のではなく「短い」という事実を「知らない」
③リスニング特有のルールを「知らない」
④読解力がないとリスニングもできないという事実を「知らない」

①「弱形」の例
「聞こえない」どころか「最初からそうは言ってない」単語
 それぞれの強形と弱形
(a)前置詞
 for     フォー⇒フ
 from   フロム⇒フム
(b)代名詞
 him   ヒム⇒イム
 our   アウア⇒ァー
(c)接続詞
 and   アンド⇒ン
 or    オワ⇒オー
(d)助動詞
can    キャン⇒クン
 have   ハヴ⇒ァヴ
(e)その他
 some   サム⇒スム
 any    エニィ⇒ァニ

読解力がないとリスニングもできない。
・英語を読むときに「返り読み」したり、「日本語に訳してから意味を考える」という段階では、リスニングのスピードについていけない。
・「英語を英語で考える」ようになるためには、徹底的な音読が必要である。
・英文を読むときに、返り読みせず、英語を英語のまま考えられるようにするための訓練が「音読」である。
・実は、リーディングの延長線上に、リスニングがある。
・リスニング上達のためにも、読解力をつけ、音読を続けること。

リーディングとリスニングには相乗効果があるので、リスニングを続けると読むスピードも上がるはずであると、強調している。

(関正生『世界一わかりやすい英語の勉強法』中経出版、2011年、112頁~118頁)







≪澤田昭夫氏の語学論≫

2021-12-15 18:24:58 | 語学の学び方
ブログ≪澤田昭夫氏の語学論≫
(2021年12月15日)
 

【はじめに】


澤田昭夫氏は、1928年生まれで、1951年東京大学西洋史学科卒業で、筑波大学名誉教授であった。近代イギリス史、ヨーロッパ史の専攻である。

澤田昭夫『外国語の習い方―国際人教育のために―』(講談社学術文庫、1984年)
を通して、英語学習の方法を考えてみる。
その他にも、
澤田昭夫『論文のレトリック』(講談社学術文庫、1983年[1995年版])などの著作でも知られる。




【澤田昭夫『外国語の習い方―国際人教育のために―』(講談社学術文庫)はこちらから】

外国語の習い方―国際人教育のために (講談社学術文庫 (666))

【澤田昭夫『論文のレトリック』(講談社学術文庫)はこちらから】

論文のレトリック (講談社学術文庫)






澤田昭夫氏の外国語の習い方



澤田昭夫『外国語の習い方―国際人教育のために―』講談社学術文庫、1984年
今、国際人教育のためにわが国が必要としているのは、外国語学習の新戦略、「傍観的思い出語学」から「参加的運用語術」への戦略転換であると澤田昭夫は主張している。
澤田の標題『外国語の習い方』の習い方でいおうとしているのはまさにそのことである。語学を学ぶのではなく、外国語術を習うことが必要であるという。

澤田のドイツ語学習体験から導き出されたものであるらしい。澤田は旧制高校で一学期は文法の講義、二学期からはシュテイフター、トーマス・マンなどの訳読という、大昔からの伝統的パターンでドイツ語を学んだという。毎週3時間、3年やっても実力は全くつかなかった。これを澤田は「傍観的思い出語学教育」と名付けている。傍観的というのは、教師が主体でテキストを和訳しているのを生徒が傍観しているという意味である。その思い出に名詩や名句の断片を暗記している。

一方、「参加的運用語術」については、language skillにあたる語術ということばは、木下是雄(もと学習院大学学長の物理学者)の高説「外国語についての八章」(梅棹忠雄、永井道雄編『私の外国語』中公新書、1970年、76頁~92頁)から借用したという。体験的には、ドイツのボン大学で外人用ドイツ語入門講座に参加し、オーディオ・リングアルな、聴き話し中心だが読みや文法も総合した「参加的運用語力実習」を週3時間、3ヶ月受けたことに基づくものであるようだ。澤田が学問的テーマについても国際舞台で一応不自由せずにドイツ語で聴き話し、読み書けるようになったのは、ボンでの3ヶ月の実習が、いわゆる breakthrough「突破」体験になったという。この体験は、ドイツ語に限らず、一般に日本の伝統的外国語教育がなぜだめか、それならどうしたらよいか、それへの答えのヒントを与えてくれる開眼体験であったという。

今、外人留学生のための日本語教師育成の必要が叫ばれている。その場合、音韻論だの文法論だの語史だのという日本語学を学ばさせる研究者だけがいくらいても、役に立たない。必要なのは、日本語を習わせられる調教師である。ことばの生きた運用力を身につけることを、外国語では learn(英)、lernen(独)、apprendre(仏)という。それは、ことばを言語学的、文学的に分析、解釈すること、学ぶこと、study(英)、studieren(独)、étudier(仏)
とは違うという。

今、必要なのは、外国語を理論的に学ぶことではなく、体験的に習うことである。語学を学ばせる教授や学ぶ学者ではなく、語術を習わせる調教師と習う技能士であるという。
要するに、澤田のこの本は、日本の国際化ないし日本の国際人教育という政策的意図をもって、語学・文学畑以外の人間が書いた語術習得の戦略書であると、澤田自ら断わっている。これを読めば外国語の実用がつくのではなく、これを読んで正しい訓練に参加して外国語を習えば、習い性になって外国語運用力がつく、という本であるというのである。
なお、本書の中核になる第Ⅰ部は、1979年に筑波大学の外国語センター長の任にあったとき、学生向けに書いたパンフレット「外国語の学び方」を加筆訂正したものだという。
(澤田昭夫『外国語の習い方―国際人教育のために―』講談社学術文庫、1984年、6頁~10頁)


≪斎藤兆史氏の英語論~『英語達人塾』より≫

2021-12-15 18:21:53 | 語学の学び方
ブログ≪斎藤兆史氏の英語論~『英語達人塾』より≫
(2021年12月15日)
 

【はじめに】


 斎藤兆史(さいとうよしふみ、1958-)氏は、日本の英文学者で、東京大学教授、放送大学客員教授である。
 今回のブログでは、その著作を紹介してみたい。
〇斎藤兆史『英語達人塾―極めるための独習法指南―』中公新書、2003年[2011年版]



【斎藤兆史『英語達人塾―極めるための独習法指南―』(中公新書)はこちらから】

英語達人塾 極めるための独習法指南 (中公新書)

















斎藤兆史の英語論~『英語達人塾』より


まえがき
斎藤兆史『英語達人塾―極めるための独習法指南―』(中公新書、2003年[2011年版])
は英語独習法の解説書である。
本腰を据えて英語に取り組みたい人にお薦めしたい本である。
本書の学習法を実践すれば、日常的なやり取りや社交、商談はもちろん、文化的な議論や研究発展の場でも役立つ高度な英語力を身につけることができるはずであるという(斎藤、
2003年[2011年版]、i頁)
不自由な思いをせずに外国旅行がしたいとか、外国人と友だちになりたいというだけならともかく、文法無視でただペラペラとしゃべりまくる癖がついてしまうと、そこで英語学習が頭打ちになる。
かつての日本の英語達人たちを見ていると、基本に忠実な英語学習を行なっていることがわかる。何を学ぶにしても、基本をおろそかにした我流では伸びない。学び方の基本は変わらないのである(斎藤、2003年[2011年版]、iii頁)。
本書で紹介する学習法は、日本の英語受容史のなかで効果が実証されているものばかりである。新渡戸稲造、斎藤秀三郎、岩崎民平、幣原喜重郎、西脇順三郎、岡倉天心らの英語達人は、その学習法と達人ぶりを紹介している。
彼らが実践した学習法は語学の理に適っており、安心して実践できるという(斎藤、
2003年[2011年版]、iii頁~iv頁)。

〇基本は日本語
肝心なのは普段から日本語でしっかりものを考える習慣をつけることである(斎藤、
2003年[2011年版]、5頁)

〇真似と反復
音楽でも運動でも、とにかく何かの技芸を本格的に修めたことのある人ならわかるとおり、学習の基本は真似と反復である。手本を真似て、それがうまくできるようになるまで徹底的に反復練習する。
英語が外国語である以上、その習得はほかの技芸の習練と同じように日々のたゆまぬ反復練習なくしてあり得ないのである(斎藤、2003年[2011年版]、6頁)。

〇継続は力なり
「継続は力なり」。この当たり前の教訓も、ここでもう一度確認しておきたい。
日本人にとっての英語は、やはりピアノやバレエと同じように、何年も何年も基礎的な訓練を積んではじめて習得できる技術なのである(斎藤、2003年[2011年版]、7頁)。
本書で説いた学習法を実践すれば、日本の大学で英語を教えたり、文学作品の翻訳をする程度の英語力は身につくはずであるという。
ただ、本書のすべての課題に真面目に取り組んだとしたら、毎日勉強しても10年はかかると斎藤兆史は断わっている。
2年や3年の修業でピアニストやバレリーナになれないのと理屈はまったく変わらない。退屈な訓練を毎日毎日続けた者のみが、高度な英語力を身につけることができるものである(斎藤、2003年[2011年版]、8頁)。
大学院受験生で、英語での面接にも、そこそこ器用に対応し、「英語ペラペラ」な人でも、入学して最初からきちんと英語の文献が読め、学界で通用するような英語を操ることができるのは、ほんの一握りである。あとはこちらが相当苦労して指導しなくてはならないと斎藤はいう。つまり、「ペラペラ」程度の英語力だけでは、とても文化的、学術的な意思の伝達はできない(斎藤、2003年[2011年版]、9頁)。

英語達人の禅学者・鈴木大拙(だいせつ)の晩年の英語による講演を記録したテープやフィルムが残っている。晩年ということもあってか、日本語なまりも強く、けっして流暢ではない。しかしながら、話している一文一文の正確さ、内容的な密度は驚嘆に値する。そのまま書き起こしても、立派に禅の入門書になるであろうと斎藤はみなしている(斎藤、2003年[2011年版]、9頁)。

〇英語力は会話力にあらず
たしかに英語は話せるに越したことはないが、ただ小器用に「ペラペラ」しゃべることだけに憧れていたのでは、本当の英語力は身につかない。文法や読解を含めた、地道で綜合的な学習が必要になる(斎藤、2003年[2011年版]、10頁)。

〇目的意識
翻訳家になりたいとか、あるいは国際学界で自分の研究を発表したいとか、そういう明確な動機が英語学習の大きな推進力となる。英語学習の目的をはっきりさせることで、おのずとそれに適った学習法が決まってくる(斎藤、2003年[2011年版]、10頁)。
たとえば、翻訳家になりたいというのであれば、話したり聴いたりする訓練より、難しい英語を正確に読み、それをわかりやすく、かつ味わいのある日本語に翻訳する訓練を優先させるべきである。
国際学界での研究発表にねらいを定めるなら、学術的な英作文(academic writing)と口頭発表の技術に重点を置かなくてはいけない。
まずは、自分がどのような英語力を必要としているのかをきちんと見定めることである。
すべての英語学習者の目的に適った学習法を網羅的に紹介するわけではない。だが、いかなる技芸の修得に際しても、学び方の基本は同じである。基礎的な英語力を身につけ、その基本を踏まえた学習を継続していけば、かならずそれぞれの目的に適った英語力を身につけることができる(斎藤、2003年[2011年版]、10頁)。

〇勉強量は目標から逆算して割り出す
一読しただけではほとんど意味が取れない人は、意味が取れるまで読むこと。それが必要な予習の量だという(斎藤、2003年[2011年版]、11頁)。

英語達人とは、少なくとも読解力や作文力においては、並の母語話者と同等以上の英語の使い手のことであるから、その本の文章がわからないとすれば、まだまだ達人にはほど遠いことになる。
だが、英語達人になることが目標であるならば、そこを前提とするならば、なすべきことはただ一つ。
そのような難文を読みこなせるようになるまで、辞書を片手にひたすら読む。
指針、目安であって、自分に必要な勉強量は、あくまで自分の実力と目標を元に自分で割り出してほしいという(斎藤、2003年[2011年版]、12頁~13頁)。


〇英文を書きためる
「持ちネタ」を増やしていく(斎藤、2003年[2011年版]、124頁)。

〇日本文化関連英書
とりあえず、ペンギン・ブックスのペーパー・バックを買っておけば間違いない
自分が英語で伝える可能性のある内容を網羅しているもの
斎藤兆史の愛読書としては、
Japan ; An Illustrated Encyclopedia(エドウィン・O・ライシャワー、加藤一郎ほか監修『カラーペディア英文日本大辞典』講談社、1993年)(斎藤、2003年[2011年版]、178頁)。

〇素読(そどく)について
かつて日本には、主にオランダ人や中国人との交渉事務を担当する「通詞(つうじ)」と呼ばれる人たちがいた。
もともとオランダ通詞であった堀達之助は黒船来航の際には着席通詞として活躍して、のちに『英和対訳袖珍辞書』(1862年)を出版した。その堀達之助のひ孫にあたる堀豊彦の述懐によれば、彼は5、6歳になる祖父、孝之の前に正座をしてオランダ語と英語の素読を行なった。
「武家」が幼児に漢文の素読を授けたのと同じように、これが長崎の和蘭(オランダ)通詞に伝わる家風であったという。

〇読書百遍、意自ずから通ず
素読とは、意味や内容をあまり考えずに同じ文章を何度も音読することで、もともとは漢文の初学者向けの学習法であった。
寺子屋で勉強をする子供たちが声をそろえて、『論語』の素読をする図を想像してみるとよい。「子曰はく、学びて時にこれを習い、亦説(よろこ)ばしからずや、朋あり、遠方より来る、亦楽しからずや」
寺子屋の子供たちは、ただ何度も何度も漢文を読んでいるうちにそのリズムを身につけ、やがて内容を少しずつ理解していくことになる。まさに「読書百遍、意自ずから通ず」である。
中世ヨーロッパのラテン語学習者も、そのようにしてラテン語を学んだようだ。この素読という優れた語学学習法は、残念ながら明治以降、ほとんど実践されなくなったが、斎藤はこれを勧めている(斎藤、2003年[2011年版]、32頁~34頁)。

どんなに時代が変わろうが、基礎的なことを何度も何度も繰り返して、体のなかに練り込むという学習の基本は変わらない。その学習法の語学版が素読であり、暗唱なのである。

英文法の重要性を再認識


〇文法解析
日系イギリス人作家カズオ・イシグロ(1954~)
『わたしたちが孤児だったころ』(Kazuo Ishiguro, When We Were Orphans, 2000)
イシグロの英文を文法的に細かく分析しているが、つねにこんな読み方をしていたのでは、多量の英文をこなすことはできない。
英語力を養うには、第7章で解説するとおり、とにかくたくさんの原書を読むことも必要である。だが、文法を正確に知っているのといないのとでは、文章の理解度がまったく違う。
最近の英語教育では、学習者が文法を身につける前から文章の大意を理解する読み方を推奨する傾向にあるが、これは本末転倒もはなはだしいという。
文法を正確に読み解く訓練をしているうちに、しだいに文法が気にならなくなって文章がさっと頭に入るようになる。これが正しい学習の順序である。
楽譜の約束事を覚え、譜面どおりに正確にピアノを弾く練習を重ねているうちに、いつの間にか譜面を見ながら自然に指が音楽を奏でるようになるのとまったく理屈は変わらない
(斎藤、2003年[2011年版]、49頁~50頁)。

〇接続詞becauseとforの用法の違い
イシグロも誤っているという(斎藤、2003年[2011年版]、52頁)。

会話の流暢さで母語話者の向こうを張るのは容易ではないが、文法や読解を含めた総合の英語力で母語話者を凌駕することは不可能ではない。
この機会に英文法の重要性をしっかりと再認識していただきたいという(斎藤、2003年[2011年版]、54頁)。

〇辞書活用法について
『研究社新英和大辞典』について
英語辞書の偉人・岩崎民平(たみへい、1892-1971)は、辞書編纂者として偉大な信頼を得ていた(『研究社新英和大辞典』第3版と第4版の編集主幹)
斎藤兆史は高校、大学時代を通じて、岩崎が編集主幹を務めた『研究社新英和中辞典』『研究社新英和大辞典』第4版を使って英語を読んできたという。つまり斎藤の英語学習は岩崎の辞書とともにあった。
斎藤が英語で飯を食うようになってからは、職業柄、さすがに雑多な辞書に当たらざるを得なくなった。
それでも翻訳の仕事をするときだけは、もっぱら『研究社新英和大辞典』第5版を使って訳語をひねり出したという。
斎藤は『研究社新英和大辞典』第6版の執筆に関わり、岩崎辞書学の伝統の末席に座することができたことを誇りに思っている(斎藤、2003年[2011年版]、56頁~57頁)。

〇辞書を引くことの重要性
斎藤は、語学力は辞書を引く回数に比例して伸びるものだと信じている。少なくとも読解力に関して言えば、辞書をこまめに引くか引かないかが決定的な差となる。これは達人たちの学習法を見れば明らかである。
ドイツ語達人に関口存男(つぎお、1894-1958)がいる。14歳のとき独学で勉強を始めるが、そのときの学習法がすごい。いきなり洋書屋に行き、ドイツ語訳の分厚い『罪と罰』を買ってきて、わけもわからずに辞書を引きながら読みはじめたのだという。本人は、「わたしはどういう風にして独逸語をやってきたか?」で回想している。ただ辞書を丹念に引いて文章を読むだけでも語学力が向上することを示すいい例であろう。これだけでは話が極論すぎて説得力に欠けるかもしれない(斎藤、2003年[2011年版]、57頁~58頁)。

そこで、虎の威を借る狐の自慢話に堕してしまうことを覚悟で、一つの逸話を紹介している。
斎藤兆史の『英語達人列伝』の縁で、折りに触れて岩崎民平の長女・林きよ子と手紙のやりとりをしているという。斎藤は『英語の味わい方』(NHKブックス)を出版するに際し、自らの信念に基づいて、「あとがき」に「一番手っ取り早く、確実な(しかし根気のいる)英文読解の勉強法はなんと言っても英書の多読である。しかも辞書をこまめに引いて読まなくてはいけない」と書き記した。
出版直後、林きよ子からお便りをいただいた。書店で見かけ、買い求め、感想が記してあった。あとがきで、こまめに辞書を引くことは、父がよく云っていた言葉だったという。岩崎民平は、辞書や文法書や注釈書における膨大な業績のわりに、英語学習にまつわる体験談や個人的な意見をあまり発表していないそうだ。その娘さんから手紙をもらい、尊敬する英語達人の英語学習論に触れ、それによって自分の英語教育が間違いではなかったことを確認できたのは幸運であったという(斎藤、2003年[2011年版]、58頁~59頁)。

〇単語帳の作り方
必要な情報を単語帳に書き写していく。この作業には重要な意味がある。じつは単語帳を作ることの本当の意味は、単に語義を目で確認するだけでなく、手を動かすことによって体に練り込むことにある。
昔、小説家を志す者は、志賀直哉の文章を原稿用紙に書き写して小説の勉強をしたという。たしかに、辞書を食べたという話と同じく、努力のすさまじさを伝える伝説、あるいは隠喩の意味もあるかもしれない。だが、小説の神様と言われた作家の文章を実際に手でなぞってみることで、その文体、リズム、筆遣いが自然に体に練り込まれるという実利的な側面もあったのだろうと斎藤は推測している。
コピーなどという便利なものがなかった時代、貴重な文献を書写して勉強した僧侶や学者が、ときに現代の技術をもってしても不可能と思われるような学問業績を残している。偉人であったこともさることながら、体を使った学習の効果があったものと考えている。
英文を声に出して読んだり、手でなぞったりしながら、五感を総動員して勉強すると学習効果が高い(斎藤、2003年[2011年版]、65頁~67頁)。

語彙力を高めるために、単語帳を作ることを勧めている。単語カードでは駄目で、普通のノートを用意し、次のようなことを記す。
例えば、irkという単語で
irk / 発音記号を記す。vt.[通例 itを主語として] 疲れさせる, あきあきさせる, うんざりさせる; いらいらさせる : It ~s me to wait.人を待つのはうんざりだ, 待つ身はつらい.
―n. 疲れ[あきあき]させること; 悩み[いらだたしさ]の種
単語によって必要な情報量は異なるが、ノートの罫線に沿って普通の大きさの字で書いたとして、3~6行くらいが妥当であるという(斎藤、2003年[2011年版]、62頁~65頁)。

〇洗練された言語表現を体感
ピアノが上手くなりたかったら、クラシックの名曲を暗譜するくらいまで弾き込まなくてはならない。体が覚えるまで手本をさらうこと。この学習の基本原則を語学に当てはめれば、例文の素読・暗唱ということになる。
幣原喜重郎(しではらきじゅうろう、1872-1951)は、若いころイギリスで師事した英語の先生に暗唱を仕込まれている。
暗唱の手本は名文に限る。名文を読むとは、もっとも洗練された言語表現を体感することである。その朗読・暗唱を通じて美しい言葉の形を体に練り込むことほど手軽で有効な語学学習法はない。
朗読用の名文を選ぶ基準としてもっとも重要なものは、内容、修辞、音調の3点である。内容的に深いものを含んでおり、修辞技巧に優れており、そのうえ音の調子がいい。この三つの条件が揃っていれば、まず名文と考えていいという(斎藤、2003年[2011年版]、72頁~73頁)。

〇学習の目安
暗唱は、語学には欠かせない学習項目であるとはいえ、じっくりと時間をかけて行なわなくてはいけないものでもないらしい。
語学において中心となるのは、多読、それから作文や会話ということになると斎藤兆史は考えている。
そこで、暗唱を実践するときの目安としては、学習の早い段階である程度集中的に行ない、あとは名文と呼ばれるものに出くわしたときにそれを暗唱してみるとか、あるいは自選の名文集などを作っておいて、折に触れて朗読しながら暗唱を試みるくらいで構わない。
その際は、ラッセルやオーウェルやモームのエッセイを少しずつ区切って暗唱していくといいだろう。現代の作家だと、デイヴィッド・ロッジ(1935-)やカズオ・イシグロ(1954-の文章が読みやすい。
(ただし、イシグロの作品中、『充たされざる者』(The Unconsoled, 1995)だけは、一風変わった不条理小説なのでお勧めできないそうだ。そのほかの長編小説なら、すべて素読・暗唱用の教材として最適であると斎藤はいう)
また余裕があるなら、チャールズ・ディケンズの小説の名場面や、キング牧師の演説中の有名な‘I have a dream.’のくだりなどを暗唱してみるとよいらしい(斎藤、2003年[2011年版]、84頁~85頁)。


□マーチン・ルーサー・キング(1929-1968、39歳で凶弾に倒れる)
1963年8月、25万人の大群衆とともに「ワシントン大行進」を行い、この力強い大演説を行なった。
 
Let Freedom Ring ― I Have a Dream.

I say to you today, my friends, so even though we face
the difficulties of today and tomorrow, I still have a dream.
It is a dream deeply rooted in the American Dream.
I have a dream that one day this nation will rise up,
and live out the true meaning of its creed :
“We hold these truths to be self-evident, that all men are
created equal.”

〇英語達人になるための必須条件
多読とは、読んで字のごとく、多く読むことである。雑誌だろうが、ペーパーバックだろうが、理解可能な英語で書いてあるものは片っ端から読む。
英語の達人たち(新渡戸稲造、斎藤秀三郎など)は、修業時代のどこかで例外なく大量の英書を読んでいる。逆に言えば、英書の多読は英語達人になるための必須条件だと言ってもいい。英語の多読なくして高度な英語力の養成はあり得ない。

〇教材選びの目安
多読は、見方を変えれば速読でもある。同じ読み方ながら、読む量に焦点を当てれば多読となり、速度に焦点を当てれば速読ということになる。とにかく速く、たくさん読めばいいのだが、何を読んでもいいというわけではない。
暗唱の場合には、英文の質が問題であった。英文の質がよければ、極端な話、内容が理解できていなくても構わない。それを何度も読んでいるうちに、いい英語のリズムが体に練り込まれる。
だが、多読をする場合には、英文の質はさておき、かなりの速度で読みながら内容が頭に入るものでなければならない(まったく理解できない英会話の音声がいくら聴いてもただの雑音でしかないのと同様に、速読して頭に入らない英文は、いくら眺めていても、ただの白黒の模様でしかない)。
多読によって英語力をつけようと思ったら、辞書なしで、さっと読んで内容が7、8割理解できる程度の英文を選ばなくてはならない。一口に7、8割といっても、どの程度の読解力を指すか不明なので、読解力判定試験を斎藤は提示している。
(斎藤、2003年[2011年版]、88頁~89頁)。

〇成績判定と学習方針
細かい語彙の知識を有する読者なら、5分で英文の主旨を読み取れるはず
正答数だけを目安として学習方針を解説している。
①設問1、2ともに不正解であった場合
語彙が難しかった、論旨がつかめなかった、時間が足りなかったなどの理由があるだろうが、まだ多読・速読に入るのは時期尚早の感がある。辞書を引きながら、「辞書活用法」の章で解説したような単語帳を作りながら、文章のやさしい文学作品などを二つ、三つ読んでみるのがよいとする。

取っつきやすい作品としては、
『ハツカネズミと人間』『真珠』(John Steinbeck, Of Mice and Men, 1937. The Pearl,1947)
『動物農場』(George Orwell, Animal Farm, 1945)
『ティファニーで朝食を』(Truman Capote, Breakfast at Tiffany’s, 1958)
『老人と海』(Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea, 1952)
映画版が大ヒットした『卒業』(Charles Webb, The Graduation, 1963)
その他、名作を平易な英語で書き直した改作版やハリー・ポッター・シリーズでもいいだろうという。
ただ、この段階で英字新聞などは勧められない。英字新聞は、限られた紙面で最大限の情報を伝えることを至上の目的としているために、語法上や特殊な約束事に基づいて書かれている。だから、はじめのうちは、できるだけ癖のない、上質な英文を教材とするに限る(斎藤、2003年[2011年版]、97頁~100頁)。

②正答が1問だけの場合
成人母語話者向けに書かれたものを辞書なしで読むのは、やや無理があるかもしれない。上記のやさしい英語で書かれた作品を多読したり、本書で言及した作品、あるいは以下で挙げる作品の中から自らの関心に合わせて数冊選び、辞書を引きながら読んでみるのがいいだろう。

③2問とも正解の場合
これはもう英字新聞だろうが、雑誌だろうが、手当たり次第に読めばいい。ただし、できれば上質の英語で書かれた文学作品や随筆をたくさん読むことが望ましい。推薦図書は以下のとおりであるという。

Charles Dickens, David Copperfield (1849-50)
Lewis Carroll, Alice’s Adventures in Wonderland (1865)
Mark Twain, The Adventures of Huckleberry Finn (1884)
Thomas Hardy, Tess of the D’Urbenvilles (1891)
Oscar Wilde, The Importance of Being Earness (1895)
J.R.R.Tolkien, The Lord of the Ring (1954-55)
J.M.Coetzee, Disgrace (1999)

<補足>
・ディケンズは、弱者へのあたたかい同情を含んだ庶民性など、その独特の作風で知られる。『デービッド・カパーフィールド』は、ディケンズの半自伝的な小説である。
父親の死後生まれたデービッドは、母がマードストン氏と再婚すると、過酷な義父によって寄宿学校へ追いやられる。母の死後ロンドンの靴墨工場へ働きに出され、悲惨な貧困生活を味わうが、工場を逃げ出し、大伯母を頼り、その援助で法律を学び、弁護士の娘ドーラと恋をし、結婚。やがて作家として名をあげる。幼な妻の典型のようなドーラの死後は、貞淑聰明なアグネスと再婚する。

・また『ダーバービル家のテス』は、村の貧しい娘テスが、男のエゴイズムの犠牲になり、殺人を犯して処刑されるまでを描く悲劇的な物語である。

〇速読の速度について
問題は読む速度ということになる。将来、英語で飯を食おうという学生には少なくとも1日平均30ページ(欲を言えば40~50ページ)は読んでほしい。高度な読解力の養成を目指す社会人なら、1日平均10ページといったところかという。
ちなみに新渡戸稲造は、「五号活字の四六半載(はんさい)形の英書であれば、二分間で読むことは少しも困難ではない」(『修養』)と書いている。四六半載形の英書とは、1ページが四六判と呼ばれる大きさ(縦約19センチ×横約13センチ)の英語の原書のことらしい。
斎藤の出題した問題文を約2分で読み解く計算になるという。200~300ページの英書なら1日で読み終えてしまう速度であるという。

そこまでの多読・速読能力を身につけるのは容易なことではないとはいえ、毎日たゆまず努力すれば不可能ではない。少なくとも、より高い目標を掲げれば、それだけ高いところに登れるというものである。精進してほしいという。
発展学習として、さきの参考図書リストや、本書で言及した作家・作品紹介を参考にして、1年以内に最低2000ページ分の英文を読みなさいとする(斎藤、2003年[2011年版]、101頁~102頁)。

〇作文
語学力を論じる際、それを聴解力、会話力、読解力や作文力の四つの能力に分けることが多い。そして、通例、話し言葉の運用能力として最初の二つを書き言葉の運用能力としてあとの二つを組み合わせる。昨今の英語教育において、残念ながら、前者にのみ力点が置かれていると斎藤は批判している。
斎藤自身の英語学習・教育の経験から言えば、学習段階が進むにつれ、聴解力は読解力に、会話力は作文力に近づいてくる。すなわち伝達内容が高度になれば、話し言葉と書き言葉の差が小さくなり、今度は語学力が理解(聴解と読解)と生成(会話と作文)という形で分極化するという。

だから、高度な内容のことを口頭で伝えられるようになりたかったら、作文の練習をみっちりやっておくとよい。最初は、1文書くのにも苦労するかもしれないが、やがて文章を書き慣れてくると、頭のなかだけである程度まとまった文章の枠組みを作ることができるようになる。そうなれば、しめたものだ。
今度は、それを元に空で文章を仕上げるような練習をすれば、会話や口頭発表もうまくなる。
もちろん、会話や口頭発表の上達を目的としたものでなくても、作文は作文として意味がある。それどころか、語学力のなかでおそらくもっとも高度な技術である作文術を会得しないかぎり、いくら日常的な英会話が器用にこなせたとしても、英語を習得したとは言いがたい。いやしくも英語を使って仕事をしていると言うからには、修辞法の利いた手紙や電子メール、あるいは文法的な誤りのない企画書を書くぐらいの英語力がなくてはいけない。

〇見たことのある英語表現だけを使う
作文練習を行なうにも、基本は同じである。真似と反復である。最終的には、文学的な創作という高みを目指すと言っても、最初から文法や文体的慣例を無視してただ書きまくっていたのでは、変な癖がついて、むしろ逆効果となる。例えば、当たり前の単語ばかりを使っているのに、その並び方、結びつき方が珍妙なために、英語のリズムに乗って、すんなりとその意味が頭に入ってこない。いったん変な英語を使う癖のついた学生に英作文を仕込むのは、一から英語を教えはじめるよりもはるかに骨が折れるそうだ。まずは、その体に染みついたおかしなリズムを忘れさせるために余計な手間がかかるから。

向学心も根性もありながら英語の語感だけが悪い大学院生に、英語の論文を書かせるのに、厳しい訓練項目を課すととともに、一つだけ特別な禁止条項を設けたという。それは半年の間、よほどの必要に迫られないかぎり、英語を話したり書いたりしてはいけないというものであった。その指導が功を奏して、1年後には語感もだいぶ矯正されていたという。

要するに、ひとりよがりの英語を書いてはいけないということである。最初のうちは、継ぎはぎだらけでもいいから、見たことのある表現だけを使って作文をする習慣を身につけること。もちろん読書量が少なければ、必然的に見たことのある英語表現は限られてくるから、ろくな作文はできない。
一つの文章を書き上げるのに、少なくともその数十倍の関連文献を読んで、使えそうな表現を拾い出すくらいの作業が必要である。欲を言えば、多読の修業中にもつねに自分が英語を書くときのことを想定し、役に立ちそうな表現が出てきたら、ノートに書き取っておくくらいの努力をしてほしい(ただし、剽窃の罪に問われる危険性があるので、手本として使用するのは、語彙項目や慣用表現くらいにとどめておくのが無難であるという)(斎藤、2003年[2011年版]、119頁~120頁)。