ビストロ レアール

石川県小松市にある「ビストロ レアール」のシェフがつづるあんなことこんなこと

思い出深いシャワー

2005年12月30日 | フランスこぼれ話
フランスに住んでいた時には

ほとんどシャワーでした

日本の様に湯船に浸かってくっつり(小松弁:しっかり)

あったまる事はめったにないことで

まして地方のレストランに働いている時は

何時もシャワーでした

以前書き込みをしたように

空気が違うので

シャワーで十分さわやかになるのですが

女性の場合抵抗があるかもしれません

ディジョンのレストランで働いていた時に

3階にシャワーがありそれを使っていると

2階にあるレストランのキャッシャーの天井から水が

ボタボタ落ちて2階でサーヴィスをしていたソムリエがあわてて

3階で何も知らずにシャワーを使っている私に

「マサー ストップ ストップ シャワーノミズヲ トメロー!ニカイノ
 テンジョウカラ ミズガ オチテイルー!」と

そしてパトロンにシャワーを直して下さいと頼むこと数回

そこのパトロンはいいかげんな人柄

表向きにはいい顔して善人ぶっていてまったく直そうともしませんでした

シャワーをあびるのには駅まで行ってあびるしか手立てがなかったので

仕方なく自分の部屋の幸いにもお湯の出る

洗面台に頭をつっこんで髪を洗ったり

足をつっこんだりしっくはっくしながら体をあらっていまして

なんと1ヶ月シャワーを使えませんでした!


サントロペでは共同生活のため交代でシャワールームの掃除をするのですが

毎晩オリヴィエと遊びほうけて一度掃除を忘れて

罰で「毎日シャワールームの掃除はマサおまえの仕事だ!」

レストランの主任に言われてしまい二週間ほど毎日したでしょうか

その後 共同生活をしていた洗い場の黒人のアメッドと言う奴が

何かへまをして 罰で私と交代させられ

私はその義務から解放されました

そして

アジャンのオヤジのレストランで働いている時の

寮は村の経営するヴァカンシエというロフトつきのロッジのような所で

私が入った頃は5人の日本人キュイジニエがいて

なにやらおごそかにシャワールームに順番に入っていまして

Aさんがわたしに

「雅さん ここのシャワーあんまり出ないんで 最後の方の人は使えないことが

 あるんですよ」と

私はまたかよー ここも ディジョンと同じー!

丁度、写真ぐらいの水量で体を前後左右に動きながら浴びていました

それが 寒い季節のことなので浴びたシャワーのお湯がすぐに冷えて

熱 ぬる ちべたー  熱 ぬる ちべたー 熱 ぬる ちべたー

てな感じで爽快になるどころか 

一苦労

何人目かが出てきて:すいません終わっちゃいましたー

と何回となく繰り返される日々に疲れたある日

下に住むフランス人のキュイジニエに話すと村の役場に行って

そのことを話してくれたらしく役場の人が来て建物を調べてくれたところ

温水の元のコックが閉まっていたとの事

その日の夜には

シャワー シャワー シャワー シャワセー  シャワセー シャワセーでした

「これがシャワーってもんなんですねぇー!」

「シャワーですよシャワー」

「あー気持ちよかったー

などと皆が口々にしながらシャワールームから出てきました

お湯のある生活いいですねー

なんか深夜電気温水器の宣伝文句みたいになってしまいました

はじめてのノエル

2005年11月18日 | フランスこぼれ話
今頃のシャンゼリゼ通りは

何万個という電球で飾られた街路樹で

華やかなことでしょう。

この時期のパリは何処を歩いても

ノエル一色

思い思いのデコレーションで飾られた

ウインドウはノエルの気分を一層盛り上げています


私がフランスで初めて迎えたノエルは

ノルマンディーの片田舎にある

ミシュランガイドで一つ星のレストラン

「マノアー ダスティン」でした

フランス人にとって とても大切な行事の一つ

この日はいろいろな地方に散っていた
家族親族がいっせいに故郷に集まり
聖夜を楽しむのです
飲んで 歌って プレゼントの交換をしたり
日本のお正月気分なのです

ノエル当日は
昼のサーヴィスの前に食べる賄が
お客様に提供するのと同じメニューで
なんとシャンパンつき!
フォアグラのテリーヌから始まって
デザートまでみんなニコニコで食べました

夜のサーヴィスが終わりに近ずくと
キュイジニエ達はそわそわしはじめ
自分のセクションの料理を出し終えると
パ パ パッーと片付けて
残っているキュイジニエ達に
握手をしながら

「ジュワイヨー ノエル!」(良いクリスマスを)
「メルシー トワ オーシー」(君にも)
と声を掛け合いながら
レストランをあとに
家路を急ぎ帰って行きました

その時私は パティシェのティリーのもとで
仕事をしていたので

最後まで残っているセクションだったため
二人で厨房に残っておりました
終わりに近くになって
ティリーが

ティリー:マサ キョウハ アガッテ イイゾ アトハ オレガ ダスカラ!

私:メルシー ジュワイヨー ノエル ティリー

ティリー:メルシー トワ オシー

と言っていつもの様に
自分の部屋に戻り
いつものように ラジオをつけ
着替えて何度も読んだ単行本を開いていると

いつもはレストランの営業が終わっても
敷地内にはひとけを感じるのですが
この日は妙に静まり返って
フランスと言う地の片田舎で
日本人が一人とりのこされたような
センチメンタルな気分になっていました


その時
部屋をノックして最後のお客様にデザートを出し終え
着替えを終え家に帰る姿のティリーが

ティリー:マサ コンヤ ダレカニ ショウタイサレテイルノカ?

私:ノン ノン イツモノヨウニ ヒトリダヨ

ティリー:ソレジャァ オレンチ コナイカ?

私:ウイ ウイ イク イク(なーいたカラスがもう笑ったー)

そしてティリーの車に飛び乗り
ティリーのアパートへ

アパートにはティリーの親兄弟親戚子供と
奥さんの方の兄弟姉妹とごったがえし
以前に人物紹介でティリーの事を書きましたが
奥さんは南の方の黒人の人なので兄弟姉妹も黒人
そこえアジアからきた日本人の私で
なんかすごいことになっておりました

テーブルにはカクテル シャンパーニュ ワイン パスティス キャルヴァドス
フルーツ発泡酒など所狭しと乗り

年に一度ぐらいのハレの料理
日本のおせち料理のようなここぞとばかりに
フォアグラやティリーが狩猟で獲った
鴨やハト、ウサギ料理が花を添え

飲めや

食えや 

歌えや

踊れや

話せや

笑えや

酔えや

潰れや

さて何回「や」が付いたでしょうか?        ”そんなのどうでもいい”

すみません

めちゃくちゃ楽しく過ごし
朝方になってみんな雑魚寝
足の踏み場もなく

ティリーがマサ俺達の寝る所が無いから
俺とお前はここで寝るぞ と 行ったところは
アパートの入り口から部屋にはいるまでの
ほんの少しのスペース
2時間ほど寝てティリーが

ティリー:マサ仕事に行くぞ

私:・・ウーィー

そしてレストランについてみると
みんな千鳥足で赤ら顔で
なんとか昼のサーヴィスを終え

私も自分の部屋に帰り
バタンキュー

夜のサーヴィスが始まって8時過ぎ


ティリー:マサ マサー

気が付くと夜のサーヴィスが始まっても来ない私を起こしに
ティリーが部屋の入り口に立っているじゃぁありませんか
あわてて

私:”ごめん  い  い  いま 行くから”!

と起き上がろうとする私に

ティリー:マサ 今日は 休んでいいぞ 俺からのクリスマスプレゼントだ

と ティリーはウインクをしながらレストランに戻って行きました

こんないいノエルを過ごせたのは

いつも頑張っている私に

サンタさんがくれたごほうびだったのでしょう

ポワール

2005年11月07日 | フランスこぼれ話
今 野菜売り場の横の
フルーツの棚に
ラ フランスと言う洋なしが並んでいますね

フランスで私が食べたり調理していた
洋なしとちょっと違うなと思っていたら
やっぱり違いました

洋なしにもいろいろと
品種があって
フランスの洋なしはもっと細めで
表面の皮も粗い感じでした

フランスでは
白ワイン煮にしてよく
タルトやガトーに使ったり
果肉が柔らかくすぐに熟れてしまうので
ピュレにしてシャーベットにしたり
バヴァロアに混ぜたりしておりました

写真はノルマンディーのレストランに
入ってくる門の横にあったポワールの樹で
実が成っていますが
わかりますかー
ちなみに 写真を撮り終えてから
しっけいして食べたら
とっても
マズカッタ思い出があります

盗人にはヨウナシ!とポワールが言ったとか言わないとか?

クリストフの天敵

2005年11月02日 | フランスこぼれ話
ノルマンディーのエピソードはいろいろありますが

昨夜 次男が

寝る前に何かお話してというので

適当な題材はないかな?と思っていた時

アキダの事を話してあげようと思い

話しはじめて思い出した事がありました。



シェフ:アキダは頭のいいセントバーナード犬で

お客様がレストランに車で到着すると

車までお迎えに行って

レストランの入り口までお客さんの前を歩いて連れてきてくれるのです。

そして>>>>>>>>>(以前のブログの書き込みを見てください)

ある日

パティシェのクリストフが向かいの仕込み場の前で

アキダに腰にぶら下げているトーション(鍋ツカミ用のリネン)を

くわえて盗られておりました

クリストフ:アキダ!オレノー トーション ヲ カエセー!

アキダ:ハーハーハー

クリストフ:カエサナイトー メシ ヌキダゾー

アキダ:ハーハーハー

と言ってアキダはクリストフの周りをグルグル

何やってんだ?あいつら

そして食事の時も

クリストフ:オイ アキダー オレノ トーション モッテコイヨー!

と一番離れた所から叫んでいました。

そして

次の日も

そして 

次の日も

こんな事が何日かつつ”いて

ついにキュイジニエ達のトーションがたらなくなってしまいまして

皆から

「クリストフにはトーション渡すな!」

と言われその場 その場で

クリストフはトーションを誰かのを借りながら

仕事をしていました

ある日

ジャルディニエのアランが

山ほどのトーションを抱えて厨房にやってきて

アラン:ダレダー コンナニー トーションヲー

ホテルノー ウラニー ツンダノハー!と

それはアキダでした。




クリストフは大の犬嫌いでというより
犬そのものが怖くて仕方が無かったようで

いつもパトロンやキュイジニエの言うことをよく聞く
忠犬アキダも
クリストフには言うことを聞かなかったのです
犬も人を見るというか
クリストフはアキダを
ツカミきれなかたようです。

ジュニアおまえ

ドアが怖いのかぁー!

ロッカーに猟銃!!!

2005年11月01日 | フランスこぼれ話
味覚の秋

収穫の秋

そんな秋になると思い出される一つに

やっぱり私の第二の故郷 

ノルマンディー地方

秋は狩猟が解禁になり

ジビエ(キジ、ハト、マガモ、ヤマシギ、イノシシ、シカ、などの野生動物)
がお肉屋さんの店先にぶら下がります

パティシェのティリーのお話は以前しましたが
この時期
レストランの昼のサーヴィスが終わりだすと
ティリーは
そわそわ してきます
お客様の食事が長いと
いらいらしてきて
ギャルソンに

ティリー:パ ザ アンコール!(まだ終わらない?)

と5分刻みに聞くのです

早くデザートを出してしまいたい気持ち一杯でした
これはジビエの季節の間
毎日繰り返されておりました

私もセクション替えでパティシェに移動した時には
テーブルごとに出す
デザートの盛り付けを指示され
ティリーは狩へと向かうのでした

もちろん
その分 午後のサーヴィスは早く帰らせてくれました

肉料理担当のフィリップも
ティリーに感化されて
狩猟をするようになり
厨房で暇な時フィリップがよくティリーに
狩についての事をいろいろ尋ねていました

ちなみに
料理名にも狩人風(ア ラ シャッスール)というのがありまして
たいがい
キノコ、ベーコンなどをソースに混ぜ込んでおりました
また内蔵のレバーや腎臓などをソテーして添えたり
アウトドアクッキングの様な料理をこういっております

そんなある日
ロッカーにいるティリーとフィリップが
狩談議をしていて

いきなりティリーがロッカーから猟銃を

初めて見るものにとって
けっこう
びびります

こんな訳で
この季節になると
ノルマンディーのことをなつかしく思います


ジビエ料理は野性味豊かで
初めて召し上がられる方には
けっこう刺激的
くせが強く 肉質も堅いので
苦手な方もいらっしゃると思いますが
その味を知るとハマッテしまいます
ワインは赤のフルボディーがいずれも
相性がよく
以外にもくせの強いワインがぴったり当てはまることもあり
ワイン好きにもうれしい季節です

私はどちらかと言うと
寒いのが苦手でして
ジ 冷 え には気をつけております


ねぇ 

ねぇ

ジュニアー

また何やってんのぉー



シャッスール?

ローストチキン撃ってどうするの?

何もうすぐ季節がやってくる!

なるほど 
今からローストチキンガーリックライス詰めを

狩(仮)予約の事ね!

きのこ狩り

2005年10月31日 | フランスこぼれ話
秋ですねー
秋はきのこの季節

フランスでも各種のきのこが採れますが

トロンペット ジロール セープ トリュフ
その他いろいろなきのこがありますが
フランス語でキノコの総称はシャンピニオンと呼ばれております。

スーパーで売られているブラウンマッシュルームは
シャンピニオン ド パリといわれ
パリのマッシュルームと言う訳です

日本でもいろいろなキノコが
売られておりますが
中でもマツタケは
キノコの中でも高価で貴重な存在ですよねー

きのことはちょっと違うのですが

私がパリで手に怪我をして入院した時のことなのですが

手の手術を受ける前に

いろいろと先生が
以前手術したことはあるか
アレルギー体質ですか?とか
聞かれたのですが

なんせその時はフランス語が話せず
まして単語と単語が何処で切れているか
聞き取れないときで

先生もゼスチャーで注射を打つ真似をして
瞳を中心に寄せ
口をあけて舌を出して
首を斜め45度に傾け
細かく左右にふり
コムサ?(こんなふう)と
アレルギーのあるなしを調べていただきました

先生のゼスチャーは
「以前ポンピードセンターの前の広場で大道芸やっていましたか?」と
聞きたくなるほど
堂に入っておりました!

それやこれやで

手術着に着替えるのですが

これがお袋が料理を作る時に
着けていたふちのレースを取った割烹着みたいな
手術着で後ろ前を逆にきるような格好で
手の平の手術なのにパンツまで脱がされ
なんやら股間がスースーしてふにゃらふにゃ・・・

とりあえず局部麻酔を討たれ
手術が終わり病室に
一応 局部麻酔でも頭がボッーとしていて眠くなってきて
思い出したのが
「あっ 俺 パンツはいていないじゃん」

怪我をした手は右手

私のパンツは寝ているベッドの下に
思うようにつかめず
シックはっく
指先がやっとパンツに 届いたー
落としたら拾えネぇー と
慎重にでも麻酔でボー

やっとの思い出つかんで
左手一本で何とか履けました

その時病室にもう一人
手の怪我でフランス人が
手術を終えて戻ってきました

朝になり
朝食の前に
看護婦さんが
掃除と掛け布団とシーツを取替えにやってきました

看護婦さん:ボンジュールメッシュー ビアンドウミー?
(おはよームシューよく眠れましたか)

と と と

いきなりパリジャンの掛け布団と
手術服を剥いだー
そこには

シャンピニオンド パリが

フランス人:オー シッィト!

看護婦さん にやりともせず(きっと内心うれしいと思っているに違いない)

次に私の所に
掛け布団をとりはらわれ

手術着に手がかかり

はがしたー  が

マツタケが  無い  ない  ない ・・・・・!

残念でしたーぁ!

せっかくの看護婦さんの楽しみを取ってしまいました。

そうそうマツタケは見つかるものではありません
もちろんトリュフも

白衣のギャルソンヌ

2005年10月30日 | フランスこぼれ話
以前 パリで手にけがをして

病院に入院したお話をしましたが

さすがにフランスはグルメの国

私は内科ではなく外科に入院していたので

食事制限が無かったので

一般食だったのですが

朝はサラダにミルクとオレンジジュース
クロワッサンとパンオーショコラ
これだけでも贅沢なのですが

昼はサラダにメインディッシュ デザートにキャフェ
安レストランのランチみたいでしょ
それだけでこの書き込みを
するとは
みなさん えっ  思ってた 

あ そう

でもこれだけ


なんちゃってね(うちの息子の受け売り)

それでは

病院にいると
面会時間にだれも来なければ
暇なのは
入院したことのある方はご存知だと思いますが

唯一の楽しみは
何といっても
食事

それもフランスの素材がいいから
シンプルな料理でも美味しいのです

夕方になって

看護婦さんがカルテを持って
病室に入ってきて
いつもの様に
血圧だとか脈拍だとか
調べるのかなーと思っていたら

看護婦さん:ムッシュー コンバンノーメニューハ
ゼンサイニーイナカフウ オニクノー テリーヌ カ
ナマヤサイノーモリアワセ デース
ドチラニ シマスカー
メインノ リョウリハー ローストチキン マタハー
シロミ サカナノー ムニエル バターソース デース

デザートハー・・・・


とプリフィクス スタイル!
えぇー 選べるのーと感激!

畳み掛けられたのは

看護婦さん:ワインニーシマスカー
ソレトモー ミネラルウォーター?

ヴィヴァ!フランス!ブラヴォー!

てなわけで

病院生活もこれ楽し

ジェロームの姉のコリンヌ

2005年10月25日 | フランスこぼれ話
私がサントロペで遊んでいた時 ん?

いやいや

働いていた時(ほんと仕事は真面目)

サーヴィスのギャルソンでジェロームと言う
男の子の話を以前 書きましたが
(過去のブログはカテゴリーの所をクリックして見てください。)

そのジェロームの姉の

コリンヌ 

ジェロームがいつも悪態暴言を吐くと

きまってコリンヌが叱っておりました

ジェロームもコリンヌには頭が上がらず
閉口しました

コリンヌもまたサントロペの
季節労働者で他のホテルで働いていて

仕事が終わりいつものキャフェに
皆が集まるとその中にいつものように
コリンヌも混じって
ワイワイ ガヤガヤ

顔はかわいいのですが
けっこう男勝りで
一言でいうと 肝っ玉姉さん

そんな彼女も
私にはとても優しくいい友達でした

それにしても

この日本人デレーッとして

情けないですねぇー

こんな人がいるから

日本人がなめられるんですよ!

シェフパティシェのティリー

2005年10月06日 | フランスこぼれ話
私がお菓子を作る時のベースになっているのは
ノルマンディーのレストラン

マノワー ダスティンのシェフパティシェ

ティリーから教わったものが
ベースに流れています

ティリーはがっちりとした体格で
口数が少なく
いつも黙々と仕事をこなしていました

写真ではおっさんですが
これで28歳の時
彼は結婚はしていないけれど
内縁の妻と2人の男の子の父親(婚姻届を出していないのは
いろいろな手当ての支給を受ける為でフランスにはこういった人が沢山います)

私が驚いたのは
みなさんもそうだと思いますが
フランス人だから当然フランス人の奥さんだと思うじゃあないですか
もちろんティリーの奥さんはフランス国籍
しかし 
南の方の島国生まれの
黒人の方で
初めて家に呼ばれて対面した時には
「え」と言う感じでした

ティリーは狩が趣味で
休憩時間が終わりディナーのサーヴィスの前に
集まった時
だれかかれかに

[ティリー 今日の収獲は?」

「ハトが1羽 鴨が3羽 ウサギが2羽」

などと言っておりました

レアールで毎年熱いオホメのお言葉を頂く
ヴァレンタインのショコラのトリュフは
ティリーから教わったレシピをべーすにアレンジしています

そのトリュフ

私が初めて食べた時
「ガッツーンと脳天直撃!」

私:ティリー食べていい?

ティリー:いいよ

私:何個食べていい?

ティリー:何個でーも好きなだけ

それからは
毎日 目覚めに2個
昼のサーヴィスが終わってコーヒーブレイクに3個
夜 部屋に戻る前に4個

こんなおいしいものが
味見としょうして食べれるなんて
なんて幸せなんだろーと思う毎日でした

マノワー ダスティンのホテルで朝食に出していた
パンオーショコラ、パン オー レザン、クロワッサンも
最高おいしく味見させてくれました

「イヨッ ティリー太っ腹」

太っているからじゃないぞ!

イケメン オリヴィエ

2005年08月30日 | フランスこぼれ話
オリヴィエ part-1 

サントロペのレストランの
シェフパティシェ

瞳はブルー
スポーツ万能
仕事が出来てスーシェフ(2番目のシェフ)より
皆の信用が厚く
みんな大好き オリヴィエ と
言った奴で

どこにいっても女性の方から寄ってくる(うらやましかったー)
いい男!

ブルターニュ出身の両親の住む実家は
何と
私のいたノルマンディーカン市
だったので
すぐに 打ち解け仲良くなり

毎日よく遊びまわっていました

誰か彼か

マサオリヴィエは何処? と
聞いてくるので

私:何で俺に聞くんだ? 

誰か:だって何時も一緒だろ

と言われるほどで
レストランの昼の仕込みが終わると
(ランチ時はお客様は海に行くので営業は夜だけ)
オリヴィエの車で海まで
一直線!

夜のサーヴィスが終わると
いつものキャフェに集まって
それから
ディスコだの違う町へ行ったり
なんだかんだ
とにかく目一杯遊びまわりました

顔が良くても
性格が悪かったり
仕事が出来なかったり
そんなフランス人が多い中

オリヴィエはいい奴でした

そんな彼も何処か
孤独なところがあって
それも
彼の魅力になっていました。

a souivre

ルドヴィックがパリにやって来た!

2005年08月22日 | フランスこぼれ話
暑い時には
冷えたおろし うどんやそばを  つる つるっと

寒い時には
熱々の鍋焼きうどんや  きのこそば なんか  ずるずる

はーひー つる ずるーっと 「いやぁー日本人に生まれてよかったー!」てな

具合になります。



サントロペで一緒に働いていた
ルドヴィックがパリにやって来ました

いろいろと積もる話もあって
キャフェでエスプレッソを飲みながら

「アレヤー コレヤー ドウ シテイター」
などとフランス語で話(あたりまえ)
ルドヴィックが兵役の時の
友達がパリのビストロのシェフをしているので
ちょっと会いに行くと言うので
ついて行き

お店にはいって待っていると
私の後ろから
ルドヴィックの友人が入って来て

ルド:やあドミニック

ドミ:おうルド元気かー

ルド:うん あ そうだ
   俺の友達を紹介するよ

と言って

私もルドの友人の顔を見ようと
振り返った時

私:あれードミニック!

ドミ:オーマサー!

ルド:あー忘れていた 2人とも ノルマンディーの
   マノワー ダスティンで働いていた事言ってたっけーな!

と言う訳で
あるんですねこんな事が

それから
外へ出て ルドがなんか
日本の料理が食べたいと言うので

大阪と言う名前の
ラーメン屋さんに入り
熱々のラーメンをたのんで

箸の持ち方を教えて
さて いただきマースと

私:ズズズズ ズルー 

ルド:’’’’’’’


フランスではパスタを食べる時やスープを飲む時に
音を立ててはいけない はしたない事とされていて
あの熱いラーメンの麺を音を立てずに

’’’’ 

’’’’

’’’’

息が切れたのか半分ほどで
もうお腹が一杯と

私:悪いことしちゃったなぁーごめんルド

ルド:日本料理トレボン!


こんなエピソードがありました
でも
大阪という日本の名前だけれど
ラーメンは確か中華? 





ルドヴィック

2005年08月08日 | フランスこぼれ話
夏のリゾート
サントロペにて一緒に良く遊んだ
ルドヴィック

背丈は私と同じ位で
何にでも興味をもっていて
よく日本のことを聞かれました

彼はフランス人らしく不器用なので
私はよくからかったり
いじめたりしました が
フランス人的かわし方で
反撃してきました

ルドと私の関係は
ある日のサーヴィスの中
ルドの付き合い始めた彼女の事で
他のキュイジニエ達から
からかわれて
仕事にならなかったルドをかばって
私が一喝!
それ以来
フランス人のなついた弟のような感じでした


パリに来た時も
電話をかけてきたり
レストランが変わったときには
必ず手紙をくれました
今どうしているのかなーと
時々思い出します。

食べても美味しい!

2005年08月05日 | フランスこぼれ話
ワイン用の葡萄は食べてもおいしくない
と言うことを
どこかで
聞いたか見たかしていました

その観念をみごとに打ち砕いた
出来事がありました

ノルマンディーのレストランで
仕込みをしている時

向かいの仕込み厨房の
冷蔵室より
チーズに添えられる
葡萄を
クリストフが頬張りながら

クリストフ:チャン マサ チュ マンジュ?
      (ねぇ マサ おまえ食べる?)と

くれた葡萄は
濃い紫色で
表面が曇りガラスのような葡萄で

一粒 口に含み

噛むと

口の中で皮がはじけ

葡萄のジュースが舌つたい

歯と頬の間に流れ

甘さと渋みが

交互にからまって

口から鼻へ抜け

涙腺をくすぐるような美味しさに

言葉にならず唸るような微笑を浮かべ

私:セ ボン グー(これ美味しいー!)と

クリストフ:これでサンテミリオンのワインが出来るんだぜ
      うまいだろ

それは アルコール分の無いワインを食べている感じで
アルコールが入っていると思えば酔えるのではないか?
と思うほどでした

クリストフの行った後

私も冷蔵室に

野菜やフルーツが入っている
木製の箱に入っている葡萄を発見
冷蔵室では

ワインセラーでワインをテイスティングしている
ソムリエ気分でした

この日から
だんぜんサンテミリオンの虜になりました。

ダーバン

2005年08月05日 | フランスこぼれ話
私の年代しか解らないネタかもしれませんが

昔 TVコマーシャルで

紳士服の宣伝で
バックのナレーションで
アランドロンが

”ダーバン セ レレグウーントカナントカ”と

当時 何を言っているのか解らなかったのですが

耳が慣れて
フランス語も解ってきた頃

フランスのバラエティー番組に
丁度アランドロンが
ゲストで出演している時
昔見たCMを思い出して

あっ そうか あの時に言っていた言葉は

そういう意味だったのかーと
一人で納得していました

あのナレーションでなにを言っているか
知っている方少ないと思いますので

”ダーバン セ レ レガンス ア ラ モデルヌ”
(ダーバンそれは現代風の優美)

と言う訳です。

恐怖の電話!

2005年08月04日 | フランスこぼれ話
フランスにも
方言やイントネーションの違いがあります

国境近くの地方では
幾つもの言葉を使います

アルザス地方では
アルザス語フランス語ドイツ語など
普通に使い分けるのですから
驚きです

フランス語に慣れるまで
人によりますが
私の場合
半年たって  
単語と単語がどこで切れているかが
やっと解りましたが
何を意味しているかを把握しておらず
いつも「ウィ ウィ」言って
気が付けば
仕事を山ほどたのまれて
困った事がありました

その他にも
同意を求める言葉を言われて
本来はノンと言わなければいけないところを
「ウィ」と言って
ケゲンそうな顔をされたりして
取り繕うのにはずかしい思いをしながら

一年経つと
受け答えが出来て
おまけに質問も出来るようになりました

二年もすると
フランス人と口げんかするまでに
なっていました

フランス語を聞き取るまでには
毎日フランス人と

解らなくても話

恥をかき

失敗を重ねながら

耳が慣れるのですが
慣れるまでは
フランス人のしゃべる
口元を見ながら
何と発音しているかを
目と耳で覚えました

私のいたノルマンディー地方は
寒い地方なので
あまり口元を開けずにしゃべるので
本当に聞き取るのに苦労しましたが

後にディジョン、コートダジュールと
下がって行くに従い
口をはっきりと開けて
しゃべってくれるので
細かいところの知らない単語以外は
聞き取れました

ノルマンディーと言えば
日本で言うところの青森かなぁ

青森と言えば

津軽弁

私の中学の同級生に青森から転校してきた
子がいてその子に
津軽弁を教えてもらったのですが
あまりのむずかしさに

「俺、頭、良く、無い、から、良く、解らない、やー」と言ったら

彼は それ津軽弁で言ってみようか

「わ ずんぶ あだま いぐねぇ がら わがねぇ でぇやー」

これを 

息をつかずに一気に言ってみて下さい

文章の長さといい 濁点のかかり具合といい
フランス語に
似ていませんか





このブログを見ながら真似てみる
貴方が見えますよ

話はそれましたが
魚料理担当のフランク(イワン レンドル似)
が良く話しのネタにこのことを言って
からかってくれました(友情をもって)
まだ相手の口元を見ながら出ないと
フランス語が解りずらかった
ある日

厨房には私一人

内線電話が

静かな厨房に

ル ル ル ル >>>>

おそる おそる

受話器を手に取り

静かに耳をあて

私:ア ア ア アロー

マダム:セ キ(だれ?) {これくらいは解りました〉

私:セ マサ

マダム:アーマサ ナントカー カントカー アーシテー コーシテー
    コーナッテ アーナッテ オケー

私:ウィ ウィ ウィ ウィ ウィ ウィ

ガチャ




私は呆然と今何を言われたか解らずにいた時
フランクが入ってきて

マサ今マダムから電話がなかったか?と

私:ウイ

フランク:ナンテ?

私:ワカラナイ

フランク:エー!

そしてフランクはレセプションに居る
マダムに話の内容を聞きに走って行きました

それ以来
しばらくの間は
電話を取ることに
恐怖を覚えたのでした。

今では振り込め詐欺の恐怖が
巷を震わせております
みなさんも
お気を付け下さい。