[書籍紹介]
2019年6月に公開された映画「凪待ち」の原作本、
ではなく、ノベライズ本。
川崎に住む印刷工の木野本郁男は、
恋人の亜弓が故郷の石巻に戻るのを機に
ギャンブル(競輪)から足を洗い、
亜弓について石巻に転居する決心をした。
亜弓が帰郷を決めたのは、
父の勝美が末期ガンがあるにも関わらず、
治療を拒み、病身で漁師を続けているからだ。
亜弓の娘・美波は、川崎ではいじめに遇い、
不登校だったが、故郷に戻って復学し、友達とも再会していた。
美波は、郁男によくなついていた。
亜弓は美容院を開業し、
郁男は印刷会社で働きだす。
一時的にまともな暮らしになれたと思った矢先、
会社の同僚らが競輪のノミ屋で賭け事をしているのを知って
アドバイスをしたことでノミ屋について行った郁男は、
またも競輪の魔力に呑み込まれてしまう。
ある日、亜弓と衝突して家を飛び出した美波は家に戻らず、
パニックになった亜弓と共に、美波を探し歩いた郁男は、
亜弓と口論し、道路に置き去りにする。
その夜遅く、亜弓は何者かに殺害されてしまう。
葬式でも親族席には座れない郁男。
籍が入っていないから、
もう美波と一緒に暮らすことは出来ない。
自分が置き去りにしたせいで
亜弓は死んだという思いで自分を責める郁男。
その郁男は警察から殺人の疑いをかけられ、
社員をギャンブルに巻き込んだと会社に責められ、
会社での金の紛失まで疑われる。
カッとなった郁男は、
同僚と争い、機械を損傷し、解雇される。
恋人も、仕事もなくした郁男は、
「俺がいると不幸が舞い込む」と自暴自棄となり、
益々ギャンブルにのめりこみ、
ノミ屋に莫大な借金を抱え、
その負債の返済のために原発の除染に行かざるを得なくなるが・・・
という、ダメ人間を描く映画だが、
鑑賞当時、私は高く評価して、
このブログに次のように書いている。
絵に描いたようなクズの話。
しかし、そのダメ男が愛しく思えて来るのが、この映画の魅力。
立派な人物の素晴らしい行動を描いて
感動させる話は作るのは容易だが、
ろくでなしの愚かな行動を描いていながら、
これほど胸が震わせられるのはなぜなのだろう。
それは、映画や小説の基本中の基本、
「人間が描かれている」
からだろう。
主人公の郁男は、
腕がいい印刷工なのに、
ギャンブルをやめられず、
すぐにカッとなって暴力に走るどうしようもない男だが、
心の奥底では
普通の幸福を得ようともがいている。
そのような「人間」の典型がここには描かれている。
だから、胸を打つ。
それをリアリティ豊かに描いたオリジナル脚本の加藤正人、
演出の白石和彌監督、
そして、郁男を演じた香取慎吾の
3つが見事に化学反応を起こす。
脚本は繊細でていねいで、
先触れが後で効果を上げ、
郁男の姿に肉薄したカメラは、
郁男の内面の孤独を見事に描き出す。
ほんの小さな描写がそれを裏付けし、
よく録音された生活音がそれを支える。
(録音:浦田和治、音響効果:柴崎憲治)
香取慎吾は、どこでこんな演技力を習得したのかと
いぶかるほど、ダメ男の哀愁を演じきる。
心根の善良さと不器用さの間で困惑する
木野本郁男という人物像を
見事に肉付けしていた。
そして、真弓の父・勝美を演ずる、
ベテランの吉澤健の演技が深い感動を与える。
更に津波の爪痕がまだ残る石巻の光景が背景を支える。
山風、海風に翻弄された主人公が、
ようやく人生の凪の時を迎える、という
題名も的確。
という評価で、
私にしては珍しく、
5段階評価の「5」を付け、
その年の日本映画のベストワンに挙げている。
その映画がノベライズになっていることは知らなかったが、
図書館で見つけ、読んでみた。
2020年2月の刊行だから、
映画の公開から半年ほど経っての出版。
脚本を書いた加藤正人自身よる小説化なので、
ストーリーはそのまま。
というか、いかにもシナリオを小説に仕立て直した、というおもむきで、
小説を読む満足感とは遠いものだった。
空手家と柔道家が使う筋肉が違い、
また、バレーボールとバスケットボールの選手が
動かす体の部分が異なるように、
脚本家と小説家は、頭の中の活用する部分が違う。
それを知っている倉本聰は、小説には手を出さなかった(はず)。
ノベライズ本での成功例は、
小説の手腕を持つ別な人物が
小説の技法を用いて書いたものだ。
そういう意味で、
ちょっと残念な読書経験だった。
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