遊月(ゆづき)の日々これ修行なり~

パワースポット研究家(おたる案内人)でセラピスト遊月のブログ
【パワースポットニッポン(VOICE)北海道担当】

22を超えていけ

2019-11-14 08:31:00 | スピ的自叙伝
辻麻里子さんが書いた 22を越えていけ。

2002年2月22日2時22分にアトランティスの記憶を取り戻すと言う体験をしてしまい、自分の中で22が異常に引っかかると言う状態になっていた頃、たまたまネットうろついていて、この本を見つけました。

タイトルに惹かれ、そのままアマゾンで買いました。

その数年後に辻さんとご一緒に神事をする機会をいただき、同じお部屋で温泉に泊まりました。
その時に自宅から持っていった本にサインをお願いしたら、こんなこと初めてと驚きながら、快く書いてくださいました。
新刊を買ってもらった時に書くという制度を知らなかった世間知らずな私(^_^;

この本を買った頃は、ネットでスピリチュアルなことを話していくと言う事はしていましたが、それを仕事にはしていませんでした。
漠然と、占いや、自分が受け取ってるメッセージを人に伝えたり本を書いたりして、自宅でのんびり仕事ができたらいいなと思ってはいましたが、そんなのは夢物語でした。

普通に近所のデザイン事務所で事務員として働いていて、自宅でパソコンに触っていい時間をパートナーによって決められていました。

家事を全部終わってから寝るまでの1時間。

でもそれだけでは足りず、朝彼が出社してから、私が出社するまでが15分と
会社から昼休みに戻ってきてお昼ご飯を作って食べてからの30分ぐらい。

夜は家事と育児でパソコンに触れない日も多かったので、そんな中で時間をやりくりしてネットに触る。
そんな日々の中で、自分がインターネットを通して、全国の人たちにスピリチュアルなことを伝えていくことが仕事になるなんて。

あの頃私は自分のメッセージの出処が、ほとんどが夢であることに後ろめたさを感じていました。
自分の妄想の一部のような気がしていたからです。

ですがこの本を読んで、辻さんと私が情報を得ているソースが同じだと感じたのです。
辻さんに会いたい。
夢のことでどうしても辻さんに聞きたいと、その時強く思いました。
その時、強烈に潜在意識で辻さんに会えるように願ったのです。

それから3年、その後占いを仕事にするようになっていた私は、北海道のスピリチュアルなことを伝える人たちと少しずつですがつながっていました。

表に出て手広くやっている人がちょっと苦手で、ほとんど表に出ない人と話す方が落ち着くタイプだったためその人は札幌では知る人ぞ知るでしたが、ほとんど世の中に知られていない人でした。
でも話すことが深いところで共鳴するのです。

私とその人の会話を周りで聞いていた人たちはほとんどが、そうそうとか、うんわかるとか、あれあれ、みたいなキーワードが何一つ出てこない相槌だけでずっと会話をしていたと言っていました(笑)

言葉で思い浮かんだ瞬間にそれだよねみたいな形でどんどん話が進められる不思議な人でした。

私はその方とその奥さんと親しくなり、3人であちこちに出かけては良くないエネルギー的なものを浄化すると言う謎のミッションを2年ほど一緒にやりました。

その2人が、帯広でマヤのことを伝えている方と知り合いで、そちらでマヤ暦の有名な先生ご夫婦と、辻真理子さんを呼んで、13人で儀式をすることになったのです。
そのうちの一人に私を推薦してもらいました。

当時、家族と暮らしていたので1人で出かける事は不可能でしたが、その場所が夫の実家のすぐそばだったため仕事でどうしても行かなければならないと頼み込み家族で帯広に出かけることが出来、そのミッションが参加させてもらいました。

辻麻里子さんに会いたいと心から願って3年後に、辻さんと同じ部屋に泊まり、辻さんと一緒に露天風呂から然別湖を眺めて、星を見ながら夢の話や宇宙の話をしたのです。

その時に、辻さんとは、エジプトやシリウスですごくそばにいたなぁと感じました。
それから15年くらい経つのでしょうか。

先日講座を受けてくださった方から、辻さんが亡くなったと聞きました。
不思議なことに悲しみより辻さんらしいと感じました。

早く宇宙に帰りたかったのかな、と。

辻さん、本当にありがとうございます。
心よりご冥福をお祈りします。




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