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小説『最後の祈り』

2023年11月16日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

殺人事件の犯人を、残された遺族は許せるか──
というのは、永遠の課題だが、
娘を殺された父親が
死刑囚となった犯人に
教誨師として対峙したらどうなるか、という話。
薬丸岳得意の設定だ。

教誨師(きょうかいし) 
・・・刑者等に、
   悪を悔い正しい道を歩むように教え諭す人。
   仏教僧やキリスト教の神父、牧師、伝道師などが、
   法務省の任命により当たる。

主人公は牧師の保阪宗佑。
千葉刑務所で教誨師のボランティアをしている。
重罪を犯した受刑者と話をし、
神の救いを諭す仕事を引き受けた背景には、
かつて愛した人を裏切って死に追いやってしまったことがあり、
その罪悪感から、牧師の道を選んだのだ。

宗佑には、自分のことを「東京のおじさん」と慕ってくれる
北川由亜という女性がいる。
北川真里亜という人の娘だが、
真里亜の妹の優里亜が生んだ子で、
妹の死後、真里亜が養子に迎えて、育てていたのだが、
実は、由亜は宗佑が優里亜に生ませた子だった。
宗佑が優里亜を裏切って別れた後に、
宗佑に秘密で生んだ子で、
そのため、親子の名乗りをあげられなかったのだ。
ただ、由亜は宗佑を慕い、
宗佑が父親であることをうすうす感づいているようだ。

その由亜から妊娠と結婚を告げられ、
バージンロードを一緒に歩いてほしいとの申し出を受けていた。

その由亜が殺された。
犯人は、若い女をつけ狙って次々と残忍な殺し方をしていた
石原亮平という男で、
犯行に対して改悛の気持ちはなく、
「自分の唯一の楽しみは、若い女をいたぶりながら殺すこと」
と笑い交じりに話し、
早く死刑にしてくれと、裁判でもうそぶく始末。
死刑判決が出て、控訴もせず、
確定死刑囚となったが、
宗佑の気持ちは収まらない。

そんな時、真里亜がある提案を宗佑に持ちかける。
石原の教誨師となって、
死を恐れない石原に生きる望みを与えて、
死刑の瞬間に突き放す言葉をぶつけるというのだ。
「あの男を教誨することで、生きる希望を与えてほしい。
生きたい、もっともっと生きていたいと思わせた上で、
死ぬ直前に地獄に叩き落とす言葉を突き刺してほしい。
それがあの男への本当の罰になる」

いろいろな経緯があって、
その計画は実現する。
死刑囚を収監する東京拘置所の教誨師になり、
石原と対面するようになる。
しかし、石原は、自分の犯罪を誇らしく語り、
反省のかけらもない。
死刑も恐れないという。
怒りを抑えながら石原と対話する宗佑は、
石原を変え、生への執着を呼び起こし、
復讐することができるのか・・・

という、作りすぎの話
まあ、小説だからね。
その経過を宗佑や刑務官の小泉や石原本人の視点で描く。

話としては面白く、
読む人によっては
引きつけられ、
考えさせられる人もいるだろう。

ただ、宗佑の牧師という立場
最後まで違和感満々だった。
宗佑は牧師なのに、
神に問いかけることもなく、
聖書の言葉の中に解答を求めることもなく、
これでは、悩める普通人だ。
評価は、
牧師はあんな悩み方をしない
という一言で足りる。
あえて宗教色を出さないようにしたのだろうが、
だったら、主人公を牧師になどしなければいい。
牧師に設定した以上、
それにふさわしい人間性というものがある。
あんな動機で教誨師になろうと、
神に問いかけたら、
神は即座に否定しただろう。

牧師というのは、簡単になれるみたいに書いているが、
相当難しい神学を学び、
ギリシャ語などにも精通しなければならない。
神学校を通じて、
ガチガチに神学の立場で思考する人間になる。
そういう意味で、この小説の宗佑像は、
全く牧師とはいえない。

執筆にあたり、牧師の○○さんに
貴重なお話をうかがいました。

と最後に書いてあるが、
この○○牧師、
一体何を教えたのだろう。
「牧師は、こんな悩み方をしませんよ」
と助言しなかったのだろうか。

いずれにせよ、
筆者は、キリスト教の本質に対する
理解を怠り、
牧師という立場を小説の道具にしただけだ。
作りすぎの話には、
それを支えるリアリティが必要だ。
クリスチャンがこの小説を読んだら、
ほとんどの人が苦笑するだろう。

 



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