泣いて 泣いて 泣いた日も なんとか持ちこたえたはずだろう?
出口の見えない暗闇さえ 歩いてきたはずだろう?
だからこそ その先へ
----------------------------------------------------------------by ドリカム

響いたぁ・・、紅白で聴いた時も「むむっ」って思ったけど。スミータさんの歌声を聴いてさらに・・

「泣いた日」、、かぁ、、。
この業界に入って5年目、とんとん拍子に前進して 仕事が面白くなってきた頃の妊娠。
連絡をくれる同期(男の子)が私を追い抜いて どんどんウエへ上がってくのを目の当たりにし、苦手な婦人科の診療台で 検診を受けながら涙した・・。
夏期講習で無茶して切迫流産になりかけた時も、仕事のことしかアタマになくて・・。
地下鉄のトイレに駆け込んで吐きながら、流産止めの注射を打って11時間授業を続けました。
まだ、自分が「オンナ」である事の自覚がなかったのかな

・・? 積んできたモノを諦めきれなくて。
今考えれば、そんな心のないバカな私を治めるために あーちゃんがきたのかもしれないな
乳飲み子の あーちゃんを抱えながら、八王子の校舎で最上位クラスを任された。
他教科で同じクラスを受け持つ男性社員に「主婦の片手間で 仕事されちゃ迷惑」と面と向かって言われ、帰りの電車で涙した。
悔しくて悔しくて・・、片道1時間の横浜線。涙が止まらなかった。
けど、2年間そのクラスを受け持ち続け、名だたる有名中学に 執念の合格を勝ち取った。(※
過去ブログ)
そんな あーちゃんが3歳で腎臓病になり入院。病院に泊り込んで面倒を見ながら涙した。
きっと私が、妊娠中に無茶したせいだろう。産後も保育園に任せて仕事ばっかりしていたせいだろう。
味のない病院食を「おいしいよ

」と笑顔で頬張る あーちゃんに、申し訳なくて仕方なかった。
入院費をパパにも助けてもらおうと 何年ぶりかに夫婦水入らずで話をした夜、隠していた借金が発覚。
財布が別だったので全く気付かず。私たちの生命保険も解約されていて・・。マンションも売ることに。
『借金』という重圧と、『裏切り続けられた』ショックで、声を出してワーワー泣いた。
(あーちゃんは病院にいたので、この沙汰は見ていない。それは、不幸中の幸い。)
「優しい」がとりえのような人だったけどねぇ・・。自分にも「甘い」ヒトだったのよ・・・。
告白から1週間で「別れてください」と懇願

し、1ヶ月で離婚届を提出した。
たった1ヶ月で6キロ痩せ、164㎝の私が43キロになっていた。
あーちゃんの病気のこともあり、親元に戻る決意をし静岡に都落ちしたが、両親になるべく迷惑を掛けたくないのでアパートを借りて娘と2人暮らしを始めた。
転職先は同じ業界。給料は かつての3分の2になってしまったが、やりがいがある。
目標も与えられ、自分に厳しく日々がむしゃらに頑張っていたら 人生初の『インフルエンザ』

9度の熱が下がらず、涙も出ないくらい吐き続け 「お迎え

」が枕元に立つのを見た。
よく「死ぬ時は人生が走馬灯のように蘇る」というが、そんなモノは全くなく(当たり前)、「あ、ついてったら楽になれるかも」と 思った。
かなり自分が弱いコトを知る。
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何も起こらないように願って 誰とも関わりたくなくて
でも そんな日々を過ごすために ここまで来た訳じゃない
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・・そう。 2009年は、年が終わりに近づくに連れて 自分の「立ち居地」がわかってきた。
2010年は 今までの真っ直ぐな頑張りの行き所を、「余裕」をもって 見つけてあげたい。
5歳下の妹に、今年は赤ちゃんが生まれます。
妊娠で不安に思う妹に、『子どもは親を“人”に育ててくれるよ』と 伝えました。きっと、大丈夫。
今年は私、ちがう『涙』を流す『人』に なりたいな